14.犬と花
首の骨折。通常であれば致命傷であろう。だが、
死体を動かす、意思を持った呪物。肉体は既に死んでいて、朽花にとっては器に過ぎない。
「なるほど。肉体は人に見えるが、
朽花は、首が折れているにも関わらず平然としていた。痛みを感じていないのか。死体であるのであれば、それも当然か。
「活きがいいな。多少乱暴に扱っても壊れなさそうだ。だが、持ち帰る際に、苦労しそうだな」
朽花が、おもむろに私の足に手を伸ばした。
カンナの教え、『呪術士は手に術を仕込んでいることがある』。それを思い出した私は一息に距離を取った。
朽花の手は空を切る。逃げられた事実からか、意外そうに考える素振りをした。
私は朽花ばかりを注視して、他のことが頭から抜け落ちていた。いつの間にか背後にいた男に羽交い締めにされ、動きを制限される。
「
朽花がそう言ったのを聞き、私はすかさず腋を絞める。相手を逆に自分の背後に拘束し、足を思い切り踏み砕いた。背後の相手が悶絶したことを確認すると、絞めていた腋を緩めて相手を離す。そして、回転しながら胸を目がけて蹴り上げ、胸骨を数本砕いた感触を感じた。
動きが止まった私を目がけて、風を切る音がする。それの正体はもう分かっている。音の方向から身体をよじり回避した。そして、地面から手頃な石を拾い、矢が放たれた方向へ、思い切り投げつける。石は豪速で進んでいく。それは、弓を持っていた男の頭部に真っ直ぐ向かい、男は回避できず直撃した。鈍い音とともに、男はその場で倒れる。起き上がってくる気配がない。最悪、殺してしまったかもしれないが、ここは気絶したと考えておこう。その方が、心持ちが楽だ。
「洗脳しているとはいえ、手足に勝手に動かれると予定が狂うな。それにしても、そこまで強い配下ではないが、こうもあっさりと倒すのか」
朽花は感心したような言葉を発する。朽花を見ると、折ったはずの首がいつの間にか直っていた。平然としているのは分かるが、直る理屈が分からない。何かの術としか、私には判断しようがなさそうだ。
「さっき触れようとしたときに、露骨に避けたな? 呪術士との戦いの
朽花は腰に下げていた刀を抜く。静かに、冷たい刃は、恐怖感を煽るのには十分であった。
「手間がかかる相手だと、認識した。もったいないが、腕の1本ぐらいは落とすことになってもいいことにするよ。今結界術が使える方が目覚めたら、最悪処分しないといけなくなる」
「私たちが、そんなに怖い?」
「何の話だ? そうだな、捕らえた後はお前は牙を抜き、四肢の腱を切る。狐は指を全て切り落とす。最低限これぐらいはやる」
「人を……何だと思ってるんだ……!?」
「協力者、配下、素材、その他。もう会話はいいか? 私から言い始めたことだが、これ以上は無駄だろう」
朽花が刀を構える。無駄な力が入っておらず、まるで剥製のようにも見えた。
今までのことを思い返す。私がここで敗れれば、私たちは、きっと
私だけならきっと耐えられるかもしれない。だが、そこに千歳やナズナが並んでいることを考えてしまった。その想像した内容で、寒気に襲われる。彼女たちをあんな目に遭わせたくない。
そして、もう一つ気付く。朽花に捕らえられると、カンナに相応しい生き様を送れない。
カンナのためにも、皆のためにも、私は負けられない状態にある。
歯を噛み締め、恐怖を
「朽花ぁぁぁぁっ!!」
強い感情に反応したのか、私の身体に変化が現れた。
全身の毛が逆立つような感覚と共に、体毛が体中を覆う。骨格も変化し、手の爪は鋭く鋭利なものになった。顔も変わり、周囲の匂いが更に細かく分かるようになる。
「人狼、といったところか。変わった切っ掛けは何だ? 元には戻るのか? ……調べることが増えたな」
朽花が考える素振りをする。それを私は隙と考え、攻撃を始めた。
急接近し、右腕で朽花の胴体を殴りつけた。想定していない速度だったのか、朽花は反応しきれず左腕で防御する。私の拳は朽花の腕にめり込み、骨が折れたような感触が伝わる。そのまま振り抜き、威力の大きさからか朽花の身体が浮き上がった。
普通であれば、首の骨折とあわせて、これで完全に決着はついているだろう。だが、朽花は平然と着地する。そして、折れた腕も、時間が経つとひとりでに治っていった。
朽花の肉体の謎は気になる。だが、それ以上に、今の自分の動きに、私自身が驚いていた。普段以上の動きができてしまっている。この身体の使い心地は、元々の肉体の状態を想起させた。少なくとも、カンナの肉体にはない、それどころか人の範疇にない身体能力を発揮している。
「……やはり、準備無しだと、純粋に肉体性能の高い相手はやりづらい。負荷はかかるが、人を相手にするときよりも、もっと早めに反応が必要か」
朽花は、折れていた腕の手を繰り返し握っては開く。動作の確認をしているような動きだ。何故折ったはずの首や腕が治るのか、千歳がいれば考察してくれたかもしれない。私には術の知識が足りていなかった。
「……速度の再計算。膂力の程度。術はおそらく使わないから考慮しないでいい」
独り言のように呟く朽花に対して、今度は首元に爪を向ける。再生する条件が分からないなら、頭を完全に分離させてしまうことを狙った。だが、今度は喉の薄皮一枚を切っただけで、ひらりと回避されてしまう。
これだけに留まらない。何度攻撃しても、攻撃が掠る事すら少なくなってくる。腕を振っても空を切り、蹴りを入れても手を添えて逸らされる。まるで、動きを完全に読まれているかのようだ。それでも何度か攻撃は当たっているが、気がつくとその傷は治っていた。
「この身体捌き、型があるな。誰かに教わったのか? さっき言っていた、恩人か?」
余裕がある朽花の言葉は、いちいち私のことを見透かしているかのようだった。今まで攻め続けて、治っているが傷も負わせている。なのに、朽花は一切焦っていない。至近距離から観察されているようにしか思えず、不快感に襲われた。私が声を出すと、自分でも驚くほど低く、荒い口調になった。
「喋るな、気色悪い」
「ふむ、嫌われたものだな。まあ、見るものもなくなった。時間ももったいない。終わらせてしまうか」
朽花がそう言ってから、状況が一変した。
朽花は一瞬距離を取ってくる。回避に専念していた体勢から一変して、瞬時に刀を構えた。
「反応速度高し。関節の可動予測。次の攻撃の際に修正」
また、朽花は独り言を言う。まるで私の動きを考慮し、調整しているかのようだ。
そして、朽花は完全に攻撃に転じた。それからの攻撃は、異常な精度を持っていた。
数手先読みしたかの如く振るわれる斬撃。反撃する隙がなく、避けるだけで精一杯になる。逃げようと後ろに下がっても、反撃されない程度に距離を詰めてくる。素手である私は、刀の射程の内側に入れない。石を拾い上げたり探す暇もない。全身に、切り傷だけが増えていく。それでも、致命傷だけはなんとか避けることができていた。
斬られた場所が熱い。あちこちの出血から、錆びた鉄の匂いが鼻孔を
状況としては最悪だ。倒す糸口が見つからない。
攻撃をしようにも、的確に反撃されてしまう未来を想像してしまう。先読みされたのが続きすぎたが故に、恐怖を覚えていたのかもしれない。そのせいか足が動かなかった。
朽花は懐に手を入れ、何かを取り出した。それは
その速度自体はたいしたことがない。どれもあっさりと避けることができた。ただ、その投擲は私の行動を先読みしたような軌道だった。それらは壁や樹木に突き刺さる。それに意識を取られたせいで、朽花の接近を再度許してしまう。
また速度を調整したのか、先ほど以上に反応が遅れてしまう。背後に避ける、いや、別の木があって避けられない。それであればと、朽花の左手から振り下ろされる斬撃を、自身の左側へ回避する。私の左腕に切り傷が増えたが、切断されるような事態は回避できた。
そう、思っていた。
回避出来た瞬間に感じ取った違和感。左腕全体に圧迫される感覚。左側に見えない壁があるかのように思えた。これは似た感覚を知っている。千歳がいたずらで作った結界。それにぶつかった時の感覚に似ていた。
混乱し、頭が一瞬動かない。それが、命取りとなる。
突きの動き。混乱しながらも、何とか地面を蹴って反対側へ回避した。それに対応するように、朽花が切っ先を調整する。
気付けば、私の左腕は、朽花の刀によって貫かれた。皮膚を突き破る冷たい刃。その直後に発生する灼熱。考える間もなく、腕を貫いた刀は、近場の樹木に突き刺された。刃は下向き。振り下ろしてその体勢のまま貫いたのだろう。
「こんな壁……いつの間に……!?」
「
朽花は、刀の
カンナの短刀に自ら貫かれたときは、痛みを我慢できた。カンナのためであれば、苦しくなかったからだ。
だが、今回は違う。敗北し、哀れに、無様に腕を固定されている。それに伴う悔しさによって、痛みが強く感じられた。自分の意識と関係なく、喉が裂けたと思えるほどの叫び声が出た。
「
腕ごと固定された刀を引き抜こうとするが、びくともしない。腕も、刀も、抜いたり押し込んだりすることもできなかった。
刃に触れると、指先が切れる。切れ味は封印術がかかっていても据え置きらしい。刃が下向きである影響か、自身の体重で腕が切れることはないようだ。
刀の
このままでは、千歳も、ナズナも救えない。腕の痛みが、私の敗北を伝えてくる。何もできない絶望感が、苦痛とともに全身を蝕む。
ただ、刀から伝う血が、静かに流れるのを見るしかなかった。
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