2時限目

 姫崎詩子の話をしよう。


 それは、4月初旬のことだった。

 春にしては少し肌寒く、それでも健気に並木道の桜がピンク色の花弁を広げた頃。


 光乃城学園の入学式が執り行われた。


 不安と期待の高校生活。

 新しいステージの第1歩。

 その初日になるはずが、姫崎詩子という女子生徒の登場によって一変した。


 おそらく入学試験で1番を取ったであろう彼女は、さも当たり前のように「新入生代表」というかけ声をかかると、すっと立ち上がる。

 静まり返った体育館の中で、姫崎さんの足音だけが響き渡り、壇上を登る姿は戴冠を受ける王のように雄々しかった。

 やがて姫崎さんは、カンペを一切見ずに、挨拶を始める。

 もはやそれは挨拶と言うよりは、何かの戦勝宣言を聞いているようだった。


 やがて、姫崎さんの挨拶が終わる。

 一礼をした後、不意に窓から風が吹き込んだ。

 桜の花びらが、静まり返った新入生たちに降り注ぐ。

 黒髪を揺らした姫崎さんにも、花吹雪が降りかかる。

 その幻想的な雰囲気は、まさに神に祝福されているとしかいいようがなかった。


 挨拶を終えて、5秒後。

 割れんばかりの歓声と拍手が送られた。


 姫崎さんは盛大な賛辞を受けながら、特に感情的になることもなく、ぼくの1列後ろの通路側に座った。


 これが、ぼくが姫崎さんを初めて知った時のエピソードだ。

 本当に奇跡みたいな光景だった。


 でも、思いもしないことはこの後だ。

 ぼくは、姫崎さんと一緒のクラスになり、そして彼女の隣に座る権利を得るに至った。





 それもまた奇跡の1つなのだろう。


 入学当初の学校の席順なんて、出席番号順と決められている。

 大久野の「お」と姫崎の「ひ」は考えるまでもなく、離れて当然だ。

 しかし、どのような基準でクラス編成がされたかは知らないけど、「ひ」の前の名字の人はたったの4人しかなく、「ひ」の後の名字は、9人もいた。


 さらに黒板に向かって窓際から、男、女、男、女、男、女という席順だったため、5番目のぼくは窓際の奥という絶好のポジションと、女子の5番目である姫崎さんとお隣同士になったのだ。


「えっと……。大久野帝斗です。お隣同士よろしくお願いします」


「姫崎詩子です。どうぞよろしくお願いします」


 入学初日、ぼくたちは他愛のない会話をした。


「綽名はリトルオークっていわれてます」


「オークってファンタジーの?」


「うん。……ただ顔に迫力がないから『可愛い方のオーク』とか呼ばれてるけど」


「可愛い方のオーク……」


 すると姫崎さんは顔を伏せ、「ぷくくく」と笑い始めた。


「そ、そんなに笑わなくても」


「ごめんなさい。可愛い方のオークって……。あはははは」


 姫崎さんは涙を流しながら笑っていた。

 とても綺麗な声で。

 まるで謳うように。


 でも、それが最後だった。

 ぼくたちが、こうして会話したのも。

 入学初日、それもたった数十分だけ、姫崎さんはよく笑う普通の女子高生だった。





 オリエンテーションが終わり、それは雪崩のように始まった。


 1人の男子生徒が廊下を歩いていた姫崎さんの前に立ちはだかる。

 すると、頭を下げてこういった。


「姫崎さん、好きです。付き合って下さい」


 それを機に「俺も」「僕も」「私も」と手が上がり、次々と姫崎さんに告白を始めた。

 男子も女子も、教師も関係ない。熱に浮かされたように愛の言葉を投げかけた。

 端で見ていたぼくからすれば、それは異様な光景だった。


 姫崎さんが小さく息を吐くのを、ぼくは見逃さなかった。


 やがて他の新入生同様、ピカピカに光っていた輝きは霞がかかったように消失し、背後から闘気のようなものが見えた。

 ぼくが初めて目撃した【姫騎士】――姫崎詩子の姿だった。


「その不細工な着ぐるみを脱いでから答えてくれますか?」


 稲妻のように最初に告白した男子を一刀する。


 こうして『姫騎士』こと姫崎詩子の学園生活は始まったんだ。




 ◇◇◇◇◇




 姫崎さんに告白した人数は、確認されているだけでも500人を越える。

 光乃城学園は中高一貫校で生徒数が1100人近くいる。約半分の生徒が彼女に告白したことになる。

 入学時から今日までの登校日数は約90日。

 つまり1日5、6回の告白を受けている計算になる。

 さらに告白リピーターも数多くいるので、正確な数値は3、4倍になるのではないかといわれている。


 姫崎さんの成績はみるみる落ちていった。


 事態を重くみた教職員は、生徒会と相談し、ある組織を立ち上げる。


 『姫崎詩子告白管理委員会』。


 通称『円卓』の発足だ。


 読んで字の通り、姫崎さんの告白を管理する委員会。

 メンバーは委員会顧問の教職員が1人いて、後は12人の運営委員と、『兵隊』と呼ばれる100名近い一般生徒で構成されている。


 入会には厳しい審査を行われ、その特権を生かして姫崎さんに近づこうものなら、背信行為と見なされ、最悪退学もあり得るという。


 姫崎さんに告白するには、円卓が主催する試験に合格しなければならない。

 1次、2次、最終とあり、最終試験の小論文で一定の点数を取ることができれば、晴れて告白が出来るというわけだ。


 ぼくは受けたことはないのだけど、この試験が科挙のように難しいらしい。

 おかげで「何次合格者」というのは、1つのステータスとして生徒の間で崇められるようになっていた。


 甲斐あって、彼女への告白はぐんと減った。

 それはさらに、姫崎詩子さんと付き合うことの困難さを如実に現すことになる。



 姫崎詩子と付き合うのは無理ではないか……。



 そんな諦めムードが、野良告白という行動を生み出していた。


 今や一般生徒は姫崎さんに近づけない。

 同級生でクラスメイトのぼくであってもだ。

 彼女の周りには、円卓の兵隊がベルリンの壁みたいに並んでいて、ガードしていた。


 人の盾の中で、姫崎さんは1人昼食をとっている。

 ぼくからすれば、それは檻のように見えた。


「どうした、帝斗?」


 ハッと我に返り、ぼくは前を向いた。

 園市が机に広げたお重弁当を摘まんでいる。

 中には唐揚げや天ぷら、フランクフルトまで、すべて油物で構成されていた。

 他の箱には並々と麻婆豆腐が注がれている。


 この弁当の脈絡のなさは何なんだろう……。


 妹の理采とは1度、真剣に話をしないと。


「なんでもないよ。おいしいかい、理采の弁当は?」


「ああ。相変わらず味が濃いな」


 そう良いながら、美味そうに食っている。

 なんだかんだといいながら、弁当消化に協力してくれる。

 園市は悪友だが、意外と優しいヤツなんだ。


 そんな昼休み。

 まだ弁当などを広げている生徒が多い中、校内放送を知らせる音が鳴った。

 黒板の上にあるスピーカーから聞こえてきたのは、女の人の声。


「1年C組、大久野帝斗くん。1年C組、大久野帝斗くん。至急、告白管理委員会本部まで来なさい。繰り返します――」


 同じ文言が繰り返された。

 間違いなく、ぼくのことだ。


「お前、何かやったのか?」


 園市はピカーンと眼鏡を光らせ、問うた。

 ぼくは首を振る。

 全く身に覚えがない。


 ぼくは反射的に姫崎さんの方を向いた。

 円卓の兵隊の後ろで、彼女は淡々とそして上品に昼食をとっている。

 いつも通りのように見えた。


「おい。早く行った方がいいんじゃないか?」


 園市が呼びかける。

 ぼくはお重をそのままにし、教室を出て行った。


 「告白」4時間前の出来事だった。

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