#02 桧山真治
「と、
「んー、
「ただ?」
「終わりがパワー不足かな。怖さのピークを超えちゃってるところで終わってる感じがするの。最後の最後はやっぱもう一段心臓ギュッと鷲掴みされるような怖い状況を入れた方が、ホラー好きとしては評価が上がるかなぁ~」
「マ、マジか……。ぜ、絶対にこの作品なら、イケると思ってたんだがなぁ。今回のコンテストこそ、受賞してオレは商業作家になりたいんだよ」
「序盤に書いてあった売れっ子作家云々とか、ワナビ凡人のくだりは、絶対に真治の願望や妬みが駄々洩れしてるところだよね」
「う、うるさい。い、いいだろ。フィクションなんだからさ。本当だったらオレだってもうすでに超売れっ子作家なんだよ。世間の連中がオレの才能を認めてないだけなんだからな!」
「はいはい、そうだね。でも、真治の小説家としての才能はすごいと思うよ。私にはこんなの書けないもん。だから、すぐにでも売れっ子作家さんになれると思ってる」
「だろ。朋乃もそうなれば売れっ子作家
「ひゃー、それは大変だ。ちゃんと準備しとかないとねー」
おどけるように肩を竦めた朋乃が、持ち込んだ鞄に自分の荷物を詰め、いつものように帰り支度を始めた。
オレが
超売り手市場で余裕だと思い、ギリギリまで作家になることを優先して執筆した結果――
まず落ちるはずないと言われた会社から内定がもらえず、その後、何社受けても一つも内定がもらえず、内定を早々に決めた者たちからの侮蔑の視線に晒された。
オレはその視線に耐えられずメンタルをやられて、ストレスから高校の時に患った吃音症状が再び出たこともあり、大学を休学したのが2023年9月末。
そして、休学したオレが通っていた心療内科の病院で彼女と出会った。
最初の印象はジッとこっちを見てくる気味悪いやつ。
二回目の印象は、ジッとこっち見てるけど、ちゃんと見れば案外かわいい顔をした子。
三回目の印象は、病院に来るたびにオレのことをずっと見てるけど、もしかして気があるのかもしれない。
朋乃からの視線に耐えられなくなったオレは、病院から帰る道すがら、先を歩いていた彼女に「な、なんで、オレを見てるんだ?」って声をかけたんだ。
吃音と、声がきつかったこともあって、朋乃はビビってたけど、病院に行くたび、彼女がオレに視線を向けてた理由が判明した。
彼女は、オレが毎回診察の待ち時間の暇潰しに読んでたホラー小説に興味があったらしい。
『自分と同じホラー小説好きを見つけて嬉しかった』と語った朋乃の嬉しそうな顔を見た瞬間、オレは彼女の虜になっていた。
以来、病院の帰りに二人でカフェに入り、お互いに好きなホラー小説の話を飽きるまでして、時間を過ごしていたが、彼女と恋人関係になるまでに多くの時間は要らなかった。
出会って二カ月後には、仕事が休みだという毎週水曜日の夕方から彼女はオレの部屋に来て、掃除や洗濯、料理をして身の回りのことをやってくれるようになり、最近では書いたホラー小説の感想までくれるようになっている。
朋乃が部屋に来てくれるようになったことで、オレは病院へ通院する時以外、外に出ることもなく、快適な引きこもり生活を満喫し、雑事に時間を取られることもなく執筆に向き合う時間ができていた。
おかげで『ツバキサワアヤノ』という、自身最高傑作とも言えるホラー小説が書けている。
いちおう事故で死んだ両親が残してくれたこのマンションと、多少の財産はあるが、超売り手市場と言われた就活に失敗した社会不適合者。
そして今は大学を休学している無職の身だ。
そんなオレが彼女を養うためには、絶対に小説家になるしかないと思っている。
だから、今度のコンテストに出すこの『ツバキサワアヤノ』には全力を注ぎたかった。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
荷物を鞄に詰め帰る準備を終えた朋乃が、エプロンを外すと着ていたワンピースの服を脱ぎ、下着姿になった。
恋人関係にはなったが、俺の事情と朋乃の事情もあって、男女の関係にまでは至っていない。
でも、まぁ、それもオレが作家となり、社会復帰できた後、時間をかければ乗り越えられると思っている。
下着姿の朋乃は、置いてあった野暮ったい男用の黒いパーカーと、だぶだぶのジーパンを履き、真っ黒なキャップを被る。
美人顔である朋乃だが、黒髪のショートカットなこともあり、遠目に見ると小柄な若いイケメン男性にも見えた。
およそ若い女性がするような恰好とは思えないが、帰る時間が深夜という時間なだけに夜道で襲われないよう、この格好をしてるらしい。
オレも最初は「送ろうか?」と言っていたが、あまりに朋乃が恐縮するので、今では好きにさせている。
送ることを無理強いして、朋乃に嫌われたくないというオレの弱みもあって、強くは言い出せないが、家に着いたという彼女からの連絡がスマホにくるまではいつもドキドキして執筆が手に付かないでいる。
「も、もう、帰るのか? い、いつも言ってるがいつでも泊まっていいんだぞ。だ、誰も文句を言うやつはいないしな」
「うん、ありがとね。でも、明日も仕事だしね。ここからじゃ、始発でも会社に間に合わないからさ。帰るね。ああ、そうだ! また、食事は1週間分用意しておいたからちゃんと順番にチンして食べてね。ちゃんと食べてないと拗ねるよ。それと洗濯物はまとめてカゴに入れておいてね。今度来た時にまとめて洗うから。あと、お風呂もちゃんと入ってね。シャワーだけで済まさない!」
事務職と副業で飲食業のバイトをしながら、空いた時間でいろいろと世話をしてくれている朋乃の指示には逆らわないことにしてる。
将来、結婚しても尻に敷かれるのが目に見えているが、それはそれでオレとしては朋乃の尻に敷かれるなら満足だから気にしていない。
「ああ、分かった。分かった。ちゃ、ちゃんと食べるし、ちゃんと洗濯物はカゴに入れとくよ。風呂も極力入るようにする」
「それと、『ツバキサワアヤノ』のラストシーンは、ちゃんと書き直しておいてね。あれだと厳しいから、もっと怖い終わり方に期待してるよ。真治センセっ!」
「ああ! き、期待しとけ! 朋乃が来週来るまでに、オレの最高傑作を読ませてやるさ!」
グッと親指を立てた朋乃が、靴を履くとそのままドアを開けて帰っていった。
毎週のことだが、この時間が一番気分が落ち込む。
早く来週の水曜日が来ないかと待ち遠しすぎて気が狂いそうだった。
朋乃が帰り、しばらく椅子にもたれかかってボーっとしていたら、机の上に置きっぱなしのスマホからLINEの通知音がした。
LINEの通知音ってことは、朋乃からじゃないな。誰だ?
朋乃との連絡は、24時間でメッセージが消える秘匿性の高い通信アプリを使っている。
オレはやり取りを残しておきたいんだが、朋乃から「DV虐待を受けた元カレに見つかったら真治にも迷惑かかるから」と言われ、渋々そちらを使用していた。
このマンションでの同棲をオレがどれだけ勧めても、朋乃が乗り気を見せないのは、そのDVをする元カレの存在があるからだと思っている。
そういうのも全部ひっくるめて、オレが受け止められるよう、社会復帰に向けてまずは作家にならないとな。
そんなことを思いながら、通知音の鳴ったスマホを手に取り、通知を見る。
LINEを送ってきたのは、大学の文芸サークルの後輩だった
大学の文芸サークル内でもかなり浮いていた存在のオレに、よく懐いていて、馬が合ったのでこちらも可愛がっていた後輩だ。
LINEの内容は『その後、病状はどうですか?』という短い一文。
他のサークルの仲間たちは、大学を休学した途端にLINEが動かなくなったが、渋谷だけはこうやってたまにオレの病状を聞いてきてくれる。
「とりあえず、メンタルの方はそれなりに安定した。吃音は治ってないが、通院は二ヵ月に一度くらいだ」だと返信する。
すぐに既読が付き、『よかった! 前よりも良くなってるみたいっすね!』と返ってくる。
そう言えば渋谷も今年は就活の時期のはずだが――オレみたいなのの心配をしてる暇なんかないだろうに。
『お前、今年就活だろ? オレになんか構ってないで、自分のことしろ』と送ってやった。
既読が付くと爆速で『大丈夫っすよ! 内定出てます』と返信がくる。
それを就活に失敗して大学を休学したオレに向かって投げるか? もう少し手心を加えるとか、空気を読め、渋谷!
まぁ、でも裏表がない分、他のサークル連中よりかは付き合いやすかったし、こいつが、こういうやつだと分かってるから、怒る気にもならん。
「そうか、おめでとう。来年はめでたく社会の犬だな!」と多少のうらやましさを感じながら返信した。
「立派な犬になりますよ。でも、桧山先輩は社会の犬ではなく、作家を目指すんですよね? 書いてます?」と返ってくる。
本当に空気読め、渋谷と言いたいが、今のオレは朋乃のためにも、その道を目指すしかないので、迷いはなかった。
「ああ、書いてるさ。コンテスト用に書いてる。最高傑作だぞ。受賞間違いなしだ。じきに売れっ子作家になるから待ってろよ。売れっ子になったら、社会の犬になった渋谷に焼肉くらいはおごってやるさ」と返す。
すぐに既読が付くと、犬が尻尾を振るスタンプが送られてきた。
こういう可愛げがあるので、空気が読めない渋谷とは馬が合ったんだろう。
『お前がマジで犬だったら、養ってやりたいんだがな』と返すと、『今から犬になるんで、桧山先輩、養ってください!』と返ってくる。
本当にそういうとこやぞ、空気読め、渋谷! 社会復帰してないオレが、お前を養えるわけないだろうに。
それにオレは、朋乃を最優先で養わなければならないんだよ。
『わりいな。オレには別に養わないといけない人がいるんだ。お前は自立しろ』と返すと、『まさか、カノジョっすか?』と返ってきた。
そうだと言いたかったが、朋乃からは絶対に自分の存在を外部に漏らさないで欲しいと言われている。
例のDV元カレが朋乃のことを探しているらしく、どこからバレるか分からないからと不安がっていたのを思い出した。
あぶねぇ、朋乃のことをうっかり渋谷に話しそうになったわ。誤魔化さないとな。
『さあな。オレに彼女ができると思ってるのか?』と誤魔化した返信をすると、『そうっすよね。孤高の人である桧山先輩にカノジョなんてありえないっすね。失礼、失礼』と返された。
本当に失礼なやつだな、渋谷。まぁ、いいが。
将来、朋乃と結婚したら、あいつにだけは紹介してやるとしよう。
あいつもあいつで、学祭の実行委員やった後から、変わった女にまとわりつかれてるからな。
本人は空気読めないやつだから、女の好意を自覚してないんだろうが、気付いた時には手遅れパターンだろうな。
オレは渋谷との話の終わりを切り出す時に、いつも使っていた切腹しろのスタンプを送ると、スマホを置いてノートパソコンを開き、朋乃に言われたラストシーン改稿作業に入っていった。
瞬く間に一週間が過ぎて、2024年12月15日の水曜日がやってきた。
寝る間を惜しんで構想し直した『ツバキサワアヤノ』のラストシーンは、主人公がトラブル話をカクヨムへ投稿後、自室に音もなく現れた『ツバキサワアヤノ』に直接襲われて死んでしまうというのを書き足した。
朋乃が言っていた心臓をギュっと鷲掴みされるような恐怖というやつを、自分なりに書き足せたと満足している。
コンテストに出てくるどの作品にも引けを取らない、オレの最高傑作ができた。
そんな高揚感の中、二カ月に一度の心療内科での診察を終え、薬をもらって自宅に帰る途中、朋乃との連絡に使っている通信アプリの通知音が鳴った。
アプリを立ち上げると『まだ、病院? 今日はいつもより早く着いちゃった』と朋乃からのメッセージが入っている。
『今、帰ってるところ。部屋に着いたなら、渡しておいた合鍵で開けて入っててくれ』と返す。
『分かった。先に入っていろいろと片付けておくね』と返答があった。
まだ14時過ぎだけど、時間に几帳面な朋乃にしては珍しく早いな。いつもは16時ちょうどに来るのに。
まぁ、でもいつもより長く朋乃との時間を過ごせるのはラッキーだな。急いで帰らないと。
オレは自宅マンションを目指し、帰る足の速度を上げた。
自宅マンションに着くと、自室のある4階の角部屋を目指す。
高校時代、両親との折り合いが悪かったオレは、半ば家出するような形で両親が投資用に買って所有していたこのマンションの一室に住むようになり、事故で亡くなった後は実家を売り払い、生活の拠点はこちらにしていた。
築年数はいってるが、駅も近いし、周囲に商業施設も充実した好立地。
それに、オレの部屋に隣接する部屋は、どれも投資目的のみで所有されてるらしく、たまに清掃が入るくらいで、ずっと人が住んでいないこともあり、隣人の騒音トラブルもなく静かな執筆環境を得られることが気に入っているところだった。
慣れ親しんだ共用通路を進み、自室のドアの前に来ると、ドアポストに何かが差し込まれていた。見ると、それは真っ赤な椿の花だった。
「椿の花!?」
思わずビクリとして周囲を見まわしてしまう。
だ、誰もいない。いるわけがない。いてもらったら困る!
震える手でドアポストに差し込まれた椿の花を取り出す。
椿の花は造花ではなく、ちゃんと匂いのする本物の花だった。
誰だよ……こんな悪戯するやつ……。気味悪すぎだろ……。はっ! そうだ! 朋乃は無事か?
朋乃の安否が気になったオレは、急いで鍵を開けると、室内に駆け込んだ。
「と、朋乃! 朋乃! 無事か!?」
「どうしたの!? 真治? そんな慌ててさ?」
朋乃がオレの声にびっくりしたのか、廊下の奥のキッチンから顔を出してきた。その顔を見た途端、盛大に安堵のため息を吐く。
「本当にどうしたの? 顔色悪いよ?」
「な、何でもない。何でもないさ」
オレは朋乃にバレないよう、手にしていた椿の花を後ろに隠し、バッグの中に押し込んだ。
質の悪い悪戯だよな。きっと……。オレが書いたあの『椿』に関するトラブルを知ってるやつは、どこにもいないはずだし……。
「だったら、いいけどさ。ああ、そうだ! また、洗濯物がカゴに入ってなかったよ。寝室に脱ぎっぱなしにしたらダメって言ったよね?」
キッチンから顔を出している朋乃の眉間には、深いしわが刻まれている。
しまった。今日、病院に行くときに着替えたまま、寝室に脱ぎ捨ててたわ。
オレは両手を合わせて、朋乃に「すまない、急いでて忘れた」と謝罪した。
「しょーがないなぁ。今回だけだからねー。次は許しませーん」
「恩に着るよ! 次は絶対ちゃんとする!」
朋乃はやれやれと言いたそうな仕草をしたが、どうやら許してもらえたようだ。
荷物を入れたバッグを執筆部屋に置くと、リビングのソファーに身体を投げ出した。
キッチンでは朋乃が一週間分のオレの食事を準備してくれてるようで、いい匂いが室内に充満している。
家庭ってのは、こんな感じのことを言うんだろうな。
うちは会社経営してた親父のところで、お袋も一緒に仕事してたから、家庭って呼べる状態じゃなかったし。
朋乃と結婚したら、こういう生活が続くのかと思うと、ワクワクしかない。
上機嫌で料理する朋乃を見ていたら「何か、私の顔に付いてる?」と聞かれた。
「あ、いや。と、朋乃が、すげー奥さんっぽいなって思ってさ」
「いちおう、候補のつもりだけど? 売れっ子大作家桧山真治センセーのね」
まったく照れる様子もなく、そうやって返されると、こっちが赤面してしまうんだが。
でも、こっちが照れてると、朋乃に笑われそうだし、話題を変えないと――。
「そ、そうだ、先週言ってた『ツバキサワアヤノ』のラストシーンのことだけどさ」
「改稿できたってメッセージくれてたよね? ラストシーン、怖くなった?」
「ああ、より一層怖くなったと思う。か、書き終えたら、背中のゾクゾクが止まらなかったからな」
「へぇ、楽しみ。料理の仕込みも終ったし、夕食までにまだ少し時間があるから、その改稿版を読ませてもらいたいなぁ」
「ああ、読んでくれ。感想が欲しい」
オレはソファーから立ち上がると、執筆部屋に置いてあるノートPCをリビングに持ってきて、朋乃に改稿版の『ツバキサワアヤノ』を読んでもらった。
朋乃は食い入るように『ツバキサワアヤノ』の原稿を読んでいく。
やがて、読み終わったようでノートPCの画面から視線を外すと、両手を突き上げ伸びをした。
「ど、どうだ?」
「控えめに言って――」
「控えめ? ダメか? ダメなのか?」
朋乃はブンブンと首を振る。
「控えめに言って、最高っ! すごくいい! 最後の最後、主人公の断末魔の声で終わるなんて、怖くて震えたよ! ほら、みて鳥肌立ってる」
朋乃は服の腕の部分をめくると、こっちに見せてきた。ぶつぶつとした鳥肌がみごとに立っている。
「これならコンテスト受賞できるよな?」
「うんうん、これに賞を付けないコンテストは選考する人の目が節穴だよ! それくらい、いい出来!」
「だ、だよな!」
朋乃に小説の出来を褒められて、天にも昇るような気持ち良さをオレは感じていた。
「それにしてもこの『ツバキサワアヤノ』に出てくる『椿』を巡るトラブルの話って、本当にすごいリアリティがあるよね。まるで、実際に起きたことみたいに読めちゃったもん。どうやってこんなの考え付いたの?」
作品を読み終えた朋乃からされた質問の内容に、オレの高揚感は一気に冷めた。
オレが書いた『ツバキサワアヤノ』に登場する『椿』を巡るトラブルの話は、疑似的なフィクションではなく、4年前に実際に起きたことを元に書いてるからだ。
作中で出した投稿サイト上での『盗作』に関するところの話は、ほぼ実話だった。
しかも、トラブった相手のアカウント名は、タイトルに使った『ツバキサワアヤノ』だ。
それに作中作としてある『椿』も、実は原稿がある。
オレが投稿して、『ツバキサワアヤノ』から『盗作認定』され、トラブったことで、サイトからも執筆用のノートPCからも消したが『椿』の原稿データはUSBに保存して、とある場所に隠してあった。
作家になってほとぼりが冷めたら、あの原稿も商業化しようと思っているからだ。
それくらい『椿』に対しても思い入れは強い。
「も、モキュメンタリーを追求したからな。本当にあった話みたいだろ?」
「うん、本当に真治が誰かとトラブったんじゃないかなって、読んでて心配になっちゃったよ。それくらい怖かった。本当に実話じゃないよね?」
朋乃の向けた視線は、こちらの気持ちを探るような物だった。
本当にあったことだとは口が裂けても言えない。朋乃が心配するだろうし、それにあれはとっても後味が悪いトラブルだったからな。
盗作発言を巡るメッセージの応酬の中で、誹謗中傷があったとして、相続で世話になった弁護士を使って『カクヨム』に発信者情報開示請求。
開示が通り、手に入れたIPアドレスとタイムタイムスタンプから、今度は『ツバキサワアヤノ』のアカウントが使っていたプロバイダーに発信者情報開示をかけた。
今でこそ、誹謗中傷の情報開示は簡易なものになったが、当時は手間も暇もかかった。
けど、『ツバキサワアヤノ』からの誹謗中傷は度を越していたため、オレも手を抜くことなく、プロバイダ―から得たアカウント運用者に対する損害賠償請求を行い、どこの誰かという個人情報を手に入れた。
『ツバキサワアヤノ』のアカウントを運用してた者の本名は『椿沢綾乃』だった。年齢は21歳、仙台市内で会社員をしていたことまではで把握していた。
そして、俺は民事で誹謗中傷による損害賠償請求訴訟を起こすと書いた内容証明郵便を『椿沢綾乃』の住所に送りつけた。
訴訟をチラつかせれば、オレに対する誹謗中傷を止めるかと思ってたんだが――。
あいつは止めようとしなかった。内容証明郵便が手元に来てるはずなのにだ。
『椿』は私の物語であって、貴方の『椿』は盗作だから連載を中止しろと、臆することなく感想ノートに書き続けてきた。
いい加減、オレもしつこい『椿沢綾乃』にブチ切れ、示談はせずに裁判を起こす準備をしていたが――その準備中、ネットニュースに訴訟相手の『椿沢綾乃』が焼死体として発見されたという記事が出ていた。
同姓同名の別人だろうと思ったが、記事には亡くなった『椿沢綾乃』は、21歳の女性で仙台市在住と書かれていたのだ。
記事には自殺の可能性もあると書かれていたことを覚えている。
その日以来、『ツバキサワアヤノ』からのメッセージはピタリと来なくなった。
急に怖くなったオレは、サイトに載せていた『椿』の原稿を消し、サイトのアカウントを消し、後見人の弁護士にもこのトラブルの件に関して口外しないようお金を渡してなんもなかったことにしてあった。
それからずっと『椿沢綾乃』とのトラブルは、誰にも言わず、オレの中だけにしまっておいたのだが……。
朋乃と出会い、彼女を養うためにどうしても小説家として身を立てる必要に駆られたオレは、モニュメンタリー仕立てとして『ツバキサワアヤノ』との実話トラブルの話を小説の題材に使ってしまった。
「真治? 真治、聞いてる?」
「んあ? ご、ごめん、考え事をしてた。あまりにいい出来だから、受賞のスピーチを考えてんだ」
「なんか変だよ? やっぱこの小説に出てきたトラブル話って本当にあったこと?」
「そんなわけないさ。ないない。あ、あってたまるか」
「ふーん、真治がそう言うなら、そうなんだろうね。あ、もう夕食の時間だ。すぐに温めるね!」
朋乃はエプロンを着けると、キッチンに行き、夕食用にと作り置きしておいた料理を温め始めた。
きっと大丈夫。『ツバキサワアヤノ』はもういないし、オレの作ったホラー小説『ツバキサワアヤノ』は最高傑作だ。
朋乃との明るい未来だけ見ればいい。
夕食の時間は楽しく過ぎ、二人とも気になっていた新作ホラー映画がサブスクにきていたので、一緒に視聴して、来週クリスマスパーティーしようという話をしていたら、急に睡魔に襲われた。
「真治、真治、起きて真治」
顔をピシャピシャと平手で叩かれた。声は朋乃のものだ。
目を開いたものの、目隠しをされているのか、何も見えない。
「んーーーっ!」
なんだこれ! 口に何か嚙まされてて、声が出せない! どうなってるんだよっ!
「ごめん、喋れないようにしてあるの。目隠しもね。あと、手足も勝手に動かせないように拘束させてもらったわ」
クソ、手足動かせねえぇ! なんだよ! これ!
「暴れないの。こっちも今、準備してるところだから、大人しくしてて」
ボイスチェンジャー? 朋乃の声が合成音声のように変わっていく。
なんだよ! これ、本当にどうなってるんだよっ!
拘束を解こうと全力で手足を動かした時、身体中に耐えきれないほどの痺れるような痛みが走った。
「んーーーーー!」
「暴れないでって言ったよね? 守れない時は、また痛いことするよ」
耐えきれないほどの痛みで涙がポロポロと零れ落ち、オレは頷くことしかできなかった。
「えらい、えらい。真治は聞き分けがいいね。さてっと」
ベッドに拘束されたオレの胸の上に、ドスンと重い物が落ちてくる。たぶん、朋乃の身体だと思うが、見えないので自信はない。
いったい何でこんなことをするんだ……。朋乃……。
「今の真治は、どうしてこんなことをオレにするんだ朋乃って思ってるでしょ?」
喋れないので、コクコク頷き返す。
「ドアポストにあった椿の花を私に対して隠したのが一つ」
見えてたのか!? 心配させないよう、見えないうちにバッグに隠したつもりだったが――。
でも、なんでそれだけでこんなことを?
「それだけじゃないよ。私が『ツバキサワアヤノ』に出てくるトラブルの話は、実話じゃないのかって質問に対して、真治が誤魔化したことが二つ目」
まさか……朋乃、お前、トラブルのこと知ってたのか?
そ、そんなわけがない。あれは、弁護士に口止めしたし、トラブった『椿沢綾乃』は死んだはずだし、オレ以外に知ってるやつはいないはずだ!
「私が真治と『ツバキサワアヤノ』との間に起きた盗作認定のトラブルを知らないとでも思った?」
オレは「そうだ」と言わんばかりに首を大きく上下させ頷く。
朋乃が、あのトラブルに関して知っているはずがないんだ! オレと弁護士と『椿沢綾乃』しか知らないはずなんだ!
「お馬鹿さんで世間知らずな真治に教えてあげるわ。インターネットってのは
う、嘘だろ……『椿沢綾乃』はまったく無関係の別人だと!? ってことはつまり――
「頭のめぐりが悪い真治でも、そろそろ私の正体が分かったかな? 猿轡を外してあげるから答えてみて」
カチャカチャと音がすると、口に押し込まれていた猿轡が外された。
「朋乃、お前が本当の『ツバキサワアヤノ』なのかよっ!」
「せーかい! さすがに頭の巡りの悪い真治でも、ヒントが多かったから分かっちゃったね。どう、今どんな気分?」
普段と違う機械音声を介した朋乃の問いかけに怒りの感情が湧き上がってくる。
「お前をぶち殺したい気分だ! トラブった相手であるお前に、のぼせ上ってたオレを見て、せせら笑てったんだろ!」
「そんなわけないよ。交際は真剣にしてたつもり。演技じゃバレるから、暗示をかけるつもりで真剣に愛していたよ。それに真治がWEBに投稿した『椿』の中で、大切に隠さなきゃいけない『椿沢の秘密』に触れてなかったら、普通にお付き合いできたかもしれないかな。でも、白川朋乃なんて女の子は存在しないけどね。同姓同名の子はいるかもしれないけど、少なくともあんたが知ってる白川朋乃は存在しない」
目隠しされているうえ、声も変えられているので、朋乃の言葉がどれくらい真面目なものなのかを測りかねた。
でも、一つだけ悟ったのは、もうさっきまでのオレと朋乃の関係には戻れないということだ。
相手は執拗にオレの作品を盗作認定してくる狂人で、メッセージのやり取りの中でも話が通じないと分かってるやつだからだ。
どうしようか考えていたら、喉元に冷たい物が当てられた。
「これナイフね。刃渡り15センチある。真治のコレクションしてたやつ。動くとスパッといくよ。わたし、包丁と同じくらいナイフも上手く扱えるから」
手足を拘束され、胸の上に座り込まれて、ナイフを喉元に押し当てられた状況じゃ、抵抗するだけ無駄ということか……。
クソッタレがよっ! 絶体絶命の危機なのに、妙に現実感がねぇ。目隠しで見えないせいか?
でも、このままだと確実に頭のヤベー『ツバキサワアヤノ』に殺されちまう! どうする? と、とりあえず時間を稼がないと!
精一杯の虚勢を張って、俺の胸の上に座っているであろう、『ツバキサワアヤノ』に声をかけた。
「ど、どうするつもりだよ。お前の作品を盗作したと思ってるオレを殺すのか?」
「そうだね。こっちが聞きたいことを聞き出したら、そうするかも。聞き出すまでは生かしておくよ。とりあえず」
「ひぐあぁっ! いってぇええ!」
右手首に鋭い痛みが走り、ドクドクと自分の血液が身体から流れ出す感覚がある。
「今の出血量なら、あと2時間くらいは生きてられると思う。それまでは、私の質問に答えてね。答えないと、2時間もないままあの世行き」
「ち、ちくしょう。クソッタレがよぉ。いてぇえ。いてぇえよ」
「はいはい、喚く前にこっちの質問に答えてね。あんたがコッソリと隠した『椿』の原稿データーはどこ?」
「はぁ? なんの話だよっ!」
今度は左手首にさっきと同じような鋭い痛みが走った。
耐えられない痛みとともに、身体からドンドンと血液が抜けていく感覚が強まる。
「ひぐぅうううっ! なんだよ! なんの話してるんだってんだ!」
「もう一回言うね。あんたがコッソリ隠した『椿』の原稿データはどこ? ちゃんと、あの
久我沼さんがバラしたのか? 親父も久我沼さんは口が堅いって言って信頼していたのに……。
「ああ、ごめん。聞いたというのは嘘。久我沼弁護士はちゃんと守秘義務を果たしたわよ。ただ、
こいつ、そんなことのためだけに人を殺してるのかよっ! 本当に頭ネジがぶっ飛んでるやつじゃねえか!?
「嘘だと思う? 最近、久我沼弁護士から連絡が来た? よーく、思い出して」
そう言えば最近、遺産管理を任せてる久我沼さんからの連絡がなかったな……。
毎月、月初にちゃんと報告のメールと電話が来てたけど、今月は報告がなかった。忙しい人だし、年末で業務が立て込んでるんだろうと勝手に思い込んでたが――
まさか……『ツバキサワアヤノ』に殺されてたとか、嘘だって言って欲しい。
「今のところ、
「ひとごろ――」
「まぁ、酷い。私は人なんて殺してないわよ。ちゃんと
新たに別の場所に鋭い痛みが走った。
「ひぎぃいうううんっ! やべろぉ……。やべてぐでぇ」
「答えが違うでしょ。貴方が書いた『椿』の原稿データの場所。場所よ。それを答えなさい。ほら、早くしないとあの世に行っちゃうくらいの量がビュービュー出てる」
痛みと大量出血で歯を食いしばってないと意識が飛びそうになる。
「な、なんでアレにこだわるんだよ! ド素人の書いたチープなホラー小説だろ」
「なんでこだわるか? あれはあたしの私の大事な大事な秘密に触れた作品だからよ。あんたがあの『椿』を書くため、根掘り葉掘り
「は!? お、
「ん? 今の話、もう一回言ってもらっていいかしら?」
「な、何回でも言ってやるよ。
胸の上に座っているはずの『ツバキサワアヤノ』がわずかに動揺したように、震えたのを感じた。
動揺してる? なんでだ? まさか……!?
「お、お前、もしかして――本物の『ツバキサワアヤノ』じゃ――」
「うぁああああああああああああぁぁぁぁぁっ! 嘘を吐くなぁ! 桧山真治ぃいいいいっ! アレはあたしの話だぁああ!」
冷たい物が胸の辺りに触れた瞬間、オレの意識はそこで途切れた。
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