ホームルーム
まず篭原教師がおこなったのは、細川少女と関わりがあった生徒のふるい分けだった。
クラス全員が全員と仲良しで、全員が全員とお友達などという現象は起きるはずがない。どうしたって仲の良い生徒が集まったグループができあがる。篭原教師は先輩教師から学んだように、おおよそ『グループでのからかい』があらぬ方向に発展したのではないかと疑っていた。
そうでなくても、細川少女と一切関わり合いの無い生徒が彼女をいじめるとは考えられない。話したこともなければ接したこともないのにいじめ出すなど、常軌を逸した行動だ。それ故、篭原教師は細川少女の交友関係についての情報を集めることにした。
「細川と関わりのある奴、手を挙げろ」
挙手したのは、関基也、橋本奈緒、そして立花灯理の三名だった。
分かりやすくするためか、彼ら彼女らの名前を黒板に記し終わると、篭原教師は生徒の座る方へと向き直った。
「お前等に細川を入れた四人で良く話したりしていたのか?」
質問というより尋問のような篭原の問いかけに、三人は視線を交わした。困ったような表情を浮かべて、関少年が口を開く。
「いいえ。僕は図書委員の仕事で一緒になるくらいです」
そこへ橋本少女が続いた。
「私は時々、学校近くの本屋さんで挨拶するくらいで……」
そうして次を促すかのように、橋本少女は立花少女の方へと振り返る。
「私は家が近くなので、細川さんに図書委員の仕事が無い限り一緒に帰ります」
こともなげに立花少女が答え終わると、篭原教師は続いての問いを投げた。
「お前ら三人は、毎回、細川と一対一で話していたのか?」
三者三様の肯定を見届け、篭原教師は険しい表情を浮かべた。
一対一の会話。言い換えるならば、第三者の不在。それは、事実上、信用できる証人の不在ということだ。
いじめには必ず跡が残る。物理的ないじめなら体や服に痕跡が、精神的ないじめなら心に傷跡が残る。
ただし後者は目に見えない。病とも呼べる代物だ。
不可視である以上、細川少女が犯人と会い傷ついていたとしても、話さず見かけるだけの人では分かりもしない。いじめはあったかもしれないし、なかったのかもしれない。真実は当人たちのみが知るというのに、人は嘘を吐けてしまう。
つまり、当人同士が証人という、どちらもが自分への利益に繋がる嘘を吐けてしまう証人しかいないのだ。
もちろん、誰かが会話を耳に挟むという可能性もある。
しかし、彼らが話す場所は図書館、本屋、通学路と、耳に挟むには自ら挟まれようとしなければ挟まないだろう場所が揃っていた。
となれば、耳を挟む可能性があるのは、耳を挟まされた場合だろう。
「細川自分を除いた二人の話とか相談を聞いた奴は?」
淡い可能性に期待を込めて篭原教師が問うが、それも全員揃っての否定を目の当たりにし、すぐに淡いままで消えてしまった。
思わずため息を吐きかけた篭原教師は、すぐさま咳払いをし次の可能性へと目を向ける。
「じゃあ、次。細川の席の周りの奴ら」
細川少女が座るはずの空席を囲む八名──平沼友貴、渡辺一輝、畑中信士、山岡誠支郎、青木絵美、藤田栞、鈴村真紀、高森梓たち男女四名ずつの名前が、初めの三人に続く形で黒板へと並べられる。
そこで、高森少女から抗議が上がった。
「先生。なぜ、私の名前も書かれるんですか?」
本人たちの意志に関係なく名前を書かれた他七名の生徒たちも、各々、同意ないしは同意に近い声を上げた。教室を四分割した内の一区画が同時に声をあげるという異様な光景だった。
全員の名前を書き終えた篭原教師は、手に付いたチョークの粉を払いながらに理由を話す。
「近くの人間は必然関わり易くなるだろう。それに近くの席なら何か知っているかも知れないし、そもそも、同じ掃除班だろ」
「納得いきません。私は細川さんと話したこともなければ関わりもありません」
「なら、話しかけられたことは?」
「え?」
予想だにしない問いだったらしく、高森少女は目を大きく見開く。
「細川から話しかけられたことは無かったか? 斜め後ろだから教科書を見せて貰うなんてことは無いだろうが、消しゴムでも落として取って欲しいとか」
「そんなことありませんでした」
断言する高森少女に、篭原教師は続ける。
「本当か? お前が気付いていないだけで、言われていたということは?」
「それは……」
言葉に詰まった高森少女同様、他の七人も口の端を強く結んでいた。それもそうだろう。何せ、彼女の声は極端に小さいのだから。
「まずは話を聞くだけだ。情報は多ければ、それだけ誰が犯人か近づくだろう? それとも、聞かれたら何かまずいことでも?」
瞬間、高森少女は目尻をつり上げ拳を強く握る。
しかし、結局、どちらも所在なげにし、せめてもの反抗なのか、乱暴に椅子へと座った。
ひとまず落ち着き、篭原教師によって質問が始まろうというその時、学級委員の根本裕太が手を挙げながらに起立した。
「先生。そもそもクラスの中に犯人がいるんですか?」
「本人がそう言っているからそうだろ?」
「いえ。先生が聞いたそのままを僕たちに語っているなら、細川さんはいじめに遭っていると言っているだけで、クラスメイトにいじめられているとは言っていません」
「確かにそうだな……」
腕を組んでいた篭原教師が言葉の穴とでも呼ぶべき非を認めると同時に、クラスは不満の声で満ち溢れた。
平沼少年が茶化すように「しっかりしろよ、篭原」と言えば、彼と良く一緒にいる渡辺少年と山岡少年も「そうだぞ、篭!」「篭原~」とそれぞれ続き、やはり同じグループの畑中少年はその様子をにやにや眺める。
先ほど言い含められた高森少女は、机に手を突きながら再び立ち上がり、喰いかかるように篭原教師へ非難を浴びせた。それを青木少女は「梓、落ち着きなよ」と宥めるが、効果などなさそうだ。藤田少女と鈴村少女も篭原教師への不満を言い合い、まるで呪いでも培養しているように見える。
しばらくその様子を聞いていた篭原教師は、唐突に手と手をを打ち鳴らした。それも良く通るように。
意表を突かれてクラスが静まる。
ただ、それも一瞬。されど一瞬。
その一瞬で篭原教師はただ頭を下げた。
「すまん。確かにそうだな。すまなかった」
改めて非を認めると、高森少女を中心に、坩堝も再加熱が始まる。
「そうですよ!」
「ただ!」
しかし、それを頭は下げたまま言葉で押しとどめる。
「ただ、クラスメイトが困っているんだ。何でもいい。細川についての情報が必要なんだ。もう一度聞くぞ。何か知っている奴はいないか?」
静かなままの教室に罪悪感が漂う。
疑われたのだから反抗反発しても当然なのだが、多数が一人に頭を下げさせるという光景は何か熱量が無いと──つまり冷静になって見ると、頭を下げさせている方が悪く見えてくる。
それ故の罪悪感。それだけの罪悪感。けれど、場に流され責めていただけの生徒にとっては、それだけで済まないように重くのしかかる。
「……私、見ました」
静寂を破ったのは鈴村少女だった。真っ直ぐなどとはとても言えず、ほとんど肘から上げているような手の上げ方で話し始める。
「……私、高森さんが細川さんと話しているところ見ました」
高森少女が狼狽え、クラスはざわめく。何しろ高森少女は、『話したこともなければ関わりもない』と言いきって見せたのだから。
「あんた何言ってるの!」
斜めに振り向き、高森少女は鈴村少女を睨みつけた。声色には険が含まれ、今すぐにでも飛びかかりそうだ。
「なんで最初に言わなかったんだ?」
「怖くて……。今度は私がいじめられるかもって……」
篭原教師に促されると、鈴村少女は小さく呟いた。
「あんた……!」
「高森」
詰め寄ろうとする高森少女は篭原教師の言葉で踏みとどまった。より正確を期すならば、篭原教師の言葉によって自らの置ける状況に気が付いた。
視線。
彼女はどうしようもないくらいクラスメイトから視線を集めていた。
水を打ったかのような静けさはそのまま、罪悪感に満ちていたはずの空気が一変し、教室には再び熱がこもっている。高森少女を敵と決めている。犯人と決めている。
教室は再び誰かを糾弾する空間へと戻っていた。
「高森、本当か?」
篭原教師の問いは口調こそ変わらないものの、明らかに疑いの色が混じるものだった。
「……はい。もう半年くらい前ですけど、一度だけ文房具を借りました」
「何故言わなかった?」
「言ったら疑われるかもですよね? 文房具を返したか返してないかで揉めたとか何とか」
「さすがにそれはないと思うが、可能性はある」
「ほら!」
机に手のひらを勢いよく付いた高森少女は、目を爛々とさせたまま振り返る。
「大体さ、あんただって話してたでしょ?」
そう言って高森少女が指さしたのは鈴村少女だった。
「私、話したことなんか……」
「はっ! よくもまあ抜け抜けと……」
眉間にしわを寄せ、一層の敵意を表す高森少女は、そこで不意にしおらしくした。
「ああ、そうよね……、あんた、あの子とは話したことなかったわよね。ごめんなさい……」
けれど、彼女がその後に浮かべた笑顔は、寒気がするほどの不吉なものだった。
「ちゃんと、『病気が移りそうで話したくないって、私たちに話してた』って言わなきゃ誤解されちゃうわよね?」
教室にいる全員へ聞こえるよう高森少女が声を張り上げると、高森少女へ向けられていたものと同種の視線が鈴村少女にも注がれ始める。
「そんな……、私、そんなこと……」
消え入りそうな声で鈴村少女は反論するが、高森少女がそれを許さない。
「いいえ、言ったわよ? 私、記憶力は良い方なの。それに、言ったじゃない。私たちって。絵美、あんたも聞いてたでしょ?」
「え、ええ? 私?」
名前を呼ばれた青木少女は仰々しく驚き、わざとらしく腕を組んだ。
「どうだったかな……。ちょっと、覚えてないなあ……」
「本気で言ってるの?」
「聞いたかもしれないし、聞いてないかもしれない言葉を、堂々と聞いてないなんて言えないよ」
「ちょっと、いい加減にしなさいよ! これで私の人生が終わるかもしれないのよ!」
「もちろんわかってるよ。だからこそ、安易に不確定要素を提出するわけにはいかない」
凛と自らの意思を貫く青木少女に、高森少女は歯噛みして鈴森少女を一瞥する。
「あんたの戯言のせいで、私の人生が狂ったら、あんた、責任とれるの?」
体を震わせた鈴村少女は、何かに頼るように、縋るように、求めるように藤田少女へと視線を投げた。
けれど、彼女は鈴村少女の方など見ていなかった。むしろ関わりを拒絶するかのように、鈴村少女の反対側を向いている。
ただ、捨てる者あれば拾う者あり。
泣きそうな鈴村少女をかばうように、平沼少年が口を挟んだ。
「おいおい、人に罪をなすり付けるなよ」
「あんたこそ私を犯人みたいに言わないでくれる?」
真っ向から受けて立つとばかりに、高森少女は視線の先を平沼少年へと変える。
「細川さんと仲良く図書室まで行ってたみたいですけど?」
「はあ!? それがなんだよ」
「だったら何で最初に手を挙げなかったのよ」
「それは……」
「ああ……、わかった……」
言い淀む平沼少年に、高森少女は薄くからかうように笑みを浮かべた。
「あんたら付き合ってるんだ」
「そんなわけないだろ!」
「じゃあ、何? 片思い? それともあんたが犯人なの? 誰かかばってるの?」
「違う!」
教室にこもった熱に浮かされるように、うなされるように高森少女を中心とした言い争いは激しくなっていった。火種は飛んで、あちらこちらで諍いが起きた。友人が敵になり、敵の友人が擁護しようとして槍玉に挙がる。篭原教師の声など届かず、嘘か本当かもわからない情報の火炎瓶が飛び交っていた。
水を打ったような。どうやらそれは誤りだったらしい。
本当に打たれていたのは油──いや、灯油だった。
まるで中世ヨーロッパの魔女狩りかのように、犯人の疑惑を掛けられ、掛け合い、貶し合う。ホームルームはもはやその体を成さず、生徒同士が言い争うだけとなっていた。
その最中(さなか)、あまりに間の抜けた音が鳴った。最終下校時刻の三十分前を知らせる予鈴の音だ。
「わかった。こうしよう」
それをチャンスと捉えたのか、再び手を叩き注目を集めた篭原教師は、古紙となった数枚のプリントを均等に四角くちぎった。
「今からこれを配るから、自分の知っていることを書け」
そう言って篭原教師が小さくなった紙を回した。
「書き終わった奴から俺に渡して解散にする」
時間も無く、どこかで早く帰りたいと思っていたのだろうか、皆、筆記用具を取り出すと素早く何かを書き込んだ。
そして、五分と経たぬ内にには教室から誰もいなくなった。
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