第2話

 エネル浸食空間――それは、エネルという物質によって歪んだ世界。


――グルオアアアァッ!

「入って早々接敵とは、運がねぇなぁ……」


 空間内は危険だらけ。空間そのものも危ないのだが、それ以上にエネルが生み出した敵性生物――『エネルジーク』どもがうじゃうじゃいる。

 探索者時代に、よく相手にしていたものだ……俺は使い込まれた大振りのナイフを腰から抜き、目の前の敵へと構える。


 犬のような体躯でエネルジーク特有の黒色の毛並みに紅いラインが入っているそいつは、本来目がある場所にエメラルドのような石がはまっている。

 『獣型』、と俺たち探索者はそう呼んでいたっけか。


 獣型は素早く俺に近づいたかと思うと、自前の大きなかぎ爪でいきなり襲い掛かってきた!


――グルアァ!

「ッ、随分と好戦的な犬っころだな⁉」


 頬を掠める鋭利な爪に命の危機を感じながらも俺は転がるように横に避け、お返しとばかりに大きく空ぶってがら空きになった獣型の胴体にナイフで一撃叩き込む。

 ちっ、浅いな……返ってきた硬い感触に俺は歯噛みしながら距離を取ると、さっきまでいた場所をぐように獣型の尻尾が通っていった。


――グルルゥ……ッ!

「……ふっ!」


 攻撃が当たらず苛立ったように後ろ足でアスファルトの地面を掻く獣型。大きく口を開けて俺の首を噛み切ろうと飛び込んできた奴に対して、俺は合わせるように思い切りしゃがみ込み回避。


 獣型の弱点の一つは、皮膚の薄い腹部――頭上を過ぎ去る獣型に、俺は思いっきりナイフを突き上げた!


――ガッ……⁉

「エネルダイト製のナイフの味はどうだクソ犬?」

 

 手に残る深々と刺さった感触と共に、ぐったりと勢いを失った獣型の様子を見て俺はナイフを引き抜く。

 腹部から心臓コアに刃が届いた獣型は、あっさりと絶命しその身体を消滅させるのであった。


「ふぅ、よし。腕は鈍ってないな……本来は戦闘は避けるべきなんだが」


 一息ついて、俺はナイフを腰の後ろにある鞘に納めながら危なげない勝利に安堵する。久しぶりの戦闘だったが、これなら依頼の場所までは何とかなるだろう。

 黒いロングコートについた土ぼこりを払って首に巻いたマフラーを口元まで引き上げる。

 見バレ防止用の『フクロウの仮面』がズレてないかを確認してから、俺はポケットに入れていた端末を取り出した。


 今潜っている浸食空間のマップを表示させて、エレナが指定した座標までのルートを確認しながら俺はぼやく。


「行方不明になった探索者の遺留品探し、ねぇ……」


 どうみても裏がありそうなそんな依頼に俺はため息をつきながらも歩き出した。『エネルジーク』と接敵しないよう細心の注意を払いながら。


 死亡したか分からない探索者の遺留品探しというのは、別に探索者ギルドでもよくある依頼だ。エネル浸食空間危険な場所を潜る探索者は、当然その空間で死亡することもある。


「そんな『普通の依頼』をエレナが持ってくるはずがないよな。十中八九、救助要請だ……っと! 道が


 俺がエレナの依頼の裏を読んでいると、いきなり浮遊感に襲われる。住宅街の路地を歩いていたと思えば、次の瞬間には歩道橋の上に立っていた。

 これがエネル浸食空間の最大の特徴であり、最も危険な要素……空間が酷く歪んでいて、いきなり転移してしまうのだ。


 今回は運よく歩道橋の上に着地できたが――あと数メートルずれた座標に転移していたら、俺はいきなり真っ逆さまに落ちる羽目になっていた……他のことを考えながら空間内を歩くもんじゃないな。


「……非常用エアバッグよし。『慣れた時ほど慎重に』、だったよな」


 探索者時代に先輩探索者から教えてもらった心得をもう一度復唱しながら、自身の装備をもう一度見直す。慣れることは良いことだが、慢心することと同義ではない――俺は気を引き締め直して浸食空間を歩き始めるのであった。



「ふぅ……ここか」


 途中何度かエネルジークからの襲撃にあったり高いビルの屋上に放り投げられたりしたものの、特に問題なくエレナが指定した座標までやってきた。

 周りは崩壊したビルが目立ち、高速道路の柱が折れて一部が横倒しになっている……かなりデカいものが暴れた後って感じだな。


 道中あれだけいたエネルジークもここでは一体も見かけない。確実に『何かがあった』現場だ、早速とばかりに俺は周辺を探索し始める。


「遺留品がない……すでに誰かに持ち去られたのか?」


 が、探せど探せど見つからない。いくら死体がエネルに浸食されて消えてしまうとしても、装備や道具類の欠片すら無い。

 誰かが先に見つけて回収したのか――それとも『持ち主がまだ生きている』のか。どちらにせよ、エレナから送られた座標には何もないことだけが判明した。


「さて……帰るか、それとも進むか」


 端末で現在時刻を確認しながら俺は思案する。調査の途中で大きな破壊こんが西に伸びており、辿ってみると途中でぱたりと切れていたのが分かっていた。

 安全をとってここで調査を打ち切って帰るべきか、それとも危険を承知で見に行くべきか……。


「……いや、『フクロウの騎士様は最後まで希望を捨てない』――だったな。未海」


 付けていたフクロウ仮面の硬い感触を指でなぞって笑いながら、俺は先に進むことを決意する。行こう――未海が好きだったお話の主人公なら、きっとこうするはずだ。

 エレナからも「遺留品を見つけるために、出来れば『危険を冒してほしい』」なんて依頼内容だったしな。それだけ誰かを救うことを期待されているということか。



 気持ちを新たに俺が破壊痕が切れている場所に足を向ければ、再び浮遊感に襲われる。次に転移した場所は――崩れた工事現場の上空⁉


「ッ、鉄骨むき出しじゃねぇか!」


 眼下には巨大な何かが落ちたかのように、中心が大きく凹んで代わりにひしゃげた鉄骨や尖ったコンクリートがいくつも上向いている地面の光景が広がっている。俺は慌てて非常用エアバッグを展開した!


sequenceシークエンス起動! 武戯ぶぎ換装――『イカロスの翼データα』ッ!」


 次の瞬間、羽織っていた黒いローブが羽毛のようにバラバラに舞い散ったかと思えば身体を覆うように囲み始める。

 次々とローブの切れ端が背中側に集まり黒い翼のようになると、切れ端全てに内蔵されていた推進装置スラスターが起動――落下速度が軽減し、俺は無事に足から着地することが出来た。


sequenceシークエンス終了……なんというか、俺の切り札の使い道が落下防止の非常用エアバッグってダサくね?」


 元のローブの形に戻った俺の『切り札』に感謝しつつも、情けない使い方に物語の主人公のようにはいかないな……と俺は少し凹んでいると、遠くの方から戦闘音が聞こえてきた。


 大きな破砕音と、金属製の何かが硬いものとぶつかるような甲高い音――まさか、襲われてるのか⁉


「くっ……!」


 俺はすぐさま音がする方向に駆け出す。現場に着くと、巨大なエネルジークが一人の少女を襲っているのが見えた!

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