今更ふくろう便が届きましても

のっとん

試験

「ぜひ、前向きにご検討いただけないでしょうか」


 平日の夕方。とあるカフェの窓際の席。磨かれた机の上には、白いレースのテーブルクロスとティーカップが二つ。ティーカップの向こうには、深々と頭を下げる初対面のスーツの男性。


「いや、そう言われましても‥‥‥」


 なにとぞ、とさらに頭を下げる男性に、ただただ困った顔を向ける事しかできない。なぜ私が忙しい平日のこの時間に、カフェで頭を下げられているのか。ことは、一週間前に遡る。



― ― ― ― ― ― ―


 春野こころ様


 この度、クロウ・グロウ・クライ魔法学校へのご入学が許可されましたこと、心からお喜び申し上げます。


 入学に際してなにかと入用かと存じます。

 ○月×日(△)午後六時十六分。○△◇駅に使者をお送りいたします。なんなりとご相談くださいませ。


― ― ― ― ― ― ―



 淡いレモンイエローに、鳥の模様の封蝋がされた封筒だった。紙に金箔を混ぜてあるのか、便箋は光にかざすとキラキラと輝いて見える。

 社会人になって十年以上。さすがに私もいい大人である。こんな手紙、どう考えても悪戯以外の何物でもない。

 ただ、私の目の前には現にフクロウがいて、この手紙は彼(彼女?)が私に手渡したものだった。


 幼いころに憧れた魔法学校からの招待状。それが今、この手の中にある。


 フクロウは私が手紙を読み終わるのを見届けると、役目を果たしたとばかりに窓から飛び去って行った。生まれて初めて間近で見るフクロウは、幻でも夢でもなく、柔らかな羽毛を膨らませ、本当にホーと鳴いていた。



 そして、手紙に書いてあった日が今日である。

 午後六時十六分。私は○△◇駅にいた。そもそも最寄り駅だ。定時で退社していつもの電車に乗れば、この時間この駅へ着くことになっている。今日もまた定刻通り。日本の公共交通機関は優秀である。


 普通であれば、退社時間に加え、最寄り駅まで特定されているこの状況。恐怖でしかない。ストーカーか、質の悪い犯罪に巻き込まれている可能性がある。どう考えても身の危険しかない。警察へ直行するか、少なくとも誰かと一緒に来るべきだ。

 しかし私は一人で来て、そこで待っていた怪しい男と共に、カフェでお茶をしている。あほだ。あほすぎる。こんなこと、誰にも言えない。


 でも、フクロウ来たもん。


 消えたはずの幼い私が心の中で叫んでいた。

 幼いころ、寝る間も惜しんで読んだ小説があった。普通の男の子だった主人公は、一通の手紙によって魔法使いへの道を歩み出すこととなる。なんてことのない冒険譚。よくある子ども向けの物語。

 それでも当時の私は、憧れて、憧れて、憧れて。本気で魔法学校への手紙を待っていた。中学を卒業する年にようやく手放すことができた憧れが、今また私の元へと戻ってきていた。


「お願いします。魔法界も少子化で大変なんです」


 魔法とは程遠い現実と共に戻ってきた。


「少子化‥‥‥ですか」


 同じ問いを幾度となく投げかけられているのだろう。疲れた表情の使者は、黒縁の眼鏡を神経質そうに押し上げ「分かります」と微笑んだ。


「突然言われても困惑しますよね。皆さん、そうですから」


 彼の説明をまとめるとこうだった。

 魔法界は血と実力を重視する社会だった。純血、特に古くから続く家であればあるほど、同じく古くから続く家系との政略結婚にこだわった。実際、魔法族の血が薄くなるほど、魔力が弱い者、魔法が使えない者が生まれる確率は高く、彼らの行動は必然と言えるものだ。


 しかし魔法族以外の人間『非魔法族』の活動範囲が広がり、魔法界以外の文化に触れる若者が増えるにつれ、古からの風習は悪しきものとして扱われることが増えた。親に決められた結婚に反発し、恋愛結婚に奔走し、果ては未婚を選ぶ若者が続出した。

 結果として、魔法界は少子化社会となった。


 現時点では若者の流出こそないものの、出生率は下がり続けている。困った政府は、外部から素質のある人間を引き入れる方針を打ち出した。

 その昔、魔法族として生まれながらも、魔法が使えない人々は『半魔法族』とされ、非魔法族の世界で暮らすよう命じられていた。そして先祖が魔法使いであることすら忘れてしまった我々、子孫の中にまれに魔法が使える人間が現れるそうだ。


「その方々に魔法界に来ていただこうという政策が『半魔法族 復帰プロジェクト』というわけです」


 使者は鞄の中から一枚の用紙を差し出した。ポップなタイトル文字の下で、とんがり帽子を被った男女が満面の笑みでこちらに向けて手を振っている。


「すごい。本当に動いてる」


 思わず零れた感想に、使者が一気に明るい表情になる。


「これも魔法の一種なんです。記録魔法の転写で、ちょっとコツは必要なんですが、練習次第で春野さんも出来るようになりますよ。専門部署がありまして、希望すればそちらの部署への配属も可能です」


 にこにこと話し始める。ここまでで一番饒舌だ。


「以前から魔法界にご興味が?」

「いえ、別にそんな訳じゃないですけど。というか実在しているだなんて、ちょっとまだ信じられないというか・・・・・・」


 嘘だ。本当はすっかり信じている。なんなら条件次第では話に乗るのも悪くないとまで思っている。


「そうですよね。具体的なお話をさせていただきますね」


 使者はこちらの心中など露知らず、神妙な顔で頷くと、用紙の上を指でさっと撫でた。笑顔の男女が消え、文字と矢印だけの簡単な図が現れる。


「春野様にはまず魔法学校へ通学していただきます。一般入学とは違い、編入という形ですね。主に、基礎魔法や魔法界史の学習をしていただき、卒業後は魔法界にてご就職していただきます」


 相槌を打ちながらも、頭の中はフル回転だ。

 この話を受けるかどうか、一番のポイントはここだろう。正直なところ、私は今の生活を変えたいとはそれほど思っていない。仕事も順調にキャリアアップしているし、私生活も困っていない。満足していると言っていい。


「この魔法界での就職というのは、魔法界に移住? する、ということですか?」

「いえいえ。皆さん、非魔法族としての生活がありますからね。その必要はございません。あ、もちろん移住希望であれば、そのように手配させていただきますが」

「移住は大丈夫です。ちょっと聞いてみただけです」


 鞄から何か出そうとしている使者を慌てて制止する。話が大きくなり過ぎだ。私にはまだ聞きたいことがある。残念そうな表情を見せる使者を前に、私は小さく唾を飲み込む。


「あの、そもそもの話なんですけど、魔法使いの素質というのはどうやって見分けるんですか? その、私に本当に素質があるのかなって疑問で」


 手紙を受け取ってからここ数日、最も気になっていたことだ。

 幼いころに読んだ児童書の主人公も、魔法学校へ入学する前から、自身の周りで不可思議なことが起っていた。無意識に己を守るために魔法を使っている状態だ。私にはそんな記憶が無い。本当に私は魔法が使えるのだろうか。


「もちろん、春野様は魔法をお使いできます。非魔法族として暮らした方々の戸籍から家系図を追いまして、九十八パーセントの確率で、春野様はご使用できると確認いたしました」

「九十八パーセント?」


 残りの二パーセントであれば、この話は無かったことになるのだろうか。

 私の思考を読んだかのように、使者は優しい声音で言葉を紡ぐ。


「ご安心ください。本プロジェクトに該当するすべての方に試験を受けていただいております」

「試験? これからするってことですよね? どんなことを‥‥‥」

「いえいえいえ。試験はすでに受けていただいております。非コントロール下の魔法は、身の安全を守る際に発動しやすいんです。ですので」


 使者は体の前で大げさに手を振ってみせた。今日一番の笑顔だ。


「トラックで轢かせていただきまして、魔法が発動するか確認しております」

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