第3話 黄泉帰りの赤ん坊
「生まれましたよ! 元気な男の子です!」
目の前の光景が突然切り替わった。
転生の門をくぐった直後、光に包まれたと思ったらそこにあるのは白い空間だ。
俺が見ているのはおそらく天井、つまり寝ている状態だろう。
「生まれたか! ど、どれ! か、かかか、顔をををほほほ!」
「あなた、落ち着いて。威厳が台無しよ」
俺を抱いているのは母親か。
現世など前世以来だが、不思議とこういった概念は覚えている。
俺は男女から生まれた子どもで、涙を流して震えている男のほうが父親だ。
「そ、そうだな。えー……コホン! 我が息子よ、
「はい、よくできました」
父親の態度が急変したが何故だ?
まったくよくわからないが、これから俺の両親として関わっていくのは確かだ。
少々おかしなところはあるが悪い人間ではないだろう。
「で、ではそろそろ抱かせてくれ」
「はい、どうぞ」
母親の手から父親の手に俺が渡る。
父親が覗き込んできた。
こういう時、俺はどうしたらいいのだろう?
「
「そうみたいね。おとなしい子なのかしら?」
そうか。生まれたばかりならば泣くのが当たり前か。
しかし泣いたことなどおそらく一度もない。
少なくともここ数万年は自分の涙など見たこともなかった。
これは由々しき問題だ。
もし俺が泣かなければ両親は訝しみ、育児を放棄する可能性があった。
さしたる問題ではないのだがせっかくの現世、何より俺を生んでくれた礼はしたい。
「お、おぉ! 泣いた! この子が涙を流したぞ!」
「あら、ほんと。でも声も出さないなんて……もっとこう、おぎゃあって泣くものでしょ?」
これはやらかした。涙だけではなく声も必要だとは。
おぎゃあとはどういった声だ?
せめて参考になるものがあればよいのだが、それならばこうしよう。
「うぅあぁうあぁあああぅぅあぁー(五行の壱・金印、億面鏡)」
しっかりと喋ったつもりだがまるで言葉になっていないな。
しかし印は結べたようなので良しとしよう。
億面鏡は離れた位置にある光景をオレに映し出させることができる。
無数の鏡がオレの前に展開されて、各地の光景が映っていた。
たかが600年程度で習得できた術だから精度は怪しい。
が、おかしい。
そこにあるのは億どころかほんの数枚だ。
しかも限りなく透明に近い。
もしやこの未熟な肉体では本来の力が発揮できないのか?
そこの二人もこの鏡を認識できていないようだ。
それならば仕方ない。一応の役割は果たせるはずだ。
他にも生まれたばかりの人間がいるのであれば参考になるはずだ。
鏡の一つに映し出されたのは、俺と同じような人間だった。
声を上げて奇声を発しているようだな。
なるほど。泣くとはああすればいいのか。
ではさっそくやって見せよう。
「ああぅー、ああぅー」
「お! な、泣いたぞ!」
「ほんとね。でもなんだか元気がないわね……それに今、印を結ぶような動きをしたような?」
まだ勢いが足りてないということか?
確かにあちらの人間は腹の底から声を出しているな。
何が悲しくてあんなにも泣いているのか理解できないが、やってみよう。
「あぁーーうぅーー! あぁーーうぅーーー! おぎゃあぁぁあーーーーー!」
「ぎゃあぁーーー! と、突然すごい声が!」
今度は声量が多かったようだ。
今一調整が難しいな。現世というものはわからん。
(おい、お前)
その時、オレに話しかける者がいた。
頭のすぐそばに浮いているのは二頭身ほどの人物で見覚えがある。
長く二つにまとめた鎌のような黒髪を後ろでまとめており、細い目に紫色の和を彷彿とさせる衣装。
元は顔立ちがいい女子だったはずだ。こいつは確か――
(もしや冥王とやらか?)
(ずいぶんな言い草だな! お前みたいなものを現世に放ったのだ! わらわがしっかりと監督させてもらおうぞ!)
オレを転生させた冥王という地獄でもっとも偉い人物だ。
そいつが二頭身の大きさとなってオレの頭の横で浮いていた。
どうやらこの会話は両親の二人には聞こえないようだな。
(そこまで言うのならば転生などさせなければよかったではないか)
(かといって地獄になど置いておけるか! 手下の鬼達や亡者どもの魂の再生が遅れるわで実に数億の魂の転生が遅れたのだぞ!)
(あの鬼どもが勝手に向かってきたのだぞ)
俺が倒した鬼は冥王の手下のようで、亡者と同じく死ぬことはないが地獄の管理に支障をきたしたようだ。
死なないとはいうものの、損傷すれば魂の再生に時間がかかってその分だけ転生が遅れる。
だがそれがどうしたというのだ。俺なんぞ何万回砕かれたかわからんというのに。
(と、とにかくこれからは分身体で監視をさせてもらう!)
(転生しろと言ったり監視すると言ったり忙しい奴だな。ところで俺が死んだ時からどのくらいの時間が経っている?)
(お前が死んだ時から二ヵ月ほどしか経っていない。地獄と現世の時間の流れは完全に独立しておるからな)
(ということは俺を知る者がいる可能性があるということか)
そうは言っても前世と今のオレでは姿形が違う。
前世の俺がどういう人間だったか少し知りたかったが、手掛かりを探すのは難航しそうだ。
そんなことより泣き方はどうだろう?
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
「なんだか普通に泣いてくれるようになったわね……」
「うむ、さすがは私の子だ」
「あら、褒めちゃっていいのかしら?」
「む! いかん! 我が息子よ! これからの教育、この程度ではないぞ!」
先ほどから何を言ってるのかわからないが、おそらくどうでもいいことだろう。
「この子の名前、何にしましょう?」
「名前か。悩ましいところだな……」
オレに命名するようだ。
何でもいいのだが、ずっと俺の中に刻まれているイサナという名前がある。
妙な親近感を感じるので、こちらにしてもらおう。
「うぅあぁうあぁあああぅぅおおぉー(五行の壱・木印、呼応)」
呼応は簡単な動作や思考を刷り込む術だ。
オレの印結びと同時に両親の頭にイサナという言葉が送られる。
「……イサナにしよう」
「あら、奇遇ね。私もイサナがいいと思っていたのよ」
無事、俺の名前がイサナに決まったようだ。
名前など何でもいいが、なければ不便であるのは確かだからな。
それにしてもイサナという言葉を他人の口から聞くのは心地いい。
まるで遥か昔から慣れ親しんでいたかのような感覚だ。
「ところでこの子、印を結ばなかった?」
「気のせいだろう。いくら桜王家とはいえ、赤子で印を結ぶなど聞いたことがない」
母親の風花に見られていたようだが特に支障はない。
それよりもまずはこの不便極まりない体を脱したいところだ。
自力で歩けるようになるにはどの程度の時間がかかるだろう?
50年程度であれば嬉しいのだが。
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