13.都への道のり
◆◆◆
呪術士の男が目を覚ましたのは、月が昇ってしばらく経った頃。森の雰囲気はすっかり変わり、風で木々がさざめく。その音は不快感を掻き立てる。
男がここに来たのは、
それは人妖2体。人妖は、人から妖怪になった存在の総称だ。通常の妖怪と違い、人にかなり近い姿をしていることが多い。見分ける方法はあるが、専門的な知識が必要になる。そして、人妖は発生が非常に稀だ。
彼は普段通りの仕事の延長のつもりであった。経験則で、すぐに終わる作業だと考えていた。ただ一つ、計算外があるとすれば、人妖の片方が結界術に精通していたことだ。呪術士から妖怪になったわけでもなさそうなのに、結界術を知っているとは想定していなかった。結界を割られたとき、結界の外の気配を探してしまった。
そんな男が起きたときに考えたこと。何故自分は死んでいないのか。妖怪が自分を生かす理由なんて何がある。それ以上に、妖怪に逃げられたことに対する
そう考えていた中、彼は後ろの気配に気付くと同時に、声をかけられた。
「起きたところ悪いが、人を探しているんだ。聞いてくれるか?」
尋ねてきたのは、白髪まじりの黒髪を後ろに束ねた、左目が花柄の
義眼の男を見て、人かと考えたが、頭に引っかかるものを感じる。その義眼を見ながら何だったか思い出そうとしていると、義眼の男はどこからか
「……こっちの方が早いか」
義眼の男が
全てが一瞬だった。呪符を取り出そうとした手を流れるように止められる。呪術士の手のひらを、
傷口の熱と苦痛で男は声を上げそうになる。両手が使えなくなったことで、今度は朽花に対して前蹴りする。それも簡単に受けられ、膝に
「……く、
呪術士は朽花に対して挑発する。だが、朽花はそれに答えるどころか反応することすらない。
朽花は更に何本か
「片方は小柄の二人組の女と、白髪の少女。心当たりはあるか?」
朽花は呪術士に聞く。呪術士は答える気はなかった。だが、朽花が
呪術士は、
「その、3人は……見た」
朽花はそれを聞き、更に刺さった
「それはいつだ」
「気絶する、直前に……」
「状況的に、戦闘で気絶していそうだが、気絶した原因は不意打ちか?」
「小柄な方が、結界を解除した。それを見て意識が逸れた隙に、攻撃を食らった……」
「3人はどこに向かったか、分かるか?」
「気絶してからは、何も見ていない。どこに行くかも、聞いていない……」
朽花はその答えを聞き、
尋問が中断したことで呪術士の苦痛が和らぐ。呪術士は、この状態からどうにかして抜け出す必要があると考えた。抜け出してから、都の
だが、その報告が届くことはない。
地面の確認を終えた朽花は、有無を言わさず呪術士の頭部に
「奴らはそこまで遠くはない。どちらが結界術を扱えるかも分かった。姿を確認でき次第、常に隙を伺え。小柄な方が孤立した時、手はず通り進めろ」
朽花は、隠れていた3人の配下に命令を下す。
朽花は、手に付着した血を拭うことも、殺した呪術士に目を向けることもなかった。
◆◆◆
目的地を都に決めてから5日が経過した。
呪術士や妖怪を避け、迂回を続けた結果、想定していたよりも時間がかかってしまった。
「あとどれぐらいで着くの?」
「聞いた内容が正しかったら、あと1日ぐらい歩けば着くかな」
「順調にいけばやけどな。呪術士が思ったより多い。ふざける余裕もないで」
ナズナを送り届ける。それを達成するのは、私たちにとって障害があまりにも多かった。人間であればしないでもいいような苦労をしている。人間であれば、普通の道を通り、普通に都に入ればいいだけなのだから。
私たちが課題としているものはもう一つある。想定以上に時間を使ったことで、食料が底をつきそうなことだ。迂回に迂回を続けた結果、村に寄ることもできないことがどうしても増えてしまった。千歳は最悪村から盗むのも手だとは言ったが、私はそれを許容しなかった。カンナなら絶対に、そんなことはやらないからだ。
「真奈、そこにキノコ生えとるで。食えるか試さへんか?」
「千歳、食べられるか知ってるよね? 考えが流れ込んだけど、そのきのこは食用じゃないよ。毒でもないけど、そもそも苦すぎて美味しくないみたい」
ナズナが口を挟んだことで、一瞬向かいかけた私の足が止まる。千歳の方に目をやると、露骨に顔を潜めていた。
「ナズナ、黙っていた方が面白いこともあるねんで?」
「そもそも知っていて嘘をついたのは千歳だよね?」
「想像してみ、苦さに悶える真奈を。面白ないか?」
「あー……」
「千歳、今度覚えときなよ。ナズナもそんなこと考えないで」
千歳に対して睨みながら、ナズナをたしなめる。
私たち三人の、普段通りの会話。これももうすぐ終わるのかと感慨深いものがある。だが、それでいいのだろう。妖怪と人は、違う生き物だ。一緒にいるべきじゃない。寿命も生態も何もかもが違う。
落ち葉を踏みしめ、獣道をかき分けていく。足元から乾いた軽い音が連続して響いた。木々の青葉は広がり、地面にほとんど光が届かない。僅かに差し込む陽光は、ほのかな温もりを感じさせてくれる。
そうして森を進んでいくと、開けた場所に着いた。そこは人の気配がない廃村。村人がいない理由は分からない。移住したのか、何かに襲われたのか。だが、今のところ人がいないのは好都合だ。
村ということは、近場に水が必ずある。そして、運が良ければ食料源になりえる農作物が残っているかもしれない。
ナズナの方を見る。少し息が上がっており、額から一筋汗が垂れている。ここまで長い間歩かせてしまった。おぶることも可能ではあるが、この場では緊急時以外は避けたかった。ナズナに触れると発生する脱力。その影響下で戦闘に入ると、悪い方向へ作用する可能性があるからだ。呪術士が多いこの地域では、そういった危険性は少なくしておきたい。
「千歳、ナズナ。一旦休憩しよう。千歳、大きめに結界をお願いできる?」
「りょうかい。どのぐらいの時間ここにいとく?」
「水と食料を確保するまで。その間ナズナを休ませたい」
「わたしも動けるよ」
千歳と話をしていると、ナズナが間に入ってくる。その目はしっかりと私を捕らえており、意思が固いことが伺える。だが、私たちはそういうわけにもいかない。膝を曲げ、ナズナと視線を合わせる。
「いや、休んで。都に入っても、目的の場所に着く前に倒れたくないでしょ?」
「そやそや。何のためにこんな危険な真似しとると思ってんねん。道半ばで倒れられたら全部台無しになるわ。あとな、ウチらの方が水や食料を探すのに向いてんねん。ナズナが手伝う余地なんてないわ」
千歳は強めに言うが、言ってることは正しい。その言葉で納得したのか、視線を下げ、その場に座り込む。
それを見て、千歳はその場から離れ、結界を張る作業に入った。
千歳が去った後、私たちは二人きりになる。千歳の言葉が余程きつかったのか、ナズナは少し落ち込んでいる。そんな彼女に対して、かける言葉を探した。
「千歳も厳しい言い方はしているけど、ナズナの安全を考えての言葉だよ」
「そんなの、分かってる。千歳の心も分かる。でも、実際に言葉で聞くと、苦しい……」
ナズナは胸元で手を強く握る。最後の言葉は、絞り出すように小さかった。
私は少しだけ考え、言葉を連ねた。
「今は苦しくてもいいんじゃないかな。時間がないのもあるし、体力を使ってほしくないのもそう。だから、今手伝えないことを悔やむんじゃなくて、後のことを考えない? まずは、都に行って、身体のことをどうにかする。それができてから、まだ私たちに恩を返したいというなら、私たちを探してみて。危険な世の中だけど、それでもなお私たちを見つけたなら、今度こそ一緒にいよう?」
それを聞いてから、ナズナは頭を上げて私を見る。その目尻には涙が溜まり、今にも泣き出しそうなのを堪えていた。
それが溢れた瞬間、時間が止まった気がした。
何かが風を切る音。それはほんの一瞬で、その時は正体に気付けなかった。
ナズナの首元に、何かが飛んでくる。細く、長いそれは、止めようにも、私が視認するまでに近づきすぎていた。
ナズナの首を貫き、目の前で赤い液体が飛ぶ。
彼女は弓矢に射られ、地面にうつ伏せに倒れた。呼吸ができないのか、血の泡を吹き出す。彼女を助けようとするが、背後の足音がそれを許さなかった。
「やっぱり、お前には攻撃させる指示をさせなくて正解だった。お前は私が相手をしないといけなさそうだ。さっきの矢も、お前に向けていたら避けられているだろう」
私は背後をゆっくりと振り向く。そこには、一人の男がいた。白髪が混じった黒髪を後ろで緩く一束に結っている。風貌は健康的ではなく、肌には皺が刻まれ、シミが何カ所にも浮き出ていた。年齢は少なくとも若いとは言えない。背は標準的で細身だが身体の芯は通っている。そして、左目には、花柄の義眼をはめていた。
「朽花……か……?」
「ああ、名前を知っているのか。それにしても、人妖が2体とは、珍しい」
朽花は、私の方だけを見ている。私は信じられなかった。ナズナが致命傷を負っているのに、興味がないような様子であることに。ナズナは、朽花の拠点から連れ出したのに。あんな檻に入れて、大事じゃないはずがないだろう。
憤りを覚え、声を震わせながら朽花に問う。
「ナズナを
「焦る? ……ああ、あのことを知らないのか。それは……ナズナと言った方が分かりやすいか。ナズナはこの程度で死ぬような存在じゃない。死なないのであれば、ああやって動きを止める方が合理的だ」
「そんな訳あるか! 明らかに致命傷だ!!」
「ナズナが呪いや妖怪を取り込む話は聞いているか? 聞いている前提で話すが、ナズナが持つ体質は、取り込んだ妖怪の特性すら自分のものにする。だから、肉体強度を上げるためにも、不老不死の特性を持った人魚の肉体の一部を取り込ませた。こう見えて、ナズナは拾ってから10年8ヶ月経っている。その間、姿は変わっていない。適切に処置すれば、肉をいくら削り取っても何事もなく再利用できる」
あれを普通の手段で殺すことはできない。朽花はそう言うが、私は自分の頭を整理することで精一杯だった。
朽花と対峙して、それなりに時間が経った。未だに千歳が動かないことに違和感がある。千歳に何かがあったに違いない。
「千歳はどうした?」
「
朽花の言葉を聞いていると、全身が沸騰したかのように熱くなる。こんなにも、怒りを覚えたことなんてあっただろうか。こんなにも、一個人を許せないなんて思ったことがあっただろうか。
あくまでも落ち着くために、奥歯を噛み締める。そうしていると、今度は朽花が聞いてきた。
「こうして質問に答えたのは、今のうちに聞いておきたいことがあるからだ。どう考えても1点納得いく理由が思いつかなかったものがあってな」
「……何?」
千歳が歩いて行った方向に意識を向ける。実際、血の匂いが漂っていないことから、出血はしていないだろう。千歳を殺していないという言葉を、今のところは信じることにした。であれば、千歳が目覚めれば勝機があるかもしれない。今は朽花の話に乗ることにする。
「私がしたいのは答え合わせだ。
何故お前たちが、ナズナを連れ出したのか。私はその前日に村を訪れている。たまたまそこに訪問したお前たちがそこで話を聞き、正義感を募らせたといったところか? それで侵入し、生きていたナズナを見つけて連れ出した。
ああそうだ。ここまでで、それとこれからも、私の認識に誤りがあれば言ってくれ。再確認は手間だ」
朽花は私の反応を伺いつつ、特に否定する様子もないことから言葉を続けた。
「お前たちを見て分からなかったのが、人妖がナズナを連れ出してから、何故捨てなかったのかだ。ナズナに触れて気付いているだろう。妖怪にとってどれだけ危険な体質なのか」
私はそれに答えることができなかった。彼女の体質を知っていたのは事実。妖怪にとって、良くないものであるとも分かっていた。
「私の恩人なら、あの子を見捨てる真似は絶対にしない」
「……なるほど。憧れからの
私は、朽花と話していて、ずっと違和感があった。何故なのか考えていたのだが、それが分かった。朽花から、感情が読み取れない。気味が悪いぐらい、お面でもつけているのかと思えるほど、表情が変わらなかった。
「ただでさえ珍しい人妖が2体もいて、それも両方が人間に寄っている。こんなことは希少も希少だ。できれば、少し話をしないか? お前も知りたいことがあるだろう」
朽花は、手を差し出して提案してくる。確かに、私も朽花について知りたいことはある。会話をすることは必ずしも無駄にはならないだろう。何より、千歳が目覚めるまでの時間をもう少し稼げる。私は朽花の提案に乗った。
「あなたは、何が目的であんなことをやっていたの?」
「あんなこと、というのは、あの倉庫で見た状況を指しての話でいいな? それであれば、呪術の研究をすることが目的だから、研究をしている」
朽花の回答に、理解が及ばなかった。何かを達成したいから、研究をしたいのは分かる。だが、研究をするために研究をするという意味が分からない。
そんな私を見てか否か、朽花は話を続ける。
「研究をしているのは呪術全般。昔は
朽花は淡々と言う。自慢するような素振りもなく、おそらく事実だけを告げている。どうして朽花はこうも、人間に見えるのに、人間的な動きがないように見えるのだろうか。見ていると、なんとも言えない気持ち悪さを覚える。
この気持ち悪さに、何か覚えがあった。それは簡単に思い出せた。
「もう一つ、聞かせて。昔、犬神を伝えた呪術士がいた。そいつも、朽花を名乗り、花柄の義眼を片目にはめていた。何か、心当たりはある?」
「犬神を伝えた家はいくつかあるが、その特徴なら完全に私だ」
「そんな……そんな訳があるか! あんな、遠い昔の話……!」
「それであれば、尚更私だな」
朽花の答えに考えるような素振りはない。理解が及ばずうろたえた。こいつは一体何を言っているんだ。何かの術の影響で記憶が
混乱している私を見て、朽花は自身の胸に手を当てた。
「この肉体は、私のものではない。戦場にあった綺麗な遺体を、術で腐らないように工夫しているんだ。
私は、人間ではない。本体は、体内に格納している呪物だ。
話しぶりから、きっとお前とは一度会ったことがあるのだろう。
姿が変わっている理由。名前がそのままな理由。再会できた理由。納得できたか?」
自然と、息が荒くなる。目の前の『物』に対して、嫌悪感すら通り過ぎた感情が芽生えてくる。頭が、こいつを理解するなと拒んでくる。
「私は、できることをやり続けるのが存在意義。私は呪いの知識を持ち、研究ができる。だから研究をする。材料を集める。そして、邪魔をして素材にも使えないならそれは処分するほかない」
朽花の言葉を聞いて、一つ確信できた。このおぞましい物体を、
そうしなければ、きっと、多くの人が不幸になる。カンナが嫌うような、理不尽な目に遭う弱者が、沢山出てくるだろう。
「なら、犬神を伝えたのは……」
「私が呪物だからだ。犬神は呪物が扱えるものじゃない。だからこそ、様々な家に伝え、年数が経ってから再訪し、情報を集めていた。人妖が発生したのは想定外だが」
私の口がわなわなと震える。今まで、こいつが起こした事で、私の生き様にどれだけ影響を与えてきたのか。
こいつさえいなければ、主人を殺してしまうことはなかった。こいつさえいなければ、私とカンナが出会うこともなかった。それは即ち、カンナが私のせいで死ぬようなこともなかった。
「さて、聞くことは他にはないか? それなら、こちらから聞きたいことが一つ増えたんだ。
お前は誰だ?
女が犬神憑きになった家はいくつかある。犬神を伝えていた時期は188年前から169年前の19年間で5件。どれの成れ果てなのか、知りたい」
「……当時の私に、
心の中で膨れ上がる感情のせいで、振り絞るような声になる。朽花はそれを知ってか知らずか、相変わらず表情を変えることはない。
「ああ、あの小娘か。……? 顔つきが……違う? いや、成長の影響か? ……まあいい。
朽花は私の答えを聞き、一瞬考えるような素振りを見せた。それはすぐに収まり、次の独り言が続く。
「それにしても、犬神憑きが人妖になったのか。再現は可能か? 何が条件だ? 幸い2体も人妖がいるのであれば、片方を潰して調べてしまってもいいか?」
その言葉を聞いたとき、私の身体は勝手に動いていた。千歳が弄ばれてしまう情景が、脳裏に浮かんでしまったせいかもしれない。
私の足は、朽花の頭部を捉えていた。骨から伝わる感覚。間違いなく、朽花の首を砕いた感触だった。
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