第3話 婚約者と共にあれ
5歳になると、スタッガード家では婚約者を子供に設ける。彼を、彼女を守るために強くあれ。自分の最も大切な存在を守るために強くあれ。そういう意図を込めた婚約である。
***
「アルス様、もうじき婚約者様が到着なされます」
「ああ。分かっている」
分かってはいる。だが、初めての同年代の子と初めて顔を合わせるのだ。いくら才能があるとはいえ、経験がなければ無意味。
「ほっほっほ。アルス様、もう少し肩の力を抜きなされ」
「あ、ああ」
グレイルでもわかるほどに緊張しているアルスは、向こうから馬車がやってくるのが見えた。
「…あの家紋は」
馬車には、家紋が刻まれる。どの家のものであるかを示すためだ。スタッガード家では、燃える剣に龍が描かれている。アルスが見た家紋は、不死鳥に二振りの剣。
通常、剣を家紋に入れるのは貴族の特権である。それを犯した場合は重罪が下される。なお、家紋に剣の本数が多ければ、それほど位が高い。1本は伯爵家以下の貴族の家紋になる。3本は皇族の家紋であり、2本は侯爵家、公爵家、大公家などの家紋となる。
つまり、あの馬車に乗っているのは侯爵以上の貴族の令嬢である。
馬車が目の前につき、中からかすかに声が聞こえる。
『お嬢様、先に私が開けますので少しお待ちください』
『分かりました』
それから少しも立たぬうちに扉が開き、お付の侍女と思しき女性が降りる。そしてアルスの婚約者も降りてきたが…
「スタッガード伯爵家、アルス・レ・スタッガードにご挨拶申し上げます。私はアルフォンス侯爵家、アレイン・レ・アルフォンスと申します」
「ご丁寧にご挨拶ありがとうございます。私はスタッガード伯爵家、アルス・レ・スタッガードと申します」
アルスはアレインのカーテシーを見てごく自然に挨拶をする。だが、内心はそれどころではなかった。
(かわいい)
その気持ちが溢れてやまない。長い髪は銀色に煌めき、整った顔立ち、所作で余計に大人に見えてしまう。そう見えるように頑張る彼女が、どうしても可愛く思う。
「グレイル様ですね、私はアレイン様専属の侍女を務めておりますテレザ・メイガーと申します」
「いかにも、私がグレイルでございます。これからよろしくお願いしますね、テレザ殿」
「はい。それではグレイル様、ここでの仕事についてのすり合わせをさせてもらいたいのですが…」
「おお、そうだ。それではアルス様、私はテレザ殿とお話がございますのでこれにて失礼いたします」
そうグレイルが言うと、屋敷の中へと消えてしまった。残された2人は、無言の時間が続く。
(くっ、同世代の女の子と話すのにこんなに苦労するとは)
アルスが悩んでいると、アレインから声をかけた。
「あの…アルス様」
「…アルス様はやめて欲しい…その、むず痒いんだ。呼び捨てで構わない」
「そ、そんな…恐れおおいです」
「いえ、アレイン嬢。私こそ敬称を使うべきだと考えている」
「い、いえいえ、大丈夫です!!!」
アレインの恥ずかしげな声から一転し、にっこりと笑い、柔らかな声で話す。
「では、アル、と」
「はい。そうお呼びくだされば」
「この後は魔法の稽古ですか?」
「ええ。ですが時間がある。なので少し歩かないか?」
アルスはアレインに手を差し伸べる。
「もちろんです」
一目惚れだ。間違いなく一目惚れをした。だが、生まれた時から剣や魔法、本と生きてきた彼にとって、その感情は形容しがたいものがあった。
(なんだ、この荒ぶる気持ちは)
それを見事に抑え込みつつ、アルスは屋敷の庭を案内する。
「ここは花園だ。よくここで本を読んだり、自主稽古を行ったりしている」
「…差し出がましいことを申し上げてもよろしいでしょうか」
「大丈夫だ。それで?」
「私も、アルと一緒に稽古をしたいのです」
アルスは驚愕した。まさかそんな願いを言うとは思わなかったのだ。
「…私があなたをお守りする以上、あなたまで強くなる必要は無いはず」
「私は、あなたの隣に立ちたいのです。ただあなたの後ろにいるだけではなく、あなたの隣に立ちたい」
「…不躾ですがひとつ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「…はい」
「何故そこまで?こう言ってはなんですが、先程初めて顔を合わせたはず」
「……が……す」
「…?」
「あなたが好きなのです…!」
真っ直ぐな好意を、彼はぶつけられたことは無い。今までは忠誠心を孕んだ好意をグレイルやメイド、執事から貰った。稽古にきた騎士や魔法士も、同様に。アルスは返事に困ってしまった。
(どうすればいい…なんといえば正解なのか?)
アルスは頭を必死に回す。だが、アレインはさらに追い討ちをかけてくる。
「お見合いの絵を見た時からです…私は、あなたが好き…大好きです…」
アルスはもはや限界だった。
「そ、そうですか…」
そう返すと、後ろを向く。
「…ど、どうされましたか?」
アレインが不安げに尋ねる。だが、アルスは必死に取り繕いながら、
「…なんでもございません。少し、整理する時間をいただいてもよろしいでしょうか」
と、身を振り絞って答えた。
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