9.血生臭い花
◆◆◆
わたしは、
普通ではあり得ない、白い髪を持って産まれたからだ。
父は村の取りまとめ役だった。姿から忌み子だと呼ばれたわたしを庇ってくれた。父の立場もあってか、そういった声がするだけで本格的な迫害はされることはなかった。
兄もいて、比較的豊かな暮らしを送れている。そう思っていた。
わたしの周囲にいる人は、何かしら怪我をすることが多かった。それだけならどれだけよかっただろう。気付くと一人、二人と消えた。最初に兄弟が消える。母も、父もいなくなった。理由は分からない。家に帰ってくることは、最後までなかった。
村人たちからは気味悪がられ、身体の小ささから農作業もできないわたしは腫れ物のように扱われた。
私を苛めようとしてきた子供もいた。だが、そういう子供は、気付かぬうちに怪我を負って、私に近寄らなくなった。
あの忌み子は呪われている。そういった噂が広まり、わたしと関わる人は誰もほとんどいなくなった。
いつだったか、ある噂を聞いた。満月の夜、わたしを殺そうとした村人がいたらしい。だが、帰ってくることはなかったそうだ。
わたしにはそれに対する心当たりはない。その夜、家に誰も訪れることはなかったのだから。
勇気ある村人がわたしに聞いてきたことがある。だが、知らないとしか答えることはできない。
この出来事から、わたしに近付く人は更に減った。
幸い、わたしは一人になっても排斥されることはなかった。父がいつ帰るか分からないことも理由の一つだろう。だが、一番大きい理由は、わたしに関わることで、呪われることを恐れたのかと思っている。
そんな出来事からか、わたしに食料を供給するための専用の倉庫が作られた。「人がいない時に取れ」とだけ言われたそこには、補充以外で近づく人はいなかった。
そんなある日、いつの間にかわたしの家の板戸に細工されていた。開ける度に音が鳴るように
その影響もあり、外に出ると、話し声がピタリと止んだ。人が一斉に家に入るのが一瞬見えた。わたしよりも小さな子供が、親に抱えられながら家に隠れた。家々の隙間から、わたしに向けた視線が感じられる。わたしがそこを向くと、目線をそらすように視線が消えた。
誰も、わたしを排斥することも、放置して飢え死にさせることもなかった。きっと、怖かったのだろう。わたしに近づくことで、呪われないための行動だとは理解できた。
何故、わたしの周囲で人は死ぬのでもなく消えるのか。わたしも含めて、原因がわかる人は誰もいなかった。
かつて苛めてきて怪我をした子供も、その時に何が起きたのか知らないようであった。
いつかわたしも消えてしまうのだろうか。傷だらけになるのであろうか。そんな漠然とした恐怖があった。
こうした生活を送っている中、夜がすごく恐ろしかった。
家の外では何かの気配があった。近づきこそすれど、わたしに危害を加えてくることはなかった。ただただ、気味が悪かった。
匂いを嗅ぐような音がした。吐息がかかったような感覚があった。でも、それは気付いたら跡形もなく消えていた。その代わり、決まってわたしの中に気味の悪い感覚が渦巻いた。
知らない記憶。それは決まって、ここではないどこかだった。火事で焼け付く感覚の記憶。飢餓で遺体に手を付けた記憶。些細な喧嘩からの殺し合う記憶。地獄のような感情の渦が、私の中に流れ込んだ。
これが、夜の間、寝ている間はずっと続いた。暗闇が、怖くて仕方なかった。
ある日、わたしに訪問者が来た。野盗かと思ったが、長老が同伴していたため違うとは察せられた。
その訪問者は一人の男。僅かに白髪の混じった黒髪を、後ろで緩く束ねている。特徴的なのは左目で、花柄の
何か不気味な印象を抱いたが、
「ナズナ、お前はこの男に引き渡すことになった。今後一切村に訪れるな」
長老は低くしゃがれた声で、淡々とわたしに言う。長老の目は冷たくも、わたしへの同情を感じるものであった。忌み子のわたしを庇うような人はいない。父も帰ってこないのであれば尚更だ。わたしは、この決定に逆らうことはできなかった。
男がわたしを見る。無感情で、無機質な瞳。男がわたしの額に指を当てる。指先の氷のような冷たさとともに、信じられない情景が脳裏に浮かんだ。
数多の悲鳴。動物の鳴き声。怨嗟の声。男はそれに動じることはない。無感情に、実験を繰り返している。
ある情景では、子供を切り刻んで何かを埋め込んでいた。
ある情景では、檻に入った人間が、歯を食いしばりながら虫の入った壺に手を突っ込んでいるところを見ていた。
ある情景では、餓えた人が檻の柵を掴んで何かを叫んでいた。
ある情景では、犬を埋めて少女に切らせていた。
男の感情が揺れ動いた感覚を、これらの情景から感じ取ることができなかった。
「あんたはなんてものを作ったんだ!」
これは、誰の怒鳴り声だ?
これが一瞬だったのか、長い時間だったのかは分からない。怒鳴り声の正体は分からずじまいだった。男は何かを避けるように、わたしの額から手を離した。
男は自分の指先を見て、何かを考えているようであった。そして、今度は直接触れるようなことはせず、衣服の上から肩を掴み、わたしを外へ連れ出した。
わたしは、男の顔を見ることができなかった。ただただ、あの情景から恐怖とおぞましさを感じていた。
◆◆◆
冬の寒さが過ぎ去り、草が芽吹き始める時期が訪れた。
風の温度は心地よく、動物も活発になってきている。
千歳と行動をはじめて、もう十五年ほどが経った。
「真奈、首元さらしてんで。ほら、これ」
千歳はそう言って私に長めの麻布を渡す。私は「ありがとう」と言いながら首に巻いた。
「結局、その首の
「身体が代わる前からあったらしいから、一生ついて回るものだと思うよ。私が
犬神の呪いは、私に永遠についてくるものなのだろう。呪いは解けるのかと考えたこともある。だが、私は今は妖怪だ。人外であるが故に、呪術士を頼ることもできない。だから、諦めた。
自分の姿を改めて確認する。
カンナから受け継いだ黒い髪は、肩の辺りで切りそろえた。長すぎる髪は猟師としての活動で邪魔になってしまったからだ。
服は流石にカンナのものは使っていない。呪術士の衣類は動きやすくはあるが、どうしても目立つからだ。今は鹿革と麻布を合わせた千歳のお手製狩猟装束を着ている。服装は動きやすく、とても気に入っている。
「千歳、荷物は持った? 忘れ物はない?」
荷物を担ぐと、千歳に声をかけた。定期的な移住。私たちは妖怪であるが故に姿の変化がほとんどない。だから定期的に拠点を変え、取引する村を変えることで、なるべく違和感を持たれないようにしていた。
「千歳、追っ手の話は何か聞いてる?」
「ん? いや、最近は聞かへんな。諦めたか、それどころじゃない状態なんかのどっちかやないか? 何か気にしとるん?」
「まあ、ちょっとね」
私がカンナについて知っているのは、靈山家という呪術士の家系であることだけ。逃走したあの日、カンナは様付けで呼ばれていた。このことからそれなりに身分が高かったのだろう。そんな立場の人が突然いなくなったのだ。何か悪い影響が及んでいなければ良い。そう願うばかりだ。どうなったのか確認したいと考えても、確認する手段がなかった。
「そういえばさ、千歳はカンナ以外で呪術士の知り合いとかいないんだっけ?」
その言葉を聞いた千歳は考えるような素振りを見せる。そして、思い出したような表情を見せて答えた。
「おらんくもないで? でもな、多分寿命でもう死んどるわ。アレは50年ぐらい前やし、そこそこ歳もいっとったし、カンナみたく深く接してたわけやない」
「そっか……」
「靈山家について調べたいなら諦めとき。ウチらと仲良くやってくれるような呪術士なんて希少も希少やからな。基本的に調査もやってくれるような親密な関係になれると思わん方がええ」
どうやら私の考えていることは察していたようだ。彼女の言うことにも一理ある。靈山家の行く末がどうなったのか、気にはなるが、今は考えないことにした。
私たちが最寄りの村が見える位置に着いた頃には、もう昼を過ぎてしまっていた。
私は汗一つかいていないが、後ろで編み笠を被った千歳が小走りについてくる。彼女は息を切らしながら悪態をついた。
「真奈、早いて。引きこもりには、しんどいわ」
「これでもゆるめに歩いているんだけどね」
「んな訳あるか。いつもよりちょっと早いやろ」
日頃いたずらされつづけているので、ちょっとした仕返しのつもりで速度を調整していた。流石に感づかれたようだが、それはそれでいい。まあ、こんなことをやっても千歳は反省することはないだろう。少しだけ自分の
少し時間がかかったなと思っていたところ、村から離れる一人の人影を見つける。男で、身分の高いような佇まいではない。ただ、遠くから漂ってくる匂いに、若干の血生臭さを覚えた。犬神の呪いの影響か、嗅覚が人並み外れている私は、ある程度人の区別は匂いでできるようになっていた。だが、この人物の匂いを私は知らない。村人にいた記憶はない。
「真奈、アレは誰か知っとる?」
「いや、はじめて見るかな。匂いも、嗅いだことない」
村から立ち去る人物に、何か不穏な物を感じる。だが、ここから離れる私たちには関係ないと考え、村へと足を進めることにした。
村に着くと、
そこの一人が、私たちに気付いて近づいてきた。日焼けした浅黒い肌と、使い込まれてごつごつした手をした男だ。確か名前は
「真奈、久しぶりだな。三ヶ月ぶりぐらいか? 何か取引したいのも山々だけどさ、今の時期は渡せるようなものは何も残ってないよ」
「今回は取引じゃないよ。前々から言っていたけど、もうここを引き払って別の山に行こうと思うんだ」
「ああ、そんなこと言ってたな。動物の狩りすぎも良くないからって話だったか? 鹿も猪も狼も、最近は村に近づかなかったから助かっていたんだけどなあ」
与一は残念そうな表情をしながら腕を組む。そして、ようやく私のそばに立つ千歳に気付いた。
「あ、お前さんが噂の千歳か。聞いていたとおりちっさいなあ」
「やかましいわオッサン。言っとくけど、取引の品にあった農具や肉を加工していたのウチやぞ」
「おお、そうだったのか。その節は助かったよ」
最初は不機嫌になった千歳だったが、ちょっと礼を言われるとすぐに得意気に笑顔になった。本当に千歳は分かりやすいな……。
話も切り上げて終わろうと思った矢先、村を立ち去る人物のことを思い出した。あの血生臭さから、どうにも村のことが心配になる。村に危害を加えるような人物であるかだけ確認が必要だと思った。
「ここに着く直前、村から出て行く人を見かけたよ。何か村で話したりした?」
「ん? ああ、あいつか。呪術士だとよ。都と関わりがあるようには見えなかったし、見ない顔だから多分野良だな。呪術士自体珍しいけど、ありゃ多分ろくでもねえ。間引く子供はいねえか聞いて来やがった」
それを聞いた私は、少し思考が止まった。間引く子供という言葉で、かつての自分を思い出してしまったからだ。
千歳はそんな私の変化に気付いたのか、続きの質問をしてくれた。
「まあ、人里離れたところに拠点構えたり、旅しとる呪術士はたまにおるな。間引く子供って言っても人手を欲してのこともあるんやけど、どうしたん?」
「そんなガキはいねえって突っ返したよ。こっちを見てくる目が気持ちわりいんだ。アレは人を見てくるときの視線じゃねえよ」
与一が苦虫を噛みつぶしたような表情を見せる。思い返すのも
「呪術士なんて例外以外は大抵気持ち悪いもんやで。そいつは名前とか名乗っとった?」
「あー、確か朽花って言っていたか? 左目に花柄の義眼をはめていたよ。まあ、お前さん方も気をつけなよ」
そう言って話が終わったが、私は別の理由でまた固まることになる。
朽花。私が犬神になった元凶。嘘をついてまで呪術を教えてきた呪術士。
あれから何年経ったのかは分からない。だが、人間であれば寿命で死ぬほどの年月は経っていると思っていた。ここで、その名前を聞いたのは全く想定していなかった。
私の異変を察したのか、千歳は私の裾を引いて意識を逸らした。
「真奈、もう話は終わってるで?」
「……千歳。話があるんだけど……」
私は千歳を連れ、村の外れに移動する。千歳はその道中で特に何か聞いてくることはなかった。普段のようにふざける様子もなく、珍しく真剣な顔つきをしていた。
「何があったか話してくれんか? 朽花って呪術士に心当たりがあるんやろ?」
「うん、そのつもり」
千歳に、朽花との関係を話す。
朽花とはたった数日の関係ではあったが、少なくとも善良な存在ではなかった。犬神の実態を隠しながら伝え、私が犬神になる原因となった。主人は私が殺したも同然だが、原因を辿れば朽花が元凶だ。何よりも、朽花さえいなければ、私がカンナと関わり、カンナが死ぬこともなかった。
「ろくでなしと同じ名前、か。まあ、そんな奴おったら気にはなるわな」
「私は朽花を追おうと思う。多分、間引く子供を集めているなら、生きている子が拠点にいる可能性がある」
私の言葉を聞いて、千歳は露骨に嫌そうな表情をした。ここまでの表情は15年一緒にいてはじめて目にする。千歳は少し考える素振りをした後、ゆっくり口を開いた。
「あんな、ぜっっっったいに辞めた方がええ。朽花の名前を騙っているにしても、万が一同一人物としても、ああいう呪術士は近づくべきやない」
「そこまで言うの? 冗談でもなく?」
「ああ、大真面目や。子供がいるとしても生きとる保証はない。生きていても、まともな状態とも限らん。過去にそういう呪術士の拠点に入ったことあるんやけど、言葉にするのも
千歳は、眉間に皺を寄せながら答える。彼女は冗談や嘘を言うときは場面を選ぶ。真面目な話をするときに嘘をつくことはなかった。今の話は、全て真実で真面目な回答だと認識した。
「……昔、私が間引かれるところを拾われたって話はしたよね?」
「うん、覚えとるで。拾われた後も散々やったってな」
「理不尽に死ぬはずだったのに、自分は今生きている。そんな自分が、理不尽に弄ばれようとしている子供のことを知ってしまった。その子が生きている可能性があるのなら、私は助けたい。可能性から目を逸らして、見殺しにすることは私にはできない……」
これは完全に自分のわがままだ。自分と同じ境遇である子を見捨てられない。
他に理由があるとするなら、きっとカンナならこうするから。カンナであれば、力のない人が理不尽な目に遭うのを許さないはずだ。
でも、こんな危険なことに千歳を巻き込みたくはない。
千歳は何も言わない。そんな彼女を見て、私は振り絞るように言おうとする。
「ごめん、一人で行くよ。ここで……」
「ウチは別に、一緒に行かんとは言っとらんやろ」
千歳は私の声を遮る。千歳は私を見ながら笑みを浮かべていた。
「真奈がおらん生活なんて想像するだけで退屈や。ウチは危険なことはなるべく避けたいけど、退屈な時間はもっと嫌や。別に、着いていっても問題ないやろ?」
千歳の言葉で、私は少し安心した。正直なところ、一人で行くことを考えると心細かった。再会できるかも分からない軽率な選択を取ろうとしていたと、反省する。
「当然だよ。今後も、よろしくね」
私は手を出すと、千歳はそれを強く握った。今後もずっと、私たちは一緒にいられるのだろうか。そんなことをふと思った。
そして、私たちは血生臭い匂いを辿り、朽花の後を追った。
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