12.旅の行き先

 旅をする中で、物資は無限にあるわけじゃない。道中で食料を探すのも限界がある。故に、村を見つけると、その日限りの仕事をすることもあった。




 水の流れを阻害していた土砂に向けて、木鋤きすき(土を削りすくい上げる農具)を突き刺す。大半が泥である影響か、それはすんなりと入った。すくい上げた土砂は水分を含んでいるせいか重く、しっかり持たないと落としそうになる。私はそれを力を込めて岸に放り捨てた。


 それを何度も何度も繰り返す。普通は女がやらないような力仕事であるが、普通より身体能力の高い私には苦にならなかった。


 この作業は朝から始めたが、もう昼を過ぎてきている。二人を待たせるのも良くないと作業を急ぎ、次第に水の流れがまともになった。


 小川とはいえ、農村の大事な水源だ。


 どうやら落ち葉や土砂が、雪が解けると一気に流れたらしい。春になっても水の量が例年より少なく、農民たちは困っていた。

 そんな中、村を訪れた私が仕事を請け負ったのが現状だ。


「石も除けたし、流れも戻った。これで問題ないかな」


 私はそう呟くと、鋤を肩に担いで農村へと戻った。




「手伝ってもらって悪かったな。これは手間賃代わりだ」


 農民の一人に鋤を返すと、彼は私に何かを渡してきた。皮袋に入ったその中を見ると、干し飯ほしいいと川魚の干物が入っている。ありがとうと言い、千歳とナズナとの待ち合わせ場所に移動しようとすると、農民から呼び止められた。


「女だけで旅をしているなんて危なっかしい。この村にいてもいいんだぞ?」


「好意はありがたいけど、移動しないといけない理由があるんだ」


「ふぅん。お尋ね者、って訳でもないんだよな?」


 彼はそう言って、腕を組んだ。少し疑われているのだろうが、そういうやましいことはない。私は少し笑顔を作って言う。


修験者しゅげんじゃにでもなろうと思ってね。修行している集団に入ろうと探しているんだ」


 修験者は超常的な力を得たり、悟りを開くために修行している者たちのことを指す。そういう個人や集団がいることは噂で聞いているが、実物は見たことがない。


 これはあらかじめ決めている嘘だ。


 参詣なんて言うと神社に誘導されかねない。ああいう場所には呪術士が出入りしている。


 商人としては何も持っていなさすぎる。こんなことを言えば怪しまれるに決まっている。


 なので、適当に修行をしたがる変わり者と見られた方がマシだと判断していた。


「……そうか。ここを出る前に言っとくことがある。そっちの山を進むのはやめといた方がいい。最近妖怪が出たって話があって、今は誰も近寄らん。比較的人通りも多い平地を進むといい」


 彼が山を指さす。ちょうど次に行く想定だった場所だ。戦闘はなるべく避けたいが、平地は人が通るのか。それならナズナの体質上、万が一がある。面倒が起きても嫌なので、迂回する必要がありそうだ。


「ありがとう、注意しとく」


「都の呪術士様にそろそろ連絡がついてもいいんだが、まだ処理したって話がないんだ。もし会ったらよろしく言ってくれ」


 分かったとだけ返し、私はその場を後にした。その呪術士と会っても、自分たちは妖怪だ。場合によっては話がこじれかねないから、会わないに越したことはないだろう。




 少し歩き、村の広場に着いた。


 用水路で子供たちが、水の流れを喜んでいる。自分の仕事で喜んでいる人を見るとこんなにも嬉しいのか。


「真奈! おつかれさま」


「ナズナ、千歳はどこ?」


 広場の地面を眺めていたナズナは、いち早く私に気付いて声をかけてきた。一方で千歳の姿が見当たらず、辺りを見渡しながら聞いてみる。


「あっちで遊んでるよ」


 ナズナが指さした方向を確認する。すると、子供と遊ぶ編み笠を被った少女を見つけた。彼女は子供から逃げ回り、捕まえられるような様子はない。どうやら鬼ごっこに熱中しているようだった。


「おーにさん、こちら。手の鳴る方へ」


 千歳は子供たちに対して手を叩きながら煽る。子供たちは千歳を何度も捕まえかけるが、するりするりと避けていった。


 そんな彼女を見た私は、千歳の移動方向へ先回りし、すれ違い様に彼女の頭を引っぱたいた。


「千歳、もう行くよ」


「いっっったぁ……!? ウチの頭割れとらんよな、これ……?」


 千歳は叩かれた衝撃で地面にうつ伏せに倒れ込む。片手で頭を押さえ悶絶しだした。相当痛むのか涙目を浮かべている。


「割れていても編み笠で分からないよ。ナズナも行くよ」


 子供たちからはちょっとした非難はあったが、こちらも長い時間滞在するわけにはいかない。なだめながらも、私たちは別れを告げて村を後にした。




 ナズナを保護して5日目。


 私たちは絶えず移動し続ける日々を送っていた。


 アテのない旅で、どこに向かうのかも正直分かっていない。


 道中妖怪を見つけると、千歳の結界でやり過ごす日々。


 万が一二人を巻き込まないために、なるべく戦闘は避けるようにしていた。




「ああ、そうだ。こっちの山は妖怪が出るらしいから、ちょっと迂回していこう」


 私は村で言われたことを、山を指さしながら伝えた。二人はそれに賛同しながらも、千歳は口を開く。


「平地は人が通るし、進むんなら森やな?」


「まあ、そうなるね。山に近いけど、仕方ないかな。あの村の最寄りの集落がこっち方向みたいだから。さっき仕事で食料はもらったけど、少し心許ないし、やっぱりこっちに進むしかないか」


 食料さえ足りていれば他の道を進む考えもあっただろう。だが、今の私たちには子供が一人いる。あまり食べなくても問題ない私たちとは違い、ナズナは人間だ。彼女を飢えさせるわけにもいかない。




 守りたいものがある。自分よりも優先したい人ができる。カンナが何故、私を守ろうとしたのか、理解が深まった気がした。




 森の中は穏やかな雰囲気に包まれていた。僅かに差し込む日差し。そよ風が、若草と湿気た落ち葉の匂いを運んでくる。名前も知らない鳥が飛び立ち、大きく枝を揺らした。


 私たち三人は、余計な警戒心を張り詰めることもなく、静かに歩いている。


 平和な時間だ。このまま時間が止まってしまえば、永遠に続くのだろうか。


 容易く崩れるような脆い平和だとは分かっている。でも、そう考えた方がきっと幸せだ。




「もうすぐ日も落ちんな。二人とも、野営の準備しよか」


「そうだね……いや、ちょっと待って」


 野営をしようと判断したとき、異常を感じ取った。急速に近づいてくる匂い。明らかに、それはこちらに向かってきていた。


 千歳の結界は間に合わない。二人を後ろに下がらせ、私は臨戦態勢を取る。


 何かが来た方向は山の方角。何らかの理由でこちらを察知したのだろうか。今は理由を考えるのも、逃げる時間もない。


 そして、私の目はその姿を捕らえた。人の形を取っているが、頭からは角を生やしている。体格はそこまで大きくはない。いわゆる小鬼だった。


 だが、様子が変だ。こちらを襲おうとしているなら殺気を孕んだ目をしていてもいいはず。なのに、小鬼は怯えているような目をしていた。


 あと数歩、近づけば迎撃する。そのつもりであった。


 小鬼はその直前、背後から無数の呪符の帯に絡み取られる。小鬼は抵抗できることもなく、奥へと引きずり込まれていった。


 そこから上がったのは小さな悲鳴。それは、何かを斬るような音ですぐに止まった。


「逃げられて、捕まえて、やっと始末できたと思ったんだが……」


 何かを呟きながら木陰から誰かが現れる。ゆらりとした、けだるさをおびた雰囲気を纏っていた。それは、刀を持った呪術士。左腕には呪符の帯が巻き付き、頭だけになった小鬼を掴んでいる。年齢は若く、伸びた黒髪を後ろに束ねていた。衣服には返り血のような形跡がいくつかある。時間が経っているような血痕もあり、これまでの戦闘を物語っていた。


 私は、血痕だと思った赤い染みに、違和感を覚えた。一個だけ、血痕ではない。それは赤い刺繍ししゅうだった。ただのそういう意匠かと考え、思考から排除する。


 呪術士は私たちを見ながら、小鬼の頭を捨て、呟いた。


「人が三人。いや、こいつら人妖か。人妖が二体。珍しい。ああ、でも、仕事が増えたな。面倒くさい」


 呪術士はそう言うと四方に呪符を投げる。何をしているのかと思った矢先、四方を半透明の壁で囲まれた。


「封印結界だ。一体も逃がす気はないよ」


「真奈、封印結界なのは本当やな。出入りはできんし、視認性を度外視して強度を上げとる。力業で割るのは無理や」


裏宰りさいの名において、貴様らを狩る」


 呪術士が言った言葉、『裏宰りさい』について、聞き覚えがあった。カンナが言っていたことを思い出す。都の呪術士組織、通称『裏宰りさい』。彼らは妖怪を敵視している者が非常に多い。こうして逃げ道を塞いできたことから、説得は諦めた方がいいだろう。


 ゆっくり息を吐く。呪術士を視界に捕らえ、些細な動きも見逃さないように注視する。私は、死ぬわけにはいかない。カンナの二度目の死は、無様なものであってはいけない。


 左腕の帯はおそらく自由に動かす以外に何かの術をかけられている。捕まらないようにする必要がある。必要であれば、懐に入れているものを使う必要がありそうだ。


 私が動かないことを見てか、呪術士は懐に手を入れた。私はそれに反応して体勢を落とす。


 呪術士は、数枚の呪符を私に投げつけてきた。呪符が勝手に追尾するような様子はない。私は焦ることなくそれを回避する。そして、避けるついでに地面の石と木の枝を拾い上げた。


 回避後に体勢を立て直すと、私は石と枝を投げつける。呪術士は投石を躱し、枝は刀で切り落とした。


 刀を振り下ろした隙を見逃さず、急接近。刀の間合いの直前で、地面の落ち葉を蹴り上げた。


 視界を遮る落ち葉の壁。相手からは見えないが、私は匂いから多少は動きが分かる算段だった。


 落ち葉の壁を抜け、気絶させるために拳を構える。この攻撃に殺意はない。無意味な殺害は避けたかった。何よりも、今戦っている相手は裏宰りさいの呪術士。そうであれば秩序を守っている存在だ。殺してしまった時の意味合いが、悪党と全然違う。


 拳が当たるかと思ったその時、目の前に複数の帯の壁が見える。呪術士は落ち葉の壁を見るやいなや、地面に左手を当て、帯を周囲に展開していた。


 私は手を止め、懐から短刀を取り出す。それはカンナの形見の短刀。引き抜いた刃は手入れされ、鋭く研がれている。短刀を振るうと、帯はいとも簡単に切り裂かれ、地面に落ちた。


 だが、それに対して呪術士は笑みを浮かべる。切り落とし、短くなったはずの帯が更に伸びた。それはあっという間に私に絡みつき、それと同時に脱力感を発生させる。やはり帯に術がかかっていたようだ。


「刃物持ちを想定していない訳がないだろう。わざと全部ではなく一部だけ伸ばし、帯に対する対策を誘った。懐に何か持っていそうだったからな。妖怪で術を使ってこないのに、懐を意識した。それなら、大抵が刃物か投擲物だ。わざわざ地面のものを拾って投げたから、残った選択肢は刃物になる。

 残る懸念は邪魔されることぐらいだが、戦闘できるのはお前だけだろ?」


 ぎりぎりと帯は私の身体を締め付ける。意識が薄れ、万事休すかと思った矢先、何かに亀裂が入るような音がした。一瞬岩でも割れたのかと思ったが違う。いつの間にか、周囲の空間が、ひび割れていた。


「は? 結界術を解くなんて誰が!?」


 呪術士は焦りながら周囲を確認し、千歳の笑みを視線に捉えた。誰が結界術を解除したのか、理解したときに私に向けた意識が一瞬外れる。


 --その隙を逃すことはなかった。


 拘束の緩みを察知すると、私は短刀で拘束を抜き出す。そして、短刀を持っていない手で呪術士の顔面を掴むと、地面に後頭部から思い切り叩き付けた。


 地響きが起きたかのような衝撃。自分でもここまで力を込めたことがあっただろうか。


 殺してしまったかと思ったが、呪術士は幸いにも気絶しているだけで済んでいた。




「千歳、結界解除はもっと早く出来たでしょ」


「あ、バレた? でも隙は作れたやろ?」


 私が確認をすると、千歳は悪びれもなく返してくる。確かに、あの隙がなければ私は拘束を抜け出せず殺されていた。そこは認めざるをえない。


 千歳は呪術士に近寄ると、服を確認しだした。刺繍を見た千歳は私たちに手招きをする。


「これ見てみ。刺繍があるやろ。これは、裏宰りさいの呪術士の証や。術を使った特殊な糸が使われとるみたいでな、服を剥ぎ取って偽装はできん」


 刺繍なんて珍しいと思ったが、象徴だったのか。


「呪術士は呪術士でしょ。警戒対象としての扱いは変わらないと思うけど」


 私の言葉に、千歳は首を横に振った。千歳は真剣な表情で言葉を続ける。


「ウチが言いたいのはそこやない。刺繍の色、赤いやろ。これは意匠とあわせて階級を示しとるって聞いたことあんねん。色は6種類、意匠は大小を示す2種類で計12種類やな。赤色で、この意匠でこの色なら確か、小礼しょうらいやったな。刺繍の意匠が六角形に囲まれる形で、中央につぼみ、蕾の周囲には葉っぱであれば小。円形に囲まれる形で、花柄があれば大。詳しくは知らんけど、冠位十二階かんいじゅうにかいを元に作られた階級らしいわ」


「冠位十二階?」


 私もナズナも首をかしげながら思わず口に出す。千歳は「ほんまにウチも知らんからな?」とだけ答え、本題はまだとばかりに口を動かした。


「確か小礼しょうらいも高位の呪術士やけど、これよりも上の階級がおる。青色や紫色の刺繍を見かけたら、何事にも優先して逃げた方がええ。その色が示すのはにんとくっていってな、らいなんかよりも桁違いの強さや。最上級である大徳だいとく階級相当の話で有名なのが、酒呑童子しゅてんどうじ討伐の逸話や大百足おおむかで討伐の逸話やったかな。まあ、そんなん早々会わんやろけどな」


 今戦った相手よりも、ずっと強い相手がいる。その事実に背筋に冷たい汗が流れる。私は、カンナに相応しい死に様を迎えられるのか、不安になってきた。




 そして、それは一つの考えを浮かばせてくる。


「千歳、妖怪だけじゃなくて呪術士との戦闘も危ないと思う」


「まあ、相手と規模感によっては巻き込まれかねんな」


「ナズナだけだったら呪術士に保護してもらえるだろうけど……私たちのどっちか片方が隣にいたら確実に話がこじれるし……」


「わたしは一人でも平気だよ?」


「「そういう問題じゃない」」


 ナズナの発言に思わず私たちの声が重なった。ナズナを一人にして、万が一惹き付けられた妖怪が消えなかった場合は悲劇になる。誰かに拉致され、特異体質が発覚しても問題だ。


「じゃあ、この人はどう?」


 ナズナは気絶させた裏宰りさいの呪術士を指さす。今の状態で二人にさせるのは、ナズナの体質を考えると中々危ないだろう。起きるまで一緒にいると、私たちと顔を合わせることになる可能性が高い。何かしらの感知する手段を持っていたら隠れていても無意味だろう。そうなったら今度こそ殺し合いになりかねない。次に戦って、ナズナを守れる余裕があるとは思えない。




「真奈、千歳。もう離れよう。そろそろ危ないかもしれないから」


 ナズナが何かを感じとったのか、心配そうな目で私たちに言う。確かに戦闘やその後の休息から時間をそれなりに使っている。結界も張っていない今、何が起きるか分からない。私たち三人は、この場を後にすることにした。




「ウチ、提案があるんやけど」


「何か思いついた?」


「ナズナ、都に預けへんか?」


 千歳が提案した内容は、ナズナにとっては安全だが、私たちにとっては危険極まりないものだった。


 都に向かう。それは呪術士がいる場所に向かうこと。妖怪である私たちには、死地に近づくことと何も変わらない。


 でも、現状それしかないのであれば、危険を承知でやらないといけないのかもしれない。


「預けるのはいいけど、どうやって?」


「んー、都に向かう集団に預けるか?」


「それはナズナの体質から危ないでしょ」


「それなら、ウチらが近くまで送るしかないな」


 ナズナの体質をどうにかする手段を、私たちは持っていない。このまま連れ歩くのはどうしても限界があった。


 ナズナの体質を安全に調べられる場所があるとすれば、都ぐらいだ。正規の呪術士に、本人が助けを求めるしかない。連れ添おうにも、私たちは、都には入れない。


「ナズナは、大丈夫そう?」


「……うん」


 ナズナに聞くが、その回答は少し寂しげな雰囲気を感じた。

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