10.廃寺にあるもの

 朽花くちばなに近づくに伴い、死臭がせそうになるほど濃くなっていく。人から妖怪になったことで、嗅覚が強くなっているのも影響しているだろう。


 私の後ろでは、千歳が息を切らしながらついてきている。それを見て少し足を止めた。


「真奈、この夜道で、よくそんな速度で進めんな? 進みづらない?」


「さあ……鼻が利くのと、慣れているからかな?」


「ウチも、真奈ほどや、ないけど、鼻は利くんやけどな。鼻つまみたなるぐらいには、気持ち悪い匂いやわ」


 千歳は私に追いつくと足を止め、その場に座り込んだ。彼女は小柄だし、朽花が進んだ道は見通しが悪い。千歳にはかなり進みづらいだろう。


「千歳、身体がなまっているんじゃない?」


「ウチは、狩りとか、やらんからな。ああ、しんど」


 そして、千歳は私に向けて手を伸ばす。起き上がるのを手伝ってほしいのかと思ったが、千歳が次に発した言葉は想定と違うものだった。


「真奈、疲れたわ。おぶって」


 彼女は額に汗を流しながら、特に恥じる様子もない。笑顔で手を伸ばす千歳を、冷たい目で見た。




「なあ、指先で小突いただけでこんなに痛かったか?」


 千歳はおでこをさすりながら聞いてくる。若干の涙を浮かべていたが、私は無視した。


 そうして朽花から一定の距離を取りつつ追跡し、たどり着いたのは山奥に隠れた廃寺はいじ。建設途中で放棄されたようで、中門の塀は骨組みだけ作られてほとんど朽ち果てている。骨組みの向こうは草が生い茂り、まともな管理がされていないように見受けられた。


 千歳は廃寺を見るやいなや、門に近づいて止まる。私が近づこうとすると、手のひらをこちらに突き出して制止した。


「結界が張られとるわ。近づかんほうがええ」


「分かるの?」


「何度もカンナの家に忍び込んだからな」


 その言葉に何か言いそうになったが、私は流石に堪える。今は目立って見つかるわけにはいかない。感情を抑えるために、深呼吸する。


 千歳は結界に触れ、感心したような様子を見せた。そして、考えるような素振りを見せながら口を開いた。


「色んな結界術を見たけど、どれも設計図を参照しとるような似たような作りが多いねん。カンナのやつはだいぶ独自の改造をしとったけど、それでも基盤のようなものは一緒やったわ。

 これも同類っぽいけど、なんかちゃう。改造でもないな。なんか、古臭いわ」


「つまり?」


「作った人はだいぶ老齢やないか? それか、だいぶ古い書物で結界術を学んだんか……? いや、でもあの後ろ姿は老いぼれてるようには見えんかったな……。ウチは独学やけど、カンナの術を解析して得た知識やから大きな違いはないと思うし。……なんか気持ち悪いわ」


 そう言った千歳は手を離し、私を連れて廃寺から距離を離した。何かと思ったが、想像以上に離れ、開けた場所に着くと荷物を下ろした。


「朽花が出るまでここで待機や」


「なんで!? すぐそこだし、千歳なら入れるでしょ?」


「一人ならどうにでもできるけどな。二人となると見つかる可能性があんねん」


「見つかってもすぐに気絶させてしまえばいいでしょ?」


 変なことを言ってしまったのか、千歳は呆れた目でこちらを見た。大きくため息をつきながら、私が分かるように言ってくる。


「あんな、結界内に入るんなら術士がその中にいないことが定石や。結界内に入んのは、罠に飛び込む獣と一緒やで。罠にかかったときに術士がおったら、いつ殺されてもおかしないわ。そうなったら罠を解く暇もないで。要するに何があるか分かったもんやない。一歩間違えれば即死だってあり得るねん」


 その言葉を聞いて息を呑む。私がいかに軽率な発言をしていたのかと思い知らされる。


「あとな、呪術士を侮ったらあかん。強い奴は本当に手に負えん。カンナより強い奴だって何人もおる。そんなんにウチらが勝てると思うか?」


「ごめんよ。分かった、反省した」


 分かりゃええねんと千歳は言い、夜営の準備を始めた。これからやることの危険性を考える。これからやることは、本来やらなくてもいいような事だとは分かっていた。でも、危険性を再認識してもなお、私は放っておくことはできなさそうだと自分の心を見直した。




 そして時は経ち、二日後の夜、朽花が配下らしき人物を一人連れて廃寺の外に出た。目的こそ分からないが、これ以上ない潜入の機会だった。




 私たちは荷物を置いて、廃寺に近寄る。千歳が先行し、結界に触れながら何やら操作を始めた。私はそれを眺めるしかできず、千歳に聞いてみる。


「それ、どれぐらい時間がかかりそうなの?」


「え? もう終わったで。穴を開けてん。結界を完全に解除するとすぐに術士にバレるしな。これでも長引くとそれだけ気付かれやすいで。はよ行こか」


 千歳がそう言うと、違和感のあった境界が一部だけ消えていることが分かった。


 まず感じたのは甘ったるさ。そして、錆びた鉄のような血生臭さ。それ以外にも薬草を燃やしたような、清涼感のある香り。それらが全部混ざった、吐き気を覚える臭気。空気は肌を突くような寒気を帯び、吹いたそよ風が逆に気持ち悪い。明らかに異常な空間だと分かる。「近づくべきやない」とまで言った千歳の気持ちも分かる。


 だが、ここで引けば私は後悔するだろう。そして、カンナならこういう非道な呪術士を許さないだろう。そう信じて、二人は廃寺に侵入した。




 廃寺の中は草が生い茂り、手入れはほとんどされていない。建物は半分以上が朽ちており、山中にも関わらず空気が悪い。結界内と外では全くの別世界のようにも感じられた。


「真奈、今ならまだ戻れるで」


「戻らないよ。朽花以外の呪術士のところに出入りしていたなら、怪しい場所とか分かる?」


 相変わらず嫌そうな表情をする千歳。それに対して私は呪術士の拠点に潜入経験のある千歳なら何か知っていないかと期待して問いかけた。


「それは、人にもよるな。そいつの性格にもよるからはっきりとは分からんわ。それに、ウチは身の危険を感じたらすぐに逃げてるし。それであんまり調べていないことも多いしな。

 でも何か言うとすれば、実験施設と実験素材を置く場所、そして寝床はだいたい分けていることが多いな。寝床を汚したがらないのが理由やないか?」


「それだと、候補はどこなの?」


宝蔵ほうぞう経蔵きょうぞうあたりやないか。寺で大事なもんを保存するから丈夫に作られていることが多いって聞いたことある。結界を解析した時から読み取った情報も踏まえて考えると、多分あそこが経蔵きょうぞうやな。虫とか湿気を避けるために窓が少ないねん。あと他と比べて小さめなのも特徴やな」


 千歳が建造物を指さす。それは他の建造物と比べてやや小ぶりで、窓のようなものがほぼ見当たらない。


宝蔵ほうぞうらしきものはないな。建築されていない時期に放棄されたんかもな」




 そうして草陰に隠れながら経蔵きょうぞうに近づく。そのたびに腐臭が強くなり、近づいてはいけないと本能が悟る。だが、ここまできて恐怖から帰るようなことはしたくなかった。


 経蔵きょうぞうの前には見張りが一人。近場で焚火が燃えており、不用心に近づけば気付かれるだろう。


「千歳、注意を逸らす方法はある?」


「動物の侵入は結界で防がれとるから、下手に物音を立てるとそれだけで警戒されんな。

 ウチとしてはもう近寄らんで欲しいけど」


 私はそれに「わかった」とだけ返し、千歳から離れて回り込む。千歳が小さく文句を言った気がするが、私はそれを無視した。


 私は経蔵きょうぞうの影から見張りに近づく。見張りは火が弱くなったことに気付いたのか、足元の薪を拾おうとしゃがみ込んだ。私はその隙を逃さず、急接近して相手の口元を左手のひらで塞ぐ。口を塞ぐついでに顎をあげ、残った腕を使いその首を締めあげた。締まったことを確認すると、口を塞いだ左手を剥がし、右手で左手の前腕を掴む。素早く空いた左手は相手の後頭部へ添えて、外れないようにする。見張りは声を上げることもできず抵抗しようとしても突然のことで上手く反応できない。私の腕を引き剥がそうとするも、力が次第に弱くなり、意識がなくなった。


 見張りを縛り上げ、猿ぐつわを付けた後、私は千歳がいる方向に向けて手を振る。それに気付いたのか、千歳は急いでこちらに走ってきた。


「真奈、無茶せんようにな。ところで、殺したんか?」


「気絶させただけだよ。この経蔵きょうぞうは入っても大丈夫?」


「ちょい待って。……結界は張られとらん。まあ、こんなところに結界を張ったら物資を移動させるときに邪魔やからやろな」


 それを聞いた私は扉のかんぬきを外す。経蔵きょうぞうの扉を開けると、異常な光景が広がっていた。




 目に付いたのは檻。それがいくつも並び、積み上げられている。いくつかの檻には布がかけられている。妙に羽虫が湧いており、それが飛ぶ音で耳障りだった。


 私は布がかかっていない檻の中を覗く。一瞬の後退。反射的に口元を手で押さえる。胃の中のものがせり上がる感覚。私はそれを無理矢理押さえ込んだ。目が慣れると、周囲がよく把握できるようになる。悪夢のような光景が、そこにはあった。


 檻の外に手を伸ばしながら息絶えた、子供らしき腐乱死体。首をいくつも増やされながら、今にも死にかけている蛇。人の上半身と魚の下半身を持った妖怪らしき白骨死体。


 これらはまだマシな方。それ以外の大半が、子供を使った形容しがたい人体実験の痕跡で埋め尽くされていた。地獄があるのならば、きっとここはその一角なのだろうとまで考えてしまう。それほどまでにおぞましく、呪術士の異常性が垣間見えるのははじめてであった。


 何のためにここまでやるのか、きっと私は最後まで理解はできないだろう。ただただ、これを実行した呪術士に対する嫌悪感からか、いつの間にか奥歯を噛み締め、口に血が滲んでいた。


「これは、今まで見た中では最悪やな……」


 千歳も口に手を当てながら呟く。表情は青ざめており、気分は良さそうには見えない。あまり長居はせず、生存者を探すことにした。


 そうして、檻の中を一つ一つ確認する。この呪術士に引き取られただけで、何故この子たちはここまで理不尽な死を迎えなければならないのか。こんなことをした呪術士に対する怒りが湧いてくる。ここで、殺さないといけない存在ではないのか?


 千歳が引き止めようとした理由が、今なら分かる。そして、私のわがままに付き合わせた申し訳なさに苛まれる。


 そして、檻の一つから音がした。生存者なのかも知れない。一筋の希望から、私たちは顔を見合わせ、その檻の元へ向かう。


 布を被ったその檻は、微妙に雰囲気が異なっていた。この檻は地面に置かれていたのだが、この被っている布にはくさびが打ち込まれ、固定されていた。


「このくさび、特殊な加工がされとんな。布自体は簡単に破けるやろうけど、封印術に近い効果がありそ……あっ」


 私は布が破れることだけ確認すると即座に破き捨てた。檻に囚われたものが露わになる。その檻には、一人の少女がいた。


 まず目に付くのは白髪。髪が非常に長く、先端が僅かに水色がかっていた。湿気を帯びたような印象が見受けられる。身体は痩せ細り、病弱に見えるほど白い。意識が虚ろなのか、こちらに気付いている様子はない。そうでながらも、呼吸している様子が確認できた。体中にいくつもの切り傷のようなものがあり、過酷な状況にあったことが分かる。


 私はかつて奴婢ぬひであった自分の過去を思い出す。あの頃の私には、自分の意思というものがなかった。幸せを知らず、長年孤独に生き、そして、カンナと出会った。


 この子には普通の生活をして欲しい。その願いが溢れてくる。


「真奈、檻に感知用の結界が張られとる。剥がすからそれまでまっ……」


 千歳が言い終わるよりも前に、私は動いていた。格子を何本も無理矢理へし折り、囚われていた子を救出する。


 彼女の素肌に触れた瞬間、不思議な体験をした。身体の中から何かが吸い取られるような、奇妙な感覚。このまま触れても問題ないのかと一瞬考えたが、それよりも助けることを優先した。


「……バカ!? 何やっとんねん!? 術士にすぐバレるって……」


「どうせすぐに逃げる。それに、さっき気絶させた奴がいつ目覚めるか分からない。もたもたしている時間はないでしょ」


 それを聞いて千歳は言葉に詰まり、何かを言おうとしたが、ため息をついた。そして、諦めた表情に変わる。そして、千歳は扉の外を覗いた。


「まだ誰も来とらん。はよ行こ。こんな掃きだめ、二度と来んわ」


「ごめん、行こう」


 私は千歳に謝り、廃寺を後にした。誰が何の目的であんな惨状を作ったのかは分からない。ただ、人の心を一つも持っていない存在が、この世には存在すると思った。


 朽花について調べたい気持ちもあったが、それよりもこの子の保護が優先だ。朽花の名前が同じ事は、今は偶然によるものだと考えることで無理矢理納得することにした。


 そして、私たちは拠点から必要最低限の物資を回収して全力で逃げた。追っ手がいつ来るかも分からない。なるべく、なるべく遠くへ走る。


 どこへ行くのか、この時は目的地がなかった。




 私たちはどれだけ逃げたであろうか。風は木々を通り抜け、嘲笑うようなざわめきを起こす。月は隠れ、暗闇が周囲を覆う。誰かから見られているような感覚に陥る。疑心暗鬼の精神状態は余計に体力を削り、踏み込む足がだんだんと重くなってくる。


 背負った子供は眠っているが、千歳ももう限界だ。私だって無制限に体力があるわけじゃない。そろそろ休憩しないといけない状態にあった。


 そうして歩いていると、腰を落ち着かせるのにちょうど良さそうな樹洞じゅどうを見つける。私は千歳に提案し、ここで休むことにした。




「真奈、この一帯に結界を張っとくで。真奈は先に休んどき。ウチは警戒のために起きとくわ」


「それじゃあ千歳が寝て。結構歩いて体力も厳しいでしょ」


 千歳は率先してそう言うが、私はそれを止めた。体力的にももう限界に近い状態で、更に徹夜をさせるのは無理をさせすぎていると思ったからだ。だが、千歳はそれに反対した。


「いや、ウチが寝たら誰が結界に異常があった時に知らせるねん。それに、翌日には今晩寝ていた方が寝ているもう片方を運んだ方が効率的や。そうなったら、ウチが寝ている真奈を運べると思うか?」


 千歳は体格が平均的な女性よりも非常に小さいし非力だ。それに対して私の身体はカンナが鍛えていたこともあってかそこそこ大きかった。確かに千歳が私を運ぶのは無理がある。できても足を掴みながら無理矢理引きずるような絵面になりかねない。苦虫を噛みつぶしたような表情になりながらも、私は渋々千歳の提案を受け入れることになった。


「ここから一晩ぐらいならなんとかなるわ。日が昇ったら起こすで」


「ありがとう。でも、限界になったら起こしてよ」


 子供を横にすると、うなされているような様子を見せる。どんな夢を見ているのかは分からない。私にできることは、できるだけ守るように身体を覆い、安心できるような状況に近づける事だけだった。


 背に体重をかけると、緊張が切れた影響か一気に疲労感に襲われる。睡魔で瞼が自然と落ち、全身が脱力していく。起きたときにはどこへ向かうのか。具体的な方針を考えたはずだが、次第に頭がぼやけ、何を思っていたのか失念しながら眠りに落ちた。


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