11.犬と忌み子
◆◆◆
太陽が昇り始め、山奥の
廃寺の
僅かに白髪が混じった黒髪を後ろで緩く一束にまとめている。背丈は標準的で、細身であった。そして、左目に花柄の
その男は、破損した柵を拾い上げ、観察するようにじっと見つめている。
その後ろにいるのは三人の配下。そのうちの二人が、顔を下げ立ちすくんでいた。
「
「余計な情報だ。何が起きたのかは聞いた通りで間違いないのだろう。痕跡から状況はほとんど分かった。それであればお前たちのその時の背景などどうでもいい」
朽花と呼ばれた男は淡々と返す。配下に何も関心を向けず、言葉を続けた。
「まず、
そして、おそらく昨晩の侵入者は最低でも二人ほどだ。
結界を解除せず穴を開けるという高等技術。一朝一夕でできるものじゃない。相当な熟練者で、警戒心が高い。
それなのに、この檻の壊し方が雑すぎる。感知用の結界を張っていたのに、それを無視して壊す真似も妙だ。見張りを気絶させる手段も、不意打ちとは言え短絡的だ。ここまで高度な結界術の運用をできるのに、術を使っていないことにも違和感がある。
それであれば、それぞれ別人と考えるのが自然だろう。
罠を判別するにも技術が必要なのに、罠にかかっている者がいないこと。あの実験体以外に他の何かを持ち帰ろうと物色した様子がないこと。これらから少数による手口の可能性が高い」
事実情報から考えられる推測。朽花の考えに余計な思考は混ざっていない。
「あの実験体は替えが利かない。これから支度が終わり次第、あれに持たせておいた追跡用の呪物を辿る。お前たちはいつも通り補助に専念しろ」
朽花が指示をすると、三人の配下は散り散りになり、各々の準備を進めだした。
朽花はまばたきすることもなく立ち上がり、ゆっくりと
◆◆◆
気付くと、私は檻に囚われていた。うずくまりながら、何かに怯えている感覚に襲われる。そして、私はここが自分のものではない誰かの記憶だと気付いた。
よくよく見ると、ここはあの廃寺の
誰かが
その人物の片目には、花柄の義眼が嵌められていた。
反射的に飛び起きた私は、夢の内容を失念していた。あるはずのないものを見たような感覚だけを覚えている。冷や汗が背筋を伝い、息が少し荒くなっている。
保護した少女の枕は私の太ももを枕にし、小さいながらも寝息を立てている。
だが、千歳の姿がない。どこへ行ったのかと、少女の頭を下ろした。そうしたところで、魚を焼いた香りとよく嗅いだ匂いが近づいてきた。
「お、起きたんか。保存食の干物にした魚、焼いておいたで」
そう言って千歳は
焼きたてのそれは軽い塩だけを振っており、塩味が身に染みるような感覚を覚える。妖怪となってから、食事を取らないことに慣れていた。だが、今回のような疲労を伴う行動をした際には、流石に何かを食べて回復を促しておくに越したことはない。
そうして魚を食べ終えた頃に、膝上に頭を戻させた少女が目を覚ました。目を覚ましてからしばらく動かず、目だけを動かして何が起きているのかを考えているようだった。
「起きた? 大丈夫、私たちは酷いことはしないから」
その言葉を聞いて、少女は警戒しながらも恐る恐る、身を引きながら体を起こす。いつでも逃げられるような体勢を取っている。会ったばかりだから信用されるわけもない。こうなるのも当然だろう。
「真奈、例の子も起きたんか?」
そこに千歳が再度顔を出す。手には先ほどと同じように焼き魚を持っており、
「これでも食べ。さっき焼けたばかりや」
千歳は魚を少女に差し出し、少女は恐る恐るそれを受け取る。こちらを見ながらも、魚を口に付けて頬張った。そこからは早く、魚の身がどんどん剥がされて口の中に収まっていく。
少女が焼き魚を食べ終わったことを確認すると、私たちは出発する準備を始める。薪の燃えかすを隠し、魚の頭や骨を埋めた。追っ手がどこまで来ているかも分からない。追跡可能な痕跡は出来る限り消しておく必要があった。
「真奈、ウチは一旦寝るわ。さっきから船をこぎかけてんねん。気を緩めたら意識が飛びそうやわ」
出発直前になり、千歳は私に告げる。気をずっと張っていたからか、彼女の目の下には隈ができており、相当疲労が蓄積していることが見て取れる。
千歳はあくびをしながら、唐突に保護した子に向かって足を進めた。彼女の服をまさぐり、何かを探すような動きをする。そして、服の内側に手を突っ込むと何かを取り出した。
「何か変な気配があると思ったわ。服の内側に縫い付けて二重構造にして見つかりづらくしとるとはな。普段ならすぐに気付けたはずやのに、しくったか」
「千歳、それは?」
「追跡用の呪物やろ。同期けっ……いや、
千歳は呪物を眺めながら言う。眉間に皺を寄せ、舌打ちをした。
「投げ捨てようか?」
「やってもあんま意味ないで。そもそもこの樹海でどう遠くに投げんねん」
そう言われて周囲を見渡す。あたりは木で生い茂り、日の光はほとんどが枝や葉に遮られていた。こんな場所で投げ捨ててもすぐにぶつかってしまうだろう。ちょっとした時間稼ぎにしかならなさそうだ。
千歳がその呪物をその場に捨てると、両手を私に差し出してくる。何をしたいのかと思っていると、しびれを切らしたのか不満げに口を開いた。
「はよ抱っこせえや。真奈は荷物を背負う必要もあるのにウチも更に背負うつもりか? それとも肩に担ぐんか? それなら勘弁してほしいんやけど」
「ああ、ごめんごめん。紐はあるよね?」
千歳はこれやなと言いながら紐を渡す。千歳を抱っこする形で担ぐと、紐を使い身体を固定した。
千歳は身体が固定されたことを確認したのか、次第に静かな寝息を立てた。
私は荷物を背負い、保護した子供に手を差し出す。
「貴女は、歩けそう?」
「自分で、歩ける」
彼女は渋った表情をしながら、私の手を払いのける。
彼女はそう言ったが、手放しにするわけにもいかず、結局は手を繋ぎながら移動することになった。
相も変わらず、彼女の身体に直接触れると発生する妙な感覚。身体の中の何かが吸い取られるような感覚。力が抜ける感覚にも近いものであったが、致命的な何かが起きるような気はしなかった。そして気付く。ずっと心の奥にあった、カンナへの贖罪意識。これが、触れている間だけ薄れていった。
「ねえ、聞いてもいい?」
彼女は私に問いかけてきた。こちらを見ることもなく、心を許していないような様子。それもそうだ。私たちは、見ず知らずの突然現れた妖怪でしかないのだから。
「あなたは、あいつとどういう関係?」
「あいつ?」
「花柄の義眼を付けた、呪術士」
「私も、あいつが何なのか知りたい。大昔、会ったことのある呪術士と同じなのか」
「同じだよ」
彼女はそう即答して、それ以上の言葉は繋げなかった。どういうことなのか聞こうとしたが、どうしてか言葉に詰まった。彼女はこちらを見ていないのに、心の中を見透かされているような感覚を覚える。呪術士が何か実験をしていたのであれば、使い捨ての素材でないのであれば、彼女自身に相応の理由があるはずだ。それに気付いてから、彼女に深入りしていいものか、私は迷った。
「わたしのこと、聞きたい?」
「教えてくれるのであれば、聞いておきたいかな」
「あいつが、間引くような子供を集めていたって、話は聞いているよね?」
「うん、そんなやり取りがあったのは聞いている」
「わたしは、
農村で生まれた白髪の忌み子。それが彼女だった。
農村では彼女の周りで不吉なことがよく起きた。一緒に遊んだ子供が怪我をするのは当たり前。彼女が四歳の時に兄弟全員が、七歳の時に母親が、十歳の時に父親が突然失踪した。
誰も彼女に近付くことはなかった。ただ、放置した結果盗みに入られ、近付かれることを避けたかったのだろう。農民たちは、彼女のために小さな食料庫を置いた。
無理矢理追放もできただろう。石を投げて殺すこともできただろう。だが、何が条件で不幸が来るのか分からなかった農民たちには、危険を承知でそんなことをする度胸も勇気もなかった。
そうして一人で孤独に生きてしばらくした後、呪術士が村に来た。
間引く子供を欲していた呪術士に、村人たちは喜んで彼女を差し出した。味方のいない彼女に拒否権はなかった。
そこからは地獄だったという。体を弄られ、何かを埋め込まれたり取り出されたり。幾度も体を切り刻まれた。妖怪と一緒の檻に入れられたこともあるが、その妖怪はいつの間にか消えていたという。何の肉かも分からないものを、生きるために食う日々。比較のために他の子供が犠牲になるのを何度も見た。何故か生き残りながら、発狂しそうな苦痛の中。死ぬこともできず、自殺する度胸もなかった。時間感覚もなくなってきた頃、私たちによって助けられた。
「なんで、わたしを助けたの?」
立ち止まった彼女は私に問う。彼女はいつの間にか私を見ていた。淡い水色に白が混じった曖昧な色。虚ろで、別の所を見ているのかとも錯覚する。
私は、それを見て
「まともな生活も知らずに、虚ろに死んでいくのは、寂しいと思うんだ」
「まともな生活って、何?」
それを言われて、私は言葉に詰まった。言われてみれば、まともな生活がなんなのかを、私は知らない。
「……普通を知らない奴が、普通を語るなんてなんだろうね?」
つい自嘲気味に呟いてしまう。この子を安心させないといけないのに、私は何を言ってしまっているのだろう。千歳が起きていたら小突かれていたかもしれない。
彼女の話を考慮する。忌み子として扱われたことを隠して村に保護して貰うか? でも、人が消える理由を知らないと、悲劇がまた起きるだろう。
一度千歳と方針を相談しよう。もし、この子が私たちと生活することになれば、拠点が必要になる。追跡用の呪物を捨てた今、朽花の追っ手の心配は少なくなっているだろう。だが、あの呪術士にはどうにも胸騒ぎがしていた。
「拠点を構えるのは、やめたほうがいいよ」
「……どうして?」
彼女の言葉にどうしても疑問符が浮かぶ。心を読まれているかのような発言が繰り返されていることも気になる。何か、この子には秘密がある。
「わたしは、呪いや妖怪を惹き付けてしまうんだ」
彼女が語る、彼女の『体質』の話。朽花の研究によって明らかにされた異常性。周囲から人が消える理由そのものだった。
彼女は特異体質の持ち主だった。朽花が名付けたその特性の名前は、『
呪いを取り込む関係で、近くにいる人間の考えを読み取ることがあるらしい。人の想いは呪いでもあるが故だという。全て読み取れるというわけでもないらしいが、それがさっきからの読心の理由だろう。
妖怪は、人の感情から生まれる。だから呪い同様に惹き付けてしまうらしい。彼女の周りで人が消えるのも、妖怪による仕業の可能性が高い。その妖怪も、彼女に触れたら意識に関係なく取り込まれて消えてしまうのだという。
通常であれば妖怪は消滅するのに、私たちは何故か消えていない。その理由を考えると、人から変化した、実体を元から持っている存在であるからだと、この場は考えることにした。
「ナズナ」
「え?」
「わたしの名前。ナズナっていうの」
ナズナは私を見て少しだけ笑った。どういうことかと思っていると、ナズナは言葉を続ける。
「わたしの事を知っても、あなたは離れようって思わなかった。それが、うれしかった……」
私はそれを聞いて、横穴にいた頃の自分を思い出した。誰とも会わない孤独を生き、カンナと出会った。彼女は、私のことを知っても離れようとしなかった。
それが今の状況と被る。私は、カンナのように、彼女を守り通そうと思った。
◆◆◆
大きな
花柄の義眼を持った男、朽花。彼はそれが目的の物で間違いないことを確認する。
「結界術と呪術を組み合わせた術だったが、やはり途中で気付かれたか。術の摩耗具合から計算すると、それなりに時間は経っていそうだな」
朽花は配下への説明もかねて言葉にする。その木片は、その場に捨てられた。
「申し訳ありません。私たちが廃寺の処分に時間をかけたばかりに」
「あの素材を残す訳にはいかなかった。そして、私は呪符の類いを扱えない。無駄な話を二度もさせるな」
男たちは、拠点として使っていた廃寺を焼き払っていた。山火事になる可能性があるにも構わず。周囲の被害など度外視して。
「呪物を捨てられたとなると、追跡はもう無理なのでは?」
配下の一人がそう言うが、朽花は無視して地面を確認する。僅かな沈黙と緊張。そして、何かを把握したのか立ち上がり、三人の配下に告げた。
「小型の妖怪を捕らえろ。持ち運びできる程度の大きさだ。近づけば妖怪の反応でどこにいるのか把握できる。
そして、侵入者は二人だ。足跡から判断できる骨格から女が二人。内一人は足が小さいことと沈み込みの浅さから小柄だろう。
見つけたら知らせろ。片方は高度な結界術を扱う。くれぐれも察知はされるな」
指示をする朽花は、目を閉じることなく、
◆◆◆
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