5.最悪の結末
この日に知ったことは、誰も知ることはない。最悪に巻き込まれてしまったことで、伝えることはできなくなった。
この仮説が、今後の行動を縛ることになるとは、知るよしもなかった。
幾重にも重なる巻物の束。その一つを手に取り、両手で広げた。
鼻孔をくすぐるほろ苦い墨の匂い。私は内容が目的のものであることを確認するとあぐらをかいて座った。
これは
ただ、そんな調べ物のつもりだった。
「?……この記載……既視感が……」
資料の中に、かつて別の資料で見覚えがある記載を見つけた。それはただの容姿に関する記載。何故か、どうしてもそれに引っかかりを覚えた。私は、思い出さなければならない。そういう強迫観念に襲われ、こめかみを人差し指でトントンと叩きながら考える。そして、一つの心当たりを思い出した。
今開いている巻物を机に置き、私は別の棚を探す。巻物が普段よりも重く感じる。手に汗を滲ませながら、巻物を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。そんな中、それを見つけた。
私はこれを何度も読み返したことがある。朽花を捕らえたいと考えていた時期があるからだ。ここで見られるのは過去の資料だけ。最新の資料は
でも、過去の資料で十分だった。何故なら知りたいのは、数十年前の記録だからだ。
巻物を流し読みし、ついにその記載を見つけた。
「思い違いで、あってほしかったな……」
自然と、苦虫を噛みつぶしたような表情になってしまう。
当時、その地方呪術士の三男は若くして毒殺されたと記録されている。実力もあった影響か、その当時の容姿が記録に残っていた。その遺体をどうしたのかまでは記録にはない。その三男の死後、朽花の記録の中に同じ容姿の記録があった。見間違いではない。読み間違えてもいない。その三男は、戦闘の影響で右目側を大きく負傷し右目をなくしており、左の頬が裂けているという記録がある。そんな身体的特徴がそっくりそのまま朽花の記録に残っていた。右目の傷と
真奈の話を思い出す。朽花の体の冷たさと、わずかに漂ったという死臭。
私は他の人物にも同じ傾向がないか資料を読み漁った。
そして、また一人共通点がある人物を見つけた。これはおそらく
私の中に、ある仮説が浮かぶ。違うはずだと考えながらも、重なる記録がそれを否定する。背筋に冷や汗が流れる。気付いてはならないことに気付いてしまった感覚に襲われた。
書庫の空気が変わった気がする。こんなにも墨の匂いは気持ち悪かっただろうか。これ以上調べることを、身体が拒絶しているような感覚を覚えた。
狼狽しながら資料を閉じる。これからどうするべきか。まず
そうした中、書庫の扉を叩く音が聞こえた。この部屋は機密情報が含まれているため、
「誰だ」
「
その言葉を聞いて書庫の扉を開けると、下人の一人が頭を下げながら待っていた。彼は「こちらを」とだけ言い、私に手紙を渡した。嫌な予感がしながらも、受け取った手紙を恐る恐る開く。
文章を書いたのは父だ。これは筆跡から分かる。冷や汗がまた流れるが、先ほどのものとは毛色が違う。先ほどは気持ち悪さから出たものだが、今回の原因は恐怖だ。父は病状が進行しているとはいえ、先日も平然と歩いていることを確認している。その状態のあの人が、直接話すのではなく、手紙のような回りくどい真似をするのには相当な理由があるはずだ。
内容を読むと、私が山で妖怪である真奈と関わりを持っていたことを暗に指し示す内容だった。目の前が真っ暗になったかのような感覚に陥る。妖怪との関係があることは、呪術士にとってあってはならないことだ。千歳とも、真奈とも関係があることが周囲に露呈しないように注意は怠ったことはない。それが何らかの理由で父に漏れた。真奈に会いに行く私の動きが不信に思われ調査されたのか? 発覚した理由は今ここでは重要ではない。
手紙の最後の文には、『こちらで事を終わらせる前に、潔白を証明しろ』と書かれていた。
これが何を意味しているのか、理解に時間はかからなかった。急に足元が崩れたかのようだ。あの子に救いはないのかと絶望した。
あの子を殺めた時の状況を想像する。手が血で染まり、彼女は何が起きたのかも分からず恩人に殺される。想像するだけでも手が震える。弱者を殺したくない。友人を殺したくない。これから最低限普通の生活を送れるかもしれない存在が、恩人に殺されるようなことなんてあってはいけない。
当主は、父は、身から出た錆を隠そうとしている。私をこの時点で切らないのはそういうことだろう。今私を殺すなら、次期当主を殺すのならば、相応の理由を出さないといけない。その理由として私が妖怪と関わりを持っていたと正直に言えば、家全体の信用に関わる。それは絶対に避けるべきだ。
それに、父は家全体をよく見ている。私が消えれば兄と弟は必ず殺し合う。そうなれば家の存続が絶望的になるだろう。父の病状と家の存続を考えれば、私をできれば殺したくないのが本心だと予想できる。
今すぐに、私が先にあの場所に着かなければ、問答無用で真奈は殺されるだろう。私はほぼ最低限の支度をし、馬を走らせた。
一時間ほど走らせ、山の麓で馬から下りる。相当無茶をさせてしまったが、それ以上に私には真奈のことが気懸かりであった。
普段使わない急勾配をよじ登る。冬である影響か、地面が凍るように冷たい。そんなことが
そして、横穴に着いたときには夕方に差し掛かっていた。汗は寒気で急激に冷やされ、凍えるような寒さに襲われる。それと合わせて疲労で肩で息をしながらも、私は真っ先に横穴の入り口に張った結界を張り直した。おそらく父には大まかな居場所は割れているだろう。そうであれば場所を隠す偽装結界よりも強度が高く解除されづらい通常の結界を使った方がいい。そんなことをやっていると、真奈が心配そうに私に話しかけてきた。
「カンナ、こんな時間にどうしたの?」
疲労と焦り、そして恐れからか、汗が止まらない。私は顔を見せる前に、自分の頬を叩く。深呼吸をしながら、表情を整え、焦りを抑えた。
「真奈、よく聞いて」
私は真奈に顔を向け、事の顛末を話す。ここはもう安全ではない。生き延びるためには今すぐにでも逃がさないといけない。だが、それは私の処分を意味する。一瞬だけ葛藤したが、私は決心し、彼女の両肩を掴む。
「真奈、今すぐここから逃げろ。私はどうにでもなる。でも、お前は捕まったら殺される……!」
その言葉を聞いて、真奈が動くことはなかった。外を見て、嗅ぐような仕草をする。表情を変えることなく彼女は首を横に振り、外を指さして言う。
「もう、囲まれている。何人もの匂いがする。私は、逃げられないよ」
その言葉を聞いて、結界の外を確認する。木々や草の影に軽く見積もって十人ほど隠れている。父の命令で何人か先に忍ばせていたのか。焦りすぎて、その可能性を考えていなかった。誰かが先に真奈を殺すよりも、私が殺すことに意味がある。私の甘さを見越した父の采配だろう。そんな簡単なことに気付いていなかったことを今更ながら悔やむ。恐らく父も含めた本隊が、近いうちにこの場に来るだろう。そうなれば言い訳の時間も用意されることはない。私と真奈に時間はほとんど残されていない。
まず、説得は不可能だ。私はこの現状について弁明する材料を持っていない。尋問していたと言ったところで、そうなれば後々真奈に苦しみを与えてしまう。
そうなればここで先行隊を私が倒して逃がすか? 十人ほどであれば、倒すこと自体は不可能ではない。いや、そんなことをすれば今後の軋轢を生んでしまう。父も流石に看過できず、私を処分せざるをえない。そうなれば私の信用も落ち、次期当主から外される。
では真奈と一緒に逃げるのはどうか。だめだ、私が次期当主という影響で顔が割れている。そこまでやると家の面子以上の問題になる。そうなれば
それに、
そうして焦りを隠すこともできず、こめかみを指でトントンと叩きながら考える。すると、真奈から望んでいない提案をされた。それは一番聞きたくない台詞。何よりも避けたい結末。そして、それを彼女から言わせてしまったことに、私は凍り付くような感覚に陥った。
「私が殺されることで全てが収まるなら、殺してもらっていいよ」
「馬鹿なことを言うな! 何か……何か解決法はあるはずなんだ! こんな、力のない呪われた人間が、理不尽な目に遭っていい訳があるか!?」
私は反射的に叫ぶ。言葉を吐ききった後、様々な感情が混ざり合って声を出すことができない。今にも泣きそうになっている私とは対照的に、真奈の表情は穏やかだった。口をパクパクと開くが、何を言えばその提案を退けられるだろうか。今の私には答えが出せないでいた。
「私はここから逃げても、誰にも必要とされない。でも、カンナは違うでしょ? 必要としてくれる人がいる。その手で救える人がいる。こんな妖怪の私よりも、ずっと価値がある」
私は、何も返せなかった。私が消えれば、その分守れない人が増えるのは事実だ。家の跡継ぎに関する騒動だって起きる。一体の妖怪を守り抜くには、背負っている責任が重すぎる。そんなものは分かっていた。
だが、それでも私は……。
「貴女を……殺したくない……」
葛藤に押しつぶされそうになりながら、絞り出すように声を出す。無意識に涙がこぼれた。こんな理不尽な死があってたまるか。理不尽な死にあわせたくないから、彼女に色々なことを教えた。これ以上不幸になって欲しくないから、私は救いたいと思った。不幸な少女だと思ったから、一筋の幸せでも与えたかった。それなのに……立場が……そうさせてくれない……。
「カンナ、大丈夫」
真奈はそう言って私を正面から抱きしめる。母のように優しく、じんわりと暖かい。冬の寒さも、忘れるようだった。
本来守るべき相手に慰められる。この状況の中、私は甘えてはいけない。私は決断しないといけない。
「私はカンナと会えて幸せになれた。だから、大丈夫」
彼女にかける言葉が見つからない。手を震わせながら、懐に手を入れた。そして、短刀を取り出す。片手で鞘を落とし、軽い音が響く。静寂の影響か、それはやけに耳にこびりついた。抜き身の刃を彼女の胸に向ける。このまま突き刺せば、何もかもが丸く収まるだろう。だが、手が震え、とてもではないが突き刺すことはできなかった。
手から短刀が滑り落ちそうになる。それを、彼女は私の手を掴んで無理矢理握り直させた。
突然のことで何が起きているのか分からないまま、彼女は私を抱きしめたまま足を引っかけた。何もかもがゆっくりになった感覚が起きる。そして、そのまま、気付いたときには私は彼女に押し倒されていた。
刃が皮膚を突き破る。手が生暖かい液体に覆われる。一瞬だけ聞こえた真奈のうめき声。何が起きたのか理解して、真奈を引き剥がそうとする。だが、彼女の力は想像以上に強い。真奈は腕をこちらの首に回し、足を絡めてくる。がっちりと固定され、力尽くで引き剥がすのはできそうにない。
短刀を引き抜こうとしても、真奈はそれを押し込もうと体勢を調整してくる。短刀を動かす隙間がない。それならばと、手を離してしまおうにも、彼女の手を握る力が強く指が離れない。指を開くことすら許されず、短刀から手を離すことができない。ついに、短刀を引き抜くことは叶わなかった。
やめてくれと、私は何度も叫ぶ。だが、彼女はやめることはない。真横に頭がある影響で、彼女の表情を伺うことができない。彼女はうめき声一つ出さず、刃を身体にねじ込んでくる。
私は、こんな結末を望んではいない。抱きしめられている影響で、彼女の体温の低下が直に感じ取れる。徐々に冷えていく彼女は、それでも私を離すことがなかった。
気が狂いそうになる。自分が傷つけられている訳でもないのに、この心の痛みは想像を絶した。彼女の痛みが、自分のものかと思えるほど胸が痛かった。
私たちは次第に何も言葉を発さなくなる。短刀を引き抜く隙はない。寒気を帯びた風が吹く。それはこちらを嘲笑っているように思えた。
笑うんじゃない。この子の選択を笑うな……。笑うのなら、私の無選択を笑え。
そして、どれだけ時間が経ったか。彼女の力が緩みだす。短刀をねじ込む動きもなくなった。彼女の身体は冷え切り、最初の暖かさは感じ取れない。
息苦しさが収まることがない。目尻から涙がこぼれる。何もできない、無力な自分を恨んだ。
「……ありがとう」
これが、私が聞いた最後の言葉。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます