夫のいない一日 ②   ※

 入社して二週間が経ち、仕事にも慣れてきたので、あたしも本格的な業務を任せてもらえるようになった。

 ラーメン屋さんの件で思ったのだけれど、飲食店にもWi-Fiワイファイが完備されているところが多いので、注文用のタブレットは設置されている方がいい。それでお店とお客さんとのトラブルが減ってくれるなら、その手助けがしたいと思ったのだ。

 ここ数日はその提案書を作っていて、昨日大智が老舗の洋食屋さんにそれを持って行って話をしてくれた。


 ただ、「従業員たちの意見を聞いてから導入するか決めたいので、明日返事をする」と言われたらしく、今ごろ社長室では彼が電話とにらめっこしているはずだ。


「――ねえ里桜さん、最近社内でウワサになってるんだけど」


「ん? なに?」


 フリードリンクのコーヒーを飲みながら(ちなみに砂糖入りのラテである)、パソコンで新しい企画書を作成していたあたしに、ルナちゃんが思いっきりタメ語で訊いてきた。

 彼女はアメリカ系のハーフだからなのか、言動も人との接し方もアメリカナイズされている。それをあたしも分かっているので、タメ語でいいよと言ってあったのだ。


「大智さんと不倫してるってホント? ……あっ、もしホントだったとしても、社外には絶対に漏らさないから安心して」


「うん、ホントだよ」


 ド直球すぎる質問にも、あたしは正直に答えた。だって、正樹さんに対して後ろめたい気持ちなんか一ミリもないんだもの。ただ、父の借金問題の真偽が分かるまではバレたら何かと面倒というだけで。


「パートナーとは事情があって結婚しただけで、そこに愛はないから。あたしが好きなのは大智だけなの」


「へぇ……。里桜さん、カッコいい!」


「……カッコいい?」


 ルナちゃんの意外な評価にあたしは首を傾げた。あたしの発言のどこに、「カッコいい」と評されるポイントがあったんだろう?


「だって、パートナーがいるのに他の男の人を好きだって堂々とハッキリ言えるの、日本人の女の人にはなかなかいないから。そういうところがカッコいい。里桜さんCoolクールだよ!」


「……ありがと、ルナちゃん」


 堂々と言えるのは、本当にそのとおりだからだ。それを「Coolカッコいい」と言われるとちょっと照れくさい。



 今日のランチはルナちゃんと一緒に、コンビニのサンドイッチとポテトサラダで済ませた。最近のコンビニフードは美味しくなっているのでバカにできない。たまにはこういう食事も悪くないかも。

 大智は何かデリバリーの料理で昼食を摂りつつ、デスクの電話にへばりついていた。……っていうか相手は飲食店だから、さすがにランチタイムには連絡してこないでしょうよ。


 事態が動いたのは、午後の業務が始まってすぐのことだった。


「――里桜! 〈みちかけ亭〉さんから連絡があって、タブレット、導入したいって!」


「えっ、ホント!?」


「ああ。よかったなぁ、里桜。お前の初手柄じゃん! ってわけで、これからオレと一緒にお礼かねがね挨拶に行こうか」


「うん!」


「里桜さん、おめでとう! よかったね! 行ってらっしゃい!」


 あたしは大智と二人で、初めての取引先へ挨拶をしに出かけることになった。



   * * * *



「――では、里桜の初取引先ゲットを祝して……」


「「カンパ~~イ!」」 


 その日の退勤後、あたしと大智はカジュアルなダイニングバーで祝杯を挙げた。とはいっても、大智はクルマの運転があるので飲んでいるのはサイダーだ。あたしは実をいうと〝ウワバミ〟と言われるくらいの酒豪で、ビールを大ジョッキで頼んだ。


「……ぷはぁ~っ! ひと仕事終えた後のビールは美味しいなぁ」


「里桜、お前はおっさんかよ」


 大智が笑いながら海老のフリッターをつまんでいる。そういえば、頼んだ料理は全部ニンニク抜きのものばかりだ。

 もしかして、この後のことを考えて選んだのかな……。


「……そういえばさぁ、里桜。昔、オレと初めてやった時、『これが初めてじゃない』とか言ってなかったっけ?」


 大智が急に思い出したようにそんな話をしだすので、あたしはかじりかけのピザを――これもガーリック抜きだ――取り皿の上に置いた。

 あたしが大智と初めてエッチしたのは大学二年の夏だった。でも、本当の「初めて」の相手は彼じゃなかったのだ。大智はあえて詮索しないでくれていたけれど。


「うん。あたしの初めては大智じゃなかった。っていうか、男性経験三人のうち二人がロクなオトコじゃないってどういうこと? って感じ」


「ん? 待て待て。三人って……、オレとダンナと……あと一人は誰だ?」


「大智の前にね、高校三年の時に高校の先生と、半ばレイプみたいにされたの。それがあたしの、ガチの初体験だった」


 あたしは初めて大智に打ち明けた。両親にも言えなかった、高三の夏の悪夢のことを。



   * * * *



 その先生はまだ三十歳くらいで、そこそこのイケメンであたしもちょっといいなぁと思っていた。

 ある夏の日の放課後、その先生に人気のないところへ呼び出されたあたしは彼に組み敷かれ、まだ成熟途上の体を暴かれた。


 制服のブラウスのボタンを全開にされて胸を揉みしだかれ、スカートをたくしあげられて下着を脱がされた。足を開かされて、肉芽をしゃぶられ、蜜穴に指を突っ込まれてもてあそばれた。


『――ん……っ、イヤ……ぁ! 先生、ダメ……ぇっ! あぁーー……っ!』


 感じているつもりはなかったのにあたしは達してしまい、それが先生の欲望に火をつけてしまったらしい。


 先生はズボンのファスナーを下ろし、下着の穴から剥き出しにした雄竿に避妊具を被せ、蜜でぐしょぐしょに濡れたあたしのナカに――それも最奥部まで挿入したのだ。

 避妊されていたとはいえ、膜を突き破られた痛みにあたしは思いっきりのけ反った。


『あ……っ、あっ……あっ……、あぅっ! せ……先生……、ダメ……っ! ぁああっ!』


 先生の腰の動きに思わず快感をおぼえ、自分からも腰を揺らしてしまった。本当はイヤだった。こんな形で先生と体を重ねてしまうことが。でもそんな心とは裏腹に、体は勝手に感じて先生からの熱を求めてしまっていた。


『ダメ……、イく……っ! あぁぁーー……っ!』


 あたしはまた絶頂を迎え、先生はゴムの被膜の中であたしの奥に熱い精を放った。


『――お前の体、最高にいやらしいな。「イヤ」とか「ダメ」とか言いながら、めちゃめちゃ感じてたじゃん』


『……っ、ちが……っ! あたしはホントに――』


『気持ちよかったぁ。またヤらせろよ』


 ――あたしはこのことを両親にも、友達にも打ち明けられず、その先生に会うのが怖くてしばらく学校にも行けなくなった。



   * * * *



「…………そっか。思い出させてゴメンな。オレに言わなかったってことは、イヤな思い出だったんだろ?」


 眉根をひそめながら話を聞いてくれた大智は、つらそうな顔であたしに謝った。


「ううん、もう過去のことだからいいの。その先生は他の女子生徒にも手を出してたらしくて、その後すぐにクビになったっていうし。あれから一度も会うことなくなったから」


「そっか、それならいいけど……。思い出させちまったお詫びに、今夜はオレがお前のイヤなこと全部忘れさせてやるから。オレのことしか考えられないくらいにとろけさせてやるよ」


「うん。あたしも今夜は大智のことだけで頭がいっぱいになりたいなぁ……」


 あんな夫や姑のことを、今夜は考えなくていい。身も心も大智で満たしたい。



 ――さんざん飲み食いして(代金はまた大智のおごりだった)お腹がいっぱいになったところで、あたしたちは大智のクルマで彼の住むマンションに落ち着いた。

 

「……わぁ、思ってた以上にゴージャス……! 広いし眺めもいいね」


 そこはタワーマンションでこそないけれど、汐留しおどめに建つ超高層マンションの十二階だった。間取りは2LDKらしく、一部屋は寝室、もう一部屋は仕事部屋として使っているらしい。


「――里桜、バスルームも見てみるか?」


「うん」


 寝室のフローリングの床にボストンバッグをドサリと下ろすと、大智にバスルームへ案内してもらった。

 濡れてもすぐ乾くという床に、ゆったりとしたバスタブ。洗い場も広く、バスタブの縁は腰かけられるほど広くなっている。シャワーヘッドはノズルでも湯量が変えられるタイプみたいだ。

 このバスルームでもエッチできそうだな……。でも、今日初めてこの部屋に来たのにさすがにそれは……。


「ここでもヤれるけど、それはまた今度な。お前、先に入る? オレはシャワーだけでいいし」


「いいの? ありがと。でもお湯を張ってる時間がもったいないし、あたしもシャワーだけでいいよ。じゃあ準備するわ」


 あたしは寝室に戻ると入浴の準備をして、広い脱衣所で裸になりバスルームに飛び込んだ。

 彼に三年ぶりに抱かれるので、儀式のように全身をキレイに磨く。シャンプーやヘアトリートメント、ボディソープなどのアメニティは自前のものを使った。


 これも自前のバスタオルで体を拭き、清潔なショーツとブラを身につけ、ルームウェアのワンピースを着る。洗面台にあったドライヤーを借りてキチンと髪を乾かしてから寝室へ戻った。


「――大智、お待たせ! 上がったよー♪」


 あたしの入浴中に部屋着の長袖Tシャツとスウェットに着替えていた大智が、湯上がりのあたしにぽーっとなっている。


「……どしたの?」


「いや……、里桜からいい匂いがするからさ。……さてと、オレもシャワー行ってくるわ」


「……うん。行ってらっしゃい」


 あたしはダブルベッドの上で彼を待つことにした。シーツや上掛けからは彼の匂いがする。


 彼のシャワータイムはカラスの行水で、十五分くらいで戻ってきた。

 髪も乾いていたけれど、湯上がりの大智は普段に増して色っぽい。そして彼の体から匂ってくるボディソープの香りは、偶然にもあたしのと同じだった。


「お待たせ、里桜」


「うん。……このシチュエーション、三年ぶりだね」


「ああ、そうだな。でも、オレはあれからもずっと里桜のことばっかり考えてたよ。他の女を抱いたことは一度もなかった」


「大智……、ありがと」


 どちらからともなく、あたしたちは唇を重ねる。結婚指輪というかせがない今夜だけは、あたしは大智のものだ。


 大智はあたしを優しくベッドに横たえさせると、今度は貪るような激しいキスをしてくる。あたしもそれに応え、彼とお互いの舌を絡ませた。


「んん……っ、ん……っ……」


「……里桜、全部脱がせていいか?」


「ん……、大智の好きにしていいよ。っていうか大智も脱いで」


「お前な、そういうわざと煽るようなこと言うなよ」


 彼は困ったように笑いながらあたしの服と下着をすべて取り去り、自分も生まれたままの姿になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る