8.狐と犬の平穏な日々

◆◆◆


 ウチは、仏師ぶっしの長女として産まれた。


 父上は生まれつき手先が器用やったからか、仏師ぶっしとしての技量が高かった。仕事も滞りなく終わらせられるから、寺からは信用されとった。その甲斐もあって、ウチの家はそこまで困窮はしとらんかった。むしろ周囲と比べたら豊かな方やったと思う。


 後継がほしかった父上は、ウチに構うことはほぼなかった。仕事道具にすらほとんど触らせへんかった。まあ、時々目を盗んで勝手に触ってはいたけど、それは置いておこか。


 父上と遊びたかったウチは、いたずらをし、嘘をつき、最後には口調も変えた。いたずらをすれば、嘘をつけば、怒ってもらえると思った。口調を変えれば、気を引けると思った。ひとまず構ってさえくれれば、それでよかった。


 色々やったけど、父上は結局ウチを見ることはなかった。どんな言葉も、行動も、父上は関心を寄せてくれることはなかった。隠れて仏像を作ったりしたこともあったけど、父上は何も言わなかった。父上がウチを認めることは最後までなかった。


 母上は父上しか見ていない。母上はウチのことを召使いのようにしか扱わなかった。まあ、あの人のことは恨んではいないし、今はもうどうでもええ。職人である父上のようにウチはなりたかった。父上のようなすごい人に反応されて認められたかった。


 そんな中、弟が産まれた。父上が待望した男児だったこともあり、父上は溺愛した。父上がウチに意識を向けんのは更に減り、孤独感は増した。


 いたずらをする頻度も、嘘をつく頻度も増えた。気を引くためにやったことが、いつしか誰にも反応されんくなった。家族と一緒に暮らしているはずなのに、ウチは独りやった。


 唯一構ってくれた人がいたとしたら、寺にいた変わり者の坊さんぐらいやった。仏像の納品の際に知り合った人や。女であるウチに、仏教に興味を示しただけで色々教えてくれた。まあ、長年経過した影響で大半は忘れたけど、為にはなったと思う。字の読み書きもこの時に教わった。今思えば教えんの上手かったな、あの人。どういう人生を送ったかはもう分からんけど。


 そういう日々を過ごしていたら、たまには限度を超えることもやってまうことがある。ウチは度が過ぎたいたずらをした結果、家を追い出されたことがあった。流石に殺意を抱かせるようなことはさせたくないし、後日平謝りすることになるんやけど、家に再度上げて貰うまではどうしても退屈になる。だから町をぶらぶらと歩くわけやけど、ウチは家の影であるものを見つけた。


 それは、傷ついた一匹の狐。ろくに歩けなくなったそれを見て、ウチは仲間欲しさに守ることにしてん。




 目が覚めたウチは、ここが山小屋だと気付くんに時間はかからんかった。今までの内容は、全部夢やったみたいや。


 なんであんな夢を見たのかと考えたら、昨日は真奈が中々帰ってこんかったからかと思うことにした。独りの夜は静かで、変なことを思い出させたのかもしれん。


 真奈と出会ってから五年ほど。猟師として暮らし、時々近場の村で人と取引をする生活をしとる。真奈は外回りで、狩りと人との取引を担当。ウチは屋内で道具の手入れや家事全般、道具作成を主にやっとる。


 今の山小屋は、山奥に打ち捨てられた山小屋を修繕して使っとる。今回は運良く見つかっただけで、どうしてもなかったときは簡易的な小屋を作るようにしてるけどな。当然やけど、こんな山小屋は見つかる方が稀や。


 起き上がったウチは、朝餉あさげの準備をする前に真奈を見た。警戒心の感じられない、呑気な顔。それを見て、ウチはどうにも心の奥でうずうずしてしまう。


 嘘をつくのも、いたずらをするのも、何度も何度も繰り返したせいかそういう性分になってしもた。ウチは水を溜めている桶に竹筒を突っ込み、水を汲む。そして、そろりそろりと真奈の額に近づけた。


 それが額に乗せられると思ったその時、ウチの手首が掴まれ動かすことができなくなる。不味いと思いながらも、どう言い訳するか必死で頭を回転させた。


「何をしている?」


 不機嫌そうな真奈の声がする。カンナと同じ顔である影響か、恐怖心が掻き立てられる。


「……えっとな、目覚まし」


「目覚まし」


「そう、起きたばっかで眠いやろ?」


「千歳が起きたのはいつ?」


「え? ああ、1時間ほど前やな」


「嘘でしょ? 寝癖付いてるよ」


「あ、ほんま?」


 それはほんの一瞬の油断。髪に意識が行った瞬間、手首を無理矢理動かされた。


 顔面に襲いかかる水の弾丸。それは目や鼻奥に入り込み、激痛に襲われる。


 ウチはその場でもだえ、真奈はそれをため息をつきながら眺めよった。


 これはウチらの日常のほんの一場面。よくある日常的な朝や。




 真奈は最近やっとカンナのことを考えることが減った。


 しばらく前はあの日の出来事を想起するのか動けなくなることも多かったわ。見ているだけでこっちも暗くなるかと思た。まあ、そういうことにはならんかったけど。


 出来事が起きた当事者やったのは確かやし、気持ちは分からんでもない。


 ウチとしてはカンナがいなくなったことは確かに悲しい。でも、真奈はカンナの代わりにウチに構ってくれる。ウチの中の寂しさは紛れている。




 一個だけ、真奈がカンナの肉体になってから興味深い事があったわ。カンナの肉体はあくまでも人間のもののはずや。なのに、真奈の身体能力は人間のそれを遥かに超えとる。本人は元々の肉体と使い勝手があまり変わらんのか、実感はないみたいやけどな。




 ウチは水浸しになった顔を拭く。変なところに水が入ったせいでまだ少し痛むけど、目覚ましにはちょうどええと考えよか。少し落ち着いてから、朝餉あさげの準備をやっておいた。村との取引で貰ったあわと先日焼いてそのまま余った川魚を添えたものや。両方とも昨日作った奴の余りやけどな。真奈が食わんかったのか余っとったし。


 正直なところ、ウチら妖怪はそんなに食べなくても身体は持つ。けど、共同生活する際に真奈が妙にこだわりを見せよった。人である時の習慣はそのままにしたいのやと。まあ確かに、ウチは食事を取らんことに慣れたせいで、餓死寸前になったことも経験しとる。結局何かを食べる必要はある訳やし、習慣にするのはわるない。


「真奈、昨日は村と取引やったよな? 帰りは遅かったし何かあったか? てか夕餉ゆうげは食べた?」


 朝餉あさげを食べながら真奈に聞いてみる。真奈は目をこすりあくびをしながらも、それにちゃんと答えた。


「そうだね、問題なく取引はできたよ。本当はもうちょっと早く帰りたかったけど、収穫祭とたまたまぶつかったみたいでさ。巻き込まれて色々付き合わされた……」


 今の季節は秋の中頃。だんだんと寒さが忍び寄ってくる時期や。食材が少なくなってきたから取引に行かせたけど、収穫祭とぶつかるとは思っとらんかった。まあ、運が良かったと思おか。


「あー、もうそんな時期か。ええもんでももろた?」


「豊作だったみたいでさ、ちょっと米を多めに貰った。他の農作物や塩もそこに置いてるよ」


 真奈はそう言って背負い籠を指さす。中から若干農作物がはみ出していて、その多さが見て取れたわ。


「今回の村も皆いい人だったよ。人と話すのも慣れたし、取引の計算もできてると思う」


「ほんまか? 今度ウチもついていこか?」


「千歳は耳が目立つからダメでしょ」


「いやいや、実はそんなこともなくなってん」


 ウチはそう言って一つの編み笠を取り出した。真奈は怪訝けげんそうな目でこれを見てくる。これは想定内や。何をしたのか説明したる。


「これはな、結界術を応用した術を中に仕込んでるねん。こうして被るとな、隙間からも下から見ても耳が見えんくなるやろ? 子供相手に下から覗き込まれても、使い込んで気付かんうちに破れたりしても問題あらへん」


「それならまあ、いい、のか? いやいや、千歳は村人をおちょくるでしょ。話がややこしくなりかねないからダメ」


 信用がないのと真奈が取引に慣れたせいやろか。術の開発が遅くなったのも一因やな。もうちょっと早く術を作れていたら真奈が慣れる前なら機会はあったな。


 そこは別途反省しよか。それはそれとして、もう一個真奈に見せたいものがある。ウチは「ちょっと待ってな」と言いながらそれを取り出した。


「真奈、これなんやと思う?」


「千歳、何その、木彫りの、何? はさみ?」


 ウチが取り出したんは、はさみ状の木彫りの彫刻。やけど、一部は可動できるように作り込んである。可動箇所は二箇所。はさみの開き閉じをするための軸と、はさみの向きを上下に弄れる軸を作っとる。はさみ部分は切るためのものじゃなく、単純に挟むための構造や。


「ただのはさみやないで。仕込みをしとる」


 そう言ってウチが軽く念じると、そのはさみは独りでに動いた。それを見た真奈は驚くと同時にちょっと引いとる。なんやその反応。傷つくな。


「思念で可動できる術や。編み笠を作る時に押さえが欲しくて作ってん。術も難しいけど、このはさみを作るのもかなり難しいわ。今持ってる道具やとこれが限界やね。ノミ一種類と短刀だけやと軸部分を作るのはしんどいわ」


「ただそれだけのためにこんなものを?」


「こんなものをって何や。今ははさみみたいなもんしか作れんけど、道具さえあればウチは木製の手を作ってみせるで」


 これは思い上がりでもなんでもない。一人でいるときに手慰みで木を削っとることも多いから、そこそこ経験も積もってきているはずや。こうしてみると、あの家からノミを何本か持って行った方がよかったな。その方がいろいろ作れたわ。


「まあ、複数の腕を増やせるなら便利だろうけどさ……」


「このはさみ、真奈の意識とも繋げられるで? やる?」


「いや、いいよ。いつも思うけど、千歳って器用だね」


「せやろせやろ。なんといってもウチは仏師ぶっしの娘やからな」


「まあ、それは前に確かに聞いたけど。それなら仏教知識はあるの?」


「あー、父上は何も教えてこんかったけど、それとは別で教えて貰ったことはあるで。仏像の納品先の寺院で変わり者の坊さんがおってな。読み書きついでに教わったんや」


「へえ、何か面白い教えとかあった?」


 その言葉を聞いて、ウチの思考はちょっと止まってもうた。あの坊さんの話を何も思い出せん。なんか話しとんなという印象しか残っとらんのと、流石に百年以上経過しとることから、普段使う読み書き以外の知識をほとんど忘れてもうてた。


「何年も経ったし、忘れてもうたわ」


「……いつもの知らないことをごまかすためのしょうもない嘘ならやめときなよ」


 真奈は呆れたようにツッコんでくる。普段のウチの言動を考えたらこの反応はしゃあない。


「いや、これは嘘やない。思い出せんのもほんまや。何年も使ってない知識とか覚えてられる訳ないやろ」


「そうかもしれないけど、信用できると自分で思う?」


「無理やな。証明もできへん。まあ、基礎中の基礎しか文字の読み書きを習っていない真奈に比べたら、ウチはもっといろいろ読み書きはできると思うで」


「それは否定しようがないけど……。私は漢字はほとんど読めないし」


 そう真奈が言ったところで、ウチはふと坊さんの言葉を思い出した。自然と笑みがこぼれそうになるが、ここは堪える。


「まあ、世の中は諸行無常しょぎょうむじょうや。ウチも真奈もそのうち変わるきっかけぐらいあるやろ」


「……諸行無常って何?」


「……今さっき思い出した仏教用語や。意味は、穏やかな時間がずっと続くような感じやな」


「嘘でしょ。文脈と意味がちょっと合ってない。本当の意味は?」


 咄嗟に面白そうだから嘘ついたのに、もうバレたか。思ったよりすぐに気付いたな。真奈は地頭は悪くないから、こんなもんかもしれんけど。


 しばらくの沈黙。ウチは思わず小さく笑う。それに釣られてか真奈も笑う。ウチらの声はだんだんと大きくなって、ウチは真奈の表情が少し怖くなり、小屋から逃げ出した。


 まあ、真奈の身体能力から逃げ切れる訳もないけど、こんなやり取りはいつものことや。捕まったとしても、軽く頬をつねられたり、正座させられたりするぐらいやな。ああ、当然本当の知識も吐かせられたわ。


 真奈は、ウチのからかいに本気で相手をしてくれる。こんな普通なら嫌われそうな手段なんて辞めた方がええんやけど、どうにも染みついてしもてる。それでも、離れない真奈には感謝している。


 こうして、山小屋の近くで枯れた花が一輪だけあることに、ウチらは気付くことはなかった。


◆◆◆


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