最後の竜は死んだ

鋸鎚のこ

最後の竜は死んだ

 僕の祖父母である両陛下が退位されて辺境の療養地で暮らすことになった。お二人とも若者に戻ったかのように眩しい笑顔を浮かべて出発した。信頼している一人息子の父に王位を譲って安心なさったのだろう。


 父は戴冠式を経て、正式にこのヨルーナ王国新王となった。このとき僕は初めて王冠を目にすることになった。そして、感じたままのことを歯に衣着せず言ったものだ。


「僕の代になったらこのみすぼらしい王冠を溶かして作り直したいです。この国の絶対的な王権の象徴なのですから、もっと豪奢にすべきでしょう」


 王冠は古びていて幼児が絵に描いたような意匠の、はっきりと言ってひどい代物。そして何よりも気になる点がある。


「そもそもなぜ中央の台座にあるべき宝石がないのですか? ここに新たな石を嵌め込めば少しはましになります」


 父は首を横に振った。


「そう思うのももっともだろうが、できない理由があるんだよ」


 そう答えた父の表情は曖昧だった。


「理由とは?」


 父が苦笑する。


「この話を語るべきときがついに来たのだろうな」


 父は笑ませていた口元を引き結んで真剣な面持ちになった。


「何かお話があるのですか?」


「長くなる、まあ座りなさい」


 僕が父の執務室のソファに腰かけたのを見て、父は人払いをした。

 

「これは王位を継ぐものだけが知るこの国の秘事だ。文で残すこともせず、口伝でのみ伝えられてきた醜聞だ」


「……醜聞?」


 緊張で声が上ずるのが分かった。


「かつて竜神様がいらっしゃったのは知っているな?」


「何を唐突に。赤子以外なら誰しもが知っていることでしょう。実在した最後の竜の一頭、でしたよね?」


「……それは正解であって正解ではない」


「一体、何が何やら。竜神様はお亡くなりになり、竜は絶滅したでしょう?」


 父は複雑な表情を浮かべたままぽつりと呟いた。


「先王陛下が竜神様を弑した……と言うべきなのだろうな」


「なんということを!」


「人間の考えることなぞ、いつも薄汚いものだ」


 父は顔を曇らせた。


 ◇


 やはり健康な身体が一番だ。寝台の上で寝たきりというものは実につまらない。王宮の庭園の一角を借りて作った菜園で採れたて新鮮の野菜を生で齧ると、侍女たちから悲鳴が聞こえる。


「うん、今年の出来もいいわ!」


 何とはなしに自らの力量に唸ってしまった。


 私──フェリシア・ヨルーナがこの城に生まれてから十六年。


 私はこのヨルーナ王国の天真爛漫な王女である。他人とは少し違うところがあるとしたら「前世の記憶」というものがあるということだろうか。十六という若さで亡くなった、どこにでもいる農家の娘。それが前世の私だ。しかし、なぜそんな記憶を持ったまま生まれてきたのかは全く分からないし、誰かに話したところで信じてもらえない。


 それでも姫に生まれて良かったと思ったことがある。王家の人間だけが「竜神様」にお目通り叶うことだ。


 竜神様とは、現代に生き残る最後の竜。竜神様は王家代々の陵墓を守護されている。王家のご先祖様たちの霊を鎮めるという名目で、私は竜神様にお会いすることに。


 鎮魂の儀式が滞りなく終わって、さっそく竜神様のお住まいである近隣の山へと足を踏み入れた。竜神様はいつもこの山の洞窟にひっそりと身を隠していらっしゃる。


「竜神様、国王の娘であるフェリシアが今年も参りました」


 巨人の背丈ほどはありそうな高さがある洞窟の入り口の前に立って奥の暗がりへと声を発すると、闇を割って中から銀色の大きな塊が姿を現す。陽光を受けて鱗がきらきらと光っていた。


「フェリシアか。確かきみとは昨年会ったな」


 竜神様は見上げるような大きさのそれは美しく立派な竜だ。


「また来年もこちらに伺いますね」


 王家の人間だけが竜神様と会話することができるのだ。これが竜神様に選ばれし者、つまり王族であることの証なのだと言われている。


 前世の母は特別に美人ではないが、優しかった。頑丈な人で、一つ違いの双子の兄たちを産んだのだった。元々は城で侍女を務めていたが辞めて、辺境にある前世の父の実家で暮らすことになった。父の実家は地元の有力な農家だったらしい。「らしい」という表現を使うのは、私は病弱で、あまり父の仕事を手伝うことができなかったからだ。


 そして、十になったとき衝撃の事実を父と母から知らされた。私は父と母の娘ではなく、貰い子だったという。幸いなことに、兄たちを産んだばかりの母はまだ乳が出たので、赤ん坊だった私を育ててくれたという。つまり兄たちと私は乳兄妹というわけだ。


 やがて私が十五のとき、兄たちのうち一人が戦争へと徴兵されて都へと旅立つことになった。そして彼と生きて再会することはついぞ叶わなかった。


 私が一年後に風邪をこじらせてあっけなく命を落としてしまったから。


 ◇


 年が明けてからすぐ、国王である父が亡くなった。心臓の病によるあっという間の死。遺言が残されることもなく、諸々の引き継ぎに苦労した。国葬も無事に済んだが、私は疲労困憊になった。


 そんな忙しい日々を過ごしていたとき、なんと、父のご落胤が現れたのだ。


 ご落胤は男児で、つまり私の腹違いの弟にあたる。この時期においでなすったということは、王位の継承権を主張しにきたのか、莫大な遺産を要求しにきたのか、いずれにせよ面倒ごとには変わりない。


「母上、彼は本当に父上の御子なのですか?」


 さっそく真相を知るだろう母に尋ねたのだった。


「そうですよ」


 母は意外にもほがらかな微笑みを浮かべていた。さすが王妃だ、何事にも慌てない立派なお方である。


「母上はこの事実を知った上で私に黙っていらっしゃったのですか?」


「あなたが成人したら話そうと思っていたのよ」


「一体どのような経緯だったのです?」


 母は全てを語ってくれた。母は父の正室だが、私を授かるまでに時間がかかり、かなり高齢での出産となった。次の御子は望めないだろうと感じた母は、父に信頼できる母の侍女を側室とするよう提案した。その侍女は若く健康だった。父は母に対して心苦しさを持ちながらもその通りにした。無事に御子が誕生。それがご落胤の誕生した経緯だ。今年で十四歳になるという。

 

「ご落胤が今になって現れた目的は?」


「陛下の墓前に花をたむけに来たのですよ。急な出来事だったから死に目に会えることもなく哀れなことだわ」


 母の話を聞いてひとまず安心した。これから、お家騒動になるなんて迷惑極まりない。


 そしてご落胤と対面することになった。利発そうな印象を受ける少年というのが初めて会った感想だ。確かに父に面影が似ている気がする。


「お初にお目にかかります、フェリシア王女殿下。カイルと申します」


 カイル殿下は私に対して恐縮しているようだった。さすがに正室の娘と話をするのは緊張するだろう。こちらも敵意がないことを示さなければ。


「初めまして、カイル殿下。私のことはぜひ姉と思って遠慮はなしに接してください」


「では姉上とお呼びしても?」


「もちろんです」


「私のことはどうぞカイルと」


 少し頬を赤く染めて肩に力が入った様子で話すカイル殿下はまだあどけなさが残っていて可愛らしい。私に弟ができるとは思わなかった。結果として私も慌てて結婚相手を決めて世継ぎをもうける必要性が少し薄れたということで、安心材料が生まれた。


 ◇


 父の喪が明けてから、私はこのヨルーナ王国の女王に即位した。ついに戴冠式のとき、王家伝来の冠を目の当たりにする。金を打ち出して作られた質素な冠だが、中央の台座には一際目立つ貴石が嵌め込まれている。


 それは、「魔石」の大きな結晶だった。


 約一五〇年前に起こった魔法戦争は、この石を巡った熾烈な争いだったということはヨルーナ国民の広く知るところだ。初代である建国王アルフは魔法戦争により焦土と化した大陸の跡地にヨルーナ王国の礎を築いた英雄。


 約一五〇年前という時期は前世の私が亡くなった年代と一致する。偶然かどうかは分からないが、私はこの時代の一端を知る唯一の人間と言えるだろう。人間に限らない話なら竜神様がいらっしゃる。彼は少なくとも二〇〇年前から生きているそうだ。


──魔石とは何か。


 元は辺境農家の娘だった私の知る範囲だが、人間の願望を叶える魔力の籠もった貴石だ。昔、人間は魔石を使うことによって魔法行使ができた。魔石鉱山を多く所有する国ほど他国との争いにおいて有利だったことは言うまでもなく。


 魔石鉱山を最も所有していた大国が今は滅びしアスラ帝国だ。アスラは魔石の収奪を目的とした他国からの侵攻に悩まされていた。それまでは単純なエネルギー源として平和利用されていた魔石も、戦乱の激化に従って軍事転用されるようになっていった。


「先祖代々の墓と新たに加わった父の御霊を守っていただきありがとうございます、竜神様」


 十八になった私は今日も竜神様のお住まいを訪ねていた。洞窟の中は薄暗く、やはり外からは奥の様子を窺い知れない。


「フェリシアか。お父上のことは残念だったな。急なことで大変だっただろう」


 竜神様の声には私を気遣う響きがあった。


「……いえ」


 私は一体どんな表情をしていたのだろう。


「今日は私が知るべきだったろう、この国の成り立ちを竜神様に詳しく教えていただきたく参りました」


「お父上からは何も聞かされていなかったか」


「父からは『おまえが十八になったら全てを伝えよう』と言われていたのですが、ついぞ私は何も知ることもなく父は逝ってしまいました」


 父が一体何を語ろうとしていたのかを知りたかった。竜神様ならきっと全ての真実を知っていらっしゃるだろうと一縷の望みに賭けてここに来たのだった。


「……知りたいか。全てを知れば元には戻れなくなるが、それでもいいか?」


 この質問への返答はすでに決まっている。


「むろんです!」


 私の張り上げた声が洞窟にくぐもって反響した。


「よし。俺が知る全てをきみに伝えよう」


 竜神様の声の調子がぐっと低くなった。私はその迫力に息を呑み込む。


「さて、何から話したものか。そうだな、この洞窟は一体何だったと思う?」


「この洞窟は天然のものではないのですか?」


 全く予想していなかった問いが来て困惑する。


「ここは人工的に掘って作られた場所だ。そして、ここを掘った人々がいた。ここは魔石鉱山の跡地だ」


「ここが?」


「王家の墓守りの仕事というのは建前だ。本来、俺はこの鉱山跡を守護するのが役目だった。とある人物から依頼されて、それをおよそ一五〇年前から続けている」


 竜神様は最後の竜。ご家族はとうの昔に亡くされているはずだ。竜神様は一五〇年もの間、一人ぼっちでずっとこの鉱山跡を守ってきたのか。


 孤高の存在である竜神様にそんな依頼をできる人物なんて、一人しか思いつかない。


「……建国王アルフ様」


「気づいたか。きみは聡いな」


 そしてつまり、竜神様は。


「アルフ様とお会いしたことがあるのですね?」


「いかにもその通りだ。話が早くて助かる」


 そのとき、興味関心が内から泉のようにこんこんと湧き出して止まらないのを感じた。


「アルフ様はどのような方だったのですか?」


「真面目で優しく、とにかく欲のない人物だったよ。自然と周りに人が集まってくる、そんな人柄をしていた」


 竜神様は懐かしそうな柔らかい口調になっていた。しかし私が次の質問をしたとき、打って変わって竜神様のまとう雰囲気が硬くなる。


「ヨルーナを建国なさる前は何をされていた方だったのですか?」


 特に他意のない質問だったのだが、竜神様は苦しそうにため息をついた。そうしてから、竜神様は一息に淡々と告げた。


「彼はアスラ帝国の所有していた元鉱山奴隷だ」


「元、鉱山奴隷……?」


「建国王アルフ。彼はアスラ帝国によって魔石鉱山で働かされていた鉱奴の一族の出身だ」


「りゅ、竜神様……」


「そして俺も『竜神様』などと呼ばれるような崇高な存在でも何でもない」


 竜神様の声は凍てつくような響きだ。


「何も知らぬ私にも分かるように説明してください」


 私は努めて冷静を保とうとしたが、四肢の先端が冷たく、痺れていくのを抑えられなかった。


「ああ……そのつもりだ」


 竜神様は首を一つ、縦に振った。


「まず、魔石は見ただけで人間を魅了し使いたくなってしまうという呪いのような力を放つ。大勢の人間が魔石を求め、奪い合った原因だな。しかし、アルフの一族は先天的なものなのか後天的なものなのか、今となっては分からないが、魔石の魅了に耐性があった。それゆえに魔石鉱山でひたすら魔石を採掘することに従事させられていたんだ」


「魔石の魅了に耐性があった……?」


「現にきみは俺と会話が通じているだろう? きみがアルフの末裔であることの真の証だ。俺の声は常人には意味を伴って聞こえない。魔石の呪いを帯びているからな。魔石の効力を吸収し、無害化してしまう。それがアルフの一族の能力だったんだ」


「私にもその能力が受け継がれている、ということですか」


 王族だけが竜神様のお言葉を聞くことができる、というのは明白な理由があったからなのか。それも決して竜神様に選ばれた一族だからという抽象的なものではなく。


「その通りだ。……話を戻そう。魔石鉱山での労働は過酷なもので、毎日のように人死が出たという。そのような環境でもアルフはかろうじて生き残った。しかし皮肉にもそれがヨルーナ建国のきっかけとなったんだ」


「魔法戦争によってアスラ帝国も、アスラに侵攻した国の人々も、ことごとく死に絶えたからですね?」


「察しがいいな。むろん、魔石鉱山がどこにあるかということはアスラにとって一番の国家機密だった。外界から完全に遮断された状態の秘匿された場所で働かされていた彼らは、終戦したことにもすぐには気がつかなかったほどだ」


 アルフ様はたまたま魔法戦争の混乱の中で生き残ったがゆえに王となった。魔石鉱山で働いていたと判明すれば、魔石を狙う人々に殺されてしまう。


「アルフは二度とこのような悲劇が起こらぬよう、魔石という負の遺物を全て破壊し、魔石鉱山も埋め戻して何もかもを葬り去った。……きみのお父上が語ろうとした話はこんなところだろう」


「先ほど竜神様はご自分のことを『崇高な存在でも何でもない』とおっしゃいましたよね。それは一体どういう意味ですか?」


「アスラは魔法戦争に勝利するため、魔石の軍事転用研究を盛んに行った。そしてアスラが犯した最大の罪……それが『竜部隊』の設立だった」


「……竜部隊?」


 もっと直接的な答えが来ると思っていたので、遠回しな言い方と、聞いたことのない単語に眉をひそめる。


「魔石の力で人間を竜に変えて殺戮兵器として運用する、と言ったら分かるだろうか」


「へ……?」


 頭が真っ白になって、言葉が出てこない。


「俺はその最後の生き残りだ」


 竜神様は顔を横に背けている。


「そ、そんな……竜神様は元人間、だったのですか」


 言葉が途切れ途切れになりながらも、ようやく話すことができた。


「皆、俺のことを『竜神様』と呼ぶが、あまりにもおこがましいことだ。ただの人殺しに」


 何という人生なのだろう。戦のために化け物になって人を殺せだなんて。


「他の竜……人たちもいたのですよね? どうして竜神様だけ生き残ったのですか?」


 すると、竜神様が顔を正面に戻して私の目を見つめた。


「……人を、待っている」


「人を?」


「俺がまだ人間だった頃、俺のことを好きだと言ってくれた人がいた」


「恋人がいらっしゃったんですね」


「いや、恋人には決してなることの許されない人だった」


「なることが許されない?」


「……ああ。身分違いの恋ってやつさ」


 竜神様は目を伏せて、表情の読み取れない顔なのに、どうしてか寂しげに微笑んだように見えた。


「一つ、お伺いしてもいいですか」


「なんだ?」


「その方のお名前は?」


「ティーネという。ティーネ・エルシュ。いや、違ったな。本当の名はティーネ・アスラだ」


──ああ、全ての納得がいった。


 本当にこの人は一五〇年もの間、ずっと待ち続けていたんだ。結果、どれだけのものを失ってしまったかも分かった。私はこの人の名前を知っている。忘れるわけもない。


「あなたって本当に馬鹿真面目な頑固者だわ。……リュナン」


 彼は目を丸くした。何呼吸かおいてからやっと返事をした。


「本当にそう思う。耳に痛い。……ティーネ」


 ◇


 俺たちには守るべきお姫様がいる。いつも風邪をひいてばかりだが、家の外に出れば父の畑仕事を手伝おうと無茶して、生き物ならなんでも触りたがる女の子。うん、野生児だな。


 母からは「彼女は大切な私の娘なのだからしっかりお守りしなさい」と俺も双子の兄であるロランも何度も何度も言われたものだ。物心ついたときから俺たち双子にとってティーネは可愛い妹という認識だった。それが一変したのは俺たちが十一、ティーネが十になったときだった。


──なんと、ティーネは皇帝陛下の御子であると母から知らされたのだった。そしてこれをティーネに決して伝えてはならないと固く約束させられた。ティーネは、自分は貰い子であると母から告げられたようだった。ティーネの本当の出生を教えるのは成人してからだそうだ。


 母はアスラ帝宮で侍女を務めていた人だった。有力な農家の出身である父と結婚し、ロランと俺を産んだ。ロランと俺が一歳を過ぎたとき、母に舞い込んできたのが皇帝陛下に誕生されたティーネ姫の乳母の話。乳母というものは基本的に貴族の娘が務めるものだったが、当時、子を産んだばかりの娘がいなかった。そこで乳母に抜擢されたのが母だった。血族同士での婚姻を繰り返していた帝家は生まれてくる子が少なく、病弱な方が多かった。ティーネ姫も身体が弱かったが、無事に一歳のお誕生日を迎えられた。


 しかし問題はそれだけにとどまらなかった。アスラの豊かな魔石鉱山を狙った近隣諸国が連合を組み、侵攻してきたのだ。兵士が不足したことにより帝都の治安は悪化し、帝宮においてティーネ姫の暗殺未遂という決定的な事件が起こってしまった。これを危惧した皇帝陛下はティーネ姫を辺境で隠し育てさせることにした。これにまたもや白羽の矢が立ったのが乳母であった母。母は帝宮を辞して父の実家にてティーネ姫を預かり育てることになった。


「ロラン、おまえは家に残ってティーネを守れ」


 十六になったとき、ついに徴兵の話が来た。ロランと俺とでどちらか必ず一人は兵役に就かなければならない。


「何を言ってるんだ! おまえこそティーネのそばにいるべきだろう!? あんなにティーネはおまえに懐いているじゃないか!」


 ロランはティーネが俺のことを本気で好きになっているのを知っていた。ティーネもティーネだ。そんなもの決して叶わないというのに。


「だからこそだ。ティーネを傷つけたくない。あいつが俺たちと別れる日が必ずやってくると知ってしまったら哀れだ」


「おまえ、本当にそれでいいのかよ! 二度とティーネと会えないかもしれないんだぞ!?」


 ロランは血相を変えて俺をとがめた。


「それがティーネにとって一番幸せかもな」


 俺は半分冗談、半分本気で言ったのだった。結局ロランは折れて、俺が帝都へと赴くことになった。


「必ず帰ってくるんでしょうね?」


 この病弱なのを感じさせないほど気が強いお姫様はむすっとした顔で俺を見送るのだった。陰で散々泣いていたのか、目が赤く腫れぼったいのが丸分かりだ。


「俺がいなくてもロランがいるだろ。顔も背丈もほとんど変わらない」


「全然違う! ロランも好きだけれど、リュナンのことはもっと好きだから!」


「……それじゃあな。元気にしてろよ」


「当たり前よ!」


 俺はティーネに背を向けて歩き出した。振り向くことはしなかった。


 俺はアスラ帝国を、しいてはティーネの帰るべき場所である帝家を守るために竜部隊へと自ら志願した。竜部隊の設立は帝国が編み出した苦肉の策だった。魔石を大量に消費し人間を竜という怪物に変貌させる。そして上空から魔法攻撃を行うという滅茶苦茶なもの。竜部隊は各地で戦果を挙げ続けたが、敵の反撃も凄まじかった。最終的に帝国は竜部隊へ各地の都市を無差別に攻撃するように命じた。大陸全土が焦土と化すほどの苛烈さだった。


 俺がロランからの文を受け取ったのは約一年後のことだった。その内容は、ティーネが風邪をひどくこじらせて亡くなった、というものだった。残念ながら、魔石は怪我や病気の治療には効果を発揮しない。価値のない石だ。


 ついに自分は何もできずティーネを死なせてしまった。


 その一文にはロランのやりきれない悔しさが滲み出ていた。帝家の姫君の命を預かっておきながら、何も助けることができなかった。文を焼くと、空へと白い煙が細く立ち昇っていく。


 魔法戦争が終結した三年後、密かに故郷の村へと飛び立った。ティーネは村の共同墓地に埋葬されたという。最期まで彼女は自らの出生を知ることはなかった。その夜は月明かりが綺麗だったのを覚えている。村の上空を飛行しながら、己には何ができただろうかと問い続けた。


 俺はとある馬鹿げた考えに取り憑かれた。


 竜となる者たちには戦争終結後に元の人間へと戻るための魔石が用意されていた。


「何百年、何千年が経とうと構わない。生まれ変わったティーネに会わせてくれ」


 俺は気がつけば、そう魔石に願っていた。魔石の塊はその願いを聞き届けたのか否か、粉々に砕け散って消失した。これが自分にとって最後に残された魔石であることは重々承知の上だ。


「……すまない、ロラン。母さん、父さん」


 竜の声は人間には届かない。それに、こんな姿ではロランにも父母にも二度と会うことができない。俺はこの夜、一人の娘と会いたいという願いのために家族と永遠の別れを告げた。


 ◇


 この春に息子が生まれた。時が経つのは早いもので、私も二十二だ。リュナンと私は正式に婚姻を結び、彼は王配となった。


「俺に王配が務まるとは思えない。きみと結婚なんてできない」


 当初、彼はこんなことをのたまったわけだが、私はこう反論した。


「この一五〇年間、何を見続けてきたの、あなたは?」


「…………」


「この国の歴史を見続けてきたあなた以外に王配となる適任がいると思うの? 私にもう一度、転生しろと言うつもり? 覚悟しなさい!」


 一五〇年前、リュナンはアスラ帝国の末裔の姫だった私を、自身が竜から人間に戻るための魔石を使って転生させた。もしかすると、再び私と会いたいがためだけに竜でい続けることを選んだのかもしれない。


 ヨルーナ王家は後世への戒めとして魔石を一つだけ王冠に残していた。その最後の魔石が、リュナンが人間へと戻るための役に立った。それが無かったら一体どうするつもりだったのだろう。本当に馬鹿な人。前世の両親の死に目にも会わなかった親不孝者。両親がリュナンを戦死したものだと思って悲しみのまま亡くなっていったのだと思うと胸が張り裂けそうだ。


 我が子には魔石の欠けた不恰好な王冠を引き継ぐことになるが、きっとこれも今までの全ての歴史として理解してくれるはずだ。自分の父親が竜だなんて知ったら、私の子だからきっと目を輝かせて聞いてくれるだろう。


 二つ下の弟カイルはこの子の誕生をすごく喜んでいた。カイルは最初から王位になんて興味がなかった。彼の正体が判明したのは、リュナンが竜から人間に戻った後、初めて顔を合わせたとき。カイルはリュナンの顔を見るなり突然号泣し始めたのだった。私の結婚が決まったことが嬉しいのか、それとも、義兄ができることがそんなに嬉しいのか、どちらなのだろうか。


 そのどちらでもなかった。


 泣いていたと思っていたカイルは、今度は大笑いし始めた。薄気味悪いと私が訝しみだしたとき、彼は自分の正体を明かした。


 自分の前世は、もう一人の兄ロランだと。


 ロランは私がアスラ帝宮から預けられた際に持たされていた緊急時用の魔石を処分しようとした。ただ破壊するのももったいないと思って冗談半分に、「来世では兄妹三人で賑やかに面白おかしく暮らせたらいいな」などと呟いたらしい。すると魔石が消失したという。その願いは無事叶ったわけだ。


 とにかく三人が奇跡的な再会を果たしたことに、全員が大いに泣いて大いに笑った。この双子の兄たちは考えることまでが一緒で本当に馬鹿だ。

 

 ところで息子が国を継いだら、私たち夫婦とカイルは父さん母さんの暮らしていた村があった領地で余生を過ごそうと計画している。きっと楽しい第二の人生になるはずだ。


 ◇


 僕が父から王家の醜聞を聞かされてから十五年後のことだった。療養地で暮らしていた祖父リュナンが亡くなったと知らせが入った。


 祖父は建国王アルフと共に、最後の竜の力を使って全ての魔石鉱山を葬り過去のものにした。


 魔石の欠けた王冠はこの国の不退転の象徴なのだ。これを後世に残すのが僕の仕事。加えて、僕はこの醜聞を広く国民に公開しようとしており、国王である父も賛同してくれている。


 祖父は竜でなく人として死んだのだ。


──最後の竜はここに倒された。

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