#06 急転



 宗川さんは俺たちに長年抱えてた重荷だった朋乃のことを喋って安心したのか、会議室での聴取からしばらく経った、3月の初旬、自宅で眠るようにこの世を去ったと連絡が入った。



 葬儀は近親者のみで執り行うとのことだったが、椿沢一家の件で彼の抱えていた重荷も引き受けた縁があったこともあり、俺だけ告別式に参列させてもらうことにした。



 親族とおぼしき十数人が集まった小さな葬儀会場で、粛々と葬儀は進んでいく。



 告別式も最後の棺への献花となり、参列した親族たちが宗川さんの遺体を飾るように次々に色とりどりの花をたむけていた。



 後ろの方でひっそりと参列していた俺にも、葬儀会社の関係者から花を渡され、献花を促される。



 棺の周りにいた親族たちに頭を下げ、渡された花を宗川さんの遺体にたむけようと覗き込んだ瞬間――宗川さんの手に握らせるようにたむけられた真っ赤な椿の花が視界に飛び込んできた。



 椿の花を見た瞬間、朋乃を攫い、綾乃に椿の花を贈った人物がいるのではと思い、親族たちを見まわす。



「どうかされましたか?」



「すみません、この椿の花は誰が――」



「え? あ、最初からあったような……。おい、誰か握らせたか?」



「いや、最初からだったと」



「葬儀社の手配だろ?」



 葬儀会社の社員に視線を向けるが、「知らない」と言いたげに首を振る。



 誰だ? いったい誰が? 椿の花を――



 周囲にくまなく視線を巡らせていると、葬儀会場の出入口から立ち去ろうとしている若い黒髪の女性の後ろ姿が見えた。



 年齢的に20代……。もしかして、朋乃本人か!?



「待て! そこの人! 待ちなさい!」



 俺の声に反応したのか、若い黒髪の女性は外に出ると走り出していた。



 すぐさま後を追って駆け出すが、葬儀に参列するため革靴と礼服に着替えており、いつもとは勝手がちがった。



 それでも必死に追いかけ、建物の外に出る。



 周囲を見まわしたが、出ていった女の姿を見つけることはできなかった。



「くそっ! 逃がしたか!」



 あれが行方不明の朋乃であるという確証はない……。だが、俺の長年培ってきた刑事の勘が朋乃だと告げていた。



 とはいえ、容疑者でもない人物、ましてや戸籍が存在してない人物に対して、緊急手配をかけるわけにもいかず、葬儀会場に戻った俺は、参列者にさきほど立ち去った女性のことを聞いて回った。



 宗川さんの親族たちからの話を集めると、元々親族席に座っており、親族の一人として参列していたとのことだ。



 親族たちも高齢の親族の付き添いで来た、誰かの孫だろうと思っていたらしい。



 その後、芳名帳も確認したが、逃げた女の名前は載っておらず、誰だったのかはみんなが首を傾げていた。



 後ろ姿しか見えなかった若い黒髪の女の存在を思い出しながら、24年前に姿を消したはずの朋乃が生きているという確信が俺の中で芽生えた。



 


 朋乃らしき女が現れた宗川さんの葬儀から1か月。託された形になった『椿沢綾乃』の双子の姉である『椿沢朋乃』に関する情報は、遅々として集まらないでいる。



『椿沢綾乃』の正体を探る中、浮上してきた双子の姉である『椿沢朋乃』の存在は、捜査本部にも情報をあげており、特命組の俺たちが行方不明の朋乃の捜索も併せて任せられていた。



 だが、成果は前述したように芳しくない。



『朋乃』の行方も、実母である『裕実』の情報も、『綾乃』の情報も進展がなく、時間だけが無情に過ぎていた。



 そして、捜査本部立ち上げから1か月半を過ぎ、4月を迎えてしまい、そろそろ捜査本部の縮小が打ち出されるのではとの噂が飛び交っている。



「今日も収穫なしっす。綾乃の方からは、何にも出てこないっすよ」



「朋乃の方を担当している私もないです」



「当時の病院関係者も当たってるが、椿沢母子に関しては宗川さん以上の情報は出てこないな」



「戸籍からも、それらしい人物は……」



 情報収集に散っていた部下たちが、捜査本部にいた俺のもとに戻って来て、開口一番に口にしたのは、本日も成果がないことだった。



 こちらを見ていた西田係長と村田管理官に向かって、両手を交差し、成果がないことを伝えた。



 2人とも明らかに顔色が悪い。佐々木の話だと、ホンボシの久我沼の所在も未だに掴めず、被害者の桧山の線からも犯人と思しき人物が出て来てないため、迷宮入りの様相を呈し、捜査一課長から事件解決への圧が日々増しているからだそうだ。



「手詰まりっすね……」



「打開できそうな突破口が見えません」



「焦るな……と言いたいところだが……。実際のところ、この規模での捜査ができる時間は残り少ないだろうな……」



 やみくもにローラーで情報探ししても大した情報は出てこないだろうし、本当に困った――



 捜査の方向性を考えていたら、捜査員の刑事が駆け込んでくるのが見えた。



「す、すみません! 山梨県警から所在不明として久我沼雅也とおぼしき自殺者が富士山のふもとの森で見つかったという一報と、現場の写真データが送信されてきました!」



 駆け込んできた捜査員の言葉に、捜査本部内が色めき立つ。生存したまま逮捕ができなかったという無念さが捜査本部の中に広がった。



「情報をよこせ! それと、すぐに敷鑑組と証拠品組から何名か山梨に送り込め! 片っ端から現場の情報を集めてこい! どんな些細な情報でも残さず根こそぎだ!」



「「はいっ!!」」



 村田管理官の指示が飛ぶと、敷鑑組と証拠品組の連中がスマホで連絡を取り合って、忙しそうに駆け出して行った。



 その間にも、駆け込んできた捜査員は西田係長に報告を続けていく。



「久我沼雅也は樹木に首を吊って死亡しており、近くには女性の絞殺遺体が別に発見されたとのことです。そちらの女性に関しては身元の照合作業中だそうです! 状況的に無理心中というのが向こうの筋読みとのこと」



 新たに駆け込んできた捜査員が、コピーされた現場写真の紙を配り始めた。



 藤堂がダッシュで班員分を奪い取ってくると、俺たちの前に置く。



 樹海と思われる人里離れた深い森の中で、久我沼雅也と思われる半ば白骨化した中年男性が背広姿のまま、木の枝から垂れたロープに首を括ってぶら下がり、腐っておちた体組織が幹にへばりついて朽ちていた。



 その足元には、首元にロープが巻かれた女性と見られる一部が白骨化した腐乱死体が地面に転がっている。



「けっこう、久我沼雅也も女性も白骨化が進んでますね。冬季の寒さもあったでしょうけど、亡くなってけっこうな期間がすぎた遺体の感じがします」



「検死待ちだな。無理心中だとしても、この女は誰なんだ?」



「久我沼雅也の行方を追ってた組から上がって来てた情報には、金には多少困ってたみたいだけど、浮気してた女の影はなかったっすけどね。取引先の企業にも、プライベートにも女の影がないって書かれてました。謎の女っすね。自殺志願者サイトで募った行きずりの相手とか?」



「桧山真治を殺して遺産を手に入れようとしたが、上手く行かず逃走し、警察の捜査から逃げきれないと悟った久我沼が行きずりの相手と無理心中ってか? そいつはちょっと厳しくねえか?」



 藤堂の推測に、田嶋さんがツッコミを入れる。



「共犯関係にあった女というのが一番落ち着く線では?」



 水島の口にした推測に藤堂以外がうなずく。



「だからぁ! 久我沼の周辺に女の影は――」



「周辺にいなかったかもしれんぞ。今時はこれでどこでも連絡はとれる時代だろ?」



 俺は机の上にあったスマホをトントンと叩いてみせた。



「スマホ? ネットで共犯者と連絡を取ってたと舘岡さんは見てるんすか? でも久我沼のスマホの通話記録やメール、LINEにあった連絡先に、怪しい人物はリストアップされてませんよ」



「人生に関わる大事な内緒話をする時に、携帯からの通話やメール、LINEなんて証拠の残るもん使うのか? お前は」



「んなぁわけが――。ああ、秘匿性の高い通話アプリっすか! そう言えば、桧山のスマホにもそんなアプリが入ってたとか資料にありましたね。久我沼も入れた?」



「かもしれんなって思ってるだけだがな。詳しい資料も今のところはないし、現場からスマホが見つかればいいんだが――」



「ああぁ! くっそ! でも、これで久我沼から桧山真治殺しの物証に繋がる物が出たら、被疑者死亡で送検っすよね」



 ちらりと村田管理官と西田係長のいるデスク席に視線を送る。



 犯人と推定できる物証が出たら……。



 たぶん、藤堂の言う通り、被疑者死亡で久我沼を送検して後は検察官が調べて、この事件は終わるだろう。



 その限られた捜査期間中に、事件に関わった可能性がある『椿沢綾乃』や『椿沢朋乃』に関することも解明されると思いたい。



「とりあえず、山梨に向かった連中から、明日にはじゃんじゃん情報が入ってくるだろうから、うちの班は今日は解散だ。しっかり休んどけ、明日からは休みなんてないぞ」



「了解っス」



「了解しました」



「泊り込みの準備しとかねーと」



「舘岡の言う通りだ。明日からは送検に向けての裏取りで駆けずり回ることになる。十分英気を養っとけ。他の連中も同じだぞ」



 西田係長からの言葉で、捜査本部に詰めてた捜査員たちが一斉に帰り支度を始めた。



 一斉に帰り支度を始めたのは、一旦自宅に帰り、明日からの泊り込みの準備をするためだった。



 俺も自室に帰って、着替えを持ってこねーとな。今日来る前にクリーニングに出しとけばよかったぜ。



 捜査が続き、荒れ果てている自室を思い出した俺は、帰り支度を早々に終えると、班員たちと別れ、高井戸署から帰宅した。




 翌日からは、それまでの手詰まりが嘘のように、山梨に派遣された捜査員たちから新情報が続々と送られてきた。



 山梨県警からの連絡から3日を過ぎた4月10日頃には、久我沼の自殺現場から得た情報から作られた新たな捜査資料が、捜査員に配られた。



「舘岡さん、ちーっす。ねみぃ……」



「おはようございます」



「年寄りに泊り込みはきついぞ」



「舘岡班長、新しい捜査資料に目を通しました?」



 昨日も遅くまで情報の裏取り捜査で、外を駆け回り、倒れ込むように雑魚寝部屋で寝て、今さっき起きて来たばかりで着替えと洗顔をするため、トイレに行こうとして捜査本部に寄っただけだった。



 なので、佐々木の質問に首を振る。



「ほぼ、久我沼が被疑者で固まりましたよ。これ、班長の分です」



 佐々木から受け取った捜査資料に目を通していく。



 被疑者氏名、久我沼雅也。性別は男性。生年月日1983年7月7日生まれ。年齢42歳。職業は弁護士。



 山梨県南都留郡富士河口湖町の青木ヶ原樹海内にて、自死遺体として発見され、通報を受けた警官が臨場すると、携帯していた身分証から照会。



 桧山真治事件の重要参考人であることが発覚して、山梨県警を通じて警視庁へ連絡。



 検視解剖の結果、死後2か月ほど経過。冬季の環境下であることも考慮して、死亡推定日は2025年2月下旬ごろと推定される。



 死因は定型的縊首による頚部圧迫で窒息死。



 その他、気になる所見あり。残っていた頬の皮膚組織に引っかき傷。形状から人の爪でひっかかれた物と推定される。



 手の平にはロープでできたと思しき擦過傷。



 特に遺書等は発見されず、所持品は財布、スマホ、腕時計といったもののみ。家を出た時に持っていたとされるビジネス鞄等は発見されず。



 押収されたスマホは充電切れを起こしており、再充電後に認証ロックを解除すると、通話履歴、メール、LINE等の情報が残っており、隠蔽をした様子がなかったものと思慮される。



 秘匿性の高い通話アプリのインストールも確認された。



 秘匿性の高い通話アプリに登録されていた相手先は一人。そのアカウントの持ち主の特定作業中。やりとりの内容の復元は期限切れにて不可能とのこと。



 同被疑者の近くで、絞殺遺体として発見された氏名不詳の女性の爪より採取された皮膚片を鑑定したところ、被疑者のものと判明。



 被疑者の手に残っていたロープでついた思しき擦過傷と、氏名不詳の女性を絞殺したロープとの形状が一致。



 被疑者が女性を絞殺後、自死したものと推定される。



 なお、氏名不詳の女性も検死解剖済み。



 死亡推定日時は、被疑者久我沼雅也と同じく2月下旬ごろだが、遺体の状況から先に殺害されていた可能性あり。



 死因はロープによる頚部圧迫による窒息死。その他、気になる所見、頚部には抵抗した時に出来た傷と思われる吉川線あり。



 20代前半、黒髪でショート。身長は160センチ前後、やせ型。着衣等に乱れなし、指紋、DNAに関してはデータ照合中。



 服装は黒のキャップ、大きめサイズの男性用の黒のパーカー、だぶだぶのジーパン、スニーカーという格好。



 バッグ、スマホ、財布等なく、身分証明をできる者の所持はなし。



 現在、山梨県警のホームページでも行方不明者として情報公開中。



「その捜査資料読んでて、思い出したんすけど。桧山真治の部屋に出入りしてた若い小柄な男がいたって証言が、マンション住民からあったじゃないっすか」



 寝起きの格好のまま捜査資料を読んでた俺に、藤堂が話しかけてきた。



「そう言えば、そんな証言があったな。でも、裏取りできなかったし、その証言者は高齢で記憶があやふやになりかけてる人だったし、その人以外は見てないって話になって、あれは見間違いだったと訂正されたって話だろ?」



「そうっす。その証言。でも、その証言に出てた服装と、その身元不明の女性が来てた服装が似てるのが気になるんすよ。女性の伸長も160センチほどあるし、遠目にみたら小柄な男性に見えなくも――」



「さすがにそれは……。ないでしょ。身長があるとはいえ、やせ型の女性だし」



「水島、お前何センチだ?」



「な、何の話です?」



「身長だ。身長!」



「仕事中はヒールは履いてないので、160センチです」



「これ着てみてくれ」



 俺は着替えとして持ってた自分の服を手渡す。



 水島もやせ型の女性で背格好は同じのため、俺の服を着ればサイズが違いすぎてだぼだぼになるはず。



「はぁ!? 班長の服ですか!?」



「いいから早く。服の上から着ればいい」



 渋々了承した水島が、俺の服を着こんでいく。



「誰かキャップ帽あるか?」



「ほらよ」



 興味津々で見てた捜査員から、ツバ付きのキャップ帽が投げ渡される。



「髪をまとめて、これを被れるか?」



「ええ、まぁ、できると思います」



 俺に言われるがまま、水島は自分の髪を器用にまとめ、キャップ帽を被った。



「そこ立っとけ」



 俺の指示に困惑する水島から他の班員たちと一緒に離れて観察してみた。他の捜査員たちも俺たちのところに来て、水島の格好を観察する。



「どうだ? 男に見えるか?」



「ああ、見えるかもしれませんね。暗いところでなら見えなくもないかも」



「佐々木の言った通り、暗いところなら背格好で若い小柄な男って見えるかもしれんぞ」



「痩せた感じの中高生男子っぽいな」



「服がだぶだぶで身体の線が分かりにくいしな。男と見えても――」



「ってことは、もしかしてあの高齢者の証言って、氏名不詳の絞殺された女性を見てたって可能性もありっすか?」



 藤堂の発した言葉に、捜査員たちの視線が交差した。



「おい、氏名不詳の女性の似顔絵をもらってこい! もう一回、桧山真治のマンションの聞き込みに回るぞ! 若い小柄な男性もしくは若い女性の出入りがなかったか調べるぞ!」



「藤堂、おめぇはただのクソガキだと思ってが、これで新しい情報が出たら今度めしおごってやるよ」



「飯はいいっすよ。ちゃんと、取りこぼしなく拾ってきてくださいっすね」



「おめぇ、誰にもの言ってんだ。ごらぁ」



「まぁ、まぁ、早く行かなくていいのか。手柄を他の連中に持って行かれるぞ」



 舌打ちした敷鑑組の連中が、慌ただしく捜査本部から駆け出していった。



「あっちも今日は聞き込みで帰って来れないの確定だな」



「舘岡班長、これもう脱いでいいですか?」



「ああ、いいぞ。助かった」



「舘岡っ! お前らとこ遊んでる暇はねえぞ! 特命組に仕事だ! こっちこい!」 



 デスク席で電話を受けていた西田係長から大声で呼ばれ、手招きされた。

 


 スマホを切った西田係長が、メモを取った紙を差し出してくる。



「久我沼の容疑を固める捜査の中で、5年前の夏にネットの投稿サイトで桧山真治がトラブルに巻き込まれて事が判明した」



「桧山がネットの投稿サイトでトラブルですか?」



 紙に書き込まれた投稿サイトの名前は『カクヨム』とされている。



 佐々木がすぐさま、スマホでサイト名の検索をかけた。



「小説投稿サイトみたいですね。ほら、最近は小説をネットに投稿して、人気になったら書籍化とかされてるやつも多いですし、そういったサイトみたいですね」



「桧山の投稿サイトでのトラブルと、久我沼が何か関係してるんですか?」



「そのサイトで桧山真治に振りかかったトラブルを解決に当たったのが、どうやら当時から後見人だった久我沼だったようだ。で、ここからが重要だ。よく聞け」



 西田係長は、近くに置いてあった冷めたコーヒーを一口飲み、口を潤しながら話を続けた。



「その、桧山真治のトラブル相手に久我沼が発信者情報開示請求をかけて見たら、相手は『椿沢綾乃』だったそうだ。サイトの運営会社がサイト内トラブル事案として自主的に保存してた記録で発覚した。トラブルの詳しい内容までは分からないが、桧山、久我沼、椿沢は5年前のネット上でのトラブルで繋がったというわけだ」



「これで椿沢綾乃が死んでなかったら、久我沼との共犯説もあり得たんすけどね。死んでるんだよなぁ」



 藤堂の言った通り綾乃が生きてたのなら、事件は桧山真治に恨みを持つ椿沢綾乃が主犯で、金に困っていた久我沼が共犯という形で桧山真治を殺害したという筋立てで、十分立件できそうだった。



 でも、それは桧山真治殺害時に『椿沢綾乃』が死んでるため成立しない。



「そういうことだ。だが、とりあえずそこは今は考えずにいろ。桧山と椿沢のトラブルが何だったかを把握したい。お前ら舘岡班には桧山真治のマンション周辺の郵便局を片っ端から当たって、桧山真治名義の内容証明郵便の謄本が残ってないか当たってこい」



「内容証明郵便の謄本ですか?」



「ああ、ネットトラブルに弁護士まで入れて、さらに発信者開示請求までしてんだ。内容証明郵便で名誉棄損か損害賠償の訴訟を起こすことを相手側に伝えててもおかしくないだろう。」



「あり得ますね。すぐに当たります。佐々木すぐに杉並区内郵便局のリスト作れ、手分けして当たるぞ」



「「「はい」」」



 佐々木が郵便局のリストを作る間に、着替えと洗顔を終え、俺たちは杉並区内の郵便局へ散っていった。




 杉並区内の郵便局に片っ端から当たり、古い内容証明の郵便の謄本を探し出してもらうのを続けた結果――3日後、桧山真治の住むマンションから区内で一番離れた郵便局に『椿沢綾乃』宛ての内容証明郵便の謄本が残されていた。



「マジで、あったっすね」



「あったわね」



「『ツバキサワアヤノ』こと、『椿沢綾乃』へ通告する。小説投稿サイト『カクヨム』上での誹謗中傷行為によって受けた精神的損害の回復を求める損害賠償の訴訟を起こすつもりであるか……」



「仙台で佐川のおっさんの言ってた内容証明の郵便って、コレだった可能性が高いっすね」



「ああ、時期的に合う。たぶん、これを配達した郵便局員が部屋番号を間違えたんだろうな。その後、再配達で『椿沢綾乃』に渡ったはずだ」



「ってなると……『椿沢綾乃』は自殺ですか?」



「と考えた方が無難だろうな。両親も頼れる親族もなく、高卒の派遣の事務だった『椿沢綾乃』が、損害賠償請求の裁判を起こされたら仕事もなくなるだろうしな。人生詰んだと思ってもおかしくないだろ?」



「まぁ、たしかに田嶋さんの言うことに一理ありますね。でも、俺らが聞き込んだ『椿沢綾乃』のイメージからは、ネットで誹謗中傷を続けるような異常者には思えなかったがな」



「人には表裏があるってことでしょ。舘岡班長だって、我々に見せてない一面はあるんだろうし」



「まぁ、な」



 佐々木の言う通り、俺たちは聞き込みで『椿沢綾乃』のことを知ったつもりだったが、それも彼女の一部分でしかなかったと言うことを改めて再認識した。



「トラブって訴訟に発展しかけてた『椿沢綾乃』が焼身自殺したのを知った桧山がビビッて、久我沼に訴訟準備してたのを口止めしてたって感じっすね」



「『椿沢綾乃』の自殺後、久我沼の口座に桧山から後見人報酬とは別に、毎月10万ほどが、ずっと振り込まれてました。桧山が亡くなるまで期間でトータルするとそれなりの金額になってます」



「それだけじゃ、借金の返済に足りなくなって、身寄りのない桧山の持つ財産を狙ったという感じか。マンションの合鍵も後見人の久我沼は持っていたし、筋立てはできるが、凶器のDNAがなぁ……」



「なんで、死んでるはずの『椿沢綾乃』のDNAが付着していたかってことっすね。ここだけが引っかかる場所っす」



 久我沼による桧山の殺害容疑はほぼ固まりつつある。凶器のDNAの件がなければ、すでに被疑者死亡で送検ができるくらい証拠は集まっていた。



 久我沼が桧山殺しのホンボシであることは間違いないんだが……。



 班員たちと話していたら、デスク席にいなかった村田管理官と西田係長が慌てた様子で捜査本部になっている会議室に入ってきた。



「山梨で発見された久我沼の遺体の傍にあった、氏名不詳の女性の遺体から採取されたDNAに適合した情報があったぞ」



 敷鑑組が似顔絵をもとにマンション住民たちに再度聞き込みを行ったところ、マンション内ですれ違ったことがある人が数名出てきた。



 証言した人はいずれも『若い女性』と思ってたらしく、最初の聞き込みでは捜査員から『若い小柄な男性を見なかった』と聞かれたため、思い出せなかったと語っていたらしい。



 彼女を見たという証言は、水曜日の夕方以降に集中しており、定期的にマンションに来ていたことまで判明していた。



 ただ、身元は判明せずにいたのだが――ようやく身元が割れたらしい。



「どこの誰ですか?」



「はっきり言って、鑑識課からの報告を聞いて自分の頭がおかしくなったのかと思ったが――山梨の氏名不詳の女性の遺体から採取されたDNAサンプルが適合したのは『椿沢綾乃』だ」



「はぁ? 西田係長? 何を言ってるんすか?」



「藤堂に分かるよう、もう一回言うぞ。適合したのは『椿沢綾乃』だ!」



 西田係長の言葉で、俺の中にふとした疑問が湧き上がる。



 一卵性双生児だった場合の双子のDNAはどうなるかだ。



「西田係長、一つよろしいでしょうか?」



「なんだ! 舘岡」



「気になったんですが、一卵性の双子の場合はDNA情報はどうなるんでしょうか。不勉強なのでちょっと分からなくて」



「一卵性の双子の場合だと……」



 西田係長が顎に手を当てて考え込んでしまった。俺の質問に答えたのは村田管理官だった。



「一卵性の双子の場合、極めてDNAの一致率が高く、普通のDNA鑑定ではどちらのものか判別はできないかもしれないな」



「だとしたら、その『椿沢綾乃』は、行方不明の姉の『椿沢朋乃』ってことはありませんか?」



「だが、氏名不詳の女性の似顔絵は『椿沢綾乃』に似てないぞ。一卵性の双子なら似るだろ」



「仮にどっちかが顔を整形してたら、双子だって思いませんよ」



 謎だった最後のピースがカチリとハマり、頭の中で急速に事件の様相が組み上がっていく気がした。



 行方不明だった『椿沢朋乃』が、妹である『椿沢綾乃』を自殺に追い込んだ桧山真治に復讐するため殺した。



 整形した『椿沢朋乃』が、男のような恰好をして毎週水曜日の夕方以降、桧山の部屋を訪ねていたとしたら、妹の復讐の機会を窺っていたとも思える。



 戸籍もなく死んだことになっている『椿沢朋乃』は、DNAも死んだ妹の『綾乃』と一緒であるため、借金で金を欲していた久我沼と連絡を取りあって桧山殺害を計画。



 凶器に自分の血液をわざとつけ、『椿沢朋乃』が桧山真治を殺害を決行。



 その後、2人でほとぼりが冷めるまで、どこかで隠れて待つつもりだったんだろう。



 2月中旬、捜査本部が立ち上がり、捜査の手が伸びると思った2人は逃亡を諦め、自死を選んだというのが、一番スッキリと収まる筋立てだ。



「もう一度、氏名不詳の若い女性の遺体のDNA鑑定をやってもらえませんか? 詳しいやつで」



 村田管理官が考え込んでいたが、小さくうなずく。



「分かった。精密なDNA鑑定をしてもらう。一卵性双生児の姉の朋乃であると推定されるようだ。主犯は久我沼から、氏名不詳の女に切り替える。もう一度、こちらの女に関して情報を集め直せ!」



「「「はい」」」



 捜査員たちは疲れた顔を見せず、主犯に切り替わった氏名不詳の女の足取りを追うため、捜査本部から飛び出していく。

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