ウォールバロット

阿尾鈴悟

ウォールバロット

 ホテルで小学校の同窓会が行われていた。大部屋を貸し切っての立食形式だ。

 暖色の照明を浴びる参加者たちは五十人程度。明らかに数が多い二十代前半の卒業生たちに混じって、中年から壮年の教師か元教師らしき姿がまばらに見える。ほとんどの参加者たちの手元にはアルコールの入ったグラスがあり、彼ら彼女らの感じている頬の熱は、少し強すぎる暖房のせいだけではないはずだ。

 数脚用意された食事用テーブルには、それぞれ小さなグループが形成され、本格的に歓談がなされていた。昔、良く遊んでいたグループで。今、ひいては自分の未来に好影響をもたらす可能性を考えてのグループで。偶然、集まっただけの、微妙なバランスで成り立つグループで。共通する思い出や相手は知らない自分だけの時間の流れ、皿の上に取り分けられた食事に関する会話たちが入り交じって、ノイズでありながら不快感のないバッググラウンド・ミュージックを作り出している。

 それを耳に入れながら、誰と話すわけでもなく、壁際に置かれた椅子に座っている男性がいた。太股の中程に肘を突いて、床へと顔を向けている。

 空間に相応しい、やや高そうなスーツを身に纏っている。紺単色に思えるジャケット、スラックス、ベストは、よく見るとわずかに違う色で構成されたチェック柄だった。シャツやネクタイの色も濃い青系統だが、どちらもピンクや紫じみたパステルカラーとのストライプ柄で、全体の印象が重くなりすぎるということはない。仕立てたばかりには見えないが、くたびれてしまった様子もなく、それ相応の機会にのみ着ているのだろう。

 うねりのない黒髪は、彼の耳を隠している。他の男性参加者と比べて長めの髪型だ。

 彼の手にもグラスがあった。琥珀色のシャンパンが半分以上残っている。


 会話の奏でる音楽から男の物が一つ抜け出し、壁際の方へと歩を進める。

 黒のTシャツに赤を基調としたフランネルシャツを羽織り、濃い色のジーンズを穿いている。どれも大手衣服量販チェーン店で見た気がする物ばかり。参加者の中でも彼は一際だったカジュアルな服装をしていた。

 前髪こそ目にかかってはいないが、全体として椅子に座る男よりもさらに長く伸びた髪を後ろで一つに束ねている。艶が無く、気を使っているようにはとても見えない。

 左手で器用に皿を二枚持っている。それぞれに数種類の料理が載せられている。

 右手にはグラスとフォークを持ち、鋭い高音が鳴るに併せてシャンパンから泡が立ち上る。

 先客を見つけ、彼は首を小さく傾げる。霞の中から記憶を探る。幾分、変わっているはずの顔とその雰囲気を道しるべに、旧友の名前を見つけに向かう。

 しばらくして、スーツの男へと声を掛ける。

「カモ?」

 スーツの男が顔を上げる。

 見やすくなったカモと呼ばれた男の顔に、カジュアル服の男の顔が明らかに華やいだ。

「やっぱりカモだ! 久しぶり!」

 カジュアル服の男は当然のようにカモの隣に座る。

「雰囲気が変わってて自信なかったよ」

 カモが笑う。けれど、それは、酷く乾燥しきっていた。

 表情から意図を汲み、男が続ける。

「分からない、もしくは覚えてない?」

「誰か分からないから覚えているかどうかも分からない」

 素っ気なく、けれど、申し訳なさそうにカモが言う。

「それは道理だ」男の声には笑いが混じっていた。「俺がカモをカモだって自信が無かったのと同じだね。でも、自分の名前を知っているはずの人間に、改めて自己紹介じみたことをするのは、何処か痒い気持ちになるから、また後で訊くことにするよ」

 皿の一つを膝の上に、シャンパングラスともう一つの皿をカモとは反対の椅子に置いて、男はレバーペーストの塗られたカナッペを親指と人差し指でつまんで口に運ぶ。

「なんでわざわざ立って食べるのかね? 給食の時間はあんなに立つなって言われたのにさ」

「次の料理を取りに行きやすいからじゃない?」

 思うままに口を開き、カモは残っていたシャンパンを一気に飲み干す。

「やっぱりぬるいと美味しくないや」

 横で目を丸くしている男に気付き、カモは眉をひそめて視線を送る。

「いや、てっきり、飲み過ぎて酔ったのかと思って」

「まだ一杯目だよ。人の多さに酔ったんだ。小学校にいた時とほとんど同じ人数のはずなのに、学校で生活していたときとはずいぶん違って圧倒される」

「それだけ、成長したってことだよ。物理的に」

 半分だけ納得し、カモがうなずく。

 そこでふと男は少し考えた風にして、行き着いた心当たりを口にする。

「もしかして、何も食べてない? それとも、お腹が空いてない?」

「少しは食べたよ。けど、お腹は空いてる。取りに行く気がしないんだ」

「それじゃあ、俺が取って来るよ」

「悪いよ」

「いいよ。ちょうど取りに行きたかったんだ」

 男は空になった二枚の皿をカモへ見せる。シャンパンはまだ残っていた。

「何かリクエストは? ミニトマトとオリーヴ、小さいモッツァレラチーズが串に刺さってクラッカーに乗ってる、ミニイタリアン団子みたいなのが美味しかったけど」

「カプレーゼのピンチョスかな? 何にしろ、お任せするよ。僕に要望する権利はない」

 カモのグラスを奪うように取って、男が椅子から立ち上がる。

「確かにちょっと面倒だね」

 苦く微笑み、男は会場の中心へ向かう。途中、皿を食事用テーブルに置いて行く。豪奢な食事の置かれる大きなテーブルの周りを歩き回る。時折、誰かと言葉を交わしながら、時間を掛けて──しかし、決して遅すぎることのない時間で壁際の椅子へ戻ってくる。

「お待たせ。ついでにシャンパンも持ってきた。今度は冷えてるよ」

「ありがとう」

 カモが男から受け取った二枚の皿とグラス、そして、フォークを、男と同様に隣の空いている席へと置く。空腹と伝えたからか、皿の一つにはチーズリゾットとチキンソテーが乗っている。もう一方はカナッペや男の言っていたカプレーゼのピンチョスといった、会話を邪魔せずに食べられる一口サイズの物が並んでいる。

「それで、俺の名前は分かった?」

「コマ。小家雅人。多分だけど」

「うん、正解。改めて、久しぶり。けど、あれだね。相手にフルネームを呼ばれても胸のあたりが落ち着かない」

「結局?」

 困ったような呆れたような笑みをカモが浮かべる。

「だって友達にフルネームで呼ばれたことなんて滅多にないし」

「そう?」

「記憶にある限り。カモも俺──いや、俺を含め、同学年の誰かに大鴨優希なんて呼ばれた記憶ある?」

 フォークを止め、カモは思考に集中する。やや置いて、答えを出す。

「ないかな」

「そうでしょ?」食べていた物をコマがシャンパンで流す。「みんな、大体、あだ名で呼びあってたんだから。せいぜいが名字か名前に『くん』か『ちゃん』をつけたくらいだ」

「僕らの場合、『アヒルコンビ』の『大』か『小』だったけどね」

「確かに」コマが陰を交えて笑う。「改めて考えると、『小アヒル』と『大アヒル』って、相当イヤなあだ名だね。当時は気にもしなかったけど。カモに関しては、元から鳥だし」

「お互い、仲が悪ければ、そのイヤなあだ名も付けられなかったかな」

「まさか! むしろ、『またアヒルコンビが喧嘩してるよ』って言われるのがオチだよ。家の鴨でアヒルと読むって知られたのが運の尽きさ」

「そういうものかな」

「そういうものさ」

 沈黙。

 二人が緩やかに食事を取る。

 他人の会話の音が再びバックグラウンド・ミュージックとして返ってくる。

 グラスを傾け、独り言つようにコマが呟く。

「しかし、『アヒルコンビ』なんて懐かしい単語を聞くと、スワの奴を思い出すな」

「スワ? 何で?」

「おいおい。よく一緒に裏庭探検しただろ?」

「裏庭?」

「グラウンド横のビワの木があるとこ」

「ああ。教頭先生が管理してた雑木林みたいな?」

「そう。そこ」

 目的もなく、コマがゆっくりとグラスを回す。揺らめくシャンパンの水面とその影を遠い目で見つめている。

「スワが居なければ今の俺はここにいないよ」

「また大げさな」

「いや、本当に。生物学科に入ったんだ。生物の遺伝子なんかを研究してるんだよ。卒業裏庭でチョウやらダンゴムシやらに触れてなかったら、きっと、こうはなってないと思う」

「そっか。そうなんだ」

 カモの言葉が宙に溶ける。同時に自らへ溶かし込んでいるよう。

「カモは何をしているの?」

「フリーターだよ。レストランとカラオケの掛け持ち」

「接客業! 大変って聞くけど?」

「大変だよ。話を聞いているようで聞いていないお客様も多いから」

「ああ、俺にも思い当たる節がある。気をつけるよ」

「そうしてくれると、きっと、その店の人が助かるよ」

 会話が途絶えてしまう。

 残っていたグラスの中身を、コマは一息に空にする。少し悩んでから、質問をする。

「やっぱり医学部の試験は難しいのか?」

「良く覚えてるね」カモが苦く、けれど、その苦味が決して嫌ではないみたいに笑う。「手も足も出ない」

「そっか。じゃあ、病院は?」

「多分、畳むんじゃないかな。でもそれは父が決めることだ」

「それもそうか」

 コマが役目を終えた食器を持って立ち上がる。

「また後で来るよ」

「ありがとう。楽しかった」

 コマの背中をカモは見送る。同窓生の輪に消える。

 そして、食事を再開する。ぬるくなったシャンパンに顔をしかめる。



 ホテルの外は夜のずいぶんと深い場所まで進んでいた。建物の向こうに隠れた太陽は、光の一部もこちらへは見せていない。

 しかし、町は未だに人と踊っている。エンジンとタイヤを回す車。駅前のミュージシャン。それぞれの店から漏れるバッググラウンド・ミュージック。そして、なによりも町で歩く人たちに会話。それぞれの音に耳を傾け、その身を委ねている。眠りにつくのは、もう少し先のことだろう。

 参加者の誰もが、クロークに預けていたコートやジャンパーを着るか羽織っている。冷気に満ちていようと、まだ話し足りないと言わんばかりにホテルの前で固まっている。次第に何人かが即興の二次会会場へ分かれて行く。

 カモは一人で一団から遠ざかり、ホテルからも離れ始める。前を閉めたダッフルコートの襟元へ口を埋めて、組んだ腕の先を脇の下に挟んでいる。

「二次会、カモは行かないの?」

 追って来たコマがカモを呼び止める。モッズコートのポケットに両手を突っ込んでいる。

「明日もバイトがあるから」

「そっか。駅の方?」

「うん。歩ける距離じゃないから」

「じゃあ、一緒に行こう。俺も学校なんだ」

 やや遠い場所から一団に声を掛け、コマはカモと歩き出す。

 まもなく通りに入る。人通りはあるが、そう多くはない。すぐ横を走る車線だって、上りと下りが一つずつの、表と裏の中間みたいな通りだった。

 しばらく歩き、カモが少しだけ顔を上げる。

「なんで浪人かどうか訊かなかったの?」

「どうしてかな」コマは片手を顎に当てて考える。けれど、すぐにポケットへ戻してしまう。「訊いた方が良かった?」

「そういうわけじゃないけど」

「けど?」

 カモが唇を噛む。視線を下に、言い淀む。そして、結局、話し始める。

「何をしているのか訊かれて、フリーターって答えると、みんなは『浪人中?』とか、『大学は行った方がいい』って言ってきたから」

「なるほど」コマが大仰に頷く。「今ので分かった。フリーターって言うからには、違うのかなって思ったんだ」

「無意識なのに察しが良い」

 そこでカモは一拍空けた。再び脳にためらいのフィルターがかかっていた。でも、ついさっき、話を始めたときから、フィルターはほとんど意味をなさなくなっている。

「僕、医学部、受けなかったんだ」

「『落ちた』じゃなくて?」

「そう。申し込みだけして、当日、試験会場に行かなかった」

「お金の無駄だ」

「本当にね」カモが例の苦味を味わうような笑みを浮かべる。「あの時は分からなかったけど、多分、医学部に行きたくなかったんだと思う。行かない必要もなかったけど、行きたくなかったんだ」

 コマは沈黙で先を促す。カモもそれが分かっていて、話を続ける。

「うちが病院なのは知ってるよね? 今は父が院長だけど、開業したのは祖父なんだ。別の病院だけど、叔父も医者。叔母は薬剤師で、祖母は元看護師だったりする。母だけは違うけど、まあ、要するに、そういう家系なんだ。だから、僕も医者になろうと思ってた。というか、なるんだと思ってた。子供ながらに病院を継ぐんだろうなって思ってた。そういう家系だから。それしか職業を知らなかったから」

 カモが一呼吸を置く。話しながら思い出した感情を整理する。ほんのわずかな時間で区切りがついた。

「でも、中学の時、何か違うなって」

「違う?」

「そう、違う。やりたいことじゃないなって。医療への興味がなかったんだ」

「じゃあ、何に興味があったの?」

「それは色々だよ。心理学とか、文学とか。それこそ、コマと同じ、生物学の時もあったよ。ただ、化石から派生したから古生物だったけどね」

 カモが微笑む。併せてコマも折り目正しく無言で笑う。

「でも、そのままなんとなく進んでたときにさ、父の昔の夢が宇宙飛行士だったって知ったんだ」

「理系は理系なんだろうけど、医者とは明らかに違うね」

「しかも、父は医学部に三浪して、十年間いたらしい」

「それはまた」

「そこで、もしかして、僕と同じなんじゃないかなって」

「同じ?」

「必ずしも医者になりたいわけではないけど、祖父──つまり、父にとっての父が医者だったし、暗に継いで欲しがっているのを知っていたから医学部に行った」

「それは突飛じゃないか?」

「でも、僕を医学部へ行かせることへの情熱は、祖父が一番強かった」

「それは、孫を想って……」

「孫の移ろう興味を歪めても?」

 コマの言葉の尻尾をカモが食う。淡々としていたが、声をかき消すだけの何かがあった。

 コマは不思議そうにカモを見る。

 カモが呟くように先を続ける。

「心理学に興味があるとき、医者にも似たことが出来る心療内科というのがあると言われた。文学に興味があるとき、医者になるからこそ新しい視点があると言われた。化石に興味があったときは、科学教室みたいな場所に連れて行かれて、初めは楽しかったんだけど、時間が経つにつれ、生物の勉強をする場所に変わり、最後には普通の塾になっていた。医学部は生物も重要だから」

 コマは口ごもって下を向く。カモに同情しているようでも非難しているようでもある。

「それで、医学部の他に、内緒で生物学科にも申し込んだ。そして、後者だけを受けたんだ。受験期の僕はその道へ進もうとしていたから」

「そうしたら、受かっていた?」

「そう。ネット上で合否が出る仕組みで、ずいぶんと簡素だったけど、未だに夢で見るほど嬉しかったのを覚えている」

「少しだけ分かるかも」

 共感し懐かしむコマをよそに、カモの表情には陰が落ちる。

「結果を父に伝えたら、そのときは無反応だった。でも、後日、ゴミ箱で入学手続きを見つけた」

 カモが顔をまたコートの襟に埋める。声がくぐもる。

「その後、祖父に『医師免許を取っても研究職には就ける』って言われた。そりゃそうだろうけど、この時、なし崩し的に病院を継ぐ未来が見えた。仮に医学部に入っても、どうせ、やりたい研究は歪むだろうなって」

 消え入りそうな声。近くを並んで歩いているはずのコマでさえ、今はカモを遠くに感じる。

「だから、家を出た。二十歳を超えるまではネットカフェに泊まってた。保証人がいないとアパートを借りれなかったんだ。それで、学費と生活費を稼ぐためにアルバイトを始めた」

「それなら浪人中になるんじゃ?」

「学費って相当な金額だよ。そう簡単に貯まるわけない。それに生活費も必要だし、なにより学力を維持しなければいけない。僕はそこまで器用じゃ無かった」

 カモが鼻で息をつく。二人に空いていた遠い距離が、まだマシなまでに戻ってくる。

「アヒルならアヒルでも、『みにくいアヒルの子』が羨ましいよ。彼は自分の血を受け入れられた。それに、池の柵を越えて、自分に適した池を探しに行ける。でも、僕は自分の血を認められない。柵を越えようとすると、親に引き戻される。柵の中のアヒルかな。……いや、もしかすると、卵を割ってさえないのかも。アヒルになるのか、料理になるのか、はたまた、別の何かになるのか、当然、アヒルになると思っている親アヒルの足の下でそうとは知らずに悩んでいるとき、たまたま、抜け落ちて、地面を転がっているのが僕なのかもしれない」

 二人とも何も話さないでいる。

 しばらくして、コマが質問をする。

「……もしかして、椅子に座ってたのは、人に酔ったというより、話が合わなくて?」

 イエスともノーともカモは言わない。ただ、沈黙を貫いている。

 コマが頷く。薄く笑っている。

 どこへ向けるわけでもなくカモが呟く。

「みんなはずいぶんと遠い場所にいたよ」


 横断歩道が青になる。駅は二人の目の届く場所にある。

「また改めて飲みに行こうよ」コマが横断歩道の白線を踏む。「今度はカモと三人で」

 訝しげに、または呆れたように、カモはコマの後を追う。そして、からかい混じりに訂正しようとする。

 しかし、それより早く、コマが続ける。後ろ歩きになって、カモへ笑いかける。

「スワでしょ? 最初に間違えたのは謝るけど、君はカモじゃない。諏訪……、和弥。そう、諏訪和弥だ」

「……なるほど。確かに気持ち悪い」

 カモ──いや、スワはわざとらしく身震いをする。小走りでコマの横に追いつく。

「いつ気付いたの?」

「裏庭の話をしたとき。あの場所に『裏庭』って名前を付けたのカモだったから。それで、みんなに聞いたら、カモは不参加だった」

「なるほど」

「あと、家が病院だったのは、カモとスワだけだったし」

「そこはコマに合わせただけかもとは思わないの?」

「そうは見えなかったけど?」イタズラっぽくコマが笑う。「自分から話し始めて全部嘘ってのも考えにくいし」

「本当によく覚えているよ」

 スワが嘆息する。

 それをコマは面白そうに眺めてから続きを口にする。

「何より、『アヒルコンビ』って言葉を交じりっ気なしに言えたのはスワだけだ。俺もカモもあまり言いたくなかったし」

「そう?」

「うん」コマが自らの足下へ視線を落とす。「俺の知ってるスワは、自分から周りの作り出す大きな流れに背を向けていたよ。そして、自分の流れ──つまり、スワが言うところの自分に適した池を見つけていた」

「でも、その後は流されたよ。気付きもしないうちに」

「血は水より濃いから。少しでも激流になるんだよ」

 そこでコマは少しずれていた話を戻す。

「二人──それも、血じゃなくて、昔、同じ流れに乗っていた水の二人なら、一人だけ置いて行かれることはないでしょ?」

 スワは悲しそうに首を振る。

「カモは分からないけど、コマは自分の池を見つけている」

「今日は平気だったでしょ?」

「それは一対一だったからだよ。流れに乗るしかない。けど、三人になったら分からない」

「そうかな?」

「そうだよ。三人居ても、二人だけ乗れる流れができたら、一人は置いて行かれる」

「そうじゃなくてさ」

 スワが不思議そうにコマを見る。

「本当に乗るしかない流れだった? 確かに、俺が勝手にスワの隣に座って始めた話にスワが付き合ってくれたのかも知れないけど、それは乗るしかない流れ──つまりは流されたことになるのかな?」

「よく分からない。理屈っぽいのは苦手なんだ」

 スワがうんざりしたみたいに顔をしかめる。

 コマは少し考え、自分の言いたいことを簡潔にする。

「つまりは楽しかったか、楽しくなかったか」

「楽しかった」

「それなら、スワは流されたんじゃなくて、自分から流れに乗ったんだよ」

「結果論でしょ」

「そう、結果論。過程も大切だけど、結果だって大切だ」

「けど、話がなくなるかもしれない。話には共通の題が必要だろ?」

「それこそ今日の俺との会話を思い出して。初めから俺たちの手にあった共通の話題なんて、半分かそこらしかないはずだ」

 スワは数時間前のことを思い出す。思い出話なんてほとんどしていない。

「それに話がなくなることの何がいけないの?」コマが続ける。「常に話していたら疲れてしまう。会話が無くても一緒の時間を過ごすだけで、人は楽しめると俺は思うよ」

 駅に着く。一気に人通りが多くなる。

 スワが改札へと向かう。立ち止まったコマを振り返る。

「俺、バスだから」コマが手を振る。「いつでも連絡して」

 ふと引っかかりが頭を過ぎり、それをスワが口にする。

「そもそも、連絡先、知らないかも」

「そうだっけ」

 再び近づき、連絡先を交換する。追加された連絡先を確認して、スワは改札へと入って行く。

「じゃあ」

「うん。また」

 数度、振り返って、スワはホームへ続く階段を上る。

 完全に姿が消えるまで、コマはそれを眺める。そして、バス停を目指して人混みに溶ける。

 空には相変わらずの夜がいる。明けが来るまでは、まだずいぶんと時間がかかりそうだった。

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ウォールバロット 阿尾鈴悟 @hideephemera

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