#03 高井戸西二丁目マンションにおける無職男性刺殺事件
2025年も明け、2月の下旬となり、寒さも多少緩んできた今日この頃だが、非番だった俺は、朝から殺人事件の帳場が立った高井戸署に急遽呼び出されていた。
刑事という職業柄、休みはあってないのは分かっているが、帳場が立つ日は非番を避けて欲しかった。
警察署の入口に立つ制服警官に敬礼を送り、署内に入ると帳場として開放されている三階の会議室へ足早に向かう。
帳場の戒名は『高井戸西二丁目マンションにおける無職男性刺殺事件』だ。
どんな事件かは、まだちゃんとした捜査資料を読んでないので分からないが、長年の刑事の勘からして嫌な戒名の気がした。
会議室に入ると、すぐに声が掛けられた。
「
声を掛けてきたのは、俺の班に所属する班員で、若手刑事である
今風のチャラい感じの男だが、これでなかなか刑事としては優秀だ。
20代前半のくせに、捜査一課に引っ張り上げられて、ちゃんといくつかの事件捜査で手柄を挙げ、刑事の仕事をやれている。
俺が捜査一課に来れたのは、20代ギリギリだったからな。最近の若いやつの中でも優秀な部類なんだが――
「藤堂! 上司の班長である俺を名前呼びするなって言っただろうが! た・て・お・か・班長って呼べ! 次、名前呼びしたら、ぶち殺すぞ!」
「はい、それ、威圧的な言動によるパワハラ発言でーす! これだから昭和生まれの独身のおっさんは――」
「うるせぇ! 上司を名前呼びする方がよっぽど礼儀のなってないクソガキムーブだろがっ! あと、クソ長い昭和をひとくくりにすると、全昭和世代を敵に回すんだぞ! 俺は昭和世代でも後期だ。後期! 中期でもないし、前期でもないぞ!」
「はいはい。そうでした。そうでした。舘岡班長は昭和の後期でしたね。すみません。すみません。オレが悪かったっす」
「分かればいいんだよ。分かれば」
俺に怒られたことを気にしたふうに見えない藤堂が差し出す捜査資料とお茶をひったくるように受け取ると、他の班員が座っている場所に向かう。
勧められた椅子に腰を掛けると、班員たちが話しかけてきた。
「舘岡班長、藤堂を叱っても効果ないですよ。ありゃあ、ガチのクソガキですって」
「そうそう、刑事として大先輩の田嶋さんの言うことも右から左に聞き流しますしね」
班員である田嶋と佐々木も、さっきの俺と藤堂のやり取りを見ていたようで笑いを堪えている様子だった。
「藤堂のクソガキムーブが、班長の俺で止まればいいんだが、係長とか課長に向かったらマズいんだっての。そうなった時は、連帯責任だからな」
「はあっ!? なんで私がこのクソガキの失態した時の連帯責任を――」
「美佳せんぱーい、オレがしくじった時は、ちゃんと庇ってくださいねー」
「は!? 知るか、ボケ! テメーのケツはテメーで拭けよ! クソガキ!」
うちの班の唯一の女性刑事である水島が、いつものごとく藤堂に対し金切り声を上げている。
班員それぞれが能力は高いが、癖が強いのが集まったのが、俺の指揮する舘岡班だった。
「舘岡班はいつも騒がしいな。ここは帳場だぞ! 静かにしとけ! 小学生の遠足じゃねえんだ!」
捜査会議が始まる前ということもあり、会議室に詰めている刑事たちはピリピリとした空気を醸し出していた。
捜査一課の別班も投入されてるのか。うちを入れて2班体制ってなると、けっこう重大事案って感じか。
「すまんな。すぐに静かにさせる」
チャラけてる藤堂のネクタイを掴むと、俺の横に強制的に座らせた。
「ぐえっ! あーあ、せっかく、安月給の中、苦労してスーツを新しくしたのに、今ので皺が……」
「スーツで来るのやめればいいだろうが。警視庁の捜査一課だって服装は自由化されてんだ」
「天下の捜一っすよ。どんな時でもスーツが基本っしょ。舘岡さんみたいにダウンジャケットに薄手のインナーシャツ。下はジーパンのスニーカー履きなんてラフすぎでしょ」
藤堂は若いくせに、スーツ姿の刑事への憧れが人一倍強い。今時、珍しいんだがな。
「俺の服装については言及するな。上からもうるさく言われて辟易してる。だが、現場は動きやすさ優先。それが俺の考えだ」
まぁ、俺も捜査一課に来たての頃は、毎日スーツで駆けまわってたがな。
若いうちは体力があるからスーツでもいいんだが、歳を重ねると動きやすさが必要になってくるんだって、藤堂もそのうち思い知るだろうさ。
これは藤堂自身がいずれ体験して、考えを改める時がくると思っておこう。
「舘岡班長を見てると、刑事のイメージがなぁー。なんかこう違うんだよなぁー」
「うるさい。お前もチャラけてないで、捜査資料を読み込んどけ」
「それは、もう終わってます。バッチリと頭の中に入ってるっす」
そういうところは、しっかりしてるんだよなぁ。
資料に書かれた些細なことまで覚えてて、それが糸口となって事件解決もいくつもあったわけで。
チャラいトラブルメーカーの藤堂が、捜査一課から放逐されないのも、そのおかげだ。
「捜査資料の中の現場写真はヤバいっすよ。久しぶりにグロい現場っす」
藤堂に促され、手元の捜査資料に目を落とす。
事件発覚は2025年2月13日午後16時04分。10日も前に発覚した事案。
殺人事件なのに、捜査本部の立ち上げが遅いのは、何か事情でもあるんだろうか。
通報者はマンション管理会社の社員から110番通報。
通報内容から殺人を疑われると判断し、機動捜査隊が急行し、通報者とともに現場確認。
その際、被害者の通う心療内科の主治医も社員とともに同席していた。
定期受診に被害者が現れず、折り返しの電話にも反応がなかったため、マンション管理会社に事情を説明して安否確認を行ったところ、寝室にて胸を刺されて死んでいる被害者を発見し、通報を社員に頼むと自身で死亡確認したと。
通報者氏名は管理会社社員が
一緒に居た心療内科医師は
2名とも機捜の隊員が現場にて事情聴取済み。
事情聴取には、2人とも応じており、状況説明に関して、お互いの説明に齟齬が見られるような不審な点は見られない。
主治医とはいえ、医者が通院患者の安否確認なんてするのは珍しいが……。どうなってんだ?
資料を読み進めていくと、被害者の財産管理者で後見人でもある
弁護士の後見人が付いてるなんて、ボンボンの金持ち息子かよ?
捜査資料をめくり、被害者がどんなやつなのかを読み込んでいく。
被害者氏名は『桧山真治』。性別は男性。生年月日2001年4月24日生まれ。殺害当時の年齢は23歳。
職業は無職となっているが、備考欄に大学休学中と書かれていた。
大学側に提出された休学理由は、病気の治療に専念するためとのこと。
心療内科に通院歴あり、2017年の高校1年の時、両親の事故死からのストレスで吃音症を発症して通院治療。1年間の治療で回復。
そして、2023年の大学4年次の10月から再発した吃音症の治療のため通院再開。殺害時は治療中だった。
家族構成はなし。会社を経営していた両親はすでに事故で他界して、祖父母もいない、近い親族もなく、母方の遠縁が静岡にいるだけか。
殺害場所のマンションの部屋は被害者の本人名義。
もともとは父親が投資目的で購入した部屋だったが、両親の事故死後、父親の会社を清算し、実家を売却して、そのマンションだけを相続した。
被害者が高校生時代から両親と別居して、一人で住んでたとの情報提供がマンション住人から複数あり。
預貯金等の金融資産は5000万円ほどが、本人名義で管理されており、父親の会社の顧問弁護士だった久我沼雅也が財産管理者兼後見人として指定されている。
現在、後見人の久我沼弁護士との連絡は取れておらず。所在不明。
久我沼弁護士の家族より捜索願いが出され、12月1日付けで杉並署で受理されたのを確認。
被害者は無職だけども、両親の残した財産もあって、少なくとも金には困ってなさそうだ。それにしても、後見人の弁護士が所在不明って怪しいが……。
捜査計画書にも、所在不明の後見人である久我沼雅也弁護士をホンボシとして捜査を進めると書かれているしな。
資料をパラリとめくると、殺害現場の写真が飛び込んでくる。
「たしかにグロいな」
「でしょ」
殺害現場は高井戸西二丁目4LDKのファミリータイプのマンション。
被害者の自室である403号室の寝室のベッドの上。
室内を派手に物色した形跡があり。
当初、物取りと考えられたが、生活費と思われる数百万の入った貯金通帳、財布の現金、身分証、クレジットカード、スマホ、時計等の換金できそうな物品は残されたまま。
遺体は死後2カ月半経過、腐乱が進み、ウジが湧き、一部白骨化までしていた。
腐乱した遺体から滲出液が漏れだして、シーツには、大の字になった人の形がくっきりと残っている。
致命傷となった傷は、胸部にできた八か所の刺創。
検視官の所見では、胸部にできた八か所の刺創以外に、被害者の両手足の腐敗してない部分に拘束痕あり、それと両手首には切創あり、死後に付けられたものかは司法解剖待ち。
死因は失血死。
凶器は遺体に残されており、刃渡り15センチのサバイバルナイフ。
凶器の指紋は拭き取られたおり、採取不能。
代わりに容疑者のものと思しき微量の血液を採取。DNA鑑定依頼中。
凶器は寝室のウオークインクローゼット内に作られたコレクション棚から、殺害時に容疑者が取り出し使用したものと推定された。
「
『舘岡班長、ちょっといいですか? ここに来る前、この件のことを鑑識課の知り合いにちょろっと聞いたんすけど、上が揉めてるらしいですよ』
変わった人脈を持ってる情報通の佐々木が、自分の拾ってきた情報を耳打ちしてくる。
「揉めてる?」
『採取したDNA型が一致した人物がいたんですけど――』
「ヒットしたのは久我沼だろ? こんな捜査会議なんてやらずに、所在不明の久我沼を捜索して任意で引っ張ればいいだろ? なんでやらない?」
『任同できるなら、とっくにしてますって。それとも、班長は死人を任同できるんですか?』
「何言ってんだ? 佐々木? 死人なんか任同できるわけないだろ。まさか久我沼が死んで――」
『違うんですよ。一致したのは久我沼じゃないんですって。鑑識課の知り合いから仕入れた情報だと、
「はぁ? まさか幽霊が、人殺ししたとでも?」
佐々木が真剣な顔で頷いた。
「寝言は寝て言え。そんなの発表したら鑑識課の大失態だろ。まさか、証拠品の取り違えとか起こしてないだろうな?」
『班長、声がでかいっす。だから、揉めてるんすよ。被害者の殺害時に容疑者が死んでたら、被疑者死亡でも送検もできないわけですし』
「ご遺体があって、
『だから、退官の近いノンキャリ組の村田管理官に白羽の矢が立って、事件捜査の体裁を整えるため、帳場が立ったという話です。これはキャリア組の知り合いからの情報です』
佐々木はノンキャリなのに、どうしてキャリア組に知り合いがいるんだろうと思うが、こいつの人脈は警察組織内に張り巡らされてて、いろいろといつも助けてもらっているので追及はしないでいる。
村田管理官は捜査が難航しそうな事案を押し付けられ、貧乏くじを引かされてるってことか、また西田係長がぐちぐち言いそうだな。
佐々木の話を聞く限り、上はこの事件の捜査に対して、やる気がないってことになるか。
あんまりにも成果がないと、早期に捜査本部の縮小され、継続捜査係の事案にされるかもな。
早めに幽霊だと思われてる容疑者を特定できる突破口か、所在不明の重要参考人である久我沼が、容疑者であるという物証を見つけないと。
「帳場が立つ以上、必ずホシを挙げるのが現場の俺らの仕事だ」
「班長の言う通りだ。現場は現場の仕事をきっちりやる。幽霊の正体を暴くのもたまにはいいだろ」
「舘岡班長、田嶋さん、かっけーっす。オレ、感動した!」
「班長、田嶋さん、佐々木さん、係長たちが来ましたよ。捜査会議が始まるみたいです。ほら、藤堂もちゃんと座って!」
幹部たちが次々に会議室に入り、無線機やファックス、ノートパソコンが置かれている臨時の指令室となるデスク席に、それぞれ腰を下ろしていった。
捜査一課課長、高井戸署署長、捜査一課管理官、捜査一課係長、高井戸署刑事課長という並びで座っている。
俺の直属の上司である捜査一課の西田係長が進行役として、捜査会議は始まった。
捜査会議は所轄警察署の刑事課長から事件の概要説明から始まり、初動捜査に当たった機捜の管理官からの報告が続いた。
最後は、捜査一課課長である黒崎課長からの挨拶となる。
「なお、本件事案においては、極めて特殊な状況に置かれていることを捜査員全員に共有しておきたい。私としても初めての状況であり、困惑している。配布した捜査計画書には被害者の後見人である久我沼雅也をホンボシとして捜査すると記載されているが――先ほど鑑識課から上がってきた情報があり、被害者の殺害時、現場に残った物証から容疑者と推定される者が、すでに死んでいて存在しないという状況だ。つまり、死人が人を殺しているというあり得ない状況が本件事案で発生している」
黒崎課長の言葉に、会議室内が騒然とする。
佐々木の仕入れたネタ通りってことか……。まさか、課長がそれを捜査員に伝えるとは思ってなかったが、上も現場に共有しないとマズいって判断をしたんだな。
「静かに! 黒崎課長の挨拶の最中だぞ!」
進行役の西田係長が、騒然となる会議室内に響き渡るほどの大声を出した。
騒然としていた会議室内にスッと静寂が訪れる。
「このように特殊な状況の事案である本件を速やかに解決し、容疑者を確保して解決しなければ、警察組織全体の怠慢と捉えかねない。村田管理官の指揮下で本件捜査にあたる捜査員諸君には普段よりも一層の精励恪勤を求める! 以上!」
西田係長の号令で敬礼をすると、黒崎課長と高井戸署署長は会議室から出ていった。
入れ替わるように陣頭指揮を執る村田管理官が立ち上がる。
「本件事案を指揮する村田だ。よろしく頼む。これから任務編成を発表する。まずは地どり1組――」
捜査を指揮する村田管理官から、現場周辺の聞き込み捜査をやる地どり組、被害者の関係者を調べ上げる捜査をやる敷鑑組、現場に残された凶器等の遺留品について捜査する証拠品捜査組と次々に担当者の名前が読み上げられていく。
「次、特命組。これは、舘岡。お前の班でやれ」
「はいっ!」
敷鑑組にでも回されるかと思っていたが、班をあげての特命組か……。特命組で考えられる任務内容は、幽霊の正体を突き止めることくらいだが――
「西田係長から捜査任務の説明を受けるように!」
「はっ! 了解しました!」
「以上、任務編成、終わり。各自、捜査に当たれ」
西田係長が号令をかけ、敬礼をすると、捜査員たちがそれぞれ与えられた任務を遂行するため、会議室から飛び出していく。
がらんどうになった会議室のデスク席に座った西田係長に手招きされた俺たち舘岡班は、全員でそちらに集まった。
「というわけで、舘岡たちには、こっちをやってもらう」
西田係長が差し出してきたのは、『椿沢綾乃』という生まれてから死ぬまでの戸籍謄本、一つのネットニュースの記事をプリントアウトした紙だった。
プリントアウトされた記事には、2020年12月15日、仙台市内のアパートの火災で焼死体が発見されたと書かれ、死亡者名のところに『椿沢綾乃』の名前が記されていた。
「これが幽霊ってわけですか?」
「そういうことだ」
「焼死体なのに、DNAサンプルが残ってたんですか?」
「ああ、自殺と事件性ありの両面で捜査されたので、捜査にあたった警察署に証拠品として指紋データとDNAサンプルが付着した品が残っていた。それと、今回のやつを照合してもらったら、この通りだ。
鑑識課から上がってきたと思しき、DNAの照合結果を書いた紙を差し出してくる。
どちらも、すでに死んでいたはずの『椿沢綾乃』の物と断定できる結果が出ていた。
「当初、所在不明の重要参考人である久我沼が容疑者だろうという目星で、初動捜査は動いていた。だが、鑑識課のあげてきたこれのおかげで、帳場が立ち上がることになったのさ」
「
「まぁな。そっちは敷鑑組が追う。お前らはこの死んでるはずの『椿沢綾乃』の物証が、何で出たのかを追ってくれ。期待してるぞ」
死人探しかよ……。やっぱり、最初この事件の戒名を見た時に感じた嫌な感覚は当たったかもしれない。
とりあえず、うだうだ言っても始まらないし、動くしかねぇ。
「了解です」
資料を手にした俺は、集まっている班員に仕事を割り振ることにした。
「2つに分けるぞ。田嶋さんと佐々木はこっちに残って『椿沢綾乃』の戸籍に不明な点がないか調べてくれ。何か不可解な点があれば連絡を頼む」
「「はい」」
「俺と藤堂、水島は仙台の現地で『椿沢綾乃』の情報を集めるぞ」
「「はい」」
「村田管理官、宮城県警に一報お願いしますね」
黙って話を聞いていた村田管理官は、親指をグッと立てて、了承してくれた。
こうして俺たち舘岡班は、死んでいるはずの容疑者『椿沢綾乃』の正体を調べることになった。
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