第2話 自殺を止める

「たああああぁぁぁっ!!」


 女神は降ってきた。バンジージャンプどころの高度ではないところから。

 下に誰がいるかろくに確認せぬままに。いや、彼女だから確認したけど決行した可能性もあるが。


「「え!?」」


 天使と男の声が裏返った。

 女神の近くには、いま、池に飛び込んで自殺しようとしている女がいた。


「っと」


 綺麗に着地を決めた彼女は、まだ疑問のうずにいた妻を物理で止めて地面に押し倒した。

 魔法も使うが、この女神は物理のほうがよく好む。


「やめなさい」


 毅然とした声で妻に呼びかける。


「あなた……誰なの。空から降りてくるし、魔術師?」


 まずは自己紹介かと思い、天使を呼び寄せる。


「このお方は女神さまです。そして僕はその配下の天使」


 夫婦そろって、は? と声をあげる。


「そうよ? あなたが呼んだんじゃないの。祝福をくれって言ったのあなたよね?」


 夫に向かって女神は確認する。

 すると驚いた様子で彼はこくりとうなずいた。


「女神さま……よもやほんとうに来てくださるとは。お待ち申し上げておりました」


 失礼だなと心の中で毒づきながら女神は鷹揚な態度を取ってみせる。


「女神さま、先程の無礼な言葉、取り消します。どうかお許しを」

「ええ許すわ。私、寛大な神なの」



 夫婦の家に招かれた女神と天使は、また面倒なアクションをおこさないか妻を観察していた。

 台所に立とうとしている妻を夫が制止していた。


「お前は女神さまのところでお話し相手にでもなってきなさい」


 夫は、女神一行寄りの考えで、自殺しかけた妻を働かせたくないと考えていた。

 しかし、妻も言い返す。


「私ごときが話し相手だなんて不敬だわ。それよりあなたはお茶菓子の場所を知っているの?」


 妻は、家をしきるという仕事を放棄したくない真面目な性格であった。

 そして、たしかに夫は茶菓子の場所を知らなかった。


「……じゃあそれだけ教えてくれ。そしたら行ってくれるな?」

「わかったわ」


 シンクの隣の戸棚を開けて、これよ、とクラッカーを取り出した。

 夫はありがとうと言った。


「お見苦しいところをお見せして、申し訳ありません」


 妻は90度に腰を折って謝罪の意を表した。

 この世界の者たちが信仰深いというのもあるだろうが、やはり彼女の性格がそうさせるのであろう。


「そんなことないわ。私はこういう普段の会話っていうの? 見れて楽しんでる」

「女神さまはお優しいのですね」

「ほんとうですけどね」


 天使がボソリとつぶやいた。


「まあ、面白いお方ですわ!」


 あまりにも肯定されると女神さま暴走するのに………と天使が懸念を示している。


「君、よくわかってくれるわね。そこの天使と大違い!」


 ビシッと指をさされた天使が飛び上がってしまう。


「女神さま、酷いですよ!?」


 無意識に臨戦体勢に移った超常存在たちを止めたのは、夫の淹れた紅茶と妻の選んだ茶菓子だった。


「女神さま、天使さま、粗茶で大変失礼いたします。いかがでしょうか?」


 いい香りが漂う紅茶に食欲をそそられて、女神はいち早く飛びついた。


「粗茶だなんて謙遜しすぎ。すごく美味しそうよ?」

「ありがとうございます!」


 女神に賞賛された紅茶として売り出そうかと、夫は脳内でそろばんを弾いた。

 嘘だと思われなければ家業にさえできるかもしれない。

 無論、夫も女神への信仰心は持っている。しかし、それと商売、つまり損得は関係ないと割り切ってしまうのが彼の冷徹さで、かつ妻が密かに憧れているところである。


「それでは一服したところで、本題に入ろうか」


 これまで緩んでいた空気を冷たく張り詰めたものにする一言を放ったのは、もちろん女神だ。

 彼女とて、神の威厳を持っている。


「はい」


 妻ははっきりと言った。

 並大抵の人間ではできないことだ。天使は彼女を見直した。


「君、教典を読んだことはあるかい」

「……いえ、そんな高価なものを手に取ったことはございません」


 この世界では、羊皮紙が僅かに流通しているのみで、活版印刷などの技術も発明されていなかった。

 それなりの長さがある教典を、村人たちが読めるはずもなかった。


「そうか、そういえばそうだったな。でも聞いたことくらいはあるだろう。女神は自殺や自傷を許さないと」

「はい、存じ上げております」


 教会で司教が話すのを聞いていた妻は肯定した。


「理由も教典に記せばよかったかな……なあ天使よ」

「そこまで僕に求められては困ります。それは女神さまの仕事ですよ。女神さまの言う通り僕は書きました」


 女神の意志を書にしたためたのは他でもない天使だ。


「悪かったよ、責めたわけじゃないんだ」

「わかってます。いまここで語ればいいでしょう」

「ああ私が自殺を許さないのはだな、理由はたった1つだ」


 女神は指を1本立てた。


「この世界には、寿命の短い者と長い者がいる。それは生まれたときから決まっている。私のあずかり知らぬところでな」


 女神は語った。


 どうあがいても長生きできぬ者がいるというのに、自ら命を削って死ぬ行為が、どうやっても許せないのだと。

 だったら、その寿命をくれてやれ。

 でも、それは女神であってもできないことだから、寿命が尽きるまで生きろ。


 そういう主張であった。


「君はどうして死のうとする。周りにいなかったか、短命な者が」


 妻の頭には、すぐにある友人の顔が浮かんできた。

 幼馴染で、大人に怒られることでも2人なら大丈夫ってたくさん悪戯いたずらをしてきた仲だった。

 しかし彼は成人する前に亡くなった。

 流行病だった。


「いました。でも……私がいたら、獣になる私が夫の近くにいたらいけないんです。私が彼を襲ってしまうかもしれないんですよ!

 それでも死んではいけないとおっしゃるのですか」


 非情だと妻は思った。


「獣になる薬物があるんだ。君たちはのことを考えなかったか」

「……逆ですか?」


 夫が、解除する薬ですか、と答えた。


「わかっているじゃないか」

「見つけ出せってことですか。そんなの悪魔の証明です。見つからなかったらどうすればいいんですか」


 自死を許さぬのなら、夫を食い殺して仲良くあの世に行けとでも言うのか。


「……そのときは許す。君が十分あがいたことを認めよう。

 私はあがかずに死を選ぶ行為が嫌いなんだ。いま気づいたよ」


 唐突すぎる意見転換に天使が食いついた。


「……いまですか、女神さま」

「なんだ、悪いか天使よ」

「いいですよ? この世界はあなたさまのものですから、ハイ」


 女神は許せと笑った。

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