花の似合う君
次、もし逢えたら。
その時は名前を訊いてみよう。
そんなことを考えていたからだろうか。再会は、思いのほか早かった。
「カラス野郎! 待ちやがれ!」
古代遺跡の石造りの通路に、ルーストの怒声が反響する。
遺跡に入ってすぐ、まるで追い出すように、ルーストは仮面の少年に襲撃された。いつもなら、ルーストたちが最深部に近付くと現れる彼が、こんな入口付近で襲ってきたのははじめてだ。決して油断していたわけではないが、実力が拮抗している者に不意を突かれては、さすがのルーストも後手に回らざるを得ない。
突然ひらめいた剣先に、とっさに眼を腕で庇ったため、手首辺りがぱっくりと斬られた。血がだらだらと滴る。
ラッキーだ、とルーストは舌舐めずりする。
今回の任務は、探索のための事前調査だ。これは、毎回ルーストだけに与えられる任務の一つだから、ランドもルナールも一緒ではない。つまり、力尽きるまで、ルーストは仮面の少年と戦うことができる。
こんな絶好の機会、みすみす逃すなんて冗談ではない。
羽でも生えてんのか、と思うほどに軽やかに遺跡内を逃げ回る仮面の少年を、ルーストは全速力で追う。
分があるのはこちらだと、ルーストは考えていた。なにしろ、ルーストは〝
(なんっっっで追いつけねえんだよッ!)
仮面の少年が人類ではないことははじめからわかっていた。だが、変な仮面や左腕を覆う鎧のような装備品を除外すれば、近縁種なのではないかと期待するほど、仮面の少年の見た目は人類に近かった。だからこそ、たとえ言語が通じなくても会話する意思くらいあるだろうと、無視されても話しかけていたのだ。
しかし、〝人造人間〟のルーストの身体能力でも追いかけっこで追いつけないとなると、いよいよ近縁種説も否定しなくてはならない。
彼は、人類とはまったく別の、異なる種族、なのだろうか。
それはそれで、興味深いのだが。
兎にも角にも、まだルーストの体力はもつ。せっかく、誰にも邪魔されず彼と戦えるのだから、諦める気なんてさらさらない。仮面の少年がどういうつもりで逃げているのかはわからないが、逃げるのを諦めるまで追いかけてやろうと、ルーストは気を取り直す。
縮まらない距離をもどかしく思いながらもひたすら走っていると、通路の奥が行き止まりになっていることに、視力のいいルーストは気付く。よっしゃ、と内心で拳を握りしめていると、仮面の少年も行き止まりに気が付いたようだ。諦めて立ち止まるかと思いきや、彼は行き止まりの壁に迷うことなく何度か触れる。と、右側の壁が持ち上がり、秘密部屋が姿を現した。
「────ちっくしょ、待ちやがれぇッ!」
仮面の少年が秘密部屋に入るなり、壁が元に戻ろうと下がりはじめた。なんとか、ルーストは閉まり切る前に秘密部屋に転がり込む。
はあ、はあ、とさすがに肩で息をしながら、ルーストは秘密部屋の中央で立ち尽くしている仮面の少年を睨む。
「俺から……逃げ、られっと、思……なよ」
「…………………」
「あークソ、さすがに疲れた」
「………………」
呼吸を整える。その間も、変わらずに仮面の少年はその場に佇んでいる。
部屋には何もなかった。石造りの四角い空間が、がらんと広がっている。どうやら、ルーストの背後の隠し扉以外、出口はなさそうだ。
にやりと、ルーストは笑う。
「涼しそうにしやがって。残念だなあ、今日は俺一人だ。俺らの戦闘を、邪魔するやつはいねえぞ」
「……………………」
「せっかくだ、戦う前にてめえの名前、教えろ」
「……………………」
「はああぁぁ………」
だんまり。無言。無視。
苛々して、ルーストは舌打ちする。
「ンなに俺と話したくねえってか……。あっそ。やっぱ、話したくなるくらい痛めつけるしかねえわけか……ッ」
予備動作なく地を強く蹴る。一瞬で目の前に迫ったルーストに、仮面の下から息を呑む音が聞こえた。
「〝
「──────来るなっ!」
え、とルーストは目を見開く。
(今……しゃべったか?)
確かめようとしたが、その前に地面が消える。
「は?」
崩れてる?
どこか、掴まれるところは。
探す。駄目だ、とすぐ結論が出る。
部屋全体が、崩壊していた。
落ちていく。
(カラス野郎は)
とっさに彼を探す。仮面の少年は、左腕を翼のようにして、羽ばたこうとしているようだった。心なしか、黒い鎧が姿を変え、翼のように見えなくもない。
だが、右腕は人類と同じままだ。片翼で飛べるはずもなく、仮面の少年は力尽きたように落下していった。
「クソッ、邪魔だ!」
瓦礫を蹴飛ばし、ルーストはやっと、瓦礫の山から顔を出す。
「あー、けっこう落ちたな」
かなり高い天井は、真ん中にぽっかりと穴が空いていた。穴の先は、暗くて見えない。
いくら頑丈に造られているとはいえ、たんこぶくらいはできたかもしれない。
頭をさすりながら立ち上がり、ルーストは周囲を見渡す。
そこには、不思議な光景が広がっていた。
「なんだこりゃ……。地下に、森?」
ルーストが瓦礫に埋もれていた場所までは、間違いなく石造りの人工的な場所なのに、その奥には幻想的な森林がある。
小鳥の囀りに、川まで流れているのか、水のせせらぎまで聞こえるそこは、どう見ても自然にできたものだ。
「森の上に遺跡が建てられたのか?」
いや、考えても意味はない。
古代の知的生命体がどのように暮らし、どんなものを造っていたか。そういうことを調べるのは研究者の仕事で、ルーストたち古代遺跡探索部隊は、ただの
そんなことより、仮面の少年だ。ルーストは遺跡に戻る道か、森に入る道を交互に見て、森に入る道を選んだ。
直感だった。
「おお、やっぱりホンモノか」
試しにすぐ近くの木に触れてみるが、作り物ではなかった。
踏みしめると青い粒子を放つ草の上をさくさく歩き、ルーストは奥へ進む。
「〝
ずっと剣状態だった破片を、元に戻す。
とりあえず、もう少し行った先に、まるでスポットライトに照らされているように、一箇所だけ陽の光によって明るくなっている場所があるから、そこを目指そうと、ルーストは黙々と歩を進める。
辿り着いたのは青い湖だった。岩壁に囲まれているが、天井はない。だからここだけ陽の光が入ってきていたのか、と納得する。
天然の地下洞窟が崩壊し、長い年月をかけて森や湖になったような、そんな印象だ。
湖の真ん中には、ぽつんと島があった。岩石が積まれて、それが水の流れでまろやかになり、苔が生して流れてきた砂が溜まり、木が生えて──────そうやってできたような、小さな小さな島。
そこに、仮面の少年が横たわっていた。
「おい……っ」
ぴくりともうごかない彼に不安になり、ルーストは駆け出す。
上着を脱ぎ捨て、躊躇うことなく湖に足を踏み入れる。水位は浅く、ルーストの胸下ほどだ。
ざぶざぶと、水を掻き分けて島に辿り着き、乗り上げる。と、「キキッ」と甲高い鳴き声がして、仮面の少年の胸元から、小さな動物が驚いたように跳び上がった。
「あ?」
それはするすると木に登り、高い枝までくると「フーッ」とルーストを威嚇した。
届かないとでも思っているのだろうか。
ふん、と鼻を鳴らし、そんなことよりもカラス野郎だと、ぐったりと横たわる彼をじっと見下ろす。
落下時に壊れたのか、仮面はひび割れ、欠けている。おかげで、いつも隠れていた少年の顔がよく見えた。
日に焼けていない白い肌、長く濃い睫毛、つやつやした黒髪。人形じゃないだろうな、と疑い、肩を軽く蹴ってみる。「う……」と呻く声がぷっくりした唇からこぼれ落ちたから、人形ではなさそうだ。
どうするか。ルーストは考える。
このカラス野郎には、してほしいことがたくさんある。
戦いたい。それに、名前──────そうだ、名前を訊いたのに、教えてもらえなかった。
じゃあ、まずは目を開けてもらうことが先か。
(……………どうやって?)
再び、ルーストは考える。
「〝
破片を剣に変える。殺気を浴びたら、起きるだろうと思いついたからだ。
少年の胸を貫けるように、剣を持ち上げる。
早々に、このやり方は失敗だったような気がした。
戦うために造られた〝
一方で、理性はこんなところで好敵手を喪うことを拒否している。互角に戦える相手だ、もったいない。
どうする。どうしたい。
この、本能と理性の戦いが、ルーストは嫌いだった。なぜなら、どちらかといえば、本能に忠実に生きたい
もったいないが、少しくらい。たとえば、致命傷にならないくらいなら、痛めつけても。
柄を握る手に力がこもる。
ああ、もう止められそうにない──────
「…………………っ」
欲望に負けかけたルーストの足元で、少年は何事か呟き、閉ざされた目尻から一筋の涙を零した。
「──────」
息を呑む。雷の直撃を受けたような衝撃が、全身を駆け巡る。
いつから耳に心臓が移ったのか、鼓動がうるさい。いや、心臓はきちんと胸にあるぞと、ガンガンと暴れながら主張しているから、やはり心臓は移動していない。
ぬるつく手汗に柄を滑らせる。少年に当たる前に、とっさに〝解除〟する。
ころ、と少年の胸に落ちた破片のように、腰が抜けたルーストもその場に尻もちをつく。
茫然と少年の涙の跡を見つめ、恐る恐る顔を覗き込んでみる。
なんとなく、一生見てられる顔だなと思う。
ふと、目についた花に手を伸ばし、むしり取る。それを少年の顔のそばに近付けると、びっくりするくらい似合うことに気付く。
艶が増したような気がする黒髪に花を挿し込むと、こいつの髪にははじめから花があったとばかりにしっくりきた。
本能はすっかり引っ込んでいた。
これからどうしようか、なんて、ちらっと考えたふりをするが、答えはもう出ていた。
──────連れて行こう。
ここで別れたら、またいつもの繰り返しだ。戦って、無視されるだけ。
名前が知りたい。そして、会話をして、少年のことをたくさん知りたい。
涙を流した理由を、知りたい。
起こさないように慎重に上半身を持ち上げ、背負う。
そのまま湖の中に入ると、木に登っていた動物が抗議の声を上げる。
「おまえも来い。こいつが心配なんだろ」
「キキッ」
意味を理解したのかはわからないが、手足と尻尾の長い小型の動物は木から飛び降り、少年の肩に乗った。
それを見届けてから、ルーストは歩みを再開した。
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