7.犬と狐

 慟哭の後は、まるで無音かのような静けさが訪れた。


 風は止み、動物の気配も感じ取れない。


 そうして時間が経つと、川のせせらぎだけが戻ってきた。


 膝をついた体勢の影響か、凍るような冷たさに身を震わせる。


 動く気力も湧かない中、一つの気配が近付いてきた。数は一人。呪術士かと思ったが、獣の匂いが鼻を突く。私は警戒心を抱きつつも、逃げるのは正体を確認してからでいいと判断した。


「はぁ~……。やっと、追いついたわ……。髪の毛から追尾できる術を作っておいたウチは偉いな。こっそり髪の毛を集めてよかったわ」


 現れたのは、肩で息をする小さな子供。だが、普通の子供ではなかった。大きく頭部に飛び出た耳。彼女が人ではないと認識させるには十分だった。


 カンナが対処した妖猿ようえん以来の妖怪との接触。戸惑いが浮かびながらも、声をかけてみることにした。


「誰……?」


「え? カンナ、頭でもぶつけたん? あ、夜目よめが効かんか。千歳やで」


 千歳はそう言って私に近付く。カンナの知り合いだったのだろう。妖怪ではあるが、自分という前例がいるのだ。カンナが他の妖怪と接触を持っていてもおかしくはない。彼女に対して、変な話し方以外は特に何も疑問は浮かばなかった。


 どう説明したものか迷っていると、千歳は近付いて顔を覗き込んできた。目を合わせることを避けていると、千歳は目を細めてこちらを覗き込んできた。


「カンナ、さっきは靈山りょうざん家の人たちと喧嘩してたけど、何があったん? カンナらしくもない。というかいつまで川に浸かっとんの?」


 彼女は疑問を投げかけてくる。それに答えようと口を開くが、寒さで唇が震えて声が出しづらい。


 そんな様子を見せたからか、彼女は眉間に皺を寄せてきた。私を観察するような目から、私はつい目を逸らす。


 それで何かを感じ取ったのか、彼女は私に問う。


「カンナ……いや、姿はカンナやし……カンナよな……?」


 おそらく普段のカンナとは全然違う様子から疑われている。詳細な説明をしようとするが、立ち上がろうにも身体に力が入らなかった。


「ごめん……説明したいけど、寒くて、声が……」


 千歳は私の状態を見かねて、ため息をつきながらも手を差し出す。小さく、傷も見当たらない綺麗な手。私はその手を取る。千歳に思い切り引っ張り上げられることで、やっと川から引き上げられた。


「山ほど、聞きたいことはある。でも、捜索がここに来るのも、時間の問題や。一旦、身を隠そか」


 どうやら肉体労働はそこまで得意ではないらしい。千歳は肩で息をしながら、場所を移す提案をした。


 そうして私は、千歳に手を引かれながら山奥を歩く。月明かりぐらいしか周囲を照らす光がない中、彼女は慣れているかのように進んでいった。私が、あの横穴からここまで離れたのははじめてだった。夜に出歩くこともなかったから尚更だ。


 手を引かれる中、少しだけ気になったことがあった。千歳の容姿から、妖怪への成り立ちを考える。獣が人になったという感じではない。人が獣になっていく途中段階のように見えた。私も、だんだんと人から獣に変わっていったから分かる。彼女は小さい子供の姿でありながら、私以上に妖怪としての自分を受け入れているように見えた。カンナと出会うまで、私にはうずくまっているしかできなかったから。


 そういったことを考えていると、私たちは大樹の樹洞じゅどうを見つけた。巨大な樹木は強い存在感を放ち、口を開けながらこちらを待ち構えているように見える。雰囲気から恐怖心を煽られ、少し腰が引けてしまった。


「大丈夫」


 怯えた私を察したのか、千歳は私を励ましてくる。発した言葉はたった一言。なのに優しげな彼女の声が印象に残った。彼女は笑顔を見せ、それを見てどうしてか緊張感が解ける。


 樹洞じゅどうには二人で入れるほどの領域があった。身を隠すのにちょうどよさそうだ。




 二人で腰を落ち着かせると、千歳はこちらの肩に頭を乗せてきた。ここまで距離をつめてきたことから戸惑いを覚えていると、千歳は口を開いた。


「やっぱり、カンナやないんやね。カンナにこんなことやったら適当に拘束してきそうやし」


「拘束?」


 疑問に思った私の言葉に反応してか、千歳はケラケラ笑いながら説明を始める。それは、何とも子供らしい内容でもあり、怒られても仕方のない内容に聞こえた。


「ことあるごとにウチに封印術をかけて拘束したんよ。軽いいたずら程度のつもりなんやけどな? 足ひっかけたり、呪符ちょろまかそうとしたり、何匹も虫を集めて寝床に放ったこともあったっけな?」


 何をやっているんだと冷ややかな目で千歳を見る。その様子を確認したのか、千歳は期待が外れたと言わんばかりに深くため息をついた。


「これで怒ってこないなら本当にカンナやないな……。最後のははじめて教えたから拳骨でも喰らうかと思ったんやけど」


 面白くないわと呟く千歳。失望させてしまったかと思ったが、彼女は立ち去るような素振りを見せることはない。気付くと、彼女は横から私の顔を覗き込んできていた。


「なあ、カンナとはどういう関係やったん? その身体、カンナのやつやろ? カンナが見ず知らずの奴に身体を奪われるヘマをするとは思えへん」


 何故カンナの身体だと分かるのか聞いてみると、彼女は指に巻いた黒い糸をこちらに見せてきた。正体が分からず首をかしげていると、得意気な顔で説明をはじめてくる。


「相手の一部を使ってえにしを辿る術の媒介や。この前は新術作ったと思ったら恥かかされたからな。今回の場合はカンナの髪を使ってる。だからカンナの肉体であることは間違いないで」


 千歳は術を作るのが趣味だという。たまにカンナに見せては淡々と批判されていたそうだ。カンナからはそんなことを聞いたことがなかった。関係性を聞かれておいてなんだが、こちらこそ千歳とカンナの関係が気になった。


 だが、こちらが答える方が先決だろう。千歳に事の顛末を話した。自分が元人間の犬神いぬがみの妖怪であること。カンナとは友人関係だったこと。カンナが私を殺さないといけなくなったこと。そして、殺されたことで自覚していない能力が発現し、カンナの肉体を奪ってしまったこと。そこから靈山家に宣戦布告して逃げてきたこと。


 千歳はそれを聞きながら苦虫を噛みつぶしたような表情を見せる。どういった心境の表情なのかと推測していると、彼女は考えるかのようにこめかみを指でぐりぐりと回しながら聞いてきた。


「つまり、カンナは死んだ。そして、真奈はカンナの肉体を乗っ取った。そういうことで、ええか?」


 私はそれに対して無言で頷いた。千歳は大きなため息をつきながら、もうちょっと上手いことやれたやろと呟く。そして、千歳は両目を手で覆い、しばらく動かなくなった。


 千歳は目から手を離すと、少しだけ目の周りが光って見えた。彼女は一息つくと、カンナとの関係を語り始めた。


「ウチはカンナとちょくちょく遊んでいた仲でな、術をかけあったりしていたんよ。最初も最初は封印術かけられて放置されたりしてな。その時は危うく飢え死にしかけたんやけど、その辺の雑草や虫を食ったり雨で数日凌いで何とか術を解除できてん。あの時はしんどかったわ。術の解析もはじめてで難しかったし」


 語られるカンナとの思い出。平静に見えたが、その節々で小さく嗚咽おえつが混じっていることに気付く。感情を表に出さないように我慢していると気付いたが、私はそれを指摘することはなかった。


「音鳴らして驚かせたり、結界に閉じ込めようとしたら一瞬で解除されたり。ウチをちゃんと見てくれる、からかいがいのある、おもろい人やった……」


 千歳が、カンナと友人関係だったのは本当だろう。それならば、私は憎まれても仕方がないと思った。でも、千歳がこちらを見る目は、寂しげで、悲しげで。


 主人に殺されかけた日を思い出す。先ほど宣戦布告した時の周囲の目線を思い出す。憎悪に満ちた、血走りギラついた眼球。憎悪以外に籠もった感情は、敵意と殺意。


「私が、憎くないの?」


 あんなことを思い出したからか、無意識に千歳にそんなことを聞いてしまう。


 千歳はそれに対して、きょとんとした表情を向けてきた。何を言っているのか分からないかのよう。しばらく固まり、彼女は私に逆に聞いてきた。


「? 何でウチが真奈を憎まなあかんの? 真奈はウチに何かやった?」


「だって、カンナが……」


「それはカンナの手落ちや。事情は分からへんが、二人で逃げへんかったカンナが悪い。あの場から逃げるのはカンナなら簡単にできることやろ。あー、いや、裏宰りさい絡みか? あの辺ややこしいからウチからハッキリと言えへんけど」


 千歳の言葉は冷たくも感じるが、カンナへの信頼も感じられた。それと同時に、失った物の大きさも実感してしまう。


 カンナは人妖問わず慕われていた。そんな、存在を私は蔑ろにしてしまったのだ。


 一度は落ち着いたはずの感情が溢れ出してくる。涙が無意識に溢れ、目の奥が熱い。嗚咽が始まり、止めようにも止まらなかった。千歳はそれを見かねて、私の背中をさする。


「大声は出さんようにな。ゆっくり、落ち着き」


 小さいながらも優しいその手は、ゆっくりではあるが、私の心を溶かしていった。




 時間が経ち私が落ち着くと、千歳は私に聞いてきた。


「真奈は、今後どうしたいん?」


 その言葉で、私は少し考える。今の自分には何も目的がない。何をするべきなのか、思いつかない。強いて言えば……。


「自然に……死にたい……」


 他殺でも自殺でもなく、寿命で一生を終えたい。カンナから生を望まれ、不本意で肉体を乗っ取ってしまった私にできる、カンナへの最大限の敬意を持った死に方。無駄な死に方はできないと考えていた。


 それに対して千歳は「そういうことじゃないんよなあ……」と声を漏らす。


「まあ、それを達成するなら、一旦生きないとだめやね」


 千歳はそう言いながら立ち上がり、樹洞じゅどうから出る。そのまま背を向けて、言葉を続けた。


「ここに戻ってきたんは、つい最近なんよ。おもろい術を作れたからカンナに見せようと思ったんやけど、おらんくなったしな。代わりに見るか?」


「……どんな術?」


「あー、この場で使うと目立つから後にしよか。とりあえず、ウチが作った術を見るために生きるとかでもええんやないかな?」


 千歳の提案は、私の願いを考えると、ありなのかもしれない。だが、千歳の術を娯楽として楽しみながら生きるのは、カンナに対して誠実ではない気がした。


 そういった心持ちを察したのか、千歳は別の話を始めた。


「ウチも元々は人間でな、仏師ぶっしの娘やってん。隠れて狐を飼っていたら父上にバレて、滅茶苦茶怒られてな。その狐を、自分で殺すことになった……。そしたらいつの間にかこんな姿になってもうたわ」


 千歳の身の上話は簡潔であっさりしたものであった。人から妖狐ようこに堕ちた仏師ぶっしの娘。話している途中で彼女は一瞬暗い雰囲気になるが、すぐに明るい口調に切り替えた。だが、顔は向けてこない。顔を拭うような動作をしてから、こちらへ振り返った。


「それで狐になって早千年。だからウチは千歳って名乗っとるんよ」


「……ん? 千年前って仏師ぶっしはいるの?」


 千歳の発言に違和感を覚え、つい口を挟んでしまう。それに対して、千歳は動きが止まった。千歳は言葉を返すが、どこか歯切れが悪い。


「……なあ、そう思ったのって……カンナの教育のせいなん?」


「カンナが小話的に400年ぐらい前に仏教が伝来したって話をしてくれたから……」


「あいつ……余計なことを……」


 千歳はそう呟いたかと思えば、急に吹き出して声を抑えながら笑い出した。


 それを見てきょとんとしていると、千歳は手のひらを突き出して謝ってくる。


「ああ、ごめんな。カンナにも同じ事を指摘されたのを思い出してん。あー、おもろ。フフッ、知識ない奴は騙せるんやけどなあ」


 笑いながらも彼女は何度か深呼吸する。そして、落ち着いてから樹洞じゅどうに戻り、私の隣に座り込んだ。


「なあ、一緒に行動せえへんか? 退屈な時間も妖怪同士ならなんとかなるやろ? 人と違って途中で消えることもまずあらへん」


「一緒に行動するとして、どう暮らすつもりなの? 山奥で逃げ隠れでもする?」


「そこはウチに考えがあるんや。猟師生活はどうや? 人里から程よく離れた場所で生活するねん。人里でたまに取引することで人社会の情報も仕入れられる。たまに拠点を変えれば姿がほとんど変わらんことも疑問にもたれにくい。万が一追跡されても、ウチなら人避けの結界ぐらいは張れる」


「……取引は誰がするの?」


 私は、彼女の提案がいいかもしれないと感じ始めていた。自分がするべき事を見直すための時間稼ぎにすぎないかもしれない。でも、横穴にいた時のような虚無の時間を過ごすよりも有意義に思えた。


「ウチ、と言いたいけど、ウチは見た目で妖怪って分かるし、真奈がやろか」


「そうだね、千歳がやったら取引以前の問題になりそうだし」


「ちょっと待てや、どういう意味や」


「人を騙そうとした時点でもうダメでしょ」


「嘘つき相手にはこれ以上ない適任やで?」


「普通の人は初対面から騙そうとしなくない?」




 話をしていると、自然と自分が笑っていることに気付いた。こんなに楽しいと思えたのは、カンナ以外とははじめてだった。


 カンナ、私はもうしばらく生きようと思うよ。自分勝手かもしれない。けれど、こうして生き延びてしまったからには、成し遂げられる何かを探したいんだ。


 カンナは、許してくれるだろうか。


◆◆◆


 その土地は不気味なほどに人気がなかった。平野部へいやぶの村ではあったが、道は整備されているような気配はない。雑草は生い茂り、畑であっただろう場所も荒れ果てていた。


 村の家々は幾年も放置されていたようで、半壊して雨も凌げないものが多かった。何より、村のあちこちに人骨が放置されていたが、雑草の影響か近付かないと見つけられることはないだろう。


 その村の外れである小高い丘の上。そこには豪族の屋敷があった。何かに襲われたのか土塀は所々崩壊しており、外部からの侵入者を容易く許してしまう状態だ。当然、ここにも人はいない。


 その屋敷の内側も、雑草や苔に覆われ、手入れする人がいないことが伺える。


 この土地は、何かによって襲撃された曰く付きの場所として周囲には認知されていた。何に襲われたのかは伝承に残ってはいない。野盗なのか、呪術士なのか、妖怪なのか、正体を知る者は誰もいない。




 そんな誰もいない土地に、一人の男が出入りしていた。僅かに白髪が混じった黒髪。後ろで緩く一束に結っている。風貌は健康的ではなく、肌には皺が刻まれ、シミが何カ所にも浮き出ていた。背は標準的。細身ではあるが身体の芯はしっかりとしていることが伺える。


 そんな彼は、朽ちた屋敷に足を踏み入れた。草をかき分けて蔵の前に立ち、かんぬきを外す。蔵の扉は、軋みながらもゆっくりと開いた。


 蔵の中にあったのは、複数の檻。檻の中には食料と水が入った器、そして虫がたかる子供の遺体があった。


「今回もダメか」


 男は静かに呟く。ややしゃがれた低音で、抑揚が少ない。その発声には不快感を覚える余韻があり、耳に残るものであった。


 そんな男の背後で、草をかき分ける音がした。男の動きが止まる。そして、蔵の外で呼び声がした。


「そこの者、ゆっくりと背後を向け」


 蔵の外にいる者は、若い呪術士であった。右手には抜き身の刀を持ち、左手には呪符が握られている。正義感の溢れる瞳は鋭く蔵の中にいる男の姿を映していた。


 男は生気なく後ろを向く。その目は、瞳孔の奥が非常に冷たかった。常に相手を値踏みしているかのような印象さえ受ける。その左目には、花柄の義眼ぎがんが嵌まっていた。


「お前があの……!? この場で始末させてもらう!」


 呪術士は義眼を見るやいなや、威勢良く男に立ち向かっていった。恐怖心などなく、使命感だけで衝動的に動く。これは果たして勇敢であったのか、蛮勇であったのか。


 さて、男はこの後どうなっただろうか。呪術士は男を討ち取れたのであろうか。




 男はその場から動くことなく、呪術士は男の足元でうつ伏せに倒れていた。体中が様々な虫に食い破られ、形容しがたい状態となっている。もはや生きているかどうか定かではない。


「聞こえていないかもしれないが、呪術士が敵の呪術士の拠点で対策無しに戦闘に入るな」


 男はそう呟いてしゃがみ込むと、呪術士の遺体を仰向けにした。そして、襟元を確認すると、特徴的な刺繍ししゅうが入っているのを見つける。円形の刺繍の中に、開いた花柄の刺繍が施されていた。


「……黄色の刺繍。この意匠なら裏宰りさい大信だいしんか。場所が割れている可能性がある以上、小仁しょうにん以上の階級が来たら面倒になるな。そろそろ、ここも捨てる頃合いか」


 男はそう呟くと、屋敷をそのままに立ち去った。その足取りに未練はない。ただ、次の目的のために歩いていた。


◆◆◆


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