男子も奇数じゃダメらしい
@miratan
第1話 流星と優雅
先生、知っていました?
女子は奇数じゃダメなんですよ。
でも私、男子もきっと奇数じゃダメなんだと思います。
「はい?」
俺は意味深な笑みを浮かべてこちらを見る女子高生に問い返した。
「私、この塾には、いや先生には特別なパワーを感じるんです」
俺の疑問には答えず、少女は己が言いたいことを言う。
「いついつまでもこの腐のパワーを感じていたいんですけど、今日でお別れになってしまいました」
意味が分からない。負のパワー…?やっぱりこの子、まだ中二病なのかもしれない。
「ああそうだね、卒塾おめでとう。そして、合格おめでとう」
とりあえず形式的な挨拶はしておいた。これ、大事。
このよく分からない少女、この春から俺の大学の後輩になる。大学生になられてまで絡まれたくはない。しっかりお別れしておかないと。
「先生、どうか流くんと優ちゃんをよろしくお願いしますね。う腐腐」
まるで二人の親のようなことを言って、少女は微笑んだ。
「あ、うん…広瀬さんも元気で。って、痛っ」
何者かに消しゴムを投げられた。振り返りにらみつけると、
「優雅がやりました」
と流星が嬉しそうに言った。小学生か。
「はあ?ざけんな」
濡れ衣を着せられた優雅が怒って立ち上がる。この子はキレやすく、すぐに手が出る。
喧嘩が起きると俺が塾長から叱られるから、急いで止めないと。
「はいはい、どっちでもいいから落ち着け、優雅。流星と広瀬さん、にやにやするのやめてくれない?」
結託してるのか、この二人?
とりあえず優雅を宥めすかして、二人の間に俺は割って入った。
流星と優雅、同じクラスなのにすこぶる仲が悪くて気が滅入る。良い緩衝材だった広瀬が卒塾するのは大きな痛手だった。
優雅をいなしている間に広瀬は退室してしまったようで、教室には俺達、男三人が残された。
「はぁ…やるか」
流星に声を掛けてテキストを開かせ、ふて寝しようとする優雅を起こす。
ここ、進英塾は学力の底上げに力を入れている。よってその塾名に似合わず、学力底辺の子ども達が山ほど来る。優雅と流星はその最底辺を這っているような子達だ。俺のような大学生でも余裕で先生ぶって教えられてしまう。
「おい流星、ここ、恋愛じゃなくて、『変愛』になってるぞ。計算も全部間違ってるし。零点じゃん」
流星の課題プリントを丸付けながらため息が出てしまった。優雅に至ってはやってすらいない。机に突っ伏してペンを持つどころかテキストすら開かない。ダメダメだ。
「だってー、もっちーの教え方が下手なんだもん。よく分かんないし」
流星がペン回しをしながら言い訳をする。確かにそうなのかもしれないけど、あまりにもひどすぎないか?
「この間丁寧に教えただろ?塾ではできていたじゃん。あと先生って呼びなさい」
「忘れたよ、づっきー」
わざとか?
仕方なくもう一度一次方程式から教えることにした。流星は目を輝かせて、俺の解説を受けた。
流星は勉強が好きなようだ。成績には全くつながっていないけど。
一つ一つに「うん」とか「えー」とか相槌打ちながらかわいく聞いてくれる流星の成績をなんとか上げてやりたいが、今のところ手応えはない。
「じゃあ演習で。この問題、解いてみて」
「はーい。すぐやるから、俺のことだけ見ていてね」
「ごめん無理」
流星はなんとこの成績で、いや成績は関係ないけど、芸能事務所に入っている。俺にはよく分からないけど、なんとかというグループのアイドルらしい。
おかげでなんともチャラくてあざとい。注目欲求はファンとお母さんの前でだけ見せてくれ。
まあいいや。優雅を起こそう。
優雅は逆にものすごく愛想が悪くて口も悪くて素行も不良だ。名前と性格が全く合っていない。悪いことだらけだが、良いことを挙げるとすれば、ご褒美で釣れることだ。
「優雅、今日ここまでやったらご褒美に飴ちゃんあげるから」
が、さすがに飴では釣れなかった。むすっと机に伏せたまま、微動だにしない。しょうがない。
「じゃあ新入生テストで五十点取れたら、シェイク奢ってやるよ」
優雅の肩が揺れた。
子どもをもので釣るのは良くないとよく言われる。が、心から勉強しようという内発的動機づけも、ご褒美がもらえるからやるという外発的動機づけも得られる結果は変わらないのだそうだ。だから優雅のような初めから何のやる気もない子にはご褒美作戦は結構有効だったりする。塾長にばれたら怒られるけど。
「四十点」
優雅は机に伏せたまま、点下げ交渉を始めた。
優雅は留年していて、この春から高校一年生をやり直す。全くめでたくない新入生テストを受け直すことになり、本人はもちろんこちらもやる気を削がれていた。
「しょうがないな。ちゃんとやれよ」
優雅を起こすことに成功した。
流星と同じ教科をやらせていては互いをバカにしあって喧嘩になるので、優雅には先に英語を教えることにした。これがまた丸っきりできない。
「bとdが逆です。書き直し」
優雅は負けず嫌いで何回も間違いを指摘されるとすぐ拗ねてやらなくなる。俺は余白にbとdの手本を書いてやった。
優雅はふくれっ面で書き直している。
「こっち見るな」
「はいはい」
プライドが高くて困る。そのくせできたところは褒めて認めて欲しい。書き終えた優雅がじっとこちらを見ているので、俺は花丸をつけてやった。本当に、小学生のお守りをしているようだ。疲れる。
「ねえ、俺もその賭け乗りたい」
流星が思い出したように言い、俺の手を取った。
「は?お前は新入生テストないだろ」
流星はかろうじて二年になれたはずだ。
「じゃあ、中間テストでいい点取れたらデートして」
デートって…。
「何点取る気だよ。俺の一日は価値が高いぞ」
なぜならバイトに明け暮れ、忙しいからな。
「俺もそっちがいい」
驚いて振り返ると、いつの間にか流星と優雅がにらみ合っている。学年違うのに何の対決する気だよ。
「優雅はとりあえず中間テストまで真面目に学校に通ってくれ。話はそれからだ。で、流星はプリントできたのか?」
「なんか話はぐらかそうとしていない?できたよ」
流星のプリントを見ると、なんと満点だった。もしかしてこいつ、本当はできるけどやらないだけなんじゃないか?と思ったけど、そもそも高校生が中学一年生レベルの計算くらい普通はできるか。
「これはやっぱりデート決定だね!中間テスト、楽しみにしていて!三十点取るから」
目標設定が低すぎる気がするが、まあ三十点すら無理筋なのでいいか。高校レベルの問題は二人には全く歯が立たない。
優雅がまだ流星を刺しそうな目で睨んでいたので、頭をぽんぽんして自分の課題に集中させる。
流星がそれを見て、
「優雅はバカなのにづっきーに優しくされてずるい」
と文句を言った。どの辺に優しい要素があったんだよ。
が、「バカ」という言葉に優雅はすぐ反応し、流星につかみかかろうとした。流星はへらへらし、明らかに優雅を挑発している。嫌な奴だ。
慌てて止めようとした途端、隣の部屋の講師が入ってきた。助けに来てくれたのかと一瞬思ったが、単にうるさすぎるという苦情だった。三人そろってしばし怒られた。
驚いたことにその日以来、流星も優雅もそこそこ勉強するようになった。この上なく低レベルではあるけど。
流星はイベントを前にアイドル活動が忙しいらしく、塾にはあまり来ないけれど、個別に質問してくる。
『素因数分解って何でしたっけ?』
深夜0時も回り、そろそろ寝ようかと思っていたところに流星からメッセージがあった。方程式もまともに解けない人が素因数分解なんて無理があると思うけど、とりあえず文章で分かる程度で教えてやった。長い文章を読めない相手なので、できるだけ嚙み砕いて説明するのに苦労した。
『勉強がんばっているのな。えらいじゃん』
褒めてやると、
『あいつに取られたくないから』
と返事が来る。あいつは優雅のことだと思うけど、取られるって何をだよ。余程負けたくないようだ。
『でもよくわかんなかったから、電話してもいい?』
『今度な。もう遅いから寝ろ』
意味の微妙に噛み合わないやり取りを重ね、ほっこりした気分で眠る。自分自身も教員採用試験の勉強をしなければいけなかったが、かわいい教え子につい構ってしまう。バイトに勉強に卒論に忙しい日々が続いた。
優雅もそれなりに頑張っていた。なんと宿題をやってくるようになったのである。大きな成長だ。
十問中三問くらいしか解けていないけど、残りは塾でマンツーで教える。
「もう無理。うざすぎる」
優雅がイライラしてペンを投げる。取り組み態度は悪いけど、まだかわいい方だ。数学アレルギーの優雅にしては粘っている。
「はいはい、どこが分からないの」
ほとんど合っていないプリントの丸付けをしていた俺は手を止めて、優雅のペンを拾う。
割り算が怪しい優雅は四則演算がまったくできない。
割り算が苦手な奴はかけ算も苦手だろうと思って、自作の虫食い算プリントを用意してみたが、開始五分でキレられた。
「三×四は?」
「十五?」
最初からこけているけど、この先大丈夫だろうか。
「十二だろ。で、ここが三で答えが十二だから、四角には何が入るの?」
優雅はぶすっとして何も答えない。でもペンを取って「4」とマスの中に書き込んだ。
「正解。できるじゃん」
大げさに褒めてやると、優雅は嫌そうな顔をしてそっぽを向いた。
まあいいか。放っとけばまたやるだろうと思って様子をみていると、期待通りため息をつきながらまた頑張っている。
五十分かけて一枚仕上げさせ、キレられながら直しもさせて、最後に花丸をつけてやると、ようやく優雅も納得して帰っていった。
男子も奇数じゃダメらしい @miratan
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