あの事件から、あっという間に一年が過ぎようとしている。

 トリーシャは以前と変わらず、司書として王城で働いていた。

 昼休みになると、トリーシャは弁当を入れた籠を手にして、外の東屋に向かう。

 木漏れ日が降り注ぐ穏やかな午後に、金髪と淡い緑の目を持つ美しい男が東屋に座っていて、紅茶を飲んでいる。

 ヴィタリはこちらに気づくと、微笑とともに手を振った。


「リィ」


 甘く穏やかな声がトリーシャを呼ぶ。

 トリーシャはこの幻想的な光景を目にするたび、夢ではないかと疑った。どうしても信じられないのだ。魔法使い嫌いの自分が、魔法使いの長と交際していることが。


「どうしたの?」

「やっぱり夢みたいだと思って」

「それはこちらが言うべきじゃないかな。君には一回振られたし」


 トリーシャは苦笑を浮かべた。

 ヴィタリに促されるまま、同じベンチの隣に座る。

 ヴィタリの言う通り、トリーシャはヴィタリに告白された後、一度は断った。ヴィタリ個人のことは好きだが、魔法使いであることがネックだった。それにヴィタリのほうがトリーシャよりも身分が高いので、そもそもトリーシャが彼にふさわしくないと思ったのだ。


 それでも結局、こうして付き合っているのは、ヴィタリが諦めなかったからだ。

 ヴィタリはまず、前に話していたように、転移門の問題を片づけた。一般人がいる場合、付添人がいなければ使えないようにしたのだ。


 それから、レルギは再び裁判にかけられ――いくら頭に来ていたからとはいえ、王城で暴れたので庇う余地がなかった――以前よりも環境が悪い場所へ労働刑送りになった。反省が見えないので、次は恩赦はなしという条件も添えられたらしい。もう二度と戻ってはこられないだろうという話だ。ほとんど終身刑である。


 最後に、ヴィタリは契約書を用意した。

 ヴィタリはトリーシャを、魔法を使って傷つけない。もし故意に傷つけた場合は、自ら労働刑送りを課す、と。

 さすがにその契約書を見た時は、トリーシャはめまいがした。ヴィタリは王印までつけた正式な書類を持ってきたからだ。


 ここまでされては、トリーシャの気持ちもぐらぐらと揺らぎ始めた。とどめはヴィタリの部下であるアガートの暴露だった。

 アガートはヴィタリの目を避けて、こっそりと図書室を訪れ、トリーシャとの面会を希望した。


「ラスヘルグさん、〈枝〉もないのに強い魔法を使うのは、とても危険なことなんですよ。特に王家の図書室のように守りの魔法がかけられている所では、少しでも魔力コントロールを間違えば、片腕がふっとぶほどです」


 アガートが言うには、トリーシャが嫌うから、ヴィタリは図書室に来る時は魔法使いの制服は身に着けず、〈枝〉も執務室に置いているそうだ。〈枝〉もないのに魔法を使うのが、いかに魔法使いには危険なことなのかを丁寧に教えてくれた。


「ノイマン様が怒って、勝手にやったことだとはいえ、魔法使いを撃退するには、魔法使いが出なくてはいけませんから……。あなたを守るためだったと、ご承知おきください」


 トリーシャは魔法使いではないから、それほど危険だとは知らなかった。

 アガートはトリーシャにひそひそと続ける。


「私がこんな話をしたと知ったら、ノイマン様は私をお叱りになるでしょう。ですが、部下としてはノイマン様が不憫に思えてしまい……ぶしつけな真似をして申し訳ありません。しかし僭越ながら、魔法使いの間でのノイマン様の評価をレポートにまとめましたので、ご参考にご覧ください。疑わしければ、そちらでも調べていただいて結構ですので」


 アガートは書類をトリーシャに押しつけて帰っていった。

 トリーシャは家に帰ってから、書類を読んだ。

 そこにはヴィタリがいかに魔法オタクかという変わり者エピソードの羅列と、魔法使いの間でどれだけ人望が高いかが書かれていた。

 その書類を家族にうっかり読まれてしまい、父であるトリスタンが念のために調べなおしてくれて、事実だと分かった。


「身分も上で、ここまでしっかりした人なんて、もう現れないんじゃないか。無理は言わないが、お前が迷うほど良い人なら、試しに付き合ってみてはどうだ」


 トリスタンは家の利益になるからと、トリーシャに無理強いをしなかった。自分が親友と交わした約束のせいで、トリーシャが被害をこうむったから、本当は口出しする気はなかったようだ。

 だがトリーシャが悩んでいたから、後押ししてくれた。

 それでトリーシャは気づいた。迷って悩むくらいには、すでにヴィタリに心を許しているのだ、と。

 そういうわけで、トリーシャはヴィタリと交際することにしたのだ。まずは試しに一年。トリーシャが問題ないと思えば、正式な婚約に移る予定だ。


「リィ、そろそろ一年だね。君が良ければ、私の家を見に来ないかい?」


 すっかり上達したサンドイッチを食べ終えたタイミングで、ヴィタリが切り出した。


「家?」


 過去のことを思い返していたトリーシャは、唐突に現実に引き戻されて、瞬きをする。

 実のところ、ヴィタリはこれを言うタイミングをはかっていたのだろう。どこかそわそわとして身を軽く揺すっているし、気まずそうに目をそらし、頬を赤く染めている。


(照れている姿でさえ、美しい人だな)


 トリーシャは素直に感心した。

 ヴィタリは普段は穏やかで冷静な人で、うろたえたところなど見せない。それがトリーシャの前では、初恋を覚えたばかりの子どもみたいに見えることがあり、トリーシャもつられて照れた。


「だって君はあれから、集合住宅で一人暮らしをしているだろう?」

「通いの家政婦はいるよ」

「ああ、通いはいるだろうけど、一人暮らしじゃないか。それも、様々な人が出入りする場所で」

官吏かんり向けの集合住宅だから、周りの身分はしっかりしているって。前にも話しただろ」


 トリーシャは首を傾げる。

 ヴィタリと付き合うにあたって、トリーシャは実家を出て、一人暮らしをする道を選んだ。一度は自分で生活して、一人でもちゃんとやっていけるのだと自信をつけたくなったのだ。最初は慣れなくて大変だったが、最近では快適に過ごしている。

 らちが明かないと思ったのか、ヴィタリは真顔になった。トリーシャの手を握り、勢いをこめて言った。


「リィ、君がよければ、私と結婚して一緒に暮らしてほしいんだ」


 トリーシャはきょとりと瞬きをして、表情を曇らせる。ヴィタリの顔から血の気が引いた。


「あっ、ごめん! 私が急ぎすぎた」


 ヴィタリはプロポーズの失敗を悟り、焦った様子でトリーシャの手を離してベンチを立つ。その手をトリーシャは掴みなおして、ヴィタリに問う。


「違うんだ、ヴィタリ。ただ、ちょっと心配して」

「ええと……何をだい?」

「君って、そもそも僕を抱けるの?」

「えっ」


 今度はヴィタリのほうが固まった。

 トリーシャはヴィタリの様子をうかがっていたが、すぐにいたたまれなくなって、顔を真っ赤にした。急いでランチを入れていた籠を片づける。


「結婚するならそういうことかと思ったけど、違ったみたいだ。契約のほうを望んでいるのかな。ごめん、勘違いを……」

「ちょっと待って、リィ!」


 ヴィタリはトリーシャの両肩を掴んだ。


「抱けるに決まっているだろ。どれだけ君のことが好きだと思ってるんだ。どうしてそんな疑問を? 私はちゃんと気持ちを伝えていたはずだけど」

「そうだけど……」


 確かにヴィタリは、何かとトリーシャに好きだと言ってくれた。


「ヴィタリは手を握っても、それ以上は接触しないから。実はそこまで好きでもないのかな……と」


 トリーシャがちらりとヴィタリを見ると、ヴィタリは頭を抱えている。ヴィタリは深呼吸をすると、トリーシャに詰め寄った。


「いいかい、リィ。私は君に一目ぼれしたけど、ちゃんと君の性格もひっくるめて好きなんだ。リィは真面目だし、初対面の私の書類を拾ってくれるくらいには、普通に親切だ。それから、あんなクズにも情けをかけようとする優しさがある。そして、ただでさえ好ましいと思っていたのに、君はあのクズから私を守ろうと背に庇った」


 トリーシャはヴィタリに圧倒されて、こくこくと頷く。


「君は死にかけたトラウマで、魔法使いが怖くて気分が悪くなるくらいなのに。あのクズの前に立ったんだ。震えながら。私は君の背中に、完全に惚れたよ。それから、守りたいと思った」


 トリーシャは困惑した。友人を守ろうと思うのは、トリーシャからすれば至極当たり前のことだった。

 トリーシャが口を開こうとするのを、ヴィタリはトリーシャの唇に人差し指を当てて黙らせる。


「好きな人が傷ついているのに、手を出せると思うかい? 君の害になるなら、私は自分自身も排除するよ。それがしんに守るということだ」

「……あの契約書は、そういうことなの?」


 トリーシャの目頭が熱くなった。

 まさかヴィタリがそこまで深く考えてくれていたとは思い至らなかったのだ。

 ヴィタリは頷く。


「リィ、私はただ、君が心から安心して、私の傍にいてくれたらと願っていたんだ。それほど大事なことのためなら、たった一年くらい、自分の欲なんて我慢できる」


 トリーシャの目に浮かんだ涙が、とうとう零れ落ちた。

 こんな愛もあるのか。世界がまぶしく見える。


「お願いがあるんだ、ヴィタリ」

「なんでも言って」

「……抱きしめてもらってもいいかな」


 おずおずと願い出るトリーシャに、ヴィタリは微笑んだ。


「喜んで」


 トリーシャはヴィタリの胸元に頬を預け、その温かさに、確かな安堵を覚えた。



  ◆◆◆




 次の休日、トリーシャはヴィタリの家を訪問した。

 ノイマン侯爵家の町屋敷なので、広々とした瀟洒な邸宅だ。

 ヴィタリは書斎以外にこだわりはないらしく、トリーシャがここに住むなら、好きな部屋を自由に改装して使っていいと言った。


「でも、できれば私の部屋の隣がいいな」


 明確に口説かれたトリーシャは、頬を赤らめる。

 屋敷の主人の隣部屋といえば、奥方の部屋と決まっている。

 トリーシャが照れるのを、ヴィタリはうれしそうに眺めた。

 一通り屋敷を案内すると、ヴィタリは食堂に向かう。


「今日は私がパスタをごちそうするよ」

「手作り?」

「ああ。前に約束しただろう? 家に遊びに来てくれたら、パスタをごちそうするって。ちゃんと自炊もできるってところを証明しよう」


 ヴィタリは微笑んだ。トリーシャは純粋な疑問を抱く。

 ヴィタリは宣言通り、おいしいミートソースパスタをごちそうしてくれた。

 食事を終えた後は、居間に移動した。

 ヴィタリはお茶と様々な菓子を用意してくれていて、ローテーブルがいっぱいになっている。二人で並んで長椅子に腰かけて、他愛もない雑談をしながら過ごした。

 やがて日が落ちてくると、ヴィタリは名残惜しそうに家まで送ると言ったが、トリーシャは勇気を振り絞ってヴィタリの袖を掴んだ。


「……泊まってもいい?」


 きっと顔が真っ赤で、みっともない有様だろうとトリーシャは思った。ヴィタリはうつむくトリーシャの顎にそっと指を添えて、トリーシャの顔を上げさせる。ヴィタリは少し怖い顔をしていた。


「そういう意味だってとらえるよ?」


 トリーシャはこくりと頷いて、ヴィタリの背に手を回した。





 それからトリーシャはヴィタリに手を引かれ、一階の居間から、二階にあるヴィタリの部屋へと移動した。

 ヴィタリが書斎以外にこだわりはないと言っていたように、侯爵家の主人の部屋と思えないほど、殺風景な部屋だ。オーク材を使った調度品の質は良いが、小物がほとんどないので、生活感がない。まさに寝に帰ってくるだけの部屋といった雰囲気だ。

 トリーシャが室内の様子に気をとられている間に、ヴィタリは扉を閉めて鍵をかけ、トリーシャを扉に押しつけ、性急に唇を奪った。トリーシャは少し驚いたが、口づけは優しい。やんわりと触れる唇に、うっとりと目を細める。

 ヴィタリはため息をつくと、トリーシャの額に口づけを落とす。


「はあ、かわいすぎるのもどうかと思うよ、リィ。急に誘うから、危うく居間で押し倒すところだったじゃないか」


 ヴィタリは眉を寄せ、すねたように言った。トリーシャは恥ずかしさから視線をそらす。


「その……一度試しておきたくて」

「ねえ、リィ。不快にさせたらすまないのだけど、前の彼とは経験があるのかい?」


 ヴィタリの問いに、トリーシャは首をすくめる。


「ええと……キスだけ。んんっ」


 途端にヴィタリは再び、トリーシャに口づけた。トリーシャが息をしようと口を開けた隙を狙い、ヴィタリが舌を入れてきた。トリーシャの舌とからめたかと思えば、強く吸う。息苦しいのに、気持ち良くてくらくらした。

 キスの経験があると言っても、トリーシャはこんな激しいキスは知らない。トリーシャが無意識に閉じていた目を開けると、熱のこもった緑の目と視線が合った。

 ヴィタリは明らかに嫉妬している。


(だって、婚約者だったし……子どもの付き合いでもないんだしさ)


 トリーシャは心の中で言い訳をする。レルギとは婚約者という以前に、父の親友の子ども――幼馴染でもあった。友人の延長戦上で、思春期特有の好奇心から、バードキスをかわしたことはある。


「ふ……っ」


 トリーシャの足から力が抜けると、ヴィタリに抱きとめられた。


「他には? 上書きするから、言って」


 ヴィタリが耳元でささやくので、トリーシャの背筋がゾクリと粟立つ。甘い声に、独占欲をにじませないでほしい。

 今までそんな面を一切見せなかったのに、ヴィタリは執着心が強いみたいだった。

 トリーシャは首を横に振る。


「ない……」

「彼に初めて感謝したよ。意気地いくじなしでありがとうって」


 ヴィタリは本当に嬉しそうに微笑んだ。性格が悪い笑みである。トリーシャはさらに新たな一面を見つけてしまい、くすりと笑う。


「ヴィタリって、たまに子どもっぽくてかわいいよね」


 ヴィタリはなんとも言えない表情をした。


「君といると、甘えたになるみたいだ」

「そうなの?」

「でも、リィをたくさん甘やかしたいのも本当だよ」


 そう言いながら、ヴィタリは美しい微笑を浮かべる。ギャップの落差がすごくて、トリーシャはめまいがした。


「ヴィタリは? 経験ありそう」

「貴族の跡継ぎだから、簡単な手ほどきは受けたけど……それくらいかな。そういったことに興味がなくてね」

「えっ、恋人もいなかったの?」


 あんなキスをしておいて、そんなことがあるのかとトリーシャは目を丸くする。

 ヴィタリは至極当たり前という態度で問う。


「魔法の研究をするのに、恋人が必要かい?」


 トリーシャはアガートからもらった書類を思い出した。魔法オタクの変わり者と書いてあったではないか。


「私はなぜか周りから人望があるけれど、本当のところは、周りに対して平等に興味がないんだ。魔法の研究をスムーズにするために、コミュニケーションはとっていたけど、それだけだよ。こんなに誰かと関わりたいと思ったのは、リィが初めてだ」

「そうなの……?」


 興味がないのに、あれほど周りに慕われるとは。ヴィタリのコミュニケーション能力の高さに驚いた。


「ほとんど毎日図書室に来ていたのは?」

「本のためというのもあるけど、リィの顔を見るためだよ。それに、毎日会うと親しみを覚えやすいものだからね。ちょっとでも好かれたくて」


 ヴィタリはトリーシャの知らないところで、地道で涙ぐましい努力をしていたようだ。


「でも、先輩方にも親切にしていたよね?」

「そりゃあ、君の先輩なんだから、親切にするよ。彼らに好かれないと、君に近づけないでしょ」


 それはその通りなのだが、そんな思惑があったとは驚きだ。


「誤解しないで。私は誰にでも丁寧に接しているつもりだから。というより、差別するほうがむしろ面倒でね。ひいきしたくなったのは、君くらい」


 ヴィタリに遠回しに、前から好きだったと、近づきたかったのだと言われたトリーシャは、顔を赤くする。


「他に聞きたいことは?」

「ないよ」

「それなら、もうおしゃべりはいいね? 続きをするよ」

「わっ」


 ヴィタリがトリーシャを両腕で抱き上げたので、トリーシャは慌ててヴィタリの首にすがりついた。

 ヴィタリは大きなベッドに移動すると、トリーシャをそっと下ろす。ベッド脇のチェストの引き出しから、香油に入った瓶を取り出した。


「リィ、できるだけ落ち着きたいけど、無理だ。ごめんね」


 ヴィタリは謝って、トリーシャの右手の平をヴィタリの左胸の上に当てた。心臓がバクバクと鳴っており、緊張しているのはトリーシャだけではないと感じて、少し安心する。


「みっともないくらい、興奮してる。でも、今日は最後まではしないから。ちゃんと調べておいたんだ。男の体は事前準備が大事だって」

「それなら、僕のことも引かないでくれる?」

「ん?」

「僕もちゃんと勉強してきたんだ。それで……一応、ここ数日で慣らしておいた。ええと、後ろを」


 トリーシャは羞恥のあまり、その場を逃げ出したくなった。

 なぜって、トリーシャはヴィタリに抱かれたくて準備をしたのだと打ち明けているのも同じだったからだ。

 ヴィタリが何も言わないが、トリーシャは顔を見る勇気がない。


「ヴィタリがその気になるかも分からないのに、こんなことして……。ごめん、やっぱり、今の無し! 帰る……」


 恥ずかしさが爆発し、ベッドを下りようとするトリーシャの右手首を、ヴィタリはがしりと掴んで離さない。


「帰すわけないでしょ」


 ヴィタリはトリーシャを抱きしめる。

 そして、トリーシャと目を合わせた。淡い緑の目には、獲物を捕らえた猛禽類のような鋭さがあった。


「うれしすぎて、夢かと疑ってしまったよ。不安にさせてごめん。だから逃げないで」

「ヴィタリ」


 トリーシャもヴィタリを見つめ返し、微笑んだ。


「好きだよ」


 ヴィタリの目が丸くなる。


「ずっと返事を避けていて、ごめんね。僕、怖かったんだ」

「……魔法が?」

「優しくして、同じものを返してもらえないことがだよ。でも、ヴィタリは僕に差し出すばっかりだった。僕もきちんと返したくなったよ。何も返してもらえないのがどれだけ悲しいかは、よく分かってる」


 トリーシャのほうから、ヴィタリに優しく口づける。


「ねえ、僕の気持ち、伝わっている?」


 ヴィタリの淡い緑の目が、水気を帯びて揺れた。ヴィタリもキスを返す。


「もちろん。はは、不思議だ。幸せすぎると、泣けてくるんだね。リィといると、知らない自分ばかり見つける」


 ヴィタリは照れくさそうにはにかんで、トリーシャを優しくベッドに押し倒した。


「リィ、嫌だったらすぐに言って。ちゃんと我慢すると約束する」

「分かった」


 ここまで来たらもう受け入れる気しかないけれど、トリーシャは頷いた。



<以下、一部カット>




     ◆◆◆



 初めて体を重ねた日から少しして、トリーシャはヴィタリと結婚した。

 ヴィタリは相変わらず優しくて、トリーシャの前では、魔法師団を示す制服は身に着けず、〈枝〉ですら遠くに置いている。

 転移門のことは今でも苦手だが、ヴィタリの職務の関係で、パートナーとなったトリーシャも付き添って遠方まで行かなければいけないこともある。そのたびに、ヴィタリは怖がるトリーシャと手を繋いでくれた。

 そして数年も経てば、ヴィタリとならば転移門を使うのは平気になった。


「最近は私と手を繋いでくれないよね」


 いっそヴィタリのほうがすねて、トリーシャに手を繋ごうと訴える始末である。

 トリーシャはそんなヴィタリに微笑みかけた。


「だって、ヴィタリは僕を置き去りになんかしないだろう?」

「当たり前だよ。そもそも、一日だって離れていたくないのに」


 魔法の研究に強い関心を持つヴィタリは、その性質をそのままトリーシャにも向けている。家にいる時は、四六時中、トリーシャを傍に置きたがった。疲れて不機嫌になると、トリーシャを膝に乗せたまま、読書に没頭している。

 トリーシャのほうが、この甘えたな男の対応に戸惑っているくらいだ。

 そんなヴィタリが、トリーシャを放り出すわけもない。


「おかげで大丈夫になったけど……僕が怖い時は、手を繋いでくれる?」

「いつだって構わないよ!」


 ヴィタリは嬉しそうに笑い、手を繋ぐどころか、トリーシャを抱きしめた。

 だからトリーシャはその温かな胸の中で微笑し、いつも通り、ヴィタリの背に腕を回すのだ。



 


 

  おわり



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置き去りにされたら、真実の愛が待っていました 夜乃すてら @kirakira-seiza

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