第7話 鳳 小麦①


真っ暗な空間の中を意識だけが加速していく。

そんな妙な感覚がフッと突然終わりを告げ、気が付くと小麦は見知らぬ場所に立っていた。

 

やけに空気が蒸し暑い…

そこは背の高い木々が立ち登り、鬱蒼と茂る深い森の中だった。

小麦が今まで見たこともない色合いの植物ばかりが、規則性も無くそこら中に生い茂っている。

まるでファンタジー作品に出てくる密林や原生林のようだ。小麦はそんな感想を抱いた。


「誰もいない…ですね。もちろん由美ちゃんも…」


周りに誰もいない。その事に当然強い不安を感じる。しかし小麦の脳裏にはあの光景がこびりついて離れない。親友の由美ちゃんが目の前で化け物になった、あの地獄のような光景が。


由美ちゃんは確かに化け物になり、そして小麦の体の中に入ってきた。

…果たして由美ちゃんは死んでしまったのか。それとも小麦の中で今も生きているのだろうか。今、その事を知る術は何も無い。


そこまで考えたところで小麦は、動揺する気持ちを抑えるべく生徒手帳を開いた。よかった、これはちゃんとあった。

手帳に挟んでいた青いハンカチを手に取り、それを鼻に当ててスゥーッと大きく息を吸い込む。この匂いを嗅ぐと不思議と心が安らぎ、落ち着きを取り戻せるのだ。

これは以前、瑠璃丘君からもらったハンカチ。正確には洗って返すと言って彼には新品を返し、手元に取っておいた彼のハンカチ。彼の匂いはいつでも小麦を助けてくれる。これは小麦にとって魔法のアイテムなのだ。


「クンカクンカ…スーハート…。はあぁ…瑠璃丘君、瑠璃丘君…会いたいです…どうか無事でいて下さい」


想い人のことを考えながら、しばしの間トリップする。そうして落ち着きを取り戻した小麦は、ふと足元に転がっていた物に気が付いた。


「…?これは…」 



それは何と、皮袋と宝箱。どちらもアニメやゲームでしか見たことがない。驚きながらも小麦は、まず皮袋を恐る恐る手に取ってみた。


「何か入ってますね…。ペットボトルの水と、これは何でしょう。…『回復薬』?」


皮袋の中に入っていた小さなゼリー容器のような、コーヒーミルクのような形のそれを手に取り、小麦は首を傾げた。


回復薬…。ゲームなんかでよく聞くアレの事だろうか。もしかしたらこれを飲めば傷が治ったりするのだろうか。


人が化け物に変えられる光景を見せられた今、これはオモチャとかイタズラとかそういった類のものとは到底思えない。本当に命を救うような大事な薬の可能性がある。

そう思った小麦は、回復薬を大事に袋の中へと戻した。


「次にこれですね…。この宝箱、ちゃんと開くんでしょうか」


次に宝箱の検分に移る小麦。

しかしその米俵サイズの宝箱をよく見てみると、蓋に張り紙が貼ってあった。


「何か書いてありますね。ええと、『支給品ガチャ』…?よく分からないけど何か貰えるみたいですね」


「支給品」と言うからには何かをくれるのだろう。この過酷そうな環境で役立ちそうな物なら何でもいいので下さい、そう願いながら小麦は宝箱のフタをゆっくりと開いた。


すると箱の中に七色の光が渦巻き、数秒経つとその光は空気に溶けるように消えて無くなった。

そして箱の中には「清流の水筒アクアボトル」と書かれた紙と、黄緑色の小さな水筒が入っていた。


清流の水筒アクアボトル…?普通の水筒じゃないんですかね。もしかして中に水が入ってるとか?」


小麦はその水筒を箱から取り出し、蓋を開けてみた。

中は空っぽで何も入っていない。しかし訝しんだ小麦がその水筒を傾けると、何と中から綺麗な水が出てきた。

しかもドボドボと、明らかに水筒の大きさに見合わない量の水が際限なく流れ出てきたのだ。


「す、すごい!魔法の水筒…これさえあれば水には困らないですね」


このどう見てもサバイバルな環境では水は貴重だ。まずは水場を探さないといけないと思っていた小麦は、思わぬ生活チートアイテムを手にしてホッと安堵した。


そして皮袋と宝箱の中身を改めた小麦がずっと気になっており、次に確認しなければいけない物がある。


小麦は少しだけ服を捲り上げ、自分のヘソのあたりへ目を向けた。

ずっと違和感を感じていたが、やはり腰に何か巻かれていた。


「昔の変身ヒーローのベルト、みたいですけど…」


そんな事を言いながら腰のベルトに触る。すると何かのボタンを押してしまったようで、カシャン!と音がした。

そしてバックルの中にはあのカードが入っていた。


「これは…!確かこのカードを3分間手放すと死ぬって言っていましたね。本当かどうかは分かりませんが、これは大事にした方が良さそうです。…あれ?」


手に取ったカードをバックルの中へ戻そうとした小麦だが、ふとカードの説明文を見て手を止めた。


『同期率:8%』


カードの説明文の後にはそんな一文が追記されていた。

あの時、確かこんな記載は無かったはず。そして同期率とは一体何なのか。

小麦は、あの男が言っていた事を必死に思い出した。


「同期率が上がれば、モンスター…魔獣の力を制御出来る…でしたか」


記憶の中からそんな情報を引き出したが、小麦は頭を悩ませた。

そもそも、魔獣の力をどうすれば使えるのかが分からない。呪文を唱えれば良いのか、頭の中で念じれば良いのか、一体どうやったら発動するのか。

一切何の説明も無いのだから、制御も何も無いだろう。 


そして、制御に必要なその同期率とやらを一体どうやって上げるのか。何もかもが分からない。情報が足りなすぎる。


今度こそカードをしまい、小麦は頭を切り替えた。


「分からない事は一旦置いておきましょう。まずは生きて塔を探すこと。それには食料が必要ですね。何でもいいので食べ物を探さないと。幸い水には困らないので、少し助かりましたね」 


まずは生きるための食料が必要。それにここからは木々が生い茂っていて塔など見えない。どのみち移動は必要だ。

もちろん野生の獣や、あの男の人の言っていた「ハンター」への恐怖はあるが、ここでじっとしていても何も始まらない。


「なるべく隠れながら進みましょう。ハンター、それにクラスメイトにも会わないようにしないと」


ハンターというからにはおそらく武器を持った大人だ。そんな相手に普通の女子高生の自分が叶うわけがない。つまり星をハンターから奪うなんて、かなり難易度が高いはずなのだ。

だから星を集めるならクラスメイトから奪う方が簡単なはず。そう思った人は、躊躇なくクラスメイトを襲うだろう。だから避けなくてはならない。

あ、でも瑠璃丘君は別。私と彼は心で通じ合ってるのだから、協力し合えるはず。


とにかく今星を集めるのは私には無理。塔を見つけて近くに行ってから考えよう。

そう考えた小麦は、ようやく一歩を踏み出した。

   

……



擦り傷を作りながらも、2時間ほどは歩いただろうか。そこで突然目の前の木々が開け、何と土で踏み固められた道が現れたのだ。


「や、やった…方向は合ってたみたいですね」


更には開けた森の切れ間から遠くに高い塔が見える。恐らくあれが目指すべき『鉄の塔』に違いない。


小さくガッツポーズをして喜ぶ小麦。しかしその喜びも一瞬で冷めることになる。


「グブ、ガヒッ、グフフガッ…!」


何故なら、小麦が出た道の先。そこには先客がいたのだ。


濃い緑色の小さな体、尖った耳に凶暴そうな顔。日本には、いや地球には絶対に存在し得ない怪物。それが今、小麦の目の前にいた。


この姿は…そう、ゲームとかアニメで有名なゴブリンという化け物によく似ている。

頭から妙な…豆?のようなものが生えているが、それ以外は完全にゴブリンだ。

武器こそ何も持っていないが、その姿だけでも十分小麦には恐怖を感じさせた。


「ゴフッ、ガ、ガヘヘヘェッ!」


「き、きゃあぁぁーっ!!」


自分に向かって全速力で走り寄るゴブリン。恐怖でパニックになった小麦は、持っていた皮袋をブンブンと振り回す事しか出来なかった。

突然こんな怪物が自分に向かって走ってきたら、大抵の女子高生は冷静な対処など出来ないだろう。


案の定ゴブリンはあっさりと皮袋を手で払いのけ、その場で跳躍。文字通り小麦へと飛びかかってきた。


「きゃあ!!」


小学生程度の背丈と言っても、勢いが付いている上に小麦の身長はクラスの中でも低い方。

あっさりと地面へ押し倒され、小さなゴブリンに馬乗りにされてしまった。


「ゲ、ゲフ、ゲヒヘッ」


ニヤニヤと醜悪な顔を喜悦に染めたゴブリンは、その鋭い爪を見せつけるようにしながら腕を振り上げた。 


あんな尖った爪で引き裂かれたら重傷必至。きっと痛いでは済まない。嫌だ、怖い。怖い!


「いや…やだ、やめて!やめてぇーーっ!!」


小麦が絶望に震え、涙をこぼしながら叫んだその時。 


突然、小麦の左肘から先がゴォアッと燃え上がり、その炎が馬乗りになっているゴブリンに引火した。


「ゲッゲヒイィーーッ!!」


一瞬で体が燃え上がったゴブリンは、汚い悲鳴を上げながらゴロゴロと地面を激しく転げ回る。

しかしそれどころではない。

突然自分の左腕が炎に包まれてしまった小麦は、完全にパニックになっていた。


「えっ!ちょっと、何、何これ!燃えてる!熱い!……く、ない?…あれ。熱く…ない」


叫びながら手をブンブンと振っていた小麦だったが、燃えているはずの腕が全く熱くない事に気づき、徐々に冷静さを取り戻した。


この左腕、見た目は完全に燃えているけど自分は全く熱くない。

更に言うと、腕が燃焼しているというよりは、肘から先が炎そのものに変化したという感じだ。

そして炎の形は、まるで鳥の翼のような形状をしている。


「炎…翼…鳥…?…!!こ、これってもしかして、炎鳥…なんですか」


あのカードに描かれていた、そして由美ちゃんが変化して私に融合した力。

その力が、もしかしたらこの燃える体。つまりは炎鳥の力なのではないだろうか。友達を奪った忌まわしい力、だけど今はその力に助けられた。


「…で、でもこれ、ちょっと…わわっ!あ、暴れる…!」


小麦の左手の炎はまるで意思を持ったかのように、ゴゥンゴゥンと音を立て荒れ狂っている。

そしてその荒れ狂う力に引っ張られるかのように、小麦の意識も炎の中に引き摺り込まれていく。


どんどんと炎が猛り、意識が遠のく。


このままではあの男が言っていた通り、まるで化け物のように暴走してしまう。

ダメ、それは…ダメ。わ、私…は人間だ!


小麦は祈るように、左腕よ元に戻れ、戻れ!と強く念じた。


お願い、由美ちゃん。どうか、どうか力を貸して———


「戻ってえぇーーっ!!」



すると願いに応えるかのように、ボシュウゥと音を立てみるみるうちに腕の炎は消えていった。やがて炎は全て消え去り、汚れ一つない元の小麦の腕へと戻った。驚くことに服の袖も元に戻っていた。


「はぁ、はぁ…よ、よかった、消えた…」


安心して気が抜けてしまった小麦は、その場の地面にペタンと座り込んだ。


目の前には未だ激しく燃え続けるゴブリン、だったもの。おそらくもう生きてはいないだろう。

そこで小麦はハッと、ここが森であることを思い出した。引火して山火事にでもなったら大変な事になる。

しかし不思議な事に、周りの草木への引火は全く見られなかった。


草木は燃えずにゴブリンだけが燃えている…。

もしかして燃やしたいものだけを限定して燃やす事ができる?もしくは、ある程度あの炎は操ることが出来るのではないだろうか。


そう思った小麦は、試しに目の前の炎が消えるように強く念じてみた。

するとその思いに応えるかのように、その炎はボシュウゥと不自然な動きで消えていった。


「こ、これ…!すごい、この炎は操れるんでしょうか」


炎が消えると、やはりそこにゴブリンの姿は跡形もなかった。しかしその代わりと言うべきか、ゴブリンがいた場所には少し大きな豆が一つ転がっていた。


「この豆…。多分、ゴブリンの頭に付いてたやつ、ですかね…。でもさっきよりも大きいような。た、食べれるんですかね」


正直言うと気持ちが悪い。

しかし食料が欠乏している今の状況、ワガママを言っていられないのも事実。それに何だかこの豆、見ているだけで無性に食べたくなってくるのだ。 


「でも今はやめておきましょう。大分騒いじゃったし、別のゴブリンが来たら大変ですから」


そうして小麦はその豆を拾い皮袋に入れると、逃げるようにその場を後にした。





結局その後しばらく道を歩き、やがて日が暮れてしまった。丁度防空壕のような岩穴があったので、今日はそこで休むことにした。


「お腹すきましたね…」


やはり水を飲んだだけでは空腹は誤魔化せない。「気持ち悪いけど美味しそうだし…」と少しだけ悩んだ末、小麦はゴブリンの豆を食べてみることにした。

淡く光る不思議な豆。小麦はそれを恐る恐る口へと入れてみた。


「なっ何これ!お、美味しい…!」


予想外に、ゴブリンの豆は感動するほど美味しかった。魂が震え、脳が痺れるような味。

そして意外なほどの満腹感ももたらしてくれた。すごい、何というスーパーフード。これは大発見だ。


「ま、また食べたいですね…でもやっぱり怖いですし…」


そんな風に悩む小麦。そして何事もなく夜は更け、朝を迎えた。



清流水筒から綺麗な水をペットボトルに補充し、所持品の確認をする。そこで小麦は何気なく見たカードに、小さな変化が起こっていることに気が付いた。


「あれ…ちょっとだけ変わってる…?」



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 【炎鳥フレイムバード】 ★★★

 『滅却』の力。極炎と化したその体は、あらゆるものを焼き尽くす。


  同期率:9%


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昨日カードを見た時は確か同期率は8%だったはず。

同期率が上がった…どうして?

考えられることは…。


「ゴブリンを倒したから…?」


それしか思い当たる節が無い。

だとすると、ここは本当にゲームのような世界だ。

敵を倒して強くなっていく…まさに男子が好きそうなゲームそのもののシステム。


「確かにこの力はここで生き抜くためには必要です…。そして力を使いこなすには魔物をたくさん倒さなくちゃならない」


まだ同期率の上昇は、ゴブリンを倒した事が原因だと決まったわけではない。あの豆を食べたから、という線もある。しかしどちらにせよ、それはゴブリンを殺す必要があるという事には変わりがない。


しかし小麦は思う。

自分が成長するために魔物を殺す。そして生き物を殺す事に抵抗がなくなれば、その力はやがて私たち人間…クラスメイトにまで向けられるのではないだろうか。

怖い。それはとても怖い事だ。


この『試練』の仕組みを考えると、もしかしたらすでにそんなクラスメイトだっているのかもしれない。

パニックになっていたとはいえ実際、小麦もゴブリンを殺した時にあまり忌避感を感じなかったのだ。


「身を守るためにも、この力の使い方ぐらいは知っておいた方が良さそうですね」

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