#04 幽霊調査
「仙台市太白区富沢西5丁目アパートにおける会社員女性の焼死体事件。それが、捜査資料です」
幽霊となっている『椿沢綾乃』の焼死事件の捜査資料を出してくれたのは、仙台南署の継続捜査係の丸山という男性刑事だった。
警視庁から事件の容疑者として、『椿沢綾乃』に関する問い合わせが来たことに驚きながらも、捜査資料として残してた物品の中から、DNAサンプルが採れそうな品を送ってくれたのが彼だそうだ。
「丸山さん、この『椿沢綾乃』は、死んでるんだろ?」
「ええ、死んでますよ。この事件が起きた時は、私がまだ交番勤務でしたし、消防からの要請で臨場して焼死体を見てます。その後、うちの署の鑑識が検視して、警察医に検案してもらい、死体検案書も付いてるでしょ。だから、何で今さらと思いましたよ」
宮城県警から委託された警察医による死体検案書には、死体血液に多量の一酸化炭素ヘモグロビンが検出。
さらに、すすの吸入、紅斑性および水疱性火傷、咽喉部の火傷ありと記載され、典型的な焼死体の特徴が書き込まれていた。
「たしかに死んでるっすね。死体検案書まで書かれてるわけですし。やっぱ死人が――」
「アホ、死人は人を殺さないわよ」
俺の後ろで捜査資料を覗き込んでいた2人がじゃれあっているようだが、無視して捜査資料を読み込んでいく。
発生日時、2020年12月15日午後22時03分、仙台市太白区富沢西5丁目アパートにて発生。
通報者はアパート住民の男性。消防へ119番通報。消防より警察へ情報提供があり、現状付近の交番の制服警官が臨場。
火災鎮火後、鑑識係による鑑識作業が実施され焼死体の検視も、その場で行われた。
被害者氏名は『椿沢綾乃』。性別は女性。生年月日1999年10月15日生まれ。年齢は21歳。
中学卒業まで東京で暮らしており、2015年、父親の仕事の都合で仙台に引っ越して仙台西高校に通う。
両親は2018年に相次いで病死。親族もなく、祖父母にあたる人らも亡くなっている。
職業は会社員。2018年4月より、派遣の事務職として『旭光工業』に勤務。
2018年、2019年の勤務態度は良好。遅刻、無断欠勤等なし。2020年8月下旬ごろより、遅刻、無断欠勤が増えていたとの情報が派遣会社から提供あり。
関係者に当たったところ、何か深刻なトラブルを抱えてる感じで、ノイローゼ気味だったらしいとの情報を得たが、トラブル内容まで把握していた親しい関係者は見つけられず。
2020年11月には、出勤もしなくなり、本人から電話にて『一身上の都合で退職したい』との申し出が派遣会社にあった。
事件発生後、聴取した周囲の関係者の話を総合していくと、抱えていたトラブルを苦にしての焼身自殺の線が濃厚とされる。
捜査資料を読み進めていくと疑問が湧いてきた。
読んでる限り、普通なら自殺で処理されてるはずの事件だからだ。
「でも、なんでこれ継続捜査になってるんだ? これなら、自殺の処理になるのが基本だろ?」
捜査を担当している男性刑事が、そっと捜査資料をめくってきた。
「自殺にならず、継続捜査対象になってるのは、これのせいでして」
そこには一枚のA4のコピー紙に、パソコンで打ち込まれた文字がプリントアウトされたものだった。
中身は『椿沢綾乃はある男に殺された』とだけ書かれている。
「事件後、うちの署内に置手紙のように置かれてましてね。デマかと思ったわけですが、本人に何某かのトラブルがあったのは事実ですし、自殺で処理はできずに継続捜査対象になってるんですよ」
「これって指紋とか採れてるっすか?」
「ちょっと、藤堂、失礼でしょ!」
「残念だが、身元の特定に繋がるモノは採れてない。署内のカメラ録画も調べたが、誰が置いてったのかも分からずじまいで、今に至る」
出所が不明でも、警察としては捨て置くわけにはいかないって感じか。
まぁ、でもそのおかげで証拠品が保全され、めでたく幽霊として容疑者になってるということらしい。
「でも、その『椿沢綾乃』なんですが……。継続捜査で調べれば、調べるほど奇妙なほど人間関係が希薄なんですよ。社会人してて、ちゃんと務めてたのに存在感がないというか。隠れるようにひっそり暮らしてた感じで。社会人時代もそうですが、高校時代も彼女のことを覚えてる友人がいないんですよ」
「あー、だから、被害者の写真がやたらと若い時代のやつなんですね! オレ、なんでこんな写真なんだろうって思ってました!」
「そうなんですよ。彼女の生前の写真を探してもどこからも出てこなかったんです。派遣会社に提出された履歴書も管理が雑で顔写真が付いてなかったし、運転免許やマイナンバーカードすら取得してなくて、保険証で身分確認したという話でして。会社の同僚も彼女の生前の写真を持ってないし」
「そんなことってあります? みんなスマホとかに自撮りとか、友達と映ってる写真くらい……」
「驚くほどなかったんだ。部屋が火事で完全に焼けてたというのもあったしね。我々も探し回ってようやく見つけたのが、東京在住時代の中学に確認して送ってもらった卒業アルバムのその写真1枚だったというわけです」
捜査書類に貼られた中学時代の若い『椿沢綾乃』の顔写真を見て、言いようもない悪寒を感じていた。
まさか、本当に幽霊だとか言わないよな……。やめてくれよ。俺はオカルトを信じてない。桧山真治をやったやつは、絶対に存在はしてるはずだ。
「本当に幽霊みたいですね……。ちょっと、怖くなってきたかも」
「いちおう、会社の同僚たちから情報を集めて、似顔絵を作らせてますよ。まぁ、でも、あまりにも特徴がなさ過ぎるというかなんというか……」
継続捜査を担当している丸山刑事が、捜査資料の山の中から、会社員時代の『椿沢綾乃』の似顔絵を見つけて出してくれた。
俺と藤堂と水島で似顔絵を覗き込む。
「なんか、本当に特徴ないっすね。出会っても印象に残らないっつーか。ピピっとこない顔つーか。中学の時の写真は活発さはないけど、けっこう美人顔だと思うんすけどね」
「たしかにな……。中学時代の写真と社会人時代の似顔絵の様相の印象がけっこう違うな」
「でも、成長期を経てますし、女性は化粧で化けますよ。ちゃんと、お化粧したら全く違う印象ってこともありますし」
「あー、たしかに! 美佳先輩のすっぴんと―――げひぃい!」
そういうこともあるのか……。でも、あまりにも印象が違いすぎるような気がするんだが。
「とりあえず、写真と似顔絵、それと捜査資料の一部をコビーさせてもらっていいですかね?」
「ええ、すぐにコピーしてお持ちしますよ。あと、事前にご連絡頂いてた通報者のアパートの住人だった
「助かります」
「ああ、それと舘岡さんたちの方で何か見つかりましたら、こちらにも情報は回してくださいね」
「分かってます。逐次、こちらで得た情報は丸山さんに渡るようにしときます」
「ありがとうございます。事件解決が無縁仏として葬られた『椿沢綾乃』の供養になると思いますし」
「できれば、亡くなっている『椿沢綾乃』が、こちらの事件の容疑者ではないことを証明したいと思ってますよ」
「そうあってほしいものです」
捜査資料のコピーを東京の田嶋さんと佐々木に送り、その後、丸山刑事の運転するパトカーで、事件当日の通報者だった佐川紀平が住む部屋に送ってもらった。
佐川紀平は火災後、住んでいたアパートを変えており、今は事件現場とは別のところに住んでいる。
60代の気真面目そうな男で、家族はいない独身生活らしさを随所に感じさせる格好をしている。
「東京の警察がわざわざ来られたんか? 4年、いや5年前か? あの火災の件だろ?」
事前に丸山刑事から連絡が佐川に行っていたこともあり、聴取はスムーズに始められそうだった。
「そうです。例の火災を調べ直してまして」
「調べ直してるって言われても、あの火災の時の状況は丸山さんに喋ったこと以外、別にないんだけどな」
「あ、いや、今回は火災の時の状況の聴き取りではなく、あの部屋に住んでた『椿沢綾乃』さんのことで何かなかったかをお聞きしたくて伺いました」
「あー、それも丸山さんに聞かれて喋ったけど、あの部屋の住人が『椿沢綾乃』だって名前なのを知ったのも火災後だったんだよ。部屋が隣だったし、顔は見たことあるんだけど、挨拶もしなかったし、働いてるんだろうなとは思ってたけど、何してるんだか分かんない人だったからな」
「面識はなかったと?」
「いや、顔を知ってるってだけさ。今時のアパート暮らしなんて、そんなもんだろ? 隣の人が何してるかなんて気にしてねぇし、簡単に分かんねえって」
まぁ、たしかに俺も自分の部屋の隣の住民が、どこで何してるのかまでは興味持ってないし、調べないと分かんねぇからな。
佐川の言うことももっともか。
いちおう、先ほどもらった『椿沢綾乃』の似顔絵を彼に見せる。
「確認ですけど、お隣に住んでた『椿沢綾乃』はこちらの似顔絵の女性で間違いありませんかね?」
佐川は似顔絵を目を細めて凝視する。
「似てるとは思う。とにかく、若いけどやたらと陰気くさい感じだったし。いつも、うつむき加減だった記憶しかない。部屋にいるのか、いないのかも分からないくらい存在感が薄かったしな。気味が悪かった記憶はある」
「気味が悪かったとは?」
「生活の匂いや音がほとんどしなかったんだよ。普通に暮らしてたら、テレビの音や洗濯の音、料理の匂いとか、風呂の排水音、スマホで喋る声とか聞こえるだろ。あれがほとんどしなかったんだよ。オレは夜勤で働いてて、日中寝て、夜に部屋を開けることが多かったから、いない時に済ませてたのかもしれないがな。でも、それにしてもあまりにも音や匂いがなくてな……。反対側の部屋に住んでたやつは騒がしかったから余計に気になったんだ」
普通に事務職として勤務してたはずだから、夜には帰宅して部屋で過ごしていたとは思うし、休みの日もあっただろうから、佐川と生活時間と被ってることもあったはずだが――。
それでも生活の音と匂いがなかったとか、ますます幽霊じみてきてる気がする。
「情報の提供ありがとうございます。他に『椿沢綾乃』のことで何か佐川さんの記憶に残ってることはありませんか? どんな些細なことでもいいんです。いつもと違う様子だったとか、来訪者が来てたとか、何でもいいんです」
「うーん、丸山さんにも聞かれたけど、『椿沢綾乃』のことに関して気になったことはなぁ……」
考え込んでいる佐川の視線が、アパートの生垣として植えられている椿の花に向けられた。
椿の花を見た佐川が、ハッとしたように顔の表情を変化させる。
「そーいやー。椿の花が『椿沢綾乃』の部屋のドアポストに差さしてあるのを見たな。ありゃあ、たしか……火災の1カ月前だった気がするぞ。それから2週間くらい、毎日ドアポストに差し込まれてた気がする。オレが夜勤で部屋を出る時、視界に入って気になってたんだ。今、東京の刑事さんに聞かれて思い出したぜ。あそこにあるような真っ赤な椿の花が差し込まれてた。うんうん、そうだ」
佐川の指差した椿の花は、血のように真っ赤な色をしたものだった。
椿の花がドアポストにか……。そんなことになってたら、確かに目には付くよな。
丸山刑事も椿の花の件は初耳だったようで、自分の手帳に書き込んでいるのが見えた。
「椿の花が差し込まれたことで、『椿沢綾乃』に何か変化はありましたか?」
「うーん、そこは分かんないなぁ。仕事明けの朝、オレが帰って来た時には、ドアポストの椿の花は片付けられてたし。でも、また夜には差し込まれてたんだけどな」
当時を思い出してるのか、佐川は腕を組んでウンウンと頷いていた。
頷いていた佐川が何かを思い出したのか、視線が上を向く。
「どうかされましたか?」
「椿の花の件を思い出したことで、もう一つ思い出したことがあってよ。そーいえば、あの時期、内容証明郵便を郵便局員が間違えて持ってきたんだったわ。うん、うん、そうだ。そんなことがあったな」
「間違いだったということだと、『椿沢綾乃』宛てとかですか?」
「分かんねえ。寝てたところを叩き起こされて、出たら『間違えてました』って郵便局員が言いやがってよ。ブチ切れて、扉閉めたんだ。誰宛てかだったのかは分かんねぇ」
関係ない人宛てだったかもしれないが、『椿沢綾乃』は何かトラブルを抱えてたらしいという話も出てたし、いちおう情報としては押さえておいた方がよさそうだ。
「貴重な情報ありがとうございます。他、何か思い出されたことありますか?」
「あとは特にないな。うん、ないなぁ」
「そうですか、ご協力感謝いたします」
「役に立ったか分かんねぇけどな」
佐川に敬礼して部屋から立ち去ると、俺たちは乗ってきたパトカーに戻った。
運転席に座った丸山刑事が、バックミラー越しにこちらを見ながら話しかけてくる。
「椿の花の件や内容証明郵便は初耳でしたね。さすが、警視庁の捜査一課の刑事はちがいますね……」
「たまたまですよ。丸山さんがちゃんと継続捜査してたから、佐川さんが思い出してくれたんです」
「でも、佐川さんの言ってた椿の花は誰が差してたんでしょうかね? 『椿沢綾乃』が抱えてたトラブルに関係してるんでしょうか?」
「それに内容証明郵便も気になるとこっすね。『椿沢綾乃』宛てだったのかが気になるっす」
水島も藤堂も、俺と同じところに引っかかっているらしい。
たぶん、俺の勘だと『椿沢綾乃』の抱えてたトラブルに関わってくる証言だとは思うんだよなぁ。
「部屋のドアポストに椿の花を差してた人物と、内容証明郵便の行方か……」
「私が調べた範囲では『椿沢綾乃』の周囲に、そんなことをしそうな人物は見当たらないんですよね」
捜査資料のコピーにある関係者一覧を見ても、丸山刑事と同じく、ピンとくる人物はいなかった。
関係者一覧を見て再認識したが、『椿沢綾乃』の人間関係はあまりにも希薄だった。
親族関係も友人関係も名前の記載がない。あるのは仕事の関係者だけだ。
捜査資料や佐川から聴取した情報から得られた椿沢綾乃のイメージは、事務仕事をひっそりしながら、目立たないよう息を潜めるような生活をする若い女。
火災で焼死体にならなかったら、今もひっそり、誰にも気づかれずに息を潜めて生活してたとしか思えない。
椿沢綾乃……。お前はいったい何なんだよ。
中学時代の写真と大人になった時の似顔絵を見て、剥いても剥いても中身が分からない相手にため息が出た。
「とりあえず、聴取は終えましたので、署に戻りますね」
「ああ、すみません。よろしく頼みます」
パトカーは仙台南署に向かって動き出した。
新たな情報を得られたものの、その情報だけでは、『椿沢綾乃』は未だふわふわした幽霊のままだった。
そのせいか車内は重苦しい空気に満ちている。
空気の重さに耐えかねていると、俺のスマホの着信音が鳴った。皆が聞けるようにスピーカーにする。
「はい、舘岡」
『お疲れ様です。佐々木です』
「連絡してきたってことは、戸籍の方から何か出たか?」
『ええ、まぁ、ぶっちゃけいい気分にはならないですね』
佐々木が言葉を濁してるってことは、犯罪絡みのことが出てきたんだろう。
でも、今はどんな些細な情報でも手に入れ、精査して正体を突き止めないといけない。
「なんでもいいから報告しろ」
『はい、じゃあ、報告します。戸籍の方を調べてたんですが――椿沢綾乃の両親の戸籍がめちゃくちゃ汚くて――』
「
藤堂は持ち前の記憶力の良さで捜査資料を読まずに、両親の名前を口にしていた。
『父親の達弘はバツ7、うち婿養子が5回あって、椿沢って名字も5回目の婿養子入りした際の姓です。で、妻の佐枝の方がバツ9。何度も姓が変わってて椿沢を名乗る前の達弘とは一度結婚してます』
「まさかとは思うが――養子縁組やら婚姻改姓で金借りまくって自己破産繰り返してたのか?」
『この汚れ具合、絶対にやってると思って、両親の戸籍にあるすべての姓名で信用調査会社に問い合わせしたら、ブラック入りしてたのが数個出てきました。年数が経って消えたやつも含めたらけっこうやっていると思います。でも、椿沢綾乃が中学卒業した2015年に達弘と佐枝が再婚してからは、亡くなるまでの3年間は、そういった動きはなかったようです』
「中学卒業以降か……」
手元の椿沢綾乃の中学時代の写真に目を落とす。
高校卒業後、目立たないよう、息を潜めて暮らしてたのは、亡くなった両親のしてた犯罪がバレないようにだったんだろうか……。
「なんというクズ親ですかね……。さすがにうちの継続捜査係は人手も少なくて、彼女の事件は優先度も低いですし、親の戸籍情報までは手が回らず調べてませんでしたよ」
「ん? ん? ということは『椿沢綾乃』はどっちの連れ子っすか?」
「は? 普通は母親でしょ!」
『いや、それが――父親の方の連れ子です。佐枝は継母ですね。と言っても達弘の実子でもないんですけどね』
「佐々木、言ってる意味が分からん」
『いやだからぁー、達弘が最後の婿入りをした
「それだったら、達弘が椿沢裕実と離婚した時に実母側に付くだろ? なんで、達弘の連れ子になってるんだよ」
『椿沢裕実とは離婚ではなく、死別したからです。未成年だった椿沢綾乃の養育者になれるのが父親の達弘だけだったんで、連れ子として養育してたのかと。その後、すぐに佐枝と再婚して、さっき言った通り高校卒業まで面倒を見てたってわけです』
佐々木からの情報で、ますます『椿沢綾乃』に対するイメージが混乱していく。
どう見てもクズな生活を長く送ってきた大人の二人が、どうして実子でもない『椿沢綾乃』の面倒をちゃんと見てたのか……。
情報が増えるほど『椿沢綾乃』の送ってきた人生が、気味悪さを増していく気がしている。
「と、とりあえず、今判明したのは、『椿沢綾乃』は達弘と佐枝の実子ではなく、椿沢裕実と前に死別した旦那との子供ってことっすよね? ね?」
『そういうことだ。堂島。舘岡班長、椿沢綾乃の関係者として、椿沢裕実の方も広げていきますよ』
「ああ、田嶋さんと連携して、引き続き調査を頼む。俺らも戻ったら手伝うつもりだ」
『了解です』
スマホを切ると、ふうと大きく息を吐いた。俺の様子を見た水島が声をかけてくる。
「まともな生活をしてない達弘と佐枝が、実子でもない子を育てたなんて、何か大きな心境の変化があったんですかね?」
「さあな。それは調べてみるしかないだろ」
「高校時代に一家が住んでたところで聞き込みしてみますか? うちの署が捜査段階で集め漏らしてる情報もあるかもしれませんし」
運転をする丸山刑事からの申し出に、俺を含めた3人は驚いた。
普通、捜査のミスを余所から指摘されていい顔をする刑事はいない。
自分たちの仕事を否定されたのと同じだからだ。
俺だって自分が関わった事件捜査に、よその連中がイチャモン付けてきたら、怒鳴り込むこともある。
それくらい徹底して、細かなことまで調べる捜査活動をしてるからだ。
それなのに、丸山刑事は自分たちが集め漏らした情報があるかもしれないと発言したのだ。
「丸山さん、それ自分たちの捜査に不手際があったと認めてしまう言葉ですよ」
「お恥ずかしい話です。でも、『椿沢綾乃』の件は、初動捜査の段階では、自殺の線で情報集めされてまして、自殺で決まりかけた時、あの一枚の出所不明の情報が書かれた紙で事件性ありにひっくり返った事案です。その後、捜査本部で捜査に当たった捜査員には、事件性を疑う物証が少なく、自殺だろうという潜入感がなかったとは言い切れないです。継続捜査してた私も自殺の線が捨てられませんでしたし」
「こちらの得た情報で、事件性ありの線が出てきたと?」
「ええ、椿沢綾乃のトラブルが、もしかしたら両親に起因するものだったかもしれませんし。継続捜査係として、新しい情報を得たら捜査は必要です。高校時代の住居は茂庭台の市営住宅だし、ここからだと車だと20分くらいです」
腕時計をチラリとみると、時刻は14時20分。
仕事してる人や学生からは聞き込みできないかもしれないが、家にいる人もいるだろうから、行かないよりかはマシだな。
「分かりました。じゃあ、聞き込みに行きましょう。堂島も水島もいいな?」
「はいっす」
「椿沢綾乃の両親のことを聞き込めばいいんですよね?」
「そういうことだ」
「では、向かいます」
丸山刑事が進路を変えると、俺たちは椿沢綾乃が高校時代をすごした土地へ向かうことにした。
太白山西方を通る県道に沿って広がるニュータウンが茂庭台だった。仙台市中心部へ20分ほどの立地であり、郊外の閑静なベットタウンという様相を見せている。
そんな茂庭台の中にある市営住宅に、高校時代の椿沢綾乃の一家は住んでいた。
とりあえず、俺たちは椿沢綾乃の中学時代の写真や大人になった時の似顔絵をスマホで共有し、手分けして市営住宅に住む住人に聞き込みをおこなっていく。
聞き込みの成果としては、椿沢という珍しい苗字ということもあり、団地の住民で幾人か一家のことを覚えてた人に出会えた。
その中の一人で、水島が見つけてきた一家のことをよく覚えてた市営住宅に住む
彼女は椿沢一家の住んでたのと同じ棟に長年住み、いろんな家庭の情報を井戸端会議で集めるのが上手い70代のご婦人だった。
「寒い中、ご苦労さんだね。ほら、お茶飲んで、お菓子摘まんで」
台所から戻った中澤さんから、湯気の立つお茶とお菓子が自分たちの前に置かれていく。
「お気遣いなく。我々はお話しを聞いたらすぐにでも退散いたしますので」
「そう、気張らず。寒い中、冷え切った身体を温めないと――そっちお嬢ちゃん、女の子なんだから冷えは大敵だよ」
「では、お茶だけ頂きますね。水島も頂け」
「あ、はい。頂きます」
それぞれが出されたお茶に手を付けると、中澤さんは嬉しそうな顔で頷いていた。
さっき聴取した佐川もだし、丸山刑事もだが、東北の人は、優しい人が多い。
警視庁の警察官になるため、高校卒業後、田舎から上京し、東京暮らしが長くなった俺は、都会で生活する者たちのドライさが身に染みてることもあり、懐かしさを感じていた。
「ふぅ、一息つけました。それで、本題に入らさせてもらいたいのですが……」
「椿沢一家の件だったねぇ」
「はい、覚えてることは何でも喋って頂けると、こちらも助かります」
「あの一家、ここには3年くらいしか住んでなかったけど……。ほら、名字が珍しいでしょ、だから印象に残ってたの。綾乃ちゃん? だっけ? 西高に通ってた子供の方の印象はあんまり残ってなくて、たぶんそんな顔だったかもって記憶しかないけど大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。我々は椿沢一家の情報を集めてますので。早速で恐縮ですが、中澤さんから見て、一家はどんな感じでした?」
「率直に言っちゃっていいのかしら? 名誉棄損とかで訴えられない?」
「捜査情報は内密に処理されますので、大丈夫ですよ。我々も口外は致しません」
「よかった……。ほら、今のご時世、噂話一つでも訴えるだのって話になるでしょ。亡くなった主人からも『お前は口に気を付けろ』って言われててね。ああ、ごめんなさい余分な話だったわね。それで――」
「椿沢一家のことです。かよ子さん。私に話してくれたことも舘岡さんに話してください」
水島の言葉に頷いた中澤さんが、当時を思い出すように頬に手を当てて話し始める。
「そうだったね。父親の方は周囲を威圧するよう睨みつけてたし、まともな仕事してこなかった人っぽい男。母親はどこかで水商売でもしてたんじゃないかなって感じが漂ってた。子供はいるのかいないのか分からないくらい存在感が薄い子。これはあたしが見た一家の最初の印象だけど『わけあり』って感じだった」
「『わけあり』ですか……」
「東京から来たって話を聞いてたけど、どう見てもまともな夫婦に見えなかったからねぇ。みんな最初は怖がってたわ」
「椿沢一家と住民との間にトラブルとかはありましたか?」
「いや、それが見た目と反してトラブルが一切なかったのよ。挨拶とかはしなかったけど、市営住宅内の規則は守ってたし、2人ともちゃんと秋保温泉の方で仕事してたの。父親はホテルの送迎バス運転手、母親はホテルの清掃やってたって話。不思議でしょ。どう見てもまともな仕事してなかった感じなのに。こっちにきて2カ月もしたら、両親とも地味な格好になって、怖いってよりか、ひっそり暮らす変わった一家くらいになってたわね」
東京で詐欺行為に近いことして金を借りまくってたクズ2人が、引っ越した先の仙台で心を入れ替えTようにまともに仕事をしてたとか……。本当にどうなってるんだよ……。
それまでの生活を悔い改めて心機一転、真面目になりましたって、相当何かがない限り起きないはずだが。
「本当にトラブルとかはありませんでしたか?」
「うん、そう、なかったのよ。それで、あたしの人を見る目も当てにならないなぁと思ったことと、名字の珍しさもあって記憶に残ってたの。写真と似顔絵だけじゃ、思い出せなかったかもしれないけどね」
「家族間でトラブルとかの話は?」
「んー、聞いたことなかったわね。休みの日に家族で一緒に出かけるって感じはなかったけど、喧嘩してる声なんかは聞いたことないって話してた記憶があるわ」
「では、夫婦ではなく娘の『椿沢綾乃』に関しては、何かあります?」
「名前までは知らなかったけど、西高に通ってた子でしょ。この市営住宅からも何人も通ってたけど、いつも一人だった気がする。中学まで東京だったでしょ、だから、友達みたいなのも作れなかったみたいだったしね。あの子が同級生と喋ってる姿は見たこなかったわね。それに両親が共働きで遅かったから、いつも夜まで一人だったみたいだしね。出歩くような子じゃなかったわよ」
『椿沢綾乃』に関しては、仙台南署の刑事たちが捜査して得た情報と相違はなさそうだ。
孤立していたというか、周りに存在を認知されないように隠れて生きていたという感じを受ける。
やはり、親の件で目立ちたくなかったがゆえに、高校でも目立つことを避けてたんだろうか。
「でも、あの子のことで記憶に残ってるのは、高校卒業してすぐにご両親が立て続けに亡くなった時のことかしらね。父親が亡くなった時は母親がやってたけど、そのすぐ後に亡くなった母親の手続きをほとんど自分一人でやってたから。泣いたり喚いたりもせず淡々としてたの。18歳の子がよ。しっかりしてるとかの次元じゃないなって思ったの。母親の手続きが終わったら、消えるようにこの市営住宅から退去してたしね」
「なるほど……。確認ですけど、『椿沢綾乃』の両親が亡くられた理由とかって知ってます?」
捜査資料には父親が事故死、母親は病死とだけ書かれていたので、情報通らしい中澤さんに『椿沢綾乃』の両親の亡くなった時の詳しい話が聞けないか尋ねてみた。
「父親の方は、仕事終わりに車で帰宅途中に操作を誤って川に転落して亡くなったとか聞いてる。即死だったらしいわ」
「母親の方はどうです?」
「亡くなった旦那の手続きをしてる最中、ノイローゼ気味になったとかで通院してたの。そこで処方された薬を一気に飲んだらしくって、薬の過剰摂取? とかで亡くなっちゃったという話」
「ノイローゼですか? 旦那が亡くなったことでの心的負担とかです?」
「今から話すことは、あたしが直接見たわけじゃなくて、人づてに聞いた話なんだけどいい?」
「かまいません、どうぞ」
「旦那が亡くなった後、玄関のドアポストに椿の花が差し込まれてたんだってさ。毎日、毎日、それを見た奥さんが血相を変えてたらしいの。それでノイローゼ気味になったという話。でも、あたしが見たわけじゃないし、人づての噂話よ」
「ドアポストに、椿の花ですか……」
同席している水島と目が合った。
ここでもまた椿の花の件が出てきたのだ。
佐川からの証言で焼死体になる前の『椿沢綾乃』の部屋のドアポストには、同じように椿の花が差し込まれていたことを情報として得ている。
継母だった佐枝の死にも、また椿の花が関係していたという証言が出てきたことにより、親のトラブルが起因で『椿沢綾乃』は事件に巻き込まれて殺されたのではという疑惑が深まった。
「ちなみにその話をされてた方は、今もここに?」
「いや、一昨年亡くなってる。あたしよりか年上の人だったからね。だから、噂話の真偽のほどは断言できないかねぇ。あの一家に関する話、それくらいかねぇ」
裏取りは厳しそうか……。いちおう、もう少し市営住宅内で聞き込み続けるのもありかもしれんな。
「本当にいろいろとお話が聞けて助かりました。それでは、我々はこれで退散します。お茶、ありがとうございました」
「捜査の役に立てたか分かんないけど。ああ、そうだ。そっちのお嬢ちゃん。これ、持ってきな。まだ聞き込みするんだろ?」
中澤さんが未開封のホッカイロを水島に投げて渡した。
受け取るべきか迷った水島が、こっちを見る。
「せっかくのご厚意だ。もらっとけ。寒いしな」
「中澤さん、ありがとうございます。使わせてもらいますね」
「頑張りなー」
俺たちは中澤さんに深々と頭を下げ、部屋から出ると、聞き込みを続けていた藤堂と丸山刑事に合流した。
その後、2~3日かけて茂庭台で裏取りの聞き込みを続けたが、椿沢一家に関して中澤さんから得た以上の新たな証言は出ず、聞き込みを丸山刑事に任せ、俺たちは一旦、東京に戻ることになった。
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