2-2 Coop(協力)――立川


『――ここです』

 〝Integrated Information Office〟

 目の前に鎮座まします、重厚な焦げ茶色の扉。中学英語に毛が生えた程度の知識でも、ドアのプレートに刻まれた言葉は読み取れた。それでも、一瞬理解が追いつかなかったが、すぐに腑に落ちた。怪異情報と現実の情報を統合Integrateするのだろう。

 ――突然、私の胃がきゅっと縮んだ。

 見慣れぬ医務室、新しい服、言語の壁を取り払う奇跡――今までの驚きの連続は、人生でもそうそうある物ではあるまい。その衝撃インパクトを顧みれば、デービッドの笑顔が浮かんでくる。

 この男の親切さに、今更ながら申し訳なく思うと同時に、小さな小さな武者震いが私の姿勢を正した。


『――それでは、案内します』

 デービッドが扉を静かに開ける。

 真新しい壁紙、調度品の並ぶ壁に、6つの事務机。そして人、人、人――。見るからに若い男女3人が机に向かって座っている。私の向かって右には、調度品の醸し出す雰囲気重々しく、黒壇にも似た木製の事務机が鎮座していた。

 白人。

 しかし、一目で分かる。歴戦の勇士の佇まい。

『ロバート隊長。デービッド少尉、ウラベ氏をお連れしました』

『ご苦労だったデービッド。――よく来てくれた、ウラベさん』

 開口一番――、といっても念話であるが、なんと図太いで声あろうか。

 念話と実際の声が皆同じなら――、こんな声で話しかけられたら、大抵の日本人は萎縮してしまうだろうと思う程、が利いている。苦労を滲ませつつも強い意志を感じる碧眼、切り揃えられた短髪、立派な口髭を蓄えた筋骨隆々の佇まいは、まさしく『隊長』である。

 チラリと見えた肩の階級章。

 鷲が悠然と羽を広げている。

 ――大佐。

 既に軍役を退いて久しいというのに、私の身体は半ば無意識的に右腕を上げ、敬礼していた。

『そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。いや、隊長の階級は確かに高いですけど』

『貴方は民間人ですので、の所作をする必要はありませんよ』

 ロバート隊長は戯けもせず、馬鹿にもせず、非常に穏やかな微笑みで諭した。『ありがとうございます』と自然に念話で呟いた。何のお礼か分からぬ遣り取りを聞いてだろうか、奥にいた女性がクスクスと笑っている。


『こら、キャサリン! 失礼だぞ』

『はーい』

 今度は気の抜けた可愛らしい声が脳内に響く。新鮮な感覚に、デービッドの言う通り、確かになった。

『まぁ、まずは自己紹介といこうじゃないか。皆、並んでくれ』

 ロバートは席を立つと、事務所の空いているスペースに全員並ぶように、手振りを交えて指示を出した。

 ここにいる全員、私を除けば英語で会話が出来るだろうに――。ロバート隊長の人となりをそれとなく察した。旧軍時代、うちの中助ちゅうすけ――中隊長の蔑称だが、これが碌なものではなかった。もしこのような上官がいたらどれだけ良かったことか。

 ロバート隊長の横に立つと、私の小ささがきっと目立っているに違いないが、相対する四人の男女の前には、その恥ずかしさは消え去っていた。

 ――顔が、が、私を見る。

 硝子ガラス玉のような碧眼が、非常なる好奇心と不安を綯い交ぜにして、私を貫く。こんなに沢山の白人コーカソイドに見つめられる経験など微塵も無い。宜なるかな――、徐々に鼓動が激しくなるのが分かった。


『――デービッドは良いだろう。手前から紹介しよう』

 先程、クスクス笑っていた女性だ。

『キャサリン・コリンズ伍長。の担当士官だ。皆の通信を補助する。基本的にはこの基地内にいるし、様々な情報を知っている。何か分からなければデービッドか、彼女に聞き給え』

 目が丸く、可愛らしい短髪の女性。身長は私より低く、そばかすのせいもあり、かなり子どもっぽく見える。いや――、そもそもで、まじまじと相対するのは初めてである。

 街を闊歩する女米兵など『高嶺の花』のようなもので、触れられる距離にいるものでは決して無い。その瞳や息づかいが目の前にあり、しかも言語の壁は破壊されている。


『よろしくね』

『よ……、よろしくお願いします』

『うふふ、緊張してるのかしら?』

 ぎこちない念話。笑われて当然だ。

『こら、ふざけるんじゃない』

『はーい』

 まるで親子だ。旧軍における「中助」との比較が、鋭利なまでに過去を切り刻む。所属したことなど無いが、自由闊達な米軍でも、ここまで柔和な空気は珍しいのではないか。ロバート隊長の彼女への甘さも、もはや不思議を感じる程である。


『ふん――、次に行くぞ。その隣はクラウディア・ベネット軍曹。主に鎮圧戦闘を担当する。米軍では第一線任務に就く実戦部隊には女性兵士を配置しない。だが彼女は別だ。腕力は相当のものだから、ナメてかかると月まで飛ばされるぞ』

『酷ぇ紹介じゃねぇか、隊長。腕相撲アームレスリングで病院送りにしますよ』

『……それは勘弁だな』

 豪腕の女性兵士。ブロンドの長髪はさわやかに空気を纏い、頭頂部の結髪は引き締まったボクサーのような佇まいである。

 しかし――、何よりもである。

 顔面に残る幾つかの切り傷。目鼻立ちの通りが芸術的であるが故に――、傷がその存在を叫んでいるようである。身長は私より高く、見て分かる筋肉の盛り上がり。そして上官に話しているようには思えない、口の悪さ。中々にしての女傑である。

『よろしくな』

『よろしくお願いします』

『あんたも男だったら、もうちょっとシャキッとしな』

 不躾ぶしつけに叱られるが、無言で頷くしかない。

 もしかしたら今後、何かをきっかけに彼女と衝突するかも知れないが、腕力に訴えるのだけはよそうと思った。散々ぱら上官から殴られた旧軍の過去は、走馬灯のように脳裏を巡る。

 殴られるのはものだ。


『次がマイク・スコット中尉。英国のコマンド部隊にいた男でな、この中じゃ一番実戦経験が豊富だ。主に機器操作、爆薬操作、対怪異戦闘では隠密作戦を主に担当しており、一人で作戦をこなすことも多い』

『どうも――! よろしくなぁ』

 マイク中尉。視線が私と同じ高さで、欧米系白人からすればやや小柄なのだろう。草臥れた短髪と口髭、やや落ちくぼんだ目に、歪んだ笑い方は、何処にでもいる中年のおっさんとも思える。

『君も結構大変な人生だっただろうけど、――まぁ、なんとかなるさ。大丈夫大丈夫』

『――は、はぁ』

 何も相談していないのに、陽気な口調で元気づけられた。シニカルな笑いにも見える、その微笑みをどう解釈して良いか分からぬまま、会釈をするしかなかった。


『今ここにいるのはこれで全員だが、他に副官のバーナード大尉がいる。テキサス生まれの黒人で生真面目な副官だ。今日は別件で席を外しているが、数日中には戻るだろう』

 ロバート隊長は、辺りを見渡すように目線を配ると、咳払いをした。

『――最後に私だ。私はロバート・ムーア大佐。「神聖同盟」米国支部に所属している。欧州戦線では連合軍を脅かす怪異現象、ナチ武装親衛隊の怪異部隊ヴェアヴォルフとの戦闘を経て、日本に派遣された。日本で活発な怪異現象が観測されるようになり、占領軍に協力する形で状況シチユエーシヨンを統制下に置くことを目的に活動している。……まぁ、デービッドから大方の話は聞いているだろう』


 簡潔な自己紹介。なのに聞き慣れぬ言葉だらけ。きっと顔に現れていたのだろう――、ロバート隊長は肩をすくめた。

『まぁ、詳細はいずれ話すとしよう。我々の階級や処遇は基本的に米軍に準拠しているが、あくまで便宜上だ。軍律に身を預けている以上大きな権限と責任が伴うが、ここでは米国への忠誠心と同一ではない。。また、この部隊内では役割分担が至上命題で、明確な上下関係は気にしなくて良い』


 ――それは、軍隊なのだろうか。

 上意下達、上官の命令は絶対。

 疑問を唱えれば強烈なビンタを食らい復唱させられる。痛みに声を上げてはならない。発せられた命令は、文字通り死んでも守らなければならない。

 それこそが軍隊のだと思っていたが……、この隊長は忠誠は強制ではなく、さらに部隊内の役割分担が至上命題という。

 米兵の姿をした、米国への忠誠が強制されない軍隊――。私が今いるは、常識でははかれない場所なのだろうか。

『ウラベさん。デービッドから聞いてると思うが、衣食住は我々が保証する。その上で、我々に協力して欲しい。無理強いはしない。貴方は既に民間人なのですから、命令ではない。これはなのです』


 ――お願い。

 これは、お願いなのだろうか?

 衣食住を提供する。を生きる、ほとんどの日本人が望む、いや、口から手が出るほど欲しい境遇。

 粗末なバラック住まい。のみしらみに苦しみながら、コレラや腸チフスが蔓延する不衛生な環境。明日をも知れぬ壊滅的配給事情。非合法の闇に頼る情けない生活――。

 地獄から救い出す、お釈迦様連合軍の蜘蛛の糸。

 だが、見たところ彼は米軍の大佐でもある。

 である進駐軍の一員なのだ。今、この日本で、進駐軍の依頼は誰一人逆らえない。決して対等な、ではない。


 ――ここまで来てるのに、断ろうとする自分もいる。

 彼らが違う組織とは言え――、私の家族を焼き殺した、日本を都市を焼き払った連合軍に協力する義理などあるのか。

 彼らが苦しもうと、私は一向に構わない。

 どうせ私も既にのだから。


 これからを生きるためには、話を呑む以外選択肢はない。

 だが、私の最後に残った反骨心が了承を拒む。

 父も母も兄妹も、生きていたらどの選択を褒めてくれるだろうか。闇に呑まれて唯一人で死にゆくか、進駐軍やそれに類する組織に利用されるか――。

 俯き、考える私を見てか、デービッドが静かに念話で語りかけてきた。

『ウラベさん、協力のお願いではありますが、これは貴方の為でもあります。貴方の苦痛を除去する事にも、いずれ繋がるはずです。貴方の感じている、自身が、世界中で多くの人々を苦しめている――』

 


 その一言で――、私は漸く承諾した。

 私は、のだ。失った過去達に恥じぬように、己の罪と罰から逃げずに、今を生きるために――。


『……分かりました。協力しましょう』

 私の回答に、ロバート隊長はを浮かべた。

『ウラベさんの意志を尊重します。私達の任務に協力して貰うことと、アメリカ軍人になることは決してイコールではない。貴方には日本国民の民間人軍属として協力していただきたいが、協力の一環として――』


 



 怪異との戦闘が命を賭けたものかは、分からなかった。

 しかし、与えられた一日の休息の後、基地周辺の怪異を探知し、出撃する段となって、初めてそのことを理解した。

 ――これは、死と隣り合わせの危険な仕事だった――。

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