通信プレイの目覚め
1996年の7月21日、ちょうど夏休みが始まる頃にゲームボーイの新型にして廉価版であるゲームボーイポケットが発売される。これは絶妙にも程があるタイミングであった。なにせ、春から夏にかけて『ポケモン』はじわじわと売上げを伸ばしていた。家庭内で本体とソフトを共有して遊んでいた兄弟姉妹も多かろう。「そろそろ自分用のが欲しい」「別のバージョンもやってみたい」「大事なポケモンだけ通信交換で避難させて最初からやり直したい」と、誰もが思っていた矢先での登場である。
我が家でも夏休みの間に、緑版及び通信ケーブルと変換コネクタとともに購入した。ようやく我が家に通信環境が揃うようになるのである。まあゲームボーイポケットという本体については、とにかく電池寿命が短かったり(なにせ単三電池4本を単四電池2本に置き換えたのだから電力は半減以下である)、その上で電池切れの予兆が無く突然切れたり(インジケータランプすらなかった)、お世辞にも優れたハードだとは言えなかったのだが、とにかく2台目があるというだけで遊びの幅は大きく広がった。
とはいえ、この時点ではまだ「サブROM」的な感覚はなく、普通にプレイして、エンディング後もそのまま継続してプレイしていた。既に続編の発売が告知されており、順調なら年末や年度末には出そうな勢いだった(『金・銀』というバージョンも同年中には発表されていたと思う)ので、その頃になったら(続編にデータを移した上で)やり直せばいいかと考えていた。実際は延期に延期を重ねることになり、その役目は『青』に譲ることになるのだが。
さて、家庭内で通信環境が揃えば、当然ながら「通信対戦」にも注目されることになるのだが、当時はあまり面白いと思わなかった。育成が遅れている後発組が不利になるのが当たり前であり、しかも対戦に付き合えばその分だけ育成のための時間や電池を浪費することになる。育つまで待ってくれという気持ちが強かった。まだ、公式ルールが整備されるずっと前の話である。レベル制限という発想は手加減という形でしか存在しなかった。当然、それで勝っても面白くない。
ようやくレベル100が揃って同じ土俵に立てるようになってからが本番。当時、特に気に入って育てていたのはダグトリオとナッシーだった気がする。電気に完全耐性を持つ上に素早いダグトリオと、圧倒的なタフネスから状態異常をばらまくナッシーだ。
ミュウツーが最強だということはわかりきっていた。さすがに強すぎるから禁止にするか、もしくは合意の上で使うということになっていたところが多かったと思う。敢えてミュウツーを使わずにミュウツーに挑んでみるプレイヤーもいたはずだ。
一方で伝説の鳥に関しては、最初はミュウツーと同じ扱いだったりしたが、次第に弱点の多さや攻撃範囲の狭さで、それほどでもないという評価になっていた気がする。フリーザーやサンダーが人気だった一方、対人戦を考慮すると高速移動からの炎の渦が使えるファイヤーが最強だと思うのだが、この手の技は対戦では非常にテンポが悪くて嫌われていた気がする(ゆえにファイヤーの真価が顧みられなかった)。最初期の攻略本「ポケットモンスター図鑑」でも、眠らせる技とともにローカルルールでの制限が提唱されていたのを思い出す。
このようにバランスの歪みのようなものは実感しながらも、思い思いに通信対戦を楽しんでいた。夏頃になると「いきなりレベル100にする」「コイキングからミュウを作る」のようなバグ技も流布し、プレイヤーはさらなる混沌に落とされることになる。
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