量子もつれの恋人たち【デジタル・メモリーズシリーズ】
ソコニ
第1話 量子もつれの恋人たち
第1章:システムによる出会い
2045年、東京。
高橋直人は、Q-Matchの待合室で、手の震えを抑えることができなかった。量子コンピュータによる究極のマッチングシステム――99.9%の精度で運命の相手を見つけ出すという、この時代の新たな出会いの形だ。
「高橋直人様、お待たせいたしました」
受付のAIアシスタントの声に顔を上げる。32歳、IT企業のプログラマー。恋愛には臆病で、これまでまともな恋愛経験もない。周りの友人たちが次々とQ-Matchで運命の相手を見つけていく中、ついに彼も踏み切った。
「こちらの量子スキャナーに、10秒ほど手を当ててください」
透明なガラス板に手を置く。青い光が手のひらを走査していく。量子状態を読み取り、その人の本質的な特性を分析するという。
「スキャン完了です。では、マッチング結果をご確認ください」
目の前のホログラム画面に、一枚の写真が浮かび上がった。
「木村真莉(きむらまり)、29歳。職業:音楽教師」
微笑む女性の写真に、直人は息を呑んだ。穏やかな表情の中に、どこか凛とした空気を感じる。
「マッチング率99.8%。お二人の量子状態は、ほぼ完璧な調和を示しています」
過去最高クラスの数値だという。これが運命というものなのだろうか。直人は、システムが提示した待ち合わせ場所と日時を確認した。
休日の午後、表参道のカフェ。
「高橋さん、ですか?」
後ろから声をかけられ、振り返る。写真で見た通りの、いや、それ以上に凛とした雰囲気の女性が立っていた。
「は、はい。木村さん、よろしくお願いします」
緊張で声が震える。しかし、真莉の穏やかな微笑みに、少しずつ心がほぐれていく。
「Q-Matchは初めてですか?」
「はい。周りに成功者が多くて...」
「私も同じです。でも、不思議と緊張していないんです。なんだか、運命を感じるというか...」
真莉の言葉に、直人も同じ感覚を覚えていることに気づく。まるで長年の知己に会うような、不思議な親近感。
会話は自然に弾んだ。直人のプログラミングの話、真莉の音楽教室での出来事。価値観が驚くほど一致する。好きな映画も、食べ物の好みも、将来の夢も。
「これがQ-Matchの力なんですね」
帰り際、真莉がつぶやいた。
「でも、なんだか自然すぎて、不思議な感じもします」
その言葉に、直人は小さく頷いた。確かに、すべてが順調すぎる。まるでプログラムされたかのように。
しかし、その違和感は、次々と重なる素晴らしい時間の中で、徐々に薄れていった。
第2章:矛盾の芽生え
最初の出会いから3ヶ月が経過した。直人と真莉の関係は、周囲が驚くほど順調だった。週末デート、お互いの家族との顔合わせ、結婚の話まで自然と進んでいく。
しかし、ある日、最初の「ズレ」が生じた。
「このメロディ、懐かしいと思わない?」
カフェで流れる曲に、真莉が言った。
「え?初めて聞く曲だけど...」
「そんなはずないよ。私たちの初デートの時も、このカフェで流れてたでしょ?」
直人は首を傾げた。確かに初デートはこのカフェだったが、その時の曲は覚えていない。いや、むしろ別の曲が流れていた気がする。
些細な違和感。しかし、それを皮切りに、小さな「ズレ」が増えていった。
真莉が覚えている思い出と、直人の記憶が微妙に食い違う。好みだと思っていた食べ物が、実は苦手だと告白される。価値観の不一致も、少しずつ表面化してきた。
「おかしいですね」
直人は、Q-Matchのカウンセリングルームで相談員に話した。
「99.8%のマッチング率なのに、こんなに違和感が...」
「それは、むしろ自然なことかもしれません」
相談員は穏やかに答えた。
「完璧な一致は、かえって不自然です。量子状態は観測することで変化する。人の心も同じです」
その言葉に、直人は何か引っかかるものを感じた。プログラマーとしての直感が、システムの中の何かがおかしいと告げている。
調べ始めると、驚くべき事実が次々と明らかになっていった。
Q-Matchのアルゴリズムには、ある特殊な機能が組み込まれていた。マッチングした二人の記憶に、微細な調整を加える機能。より強い絆を作るための「記憶の同期」。
「これは...」
直人は愕然とした。自分たちの記憶は、システムによって書き換えられていたのかもしれない。
真莉との出会いは、本当に運命だったのか。それとも、プログラムされた偽りの縁なのか。
第3章:自由意志の選択
真実を知った直人は、真莉に打ち明けるべきか悩んだ。しかし、彼女の方から切り出してきた。
「私たち、本当に運命の相手なのかしら」
休日の公園のベンチ。落ち葉が二人の足元を舞う。
「実は、私も調べていたの。Q-Matchのシステムのこと」
真莉も、同じ疑問を抱いていた。音楽教師として、人の感情の機微を知る彼女だからこそ、違和感に気づいていたのかもしれない。
「私たちの出会いは、システムによって操作されていた可能性がある」
直人が説明を始める。量子状態の解析、記憶の同期、すべてを。
「でも、それは重要なの?」
真莉の問いに、直人は言葉を失う。
「確かに、最初の出会いはシステムかもしれない。記憶も少し操作されていたかもしれない。でも、この3ヶ月間の時間は、紛れもなく私たち自身のもの」
彼女は続けた。
「むしろ、違和感に気づいて、それを乗り越えようとしている今の私たちの方が、本物じゃない?」
その言葉に、直人は目を見開いた。確かに、システムによって導かれた出会いかもしれない。しかし、その後の時間、感情、絆は、誰にも操作されていない、二人だけのものだ。
「私は選びたい」
直人は言った。
「システムに決められた運命じゃなく、自分たちで選んだ未来を」
真莉が微笑む。
「私もよ。例え最初は偽りの記憶だったとしても、これからは本物の思い出を作っていきましょう」
二人は手を取り合った。量子もつれのように絡み合った運命。しかし、これからは自分たちの意思で紡いでいく。
その日の夕方、二人でQ-Matchのオフィスを訪れた。
「退会手続きをお願いします」
受付のAIは、困惑したような表情を見せた。
「しかし、お二人は最高クラスのマッチング率で...」
「それは関係ありません」
直人と真莉は同時に言った。
「私たちは、システムじゃなく、自分たちの心で選び合いました」
外に出ると、夕暮れの街が美しく輝いていた。
「どこに行こうか」
直人が尋ねる。
「どこでもいいわ。これからは、私たちで決めていけばいい」
真莉が答えた。二人の指が、自然に絡み合う。
量子コンピュータは、二人の運命を計算した。しかし、本当の絆は、そこからやっと始まったのだ。
この物語は、システムが導いた運命と、人間が選び取る自由。その境界線で揺れ動く、新しい時代の愛の形を描いている。
(完)
量子もつれの恋人たち【デジタル・メモリーズシリーズ】 ソコニ @mi33x
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