ヒロイン失格1 ~蓮華、11歳~

「わぁ、蓮華、すごく似合うじゃない!」

お母さんの感極まった笑顔がパァっと広がる。


「この浴衣はね~、おばあちゃんがあなた位の時に着たものなのよ~。春貝の腺を使って特別に染め上げたとっても高価な織物なの。だから50年経っても全然色が変わってないのよぉ~」


お母さんは私を見つめては感嘆し、ため息を漏らす。


「……」

私はというと、ちょっぴりタンスの匂いのするこの浴衣と、いつもは肩まで下ろしている髪をきつく結い上げられた心地悪さで、なんとなく拗ねていた。


花火大会に行くことが私の願いの全てで、綺麗に着飾ることに興味はない。


「はぁ~まだ11歳なのに、こんなに艶っぽくなるのねぇ。娘ながら怖いわ、この先が」


お母さんのため息をよそに、私は花火大会を前にどこか落ち着きのない夕暮れに心を囃し立てられる。


「ねぇお父さん、早く行こぉよぉ~」

私は難しい顔で何か考え込んでいるお父さんの肩を揺らす。


グイグイ。


根グセのようにピョンと立った髪の毛が後頭部で揺れた。

するとお母さんがポンと思い出したようにこう告げる。


「あそうだ、蓮華。今晩の花火大会には近所の京一君と一緒に行ってきなさい。彼のお父さんにはもう伝えてあるから」

「えっ! 京くんと?!」


どきんっ。


心臓が1つ大きく鳴った。

トクトク……トクトク……。


まるで音が直接耳に届いてくるみたい。

私はそっと胸の辺りを手の平で押さえた。


「え? 京くんっていったら蓮華の初……」

「お父さん!」

キッ!

お母さんが凄い顔でシーっのポーズをする。

「……」


初?

私の?

何それ?


「蓮華、履物は可愛い赤の紐尾がついた下駄にしなさい。玄関に出して置いたから。カラン、コロンって可愛い音がして、きっとその藍色の浴衣によく合うわよ」

「赤い紐尾の下駄……うん!」


私は鏡に映った別人のような自分の姿を改めて見つめる。

キツく結い上げて、額や耳の裏が張って少し痛いけれど、京くんの名前を聞いて痛みは吹っ飛んだ。

一緒に川べりを歩く姿を想い浮かべると、顔がかぁっと熱くなる。


京くんといっしょに歩ける。

いっしょに花火みられる。

いっしょにお話できるんだ。

いっぱい、いっぱい。


「でもさぁ男の子と二人って……ちょっと早すぎない? 蓮華はまだ11歳だし」

「え、なんで?」

11歳だからって何?

早すぎるって何が?


「まぁいいじゃない。11歳には11歳なりの恋があるの」

「恋……うん」


「うぅ……そう?」

シュンとするお父さんは、それでも諦めずにこう切り返す。


「じゃあ分かった……。蓮華が京一君と花火大会に行くのは良しとしよう。でもな、蓮華」

優しい顔で頭の上にポンと手の平を置く。


「パンツはしっかり穿いてから行きなさい」


ズルッ。

ずっこける。

パンツ履かずに外出なんてあり得ない。


「浴衣でパンツを穿くのは、本当は間違いなんだけどね。ん~」

お父さんは、おちょぼ口でチューをする顔を私に近づけてきた。

ぐっぐぐぐ……。

右手でお父さんの顔を押さえると、ぐっと力を込めて遠ざける。

嗅ぎ慣れたお父さんの匂いがした。



「さすがにパンツは穿かせたわ。蓮華も嫌でしょ? スースーするの」

「うん。スース―は嫌。恥ずかしいもん」


スースーするという言葉につられて、お尻のあたりをスリスリさする。

当たり前のように浴衣の下にパンツを穿いている。

いつも寝るときに身に着ける分厚いやつだ。

聞かれるまでもないことなのに、

変なの。


☆------☆------☆------☆------☆------


トットトト。

赤くて可愛らしい巾着袋を手にすると、玄関に向かう。

「じゃあ行ってくるね~!」

可愛らしい紐尾の下駄を履くと、傍まで見送りに来ていたお母さんに手を振って、外へ出る。


ムワリ。


うわぁ……まだ暑い。

夏の夕暮れは、少しだけ湿気を帯びている。

日が西に沈みかけて、辺りがオレンジ色に染まる。


「あの子も、もう11歳か。アレはまだ治らないんだな」

「そうね……」


背後からお父さんとお母さんの会話が聞こえてきた。

私は何が治らないのか分からなかったけれど、特に気にしなかった。

この後の花火のことで頭の中は一杯だった。

今日は七夕。

一年に一度だけある織姫星の日。


夜は近くの河川敷で大きな花火大会がある。

少しだけ湿って夕暮れの風に吹かれながら、私はカラコロと下駄の音を鳴らす。

遠くで、カナカナカナ、と日暮らしの悲し気な音が響いていた。


カナカナカナ……。

カナカナカナ……。


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