ツバキサワアヤノ
シンギョウ ガク
#01 発端
今から書き残す話は、俺が商業ホラー作家としてデビューする前ワナビ時代から続き、デビュー直後までの間に起きた話だ。
今でこそ、出せば重版、執筆依頼はひっきりなしの売れっ子作家ではあるが、当時の俺はただの小説家志望者。
しかも、小説らしきものは、書いてはいたものの、その評価を世に問うことで、自分に
そんな俺も、創作仲間だった連中がWEB投稿サイトから続々と商業作家になっていくのを目のあたりにして、心変わりしたんだ。
馬鹿にしてた連中が、『俺らは商業作家様だ! ひれ伏せ凡人!』って顔をしてこっちに話しかけてくるのが、鼻もちならなかったのも心変わりの大きな要因だ。
それで心変わりした俺が、書き溜めてあった作品を投稿したのが――たしか2019年の8月も中ごろを過ぎた頃だと思う。
さすがに俺もいきなりトップのWEB小説投稿サイトに作品を投げる勇気は持てず、小説投稿サイト『カクヨム』を選んだ。
競合する書き手が少なければ、初投稿の俺の作品にも読者は付いてくれるだろうという下心があったことは認める。
あの当時の俺は、誰でもいいから小説を書く才能を認めて欲しかったんだ。
それこそ、世界中の小説家志望者の中で一番気持ちが強かったと断言してもいい。
同時に誰にも見向きもされないのではないかという恐怖もあったし、『お前、小説書く才能ないよ』って読者に言われたらと考えると夜も眠れないほど悩んでた。
そんな俺のガタンガタンと揺れる気持ちが現れてるのが、商業デビューして4年が経ち、今でこそ馴染んだPNである『書き人知らず』だ。
本当は別のちゃんとしたPNにしたかった。
けど、投稿作品が読者から認められなかった時、『カクヨム』から作品を消すつもりだったので、『書き人知らず』は使い捨ての仮のPNのつもりだった。
デビュー作となった投稿作品の商業化が決まった時、PNを変えるチャンスはあったが、本業の忙しさと出版の原稿執筆の忙しさで直すことを忘れ、以来ずっとこの半端な気持ちで考えた使い捨て用のPNを使っている。
まぁ、俺の当時の気持ちやPNのことは、書きたい話の本筋から離れるのでどうでもいい話だった。いちおう、当時の俺はそんな感じだったと理解してもらえると助かる。
さて、話を本筋に戻させてもらう。
なんの話をしたかったかって言うと、俺がその『カクヨム』に処女作であるホラー作品を投稿した時に発生し、デビュー直後まで続いた怖さを感じたトラブルの話だ。
この話は今まで、誰にも話したことはない。担当編集者にも、知り合いの作家たちにも、家族にも誰一人、喋ったことがない。
投稿サイトのカクヨムの運営管理者は、俺に起きたトラブルを知ってたかもしれないが、聞いてないので知ってるかは分からない。
なんで、誰にも喋らなかったかって?
トラブルの内容が、作家としてセンシティブラインを踏み抜く可能性があるトラブルなこともあり、大っぴらに公開をせず自分の中に抱え込んできた。
でも、今の地位を得た俺なら、デビュー前のワナビ時代にあったこのトラブルについて書いても、作家生命にマイナスはないと思い、ずっとつっかえていたものを飲み下すつもりで書いている。
肝心のトラブル内容はなんだ?って話にはなるんだが、いわゆる『盗作』ってやつだ。
俺が書いた処女作のホラー小説で、このトラブルのせいで怖くて唯一単行本化してない『
今サイトに行って調べてみたが、『椿』の最初の1話を投稿したのは2019年8月21日21時ちょうど。
『盗作』だという感想が書き込まれたのが同日の21時03分。
投稿して3分で『盗作』だという感想に晒されたWEB投稿初心者の俺は、はっきりいって動揺しまくっていた。
腕試しにと投稿して、初めて自分の作品についた感想が『盗作』を指摘するものだったからだ。
それまで生きてきたなかで、あれほど動揺したことはなかったし、作家デビューしてからもない。
おかげで今も商業原稿の息抜きに書いた作品を投稿して、読者の感想がつくと、このことがトラウマのように蘇り、心臓の鼓動が高鳴る。
また話がズレたな。話を戻すと、読者から『盗作』の指摘をされパニクッた俺は、あろうことかその読者に対してメッセージを送り、どこが『盗作』なのかを尋ねたのだ。
今思えば、本当に愚かなことをしたと思っている。
折しもその先月には、小説家志望者だった男が、アニメ制作会社に対し、自分の作品を盗んだと言いがかりをつけ、放火した事件が起きたばかりだったからだ。
この事件のことを当時の俺は知っていたはずなのに、動揺して頭から抜け落ち、『盗作』だと言ってきた相手に対してインターネット越しではあるがコンタクトを取ってしまった。
今だったら絶対に自分からはコンタクトを取らず、書かれた感想をコピペして運営に判断を仰ぐんだが……。
当時の俺はそんなことに気が回るほど落ち着いてはいられなかった。
俺の投稿した処女作『椿』に『盗作』だと感想を付けたのは『ツバキサワアヤノ』というアカウントだ。今もそのアカウントとのやりとりは残っている。
いつこの『ツバキサワアヤノ』のアカウントが、また俺の作品を『盗作』だと言ってくるのではないかと思い、怖くて消せないでいる。
今回、この話を書くにあたり、何年かぶりに彼女とのやりとりを見返しているが、本当に当時の俺はどうかしていたと今さらながら思う。
それで、『盗作』だと指摘された『椿』が、どんな内容の話だったかを話しておかないと、俺と『ツバキサワアヤノ』のアカウントとの間に起きたトラブルに関していろいろと理解することが困難だろうから軽く触れておくことにする。
俺が書いた処女作の『椿』は、椿の花にまつわる因習村を題材にしたホラー小説だ。
もう少し詳しく内容を書くと、とある場所に住む見目麗しい双子の姉妹がいた。
姉は妹を世界で一番大事な者として慈しみ、妹もそんな姉を尊敬してお互いを必要不可欠な存在として感じていたところから物語は始まる。
けれど、そんな仲良しの双子姉妹の置かれている環境は過酷だった。
彼女たちが住む集落は椿の木が集落全体に植えられており、一面に血のように真っ赤な椿の花が咲き乱れるところであり、『椿沢』と呼ばれているところだ。
その椿沢に住む一族は、戦国時代の昔から、土地で咲き誇る椿から油を取り、売り捌いて巨万の富を蓄えることに成功する。
一族は蓄えた財物を外敵の目から隠すため、外部のよそ者を集落内に入れず、血族内での近親婚を続ける閉鎖的な集落に双子姉妹は住んでいた。
姉妹の祖父が一族を束ねる長であり、集落内での絶対的権力者であり、血族にさらなる繁栄をもたらす血の濃さを追い求め、実の娘であった母親を孕ませ、双子姉妹を生ませた実父でもあった。
父親の子を生んだ双子の母は精神に変調をきたし、母の配偶者である父親も酒浸りで廃人同然の中、集落の人は祖父の目を気にして見て見ぬふりをして、双子姉妹は15歳を迎えた。
15歳の祝いを迎えた日、祖父は孫であり娘である姉妹を呼び出し、一族のさらなる繁栄のため、どちらかが自分に身を差し出せと迫った。
お互いに顔を見合わせた姉妹だったが、大事な妹には手を出さないという約束で、姉は絶対的権力者の祖父からの提案を受け入れた。
両親は祖父に逆らうこともなく事態を淡々と受け入れ、一族の者たちも長たちが長年に渡る椿沢の繁栄を支え続けてきた慣習であるため、口を出すことなく見て見ぬふりを続けた。
祖父から子を身籠る道具にされて壊れていく姉を見ていた妹は、大切な姉がこれ以上壊れないよう、自らの手で祖父であり実父を殺すことを決意する。
妹が祖父の殺害を決行したのは、窓の外に見えた真っ赤な椿が咲き誇る春の夜だった。
その日は季節外れの雪が降り積もっており、姉との行為を終え、自室に戻って眠っていた祖父の身体に椿油をかけ焼き殺す寸前――
寝ていた祖父が異変に気付き、起き出して大暴れする。
別室で寝ていた姉も声で異変に気付き、妹に暴力を振るう祖父を止めようと入ってきた瞬間、部屋に充満した匂いで何が行われようとしたのかを察した。
すべてを悟った姉は、最愛の妹を守るため、祖父が煙草の火をつけるために使っていたライターを手に取り、火をつけた。
火は瞬く間に椿油を含んでいた祖父の寝間着を包み込み、抑えこんでいた姉にも火が回る。
思った以上に火の回りが早く、妹は何もできずただ茫然と立ち尽くしていた。
炎に包まれた姉から急いで逃げるように言われた妹は、火勢と自らの引き起こした事態に怯え、姉と祖父を置いて屋敷から逃げ出し、貯蔵されていた大量の椿油に引火したことで、集落にまで火の回った椿沢からたった一人脱出した。
その後、椿沢から脱出した妹は、警察に保護され、養護施設に入り、数年が経つ。
自らの行為が姉の死や集落を焼き尽くしたという事件のトラウマに苦しみながらも、社会人となってアパートで一人暮らしを始めた。
そんな妹の部屋のドアポストに、椿の花が毎晩のように差し込まれるという事態が起きる。
その差し込まれた椿の花を見るたび、妹は自分を守るため、真っ赤な椿の咲いたあの日の夜のことを思い出し、罪の意識に苛まれ徐々に精神を蝕まれて追い込まれていく。
毎夜、ドアポストに差し込まれる椿の花によって、精神を蝕まれ続けた妹は、死んだはずの姉や祖父、椿沢の住民たちの幻聴や幻覚も見えるようになってしまい、ついには自らも灯油を被り火をつけて命を絶ってしまう救われない話だ。
今思えば、処女作であることを差し引いても設定もチープだし、ネタも弱いし、怖さも半端すぎる作品で、この『椿』に関しては単行本化しなくてよかったとも思っている。
で、この作品に対して、『ツバキサワアヤノ』のアカウントは、これは私が構想して書いている作品内容に酷似しており、『盗作』だと感想を付けたのだ。
当時の俺はサイト内の検索機能を使い、『ツバキサワアヤノ』の作品を調べたが、そのアカウントが投稿した作品は一つたりともなかった。
もしかして他のサイトかと思った俺は、主要なWEB投稿サイトで『ツバキサワアヤノ』というアカウント名を検索をかけて調べたが、どこにも投稿された様子はなかった。
もちろん、商業作品になってないかも調べた。相手が商業作家だった場合、『盗作』判定されたら俺の作家人生はほぼ絶望的だったからそれこそ根こそぎ調べた。
けど、『ツバキサワアヤノ』というPNで発表された作品は皆無。
どれだけ調べても『ツバキサワアヤノ』というやつが、作品をネットにも商業にも公開した気配はない。
公募に出してるのかとも思ったが、それは公開されてないので調べようがない。
『盗作』だという確証を得らず困った俺は、前述したとおり『ツバキサワアヤノ』のアカウントに『どこが盗作なのか?』と返信のメッセージを送りつけ、コンタクトをとってしまった。
返信を送ったのは、作品を公開してから3日後、2019年8月24日22時30分。
相手から返答が戻って来たのが同日22時33分。
返信の内容は『全部、全て、何から何まで私が構想して書いている作品内容から盗作してある』と書いてある。
当時の俺も、今の俺も『そんなわけあるか、この作品は俺がゼロから構想して書いた作品だ』ってのが、この『ツバキサワアヤノ』の返信に対する感想だ。
同日、22時40分にさっき書いた感想と同じメッセージを返している。
『盗作』という指摘から3日経ち、調べても同様の内容を示す作品が見つからなかったこともあり、俺も落ち着きを取り戻してきていたと記憶している。
同日22時43分、『ツバキサワアヤノ』からの返信。
『
この返信を見て俺はゾッとした。
言ってることが支離滅裂で、ヤバいやつなのではという気配が文章から漂っているのを感じたからだ。
今、久しぶりに読み返したが、あの時のゾッとした感覚を同じように思い出している。
相手にしてはいけない人にコンタクトを取ってしまったと、当時の俺もここではっきり悟ったんだ。
とはいえ、コンタクトをとってしまった以上、『盗作』を主張する相手を説き伏せないと自分の処女作品がめちゃくちゃにされてしまうと思っていたので、メッセージのやり取りを続けてしまった。
思えばこれが俺の失敗だった気がする。
同日23時ちょうど『貴方の頭の中身にあることを、俺が知ることはできないし、貴方がどこの誰かも分からないのに、その作品を盗作できるわけないでしょう!』と返信。
同日23時03分、『絶対に貴方は私の作品の内容を盗み見ている。どこで見たのかは断定できないが、絶対に私の作品を見てない限り、その内容は書けないはずだから』と返ってきた。
ここから、翌日の深夜3時すぎまで、『ツバキサワアヤノ』と数十回に及ぶメッセージのやり取りが続くが、『見た』『見てない』の堂々巡りが繰り返されただけだった。
ここに至り、俺も相手を説き伏せるのは無理だと悟って、投稿サイトにある機能の一つ、感想ノートの削除機能を使い、『ツバキサワアヤノ』の感想を削除し、メッセージの受信もしないようにした。
これで処女作『椿』の『盗作』問題は片がついたと思ったのだが――。
事態は、さらにややこしい方向へ向かった。
問題が発生したのは、『ツバキサワアヤノ』の感想によって、止めていた『椿』の投稿を再開した2019年8月25日21時だ。
最新話を更新した3分後、感想ノートに感想が付いた。
感想を投稿したアカウントは、あいつだった。そう、『ツバキサワアヤノ』だ。
もちろん内容は同じだったので、即座に削除した。
そして、受け取らない設定にしてあったはずのメッセージもなぜか俺のもとに届いていた。
同日21時06分『貴方の椿という作品は、私が構想して執筆している作品の著作権を侵害してる。即刻投稿した物を削除するように! 削除の応じないのであればこちらもできうる手段は全てとらさせてもらいます』
はっきり言って『ツバキサワアヤノ』の言ってることはおかしい。
どこにも発表されず公開もされてない作品に対して、どうやって著作権侵害を証明できるのか教えて欲しい。
同様の内容のメッセージを21時20分に送り返している。
何年か経った今でも、残しておいたこの『ツバキサワアヤノ』とのメッセージのやり取りを読むと、頭がガンガンして痛くなってくる。
話の通じなさが、俺が生きていて出会った人の中で飛び抜けていたからだ。
この日はこのメッセージだけを返して、再びメッセージを受信しない設定をしたことを確認して寝た。
ややこしさが増したのは翌日の2019年8月26日20時20分。
仕事から帰り、最新話を投稿しようと思い、カクヨムのサイトにアクセスした際、運営からメッセージが来ていた。
メッセージの表題に「『ツバキサワアヤノ』様より、貴アカウントの投稿作品『椿』に関して著作権侵害行為についての申し立てがされております」と記されていた。
一瞬、あいつやりやがったと思って血の気が引いたわけだが――。
俺としてはそんな事実はどこにもないことを知っていたので、運営からのメッセージに対して、こう冷静に返信してある。
自分の投稿した『椿』という作品は、自分で構想して書き下ろしたオリジナル作品であり、『ツバキサワアヤノ』というアカウントが著作権侵害だという根拠となる作品を見つけられないため虚偽の申請である可能性が高いと思われますと返した。
もちろん、運営が精査した結果、『ツバキサワアヤノ』の申し立ては翌々日の8月28日には却下され、『椿』は盗作認定されず、今もこうしてのカクヨムのサイトに掲載されている。
運営のお墨付きを得たことで、俺も投稿活動に前向きになり、10万字分あった椿のラストシーンまで書いた書き溜めを全部投稿し終えたのは、2019年9月20日だった。
その間も、『ツバキサワアヤノ』からの感想ノートへの書き込みは続いたが、すぐに削除して、なぜだか受信拒否設定をすり抜けてくるメッセージも読んではいたが返答せずに無視を続けていた。
俺が受信した『ツバキサワアヤノ』からの最後のメッセージは2019年9月20日22時03分。
内容は『すべてを暴露した、お前を絶対に許さない!』という一文だった。
その頃の俺には、メッセージに対する恐怖感はあるものの、そのメッセージを読んでも『ほざいてろ』という気持ちしかなくなっていた。
なぜそんな気持ちになれたかと言えば、初投稿作品で処女作でもある『椿』には、盗作だと言いの募る『ツバキサワアヤノ』の以外に、少ないながらも作品を読んで応援してくれる読者が付いてくれたからだ。
そんな読者たちに後押しされ、商業デビュー作となった『鏡の向こうに光るモノ』の構想を練ろうしていた時期に、俺の周りで異変が起き始めた。
異変が始まったのは、たしか2019年11月の上旬の頃だったと記憶してる。
あの年は本業の仕事もかなり忙しくて、いつも部屋に帰りつくのは22時ごろという社畜生活の中で次回作の構想を練ってた。
今でこそ専業作家になって時間の自由が利くようになったが、当時の俺は本業の仕事のきつさでノイローゼかうつにでもなりそうな過酷な職場環境だったわけだ。
まぁ、でも少ないながらも読んでくれる読者のためにと、過酷な職場環境に耐えて次回作の構想練りを頑張っていたんだ。
で、そんな俺にどんな異変が起きてたかって言うと――嫌がらせだ。それも物理的なやつ。
物理的なやつが何かって? 思い出したくはないが、この話を書くと決めたからには、語らないわけにはいかない。
物理的な嫌がらせは、俺の部屋のドアポストに『椿』をオマージュしたように、椿の花が差し込まれてたんだよ。
真っ赤なやつ。そう、それこそ血の色のような真っ赤な色をした椿の花が、帰ってきた俺に見えるようドアポストに差し込まれてた。
毎日、毎日、仕事から帰るとドアポストに真っ赤な椿の花が差し込まれてた。毎日、毎日だ。
休みの日で部屋に居た日だって関係なしに、いつの間にか差し込まれてて、俺は恐怖心を日々募らせていた。
この嫌がらせをやってるのが、あの『ツバキサワアヤノ』だというのはすぐにピンときた。
そこで俺は物理的嫌がらせを受けていることを大家に言って、自費で部屋に続く共用通路が見渡せる場所に24時間録画できる監視カメラを付けさせてもらったんだ。
けっこう値段が張ったが、例の盗作逆恨み事件のことが頭をよぎったし、サイト上で『ツバキサワアヤノ』と交わしたメッセージから、あいつがヤバいやつという認識もあり、自衛のために奮発した。
監視カメラを設置した翌日の夜、ええっと日付は2019年11月18日になってるな。
その日もドアポストに、いつものごとく真っ赤な椿の花が差し込まれていた。
俺は確実に『ツバキサワアヤノ』が事におよんだ瞬間をカメラが捉えたと思って、急いで監視カメラから映像を録画してるSDカードを引っ張り出し、部屋に入るとノートPCで再生を始めたんだ。
その時の俺は、物理的な嫌がらせによる恐怖より、『ツバキサワアヤノ』がどんなやつなのかを知れる好奇心が勝っていたと思う。
で、問題の映像だがどれだけ再生してみても、映ってなかったんだ……。『ツバキサワアヤノ』がドアポストに椿の花を差し込むシーンが。
今も確認のため、録画をコピーしておいた映像を見ているのだが、
録画データーを最初から最後まで見直したが、俺が朝出勤して夜に帰ってくるまで誰一人として部屋の前に来た人はいなかった。
当時の俺もこの映像を見た時は足が震えてたし、改めて今回また見直したが、本当に誰も映ってないのでさっきから鳥肌が立っている。
当時の俺が書き残した手帳には、翌日の19日、翌々日20日から月末まで、ずっと椿の花がドアポストに差されていたと、書き記してある。
けど、映像には誰も映っていない。今もその映像を確認しているが、映っていないんだ。誰一人として俺の部屋のドアポスト前に立った人物はいない。
けど、毎夜、毎夜、いくら片付けても、俺の処女作をオマージュしたように新しい椿の花がドアポストに差し込まれているのだ。
そんな理解不能な不可解な事象が続き、恐怖で寝れない日々が続き、仕事の激務が重なったせいで、俺は2019年12月1日に、職場で過労のため倒れた。
会社で倒れたため、そのまま担ぎ込まれた病院で、病名も付いた。
心因性ノイローゼだ。いわゆる神経症というやつである。
病状が落ち着いたところで、俺の部屋に毎晩届く椿の花の件を担当医に話した時は、幻聴や幻覚が現れる精神病を患っているのではと疑われ、詳しい検査もされた。
検査の結果、担当医の出した結論は、前述したとおり過重労働における心因性ノイローゼだった。
今もあの時期の前後の記憶に関しては、数年経った今でも手放せない抗うつ薬の影響もあって自信が持てない。
当時の手帳を読み返してみても字は乱れてるし、書いてあることはけっこう支離滅裂だ。
本当に毎夜、毎夜、部屋のドアポストに椿の花が差し込まれていたという記憶も仕事のストレスでおかしくなってた俺の生み出した妄想だったのではという思いもあった。
入院は検査期間を含め、2週間ほどだったが、担当医からは診断書を出すから休職するよう勧められ、会社に申請して3ヵ月ほどの休職期間が受理された。
2019年12月15日の夕方、俺は無事退院して、自宅のアパートに帰ってきた。
その日は、部屋のドアポストに例の真っ赤な椿の花は差し込まれておらず、それ以後も差し込まれることは起きなかった。
たぶん、医者の言う通り仕事の激務でメンタルがやられてた俺が、潜在的に感じていた『ツバキサワアヤノ』に対する恐怖心を増大させ、記憶認識がおかしくなって、ドアポストに椿の花が差し込まれていたように思っていたとしか言いようがない。
病気によって、本業が休職期間に入った俺は、体調に気を付けつつ有り余る時間を商業デビュー作となる『鏡の向こうに光るモノ』の構想と執筆時間に充てた。
これで俺と『ツバキサワアヤノ』とのことは終わったと思っていたが、その後デビューするまでの間に、まだ少しだけ関わりを持ったことがあった。
どこで『ツバキサワアヤノ』と関わったかを話す前に、そこに至るまでの俺の状況を記させてくれ。
処女作の『椿』を書いた時以上に、時間を使えた二作目の『鏡の向こうに光るモノ』を投稿したのは、年が明けて休職期間が切れる寸前の2020年3月2日。
世の中は新型肺炎が流行して、いろんなイベントが延期されるか、無観客で開催され、この世の終わりではと騒然としていた時期だ。
そんな中、カクヨムに投稿した『鏡の向こうに光るモノ』は多くの読者に興味を持ってもらえ、瞬く間に人気となり、サイトのランキングを駆け上がった。
そして、1ヵ月がすぎ運命の2020年4月2日を迎える。
何が運命かって? 俺が初めて商業化の打診を受けた日だよ。
ちょうど、この日に二作目のホラー小説である『鏡の向こうに光るモノ』のラストシーンを投稿し終わって完結させたところで、カクヨム運営を介しての商業化の打診メッセージが送られてきたんだ。
商業作家になった今も、この日は毎年祝うようにしている。
自分の小説の才能が認められ、新たな道へ進んだ日だからだ。
俺を凡人ワナビと見下していた創作仲間たちの顔を思い出し、彼らに肩を並べる位置へ行けることへ期待感が膨らんでいたと思う。
デビュー作となった『鏡の向こうに光るモノ』の単行本化を手伝ってくれた担当編集氏の言葉を借りれば、当時の俺はやたらと目が座ってて怖い人だと思われてたそうだ。
怖い人だったかは、個人の判断に任せるが、目がギラついていたことは認める。
あの時期の俺は、一生に一度訪れるかどうかの大チャンスを得て、この世界で絶対に売れてやるという野心しかなかったからな。
話が逸れたので、戻すことにするが――刊行に向けての作業は新型肺炎の影響もあり、スムーズには進まなかったが、本業の方はリモート出社が認められ、時間はわりと豊富に取れた。
おかげで2020年10月20日、無事に俺のデビュー作である『鏡の向こうに光るモノ』が刊行され、商業作家としてデビューすることができたんだが――
『ツバキサワアヤノ』との最後の関わりは、書店で開催されたホラー作家たちを一堂に介したサイン会に、新人作家として参加した時に起きた。
当時、俺はデビューしたとはいえWEB投稿サイト上で人気があるだけの無名の駆け出し作家。
サインを求める人なんてのは、皆無。
他の先輩作家たちはすでにファンを掴んだビックネームばかりという状況で、俺は屈辱的な状況に置かれていたんだ。
屈辱の時間を味わうことになったため、このサイン会に参加させた担当編集の首をへし折ろうと何度も考えてたら、俺のテーブルの前に一人の女性が現れた。
背は160センチくらいで、ぽっちゃりでもなくほどほどに肉のついた身体付きで、質素な色のワンピースを着ていた。
顔の印象についてはマスクを着けていたため、目元の印象しかないが、美人の範疇に分類されるであろう20代後半の黒髪の女性だったと覚えている。
そんな女性が俺の著作を差し出して、サインを求めてきた。
初めてファンの登場に舞い上がった俺は、急いで本の見返しの部分に必死に練習したサインを書き込む。
そして、自分のサインを書き終えた俺は、その女性に対して宛名をどうするか尋ねた。
その時、女性が答えた宛名は『ツバキサワアヤノ』だった。
思わず俺はその女性に対し、『宛名はカタナカですか?』と震える声で尋ねていた。
女性は俺の問いに全く表情を変えず、ただ黙って頷いてみせた。
その瞬間、ずっと俺の処女作の『椿』に対して、自分の作品からの『盗作』したものだと執着していた『ツバキサワアヤノ』が、目の前にいる女だと確信していた。
商業デビューした俺を妬み、逆恨みして殺しに来たのではないかと考え、サインペンを持つ手がカタカタと震えていたんだ。
恐怖で自分のテーブルの前に立つ女性の顔を見返すこともできず、涼しくなった10月にも関わらず背中は汗でびっしょりと濡れ、何時間も過ぎたような気がした。
だが、担当編集者から肩を揺すられてサイン会が終わったことを告げられた時は、『ツバキサワアヤノ』と邂逅して5分も過ぎてなかった。
サイン会終了後、俺の手元には、『ツバキサワアヤノ』が差し出したデビュー作であるサイン入りの『鏡の向こうに光るモノ』だけが残っており、宛名の文字がブレブレに揺れて書き損じていた。
結局、その書籍は『ツバキサワアヤノ』に渡ることなく、今も俺の書斎に置かれたままになっているわけだが――。
でも、それが俺と『ツバキサワアヤノ』との最後の関わりだった。
彼女はいったい何をしにあの場に現れたのか、数年経った今でも理解ができないでいる。
今でもサイン会があると、あの『ツバキサワアヤノ』が姿を現すんではないかと気が気ではないのだが、書店営業や担当編集者から押し切られやらないわけにはいかず、いつもドキドキしてしまう。
だからこそ、俺と『ツバキサワアヤノ』のトラブルを過去の物にするため、今回こうして書き記し、カクヨムのサイトで公開することで区切りとするつもりだ。
読者の中でこの『ツバキサワアヤノ』に関して、情報を持っている者がいたらメッセージに遠慮なく情報を提供して欲しいと思ってるし、『ツバキサワアヤノ』本人がこの投稿を読んでいたら、受信できるように設定してあるから、俺に直接メッセージを送れ。
いちおうこれで俺の胸のつかえは取れたと思いたい。
読者にはここまで俺のヨタ話に付き合ってもらって感謝しかないし、今後も俺の作品を愛読してくれることを願う。
投稿者:書き人知らず 投稿日2024年12月15日
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