#07 魔の差す時
数日後、四月も下旬になり、汗が出るような温かい日が感じられるようになった。
捜査本部には、おおむね俺の筋立てしたとおりの情報が集まって来ていた。
毎週水曜日の夕方以降に、桧山真治のマンションに姿を現していた氏名不詳の女の足取りが、奇跡的に残っていた防犯カメラで追え、彼女の生活拠点が判明している。
杉並区永福4丁目の賃貸アパートだ。事件現場となった桧山真治のマンションから井の頭線で四駅ほど離れた場所に住んでいた。
生活拠点が判明すると、部屋にガサ入れをして犯罪の証拠を収集することになった。
そのガサ入れにより氏名不詳の女だった彼女の名前も把握された。
名前は白川朋乃。その戸籍を照合すると、なんと戸籍はあった。
母親と同じく、孤児として新規に作られた戸籍であり、本籍地は山梨県の富士河口湖町となっている。
町役場に白川朋乃の戸籍ができた経緯を確認すると、1999年の10月16日の早朝、町役場前にて保護され、朋乃という色紙が置かれていたため、当時の町長の名字をもらい戸籍を作ったそうだ。
山梨の施設で18歳まで過ごし、その後単身で上京。
最初こそ、普通の会社員として勤めたが、すぐに辞め、それ以降はキャバ嬢として生計を立てたらしい。
キャバ嬢として稼いだ金で、整形もしたらしく、白川朋乃の名前で美容整形の手術記録が確認された。
いくつかのキャバクラを渡り歩いていたが、客のあしらいが上手く、人気のキャバ嬢だったことも判明している。
キャバ嬢として稼いだ金は整形費用に使っただけでなく、興信所に自分の身内探しの依頼料としてかなりの額を投じてた事も突き止めた。
その身内探しの調査の中で、椿沢綾乃が自分の行き別れの実妹であるということが発覚し、すでに死んでいることを報告されていたことも興信所から聞き出せた。
その調査報告書の中で、妹の自殺の要因とされた訴訟を担当した弁護士である久我沼の存在が言及されていたことも確認されている。
新たに出た情報を元に、久我沼の関係者をもう一度洗い直してもらい、白川朋乃との接点を探したところ――。
取引先の企業の社長が、白川朋乃の客だったことが判明。
顧問弁護士である久我沼も、その社長に連れられて、白川朋乃のいる店に何度か顔を出していたことが突き止められた。
接点がないと思われた2人には、ちゃんと接点があった。
その店の関係者から、外で白川朋乃と久我沼が会ってたらしいとの証言も取れている。
久我沼の関係者から白川朋乃との関係のことが出てこなかったのは、本人が浮気がバレないよう相当用心して気を付けてたと思われた。
この白川朋乃との浮気の件を確認するため、久我沼の奥さんに旦那の行動を再度聞きに行ってもらったが、相当ショックを受けてたとの報告があがってきている。
奥さんの件は気の毒だったが、久我沼から訴訟の件のことを聞き出し、桧山と実妹がトラブってたことを白川朋乃が知った可能性は高いと推測できる証言は集められた。
精密な検査を依頼していたDNAの方も、桧山に致命傷を負わせたナイフに付着してたのは、姉の白川朋乃だという鑑定結果も出て、ようやくこの奇妙な幽霊による殺人事件の全貌が明らかになってくれた。
桧山真治殺害事件は、椿沢綾乃と一卵性双生児である白川朋乃が殺害を主導し、久我沼が金銭目当てで、その手伝いをしたという形でほぼ証拠が固まった。
送検する捜査資料のまとめを俺たち舘岡班が任され、資料ができ上ったのは4月25日だった。
「これで、一件落着っすね。被疑者は生きたまま逮捕してやりたかったす」
「まぁな。でも、どちらにせよ。あんまり後味のいい事件じゃなかったな」
「たしかに、復讐殺人ですからね」
「それも、自殺での幕引きという終わり付きでしたし」
「長い刑事人生でも、こんなに後味の悪い事件は初めてだった」
班員たちは、俺と同じようにしばらく通い詰めた捜査本部の椅子に座り、送検資料を作り終え、捜査を終了した事件のことを思い返していた。
幽霊の正体探しから始まったこの事件は、俺の警察官人生の中でも飛び抜けて奇妙な事件だったが、犯人を見つけ、送検できたことで亡くなった被害者である桧山真治にも面目は立ったはずだ。
藤堂が言った通り、できれば2人を生きてるうちに逮捕はしたかったがな……。
『桧山真治の殺人事件』は、被疑者白川朋乃の死亡のままで送検されることになり、高井戸署に設置されていた捜査本部も本日付で解散となることが決まっている。
送検資料を作っていた俺たちがたむろっている高井戸署の会議室も、署員たちによって片付けが続いているところだった。
「事件はこれで終わりだ。さて、俺らもそろそろ退散しよう」
捜査本部も解散されたわけで、あんまり長居していると高井戸署の署員たちから嫌味を言われてしまう。
「舘岡班長、今日は飯奢ってくださいっす! 約束してましたよね? 事件解決したらって」
「はぁ? そんなこと言ってったか?」
「藤堂、班長にねだらない」
「まぁまぁ、水島。落ち着け。舘岡班長、みんなで一杯くらいはやりましょうや。供養も兼ねて」
田嶋さんにそう言われると、この事件に関わって亡くなった者たちへの供養を兼ねた飲み会もありかと思えてきた。
俺たちも明日からはまた別の事件を追うことになるだろうし、区切りという意味ではやった方がいいな。
「田嶋さんがそこまで言うなら……。軽くやりますか。佐々木、店の予約入れとけー」
「居酒屋ですか?」
「ああ、俺の財布は分厚くないぞ」
「了解です! 場所はスマホに送っておきますね」
「おう、頼む」
佐々木が素早くスマホから近くの店を探し出し、予約を入れていた。
そういう店のリサーチに関しては、佐々木が班の中で一番飛び抜けている。
佐々木の持つ謎人脈は、そういった佐々木主催の飲み会で形成されるらしいからだ。
「あざーっす! 藤堂! 先発隊として店に急行します! 美佳先輩もほらー」
「なんで、私!? 一人で行け!」
「田嶋さん、あいつらのお守りをお願いしますね。俺は挨拶してから行くんで」
席を立った田嶋さんは「分かった」と言いたげに手を挙げて、みんなを連れて会議室から出ていった。
残った俺は高井戸署の刑事課長に挨拶を済ませ、捜査本部の戒名が外される瞬間に立ち会うことにした。
来た時は嫌な予感しかなかった戒名だが……無事に終わってくれてよかった。
戒名の撤去作業も終り、作業を終えた高井戸署の署員たちがはけた会議室には、誰もおらずガランとしている。
最後の一人になった俺は、部屋に一礼して扉を閉めた。
「あ、あの……。捜査本部ってここですよね?」
扉を閉めた俺に話しかけてきたのは、気弱そうな若い男だった。
「ん? 君は?」
「ああ、すみません。渋谷幹也って言います。桧山先輩のことで聞き込み来てた刑事さんからもらってた名刺がこの警察署でしたんで、捜査本部はここなのかと思ってきたんですけど――」
渋谷……渋谷……渋谷……。
あ! 桧山の大学の文芸サークルの後輩か! そう言えばそういう関係者がいたな!
目の前の人物が事件関係者と分かり、俺はすぐに態度を改めた。
「桧山さんの事件の捜査にあたっていた舘岡と申します。ご質問の件ですが、本日付で捜査本部は解散となりました」
「解散……ですか……。そうなんですね。解散……かぁ。それって事件解決ってことですか?」
俺はチラリと腕時計を見る。
そろそろ、刑事一課長の会見が開かれる頃だな。
記者発表されてたら、事件関係者に結果を黙っておく必要もない。
「ええ、まぁ。被疑者白川朋乃の死亡のまま送検が記者発表されてると思います。何か御用でしたか?」
「解決したんですね……。だったら、これは証拠品としてあんまり価値はなさそうですね。事件の解決の助けになればと思ってお持ちしたんですけど」
渋谷が、俺に差し出してきたのはUSBメモリーだった。
「これは?」
「亡くなってるはずの桧山先輩から送られてきたUSBでして……。発送されたのが昨日24日なんですよ」
渋谷が冗談を言ってる雰囲気はなさそうだ。
それにしても死んでる桧山から発送されるはずがない……。
「本当ですか?」
「そう思いますよね。僕も気になって発送元になってたところを調べたんですよ。そうしたら、指定日に荷物を投函するサービスの会社でして。生前の桧山先輩が僕宛てに送付を依頼してたっぽくて。桧山先輩の誕生日だった昨日発送されたっぽいんです」
そういう指定ができるサービスは知ってるが……。
生前の桧山が、そんなものを残していたなんて記録は捜査で出てこなかったぞ。
なんで今頃になってこんな証拠品が出てくるんだよっ! 送検がもう終わって、捜査本部解散して、戒名も外し終わってるんだよっ!
渋谷によって持ち込まれた桧山事件の新資料の存在を疎ましく感じる自分がいた。
とはいえ、警察官として市民から証拠品として持ち込まれたものを無視するわけにはいかない。
「このUSBの中身は確認してますか?」
「…………いえ、確認してません。しょ、証拠品として捜査に役立ててもらえばいいなと思いましたし」
「貴方以外に、このUSBの存在を知ってる方はいらっしゃいますか?」
「いえ、いないです。僕しかいないはずです」
渋谷がそう答えた時、自分の中で『捜査資料として預かることにして、この証拠品はなかったことにしよう』という考えが浮かび上がってきていた。
後味の悪い事件であり、これ以上、この奇妙な事件に関わりたくないという気持ちが、俺にそういった考えを持たせたのかもしれない。
会議室の周りに視線を向け、周囲に人がいないことを確認する。
撤去作業が終わり、会議室のあるフロアには人がおらず閑散としていた。
人気がなかったことで、浮かび上がってきた考えを実行しようとする気持ちが強まる。
すでに被疑者死亡で送検されているし、いまさら新資料の証拠品がでましたんで再捜査しますとは言えないしな。
これも警察組織を守るためだと思えば悪いことをするわけじゃない。
そう自分に言い聞かせ、渋谷に話しかける。
「では、そのUSBを証拠品として、こちらがお預かりすることはできますかね?」
「はい、そのつもりです。捜査に役立てて頂ければ」
「ええ、
「電話番号と住所でいいですか?」
「ええ、けっこうです」
自分の名刺を差し出し、裏に渋谷の連絡先として携帯番号と住所をもらう。
これで証拠品の隠匿で問題化しそうになったら、こっちから渋谷黙っておくように釘を刺せる。
どうせ、バレやしないが。万が一の備えは必要だ。
「では、これはお預かりさせてもらいますね」
渋谷が差し出していたUSBを指紋が付かないようハンカチでくるむ。
その瞬間、渋谷の背後にあった窓から夕陽が反射した光が差し込み一瞬だけ目がくらんだ。
眩しいな。ここは、こんなに夕日が眩しい場所だったのか?
「どうかしました?」
「あ、いや。少し夕日が眩しくてね。申し訳ない。事件に関して、他に何か気付いたら私に遠慮なく連絡してください。捜査本部も解散してしまいましたからね」
受け取ったUSBの代わりに、自分の名刺を渋谷へ渡した。
「私は警視庁の捜査一課に所属する舘岡といいます」
「は、はい。分かりました」
「あと、
名刺を受け取った渋谷は黙ってうなずく。
「では、外まで送りましょう」
渋谷は終始ぺこぺこと頭を下げながら、高井戸署を出ていくと、そのまま街に姿を消した。
俺はズボンのポケットに入れたUSBをギュっと掴む。
これはなかったことにしとこう。それが一番問題にならないはずだ。
それがみんなのためだし、俺のためでもある。
渋谷と別れた俺は、部下たちが待つ居酒屋に向かい、事件解決を祝う飲み会に参加し、日が変わる前に自宅へ帰った。
「とりあえず、表に出さない証拠品だが、中身だけは確認しとくか」
飲み会を終え自宅アパートに戻った俺は、自前のノートPCに渋谷から預かったUSBを差し込んだ。
読み込みランプが点滅し、データにアクセスができるようになる。
「なんだコレ……。文書データか?」
USBの中にはデータが一つだけ入っている。
ファイルのタイトルは『椿』とされていた。
クリックして中身を確認する。
開かれたファイルは桧山が書いたと思われるホラー小説の原稿データだった。
中身を読んでいくと、因習村のホラー小説っぽくしてあるが、椿沢姉妹を生んだ椿沢裕実のことが想起される内容や、椿沢綾乃が歩んだ人生を書いたと思われるシーンなどが随所に使われている。
これが桧山真治と椿沢綾乃の間で、ネットトラブルになった原因だとすぐに察することができた。
でも、桧山はどうやって椿沢綾乃のこんな詳しい話を知ったんだ?
警察の俺たちが何百人態勢で調べてようやくわかったことなのに……。
一つの考えが思い浮かんできた。
桧山がこの内容を本人である椿沢綾乃から聞いてたなら――書けるか。
秘密にして欲しかった話を桧山が自分の作品内に使って、椿沢綾乃とネットトラブルになった――。
そういう筋立てなら、唐突感はなくなるな。
だが、事件の全体像を変えるほどの新資料になるかって言われたら、そこまでの重要性はないな。
新資料として再提出するだけの価値はやはりない。
送検もされてしまっているし、この証拠で犯人が変わるという類のものでもないしな。
これは俺だけの中に留めておくか。渋谷にも口止めはしてあるし、問題はないはずだ。
中身を読み終わった俺は、USBをノートPCから抜くと、デスクの引き出しの奥にしまい込んで寝ることにした。
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