ブロックチェーン・メモリー【デジタル・メモリーズシリーズ】

ソコニ

第1話 ブロックチェーン・メモリー

第1章:遠い記憶の発見


2045年、東京。


「本日の記憶取引数、過去最高を更新。メモリーチェーン社の株価は前日比30%増を記録し、市場関係者からの注目を集めています」


田中創(はじめ)は、オフィスのホログラムニュースを横目に、記憶データの整理を続けていた。メモリーチェーン社、記憶売買プラットフォームの最大手。彼はそこで記憶データのキュレーターとして働いている。


「田中さん、新しい案件が入りました。優先度の高い取引なので、確認をお願いできますか」


同僚の村井から送られてきたデータを開く。記憶の売り手は40代の男性。幼少期の楽しい思い出を売りに出したいという。理由は息子の手術費用捻出のため。


「また、このようなケースですか。最近、医療費のための記憶売却が増えていますね」


創は深いため息をつきながら、モニターに向かった。記憶を売って現金を得る。この2045年では、もはや珍しいことではなかった。ブロックチェーン技術の進化により、記憶を完全にデジタル化し、売買することが可能になったのだ。


「取引ID:MEM-20450412-0714、確認作業を開始します」


データを開くと、男性の記憶が鮮明な映像として再生される。休日の遊園地、家族との笑顔、パレードの音楽。幸せな記憶が、クリスタルのように輝いている。


しかし、その時。


「おかしいな...この風景、どこかで見たことがあるような」


創は、映像の中の風景に見覚えがあることに気づいた。同じ遊園地、同じパレード。そして、映像の端に映る少年。


「これは間違いなく私だ。なぜ私の姿がこの記憶の中にあるのだろうか」


確かに、10歳くらいの自分が映っている。しかし、創には、その日の記憶が全くない。


「理解できない。このはずではなかったはずなのに」


焦る気持ちを抑えながら、創は自分の記憶をたどる。25歳である彼の記憶は、15歳以降のものしかない。それ以前は、事故で失ったとされていた。


「私の失われたはずの記憶が、他人の記憶の中に残されていたなんて。これは一体どういうことなのだろうか」


創は、男性の記憶データをより詳しく調べ始めた。メタデータには、撮影日時、場所、関係者の情報が記録されている。2035年8月15日、夢の国テーマパーク。そして、記憶の持ち主の名前――佐藤健一。


その名前に、かすかな既視感。しかし、それ以上の手がかりは見つからない。


「村井さん、この案件は私が担当させていただけませんか」


「他の予定されていた案件もあるのですが、大丈夫なのでしょうか」


「はい、必ず他の案件にも支障が出ないように対応します。この案件は...私にとって特別な意味があるのです」


村井は不思議そうな顔をしたが、承諾してくれた。


創は、オフィスのデスクで深夜まで調べ続けた。佐藤健一の他の記憶データはないか。同じ日時の他の記憶取引はないか。しかし、決定的な手がかりは見つからない。


「これは間違いなく、私の失われた記憶を解く重要な手がかりになるはずだ」


帰り際、創は都会の夜景を見上げた。高層ビルの窓に、無数のホログラム広告が踊る。その中で、メモリーチェーン社の広告が目に入る。


「あなたの大切な思い出を、永遠の資産として。メモリーチェーンが、あなたの記憶を守ります」


これは皮肉な宣伝文句に思えた。自分の記憶を失い、他人の記憶の中に自分を発見する。これが、記憶が商品となった時代の、新たな現実なのだろうか。


創は、失われた記憶を追う旅の第一歩を踏み出そうとしていた。その先に何が待ち受けているのか、まだ誰にも分からない。




第2章:記憶の追跡


「佐藤健一さんとの面会を申し込みたいのですが」


翌日、創は記憶売買の担当部署に連絡を入れていた。通常、記憶の売り手と買い手が直接会うことは禁止されている。しかし、データの確認のために例外が認められる場合もあった。


「申し訳ありませんが、佐藤様は面会を希望されていないとのことです」


事務的な対応に、創は歯痒さを感じる。しかし、ここで諦めるわけにはいかない。


「では、せめて取引履歴の詳細な確認を。私には確認する権限があります」


創は佐藤健一の過去の取引記録を徹底的に調べ始めた。すると、興味深い事実が浮かび上げってきた。佐藤は過去5年間で、合計12件の記憶を売却していた。そのすべてが、2035年前後の記憶だった。


「なぜこの時期に集中しているのだろう」


創は自分のデスクに戻り、会社のデータベースにアクセスする。記憶の取引には、必ず詳細な記録が残される。売り手の情報、記憶の内容、取引金額、そして最も重要な――記憶の真正性認証データ。


「ちょっと待てよ...」


佐藤の記憶データを詳しく分析すると、ある特徴に気がついた。通常、人間の記憶データには微細なノイズが含まれる。感情や主観による歪みだ。しかし、佐藤の記憶には、そのノイズが不自然なほど少なかった。


「まるで...編集されたような」


「何を調べているんですか、田中さん」


突然の声に、創は飛び上がりそうになった。振り返ると、システム管理部の課長、榊原が立っていた。


「あ、いえ、通常の確認作業です」


「佐藤健一の記憶データですね。興味深い案件ですよ」


榊原の口調に、何か含みがあるように感じた。


「実は、私にも気になることがあって...」


創は慎重に言葉を選びながら、データの異常について説明した。


「鋭い観察眼ですね」


榊原は少し考え込んでから、声を低めて話し始めた。


「実は、2035年前後の記憶データには、いくつか...特殊な事情があるんです」


「特殊な事情とは?」


「その頃、記憶編集技術の実験が行われていました。公にはされていない話ですが」


創の心臓が高鳴る。自分が記憶を失ったのも、ちょうどその時期だった。


「もし興味があるなら、これを見てみてください」


榊原は小さなメモリーカードを創に渡した。


「ただし、正式な許可は取っていません。見なかったことにしてください」


その日の夜、創は自宅で榊原から受け取ったデータを確認した。そこには、衝撃的な情報が含まれていた。


2035年、メモリーチェーン社の前身である企業で、記憶操作に関する極秘実験が行われていた。目的は、人間の記憶を自在に編集し、複製する技術の開発。実験には、複数の被験者が参加していたという。


「これは...」


データの中に、被験者のリストを発見する。そこには、確かに佐藤健一の名前があった。そして、もう一つ。


「田中創...私の名前が」


画面が突然、暗転する。警告メッセージが表示された。


「不正アクセスを検知。データベースへの接続を遮断します」


創は急いでコンピュータの電源を切った。しかし、確かに見たのだ。自分が、記憶実験の被験者の一人だったという事実を。


「なぜ私は、この事実を覚えていないのか」


答えは明白だった。記憶を消されたのだ。しかし、なぜ?そして、佐藤健一との関係は?


創は、新たな疑問を抱えながら、さらに深い謎の中へと進んでいくことになる。



第3章:真実との対峙


翌朝、創はいつもより早くオフィスに向かった。昨夜の発見が、彼の中で大きなうねりとなっている。


「榊原さん、話があります」


システム管理部に向かう途中、背後から声をかけられた。


「やはり、見つけましたか」


振り返ると、そこには村井が立っていた。しかし、いつもの穏やかな表情ではない。


「あなたも、知っていたんですか」


「私は、あなたの監視役として配置されていました」


村井の告白に、創は言葉を失う。信頼していた同僚が、自分を監視していたという事実。しかし、それ以上に気になるのは、「監視」の必要性だった。


「なぜ、私を監視する必要があったのですか」


「あなたの記憶には、危険な情報が含まれているからです」


村井は、オフィスの奥にある小さな会議室に創を案内した。そこで、すべての真実が語られる。


2035年、メモリーチェーン社は画期的な発見をしていた。人間の記憶を完全にデジタル化し、編集・複製できる技術。しかし、その過程で深刻な問題が発生した。


記憶の編集は、人間の意識に予期せぬ影響を及ぼした。一部の被験者は、自己同一性を失い、精神的な混乱に陥った。そして、最も深刻な事例が、創と佐藤健一だった。


「あなたと佐藤さんは、記憶が混ざってしまったんです」


村井の説明によると、実験中に二人の記憶データが予期せぬ形で干渉し合い、一部が入れ替わってしまったという。


「それで、私の記憶を消したんですか」


「はい。それが当時の最善の対処法だと判断されました」


しかし、完全には消せなかった。記憶の断片は、佐藤の記憶の中に残り続けた。そして今、佐藤が記憶を売却することで、その断片が表面化しようとしていた。


「私には、真実を知る権利があります」


創の声に強い意志が宿る。


「確かにそうですね」


村井は小さく頷き、端末を操作した。


「これが、あの日の完全な記録です」


スクリーンに映し出されたのは、10年前の実験の記録。若かった創と佐藤が、記憶転送装置に接続される様子。そして、予期せぬ事故の瞬間。


「私たちは、すべての責任を取る覚悟です」


村井の言葉に、創は静かに頷いた。しかし、まだ一つの疑問が残っていた。


「佐藤さんには、会えますか」



第4章:新たな自己の発見


メモリーチェーン社の最上階。創は今、佐藤健一と向き合っていた。


「やはり来ましたか、田中さん」


佐藤は穏やかな表情で創を見つめていた。実験当時40歳だった彼は、今では50歳を過ぎ、白髪が目立つようになっていた。しかし、その眼差しには強い意志が宿っている。


「なぜ、記憶を売り始めたんですか」


最初の質問に、佐藤はゆっくりと目を閉じた。


「あなたの記憶を、少しずつ返そうと思ったんです」


「私の...記憶を?」


「ええ。実験で入れ替わった記憶の中には、あなたの大切な思い出がたくさんありました。家族との時間、友人との約束、将来への夢...」


佐藤は続けた。


「最初は戸惑いました。他人の記憶を持つことの重さに。でも、これらの記憶には確かな価値がある。だから、正しい形で返したかったんです」


創は、胸が締め付けられる思いだった。自分の失われた記憶を、他人が大切に守ってくれていた。皮肉にも、記憶売買システムを通じてしか返せない形だったとしても。


「でも、それは危険な選択でしたよね」


「ええ。会社に発覚すれば、私も困ることになる。でも、これはあなたの人生の一部です。取り戻す権利があります」


創は立ち上がり、窓際に歩み寄った。外では、東京の街が夕暮れに染まりつつあった。


「佐藤さん、私からも提案があります」


振り返った創の表情は、決意に満ちていた。


「記憶を、共有しませんか」


「共有?」


「はい。私たちの記憶は、もう不可分なものなのかもしれません。なら、それを受け入れて、新しい形の記憶の在り方を見つけられないでしょうか」


創は自分のプランを説明した。メモリーチェーンの技術を活用し、二人の記憶を適切に整理し、共有できる形にする。それは危険を伴う挑戦かもしれない。しかし、記憶を失うことの痛みを知る二人だからこそ、できる選択だった。


「面白い提案ですね」


部屋に、第三の声が響いた。振り返ると、そこには榊原が立っていた。


「実は、私たちも似たような提案を考えていました」


榊原は新しいプロジェクトの概要を説明した。記憶の共有による新しいコミュニケーションの形。それは、単なる記憶の売買を超えた、人々の繋がりを生み出す可能性を秘めていた。


「このプロジェクト、お二人にリードしていただけませんか」


創と佐藤は顔を見合わせ、そして頷いた。


それから1年後。メモリーチェーン社は「シェアド・メモリー」という新しいサービスを開始した。人々は記憶を売買するだけでなく、共有し、理解し合うことができるようになった。


創のオフィスの机の上には、一枚の写真が飾られている。10年前の遊園地で、少年の創と佐藤家の家族が一緒に写った写真。それは二人で共有する大切な記憶となっていた。


「記憶は、もはや個人のものだけではない」


創は、日記にそう記した。


「失われた記憶を探す旅は、新しい絆を見つける旅でもあった。そして今、私たちは記憶を通じて、より深く人々と繋がることができる」


窓の外では、夕日が沈みゆく東京の街を輝かせていた。それは、新しい時代の始まりを告げるように見えた。


(完)




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