第2話 地獄、そして転生
「おんやぁ? お前さん、魂が汚れてねぇべな?」
大の字になった俺を覗き込んでいたのは真っ黒い顔をした男だ。
あまりに突然のことで言葉が喉から出てこない。
「お前さん、なしてここにいるべ?」
「お、お前、怪異か?」
「なんだって?」
そもそもなんで生きている?
俺はあの黒いコートの悪霊に殺されたはずだ。
だけど体を触ってみたら外傷一つなくて問題なく起き上がれた。
ていうかこいつはなんだ?
よく見たら角が生えているし大人より大きい。
これはいわゆる鬼ってやつじゃないのか?
「た、立てる……あれは夢だったのか?」
「いや、お前さんは死んだべ。ここは地獄だべや」
「そうか、地獄か……」
一瞬納得しかけたがすぐにその言葉に衝撃を受ける。
まずそこにいるのは黒鬼、この時点でおかしい。
「じ、じ、地獄って……」
「あぁー、たまにいるんだべ。お前さん達で言うところの天国に行くはずが、何かの間違いで地獄に落ちてくる奴がな。お前さん、気の毒だべや」
「お、俺は死んでいて、しかもなぜか地獄? なんで? なんでだよ?」
「だから知らねぇべ。あれだべ、お前さん達で言うところのバグって奴だべ? ま、そんなわけで来ちまったもんはしょうがないべ」
目の前の黒鬼が陽気に笑う。
ようやく事態を理解した俺は血の気が引いた。
いや、血の気どころか何も感じない。
嗅覚も何もかも、ここに自分の体があるかどうかさえわからない。
麻酔にかけられるとこんな感じなんだろうか?
今のオレに肉体がないことは明らかだった。
「ここは地獄の第一層、てきとーに過ごしてればいいべ。ハッハッハッ!」
「……けるなよ」
事態を理解した俺は黒鬼に腹が立った。
俺にはまだやりたいことがあったのに。
死んだのは黒鬼のせいじゃないが、そのあまりの態度に怒りが湧く。
「ん?」
「ふざけるなよ! 人が死んだってのによく笑えるな! 俺は、俺には夢があったのに!」
俺は力の限り叫んだ。
だけど黒鬼にはどこ吹く風、鼻をほじりながら聞いている。
「そんなもん死んだんだからしょうがねーべ。オラは悪くねぇ」
「しょうがないって……じゃあ、じゃあ俺はどうすれば……」
「知らね。んじゃーな」
黒鬼は大股で歩いて俺に背を向けて歩き始める。
怒りと悲しみと屈辱で感情がぐちゃぐちゃだ。
ここには何もない。
太陽がないくせに明るい。ただし辺り一面、地の果てまで続くかのような平野だ。
こんなところでどう過ごせと?
あの黒鬼の背中がなんだか憎たらしく思えた。
陰陽連もあの黒鬼も人を何だと思っている。
俺が何をした。クソ! クソクソクソッ!
「五行の壱……火印・焔ッ!」
俺は黒鬼の背後に向けて炎の玉を放った。
だけど黒鬼はくるりと振り向いて金棒であっさりと打ち返してしまう。
炎の玉がオレに直撃して全身を焼かれてしまった。
「うぎゃああぁぁぁぁーーーー! あ、熱い! 助けてぇ!」
「なにやってるべ。オラがそんなもんにやられるわけねえべ」
「だずげでぇ……」
「おめぇは死んでるんだから死ぬことはねぇべ。そのうち収まるべ」
そう言い残して黒鬼は今度こそ去っていった。
黒鬼が言った通り、痛みと火傷が間もなく引いていく。
これによって俺は本当に死んでしまったんだと実感できた。
オレはずっとここでひとりぼっちなのか?
死ぬことすらできずに? 永遠に?
「ハ、ハハ……そうか。よくわかった」
俺には何もない。夢も希望も命も。
死ぬことすらできず、永遠に。ん? 永遠?
「あれ? 地獄なら死なないし無限に時間があるぞ?」
頭で考えるよりも俺は自然と印を結んでいた。
五行の壱を繰り返し放ち続ける。疲れることもない。
そうか。だったらずっと練習していられるわけだ。
悪い癖が出た。物覚えが悪いくせにやめられない性分が出てしまう。
誰も俺に後ろ指を指すやつはいない。
俺は繰り返し練習をした。ひたすらずっと。
* * *
――地獄に落ちてから10年が経過。
オレは五行の壱の威力を飛躍的に伸ばすことができた。
この地獄にはあの黒鬼みたいなのが他にもいるのか、化け物がわんさかいる。
体をバラバラに引き裂かれて手も足も出ない。
――30年が経過。
ようやく五行の壱だけで人面蜘蛛みたいなのを討伐した。
手も足も出ない相手に勝てるようになるのは実に気持ちがいい。
――100年が経過。
さ迷ううちに地獄にも色々な場所があるとわかった。
灼熱の地帯、極寒の雪原、色々あるがどこにも共通して化け物がいる。
姿形や強さは様々だが、こいつらは何なんだろうか?
今日は大きな人面蛇を討伐した。巻き付かれて骨が砕かれた時は死ぬかと思った。
いや、すでに死んでいるか。
――300年が経過。
俺の五行の壱・火印は化け物をまとめて焼却できるようになった。
実に気持ちいい。見ろ、こんな俺でも時間をかければちゃんと術を使えるようになる。
――800年が経過。
暗闇が永遠に続く洞窟があったけど、俺の五行の壱・金印でお見通しだ。
洞窟と同じ大きさがある女の巨大顔面が大口を開けていたけど、オレの五行の壱・水印で内側から破裂させた。
俺は止まらない。何があっても。
――2000年が経過。
針の道を踏みつぶしながら俺は歩を進めた。
気づいたがここは何かの体内のようだ。
五行の壱・木印。俺が生み出した寄生植物がすべてを吸いつくした後は細長い虫が転がっていた。
どうやらこいつの体内だったようだ。踏み潰したら足元でぐちゅりと音が聞こえる。
我ながらだいぶ成長したように思えた。
――8000年が経過。
俺、という言葉に疑問を持つ。いつから俺は俺と呼ぶようになったのか?
遠い昔のことでよく思い出せなかった。
などと動かなくなった山ほど巨大な人面竜の上で考え事をしている。
そう、最近はよく考えるのだ。俺はどこで生まれて何をしていたのか、と。
ただ心の中にはこの陰陽術というものに対する執着がある。
俺はこの陰陽術がたまらなく好きなのだろう。なぜかはわからないが。
――20000年が経過。
「お、おめぇは!」
俺を知る者がいたようだ。肌は黒く、手には鈍器を持っている。
何やら動揺しているようだが、俺とこの黒い人物とは初対面だ。
だが黒い何かは俺に攻撃の意思を示した。
「お、オラに仕返しにきただか! だけどオラは修羅鬼! 鬼の中でも最強の――」
襲ってきたところで俺の五行の壱・火印が発動。
間一髪、奴は塵すら残らなかった。
一体何だったと言うのだ? この地獄という場所は実に奇々怪々だ。
――50000年が経過。
「じ、地獄を統一する気か……」
俺が辿りついたのは一風変わった場所だ。
そこは規模が大きい住居のようだった。いわゆる城というやつだろうか?
その中に入ると大仰な城の主が襲いかかってきた。
そして間もなく城の主が地に伏してしまう。
特に何かするつもりはなかったが、こいつが攻撃の意思を示したのだ。
こうなるのは自明の理だろう。
「俺に争う意思はない」
「で、では、そなたは何をしようと……」
「修行を続ける」
「は? しゅぎょー?」
この人物には理解できないだろうが、俺は五行の壱の練習をしなければならない。
なぜかわからないがそうするべきだという気持ちがある。
――100000年が経過。
「転生だ」
城の主が俺の前に現れてそう告げた。
話を聞くと俺はすでに死んでいて、地獄で責め苦を受けた後は現世に転生しなければならないらしい。
首を傾げたものの、同じ場所で修行をしていても仕方がない。
経験を得るために転生するというのも悪くないだろう。
連れてこられたところには行列ができていて、様々な人物がいた。
全員が川に向けて歩いている。
「あの者達はこれから現世へと転生する。その際にあそこの川の水を飲んでもらおう」
「なぜだ?」
「あの川の水は前世の記憶を忘れさせる。来世にその記憶を持ち込んではいかんのだ」
そうなると俺が培ってきた陰陽術の知識もなくなるというのか?
それだけは絶対に認められない。
「断る。俺の記憶は俺のものだ。誰にも奪わせはしない」
「なんだと? このわらわに……」
やるというのなら仕方ない。俺を従えたいのならばそうするのが道理だろう。
ならば全力で抵抗してやる。
と、俺は構えたのだが――
「あ、いや、まぁ……飲みたくなかったら飲まなくてもよいのだが……」
自由とのことなので俺は川の水を飲まずに転生の門をくぐった。
来世か。そういえば俺の前世はどのようなものだったのだろう?
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