元カレとの新しい日常 ②

「――はい、みなさん注目ー! 今日からこの会社で一緒に働いてくれる、新しい仲間を紹介しまーす。藤木里桜さんです」


 ミーティングルームの一番前に立つよう言われたあたしは、大智に転校生のような紹介をされた。


「えっと……藤木里桜です。旧姓は田澤で、指輪は外してますけど一応既婚者です。よろしくお願いします」


 あたしがペコッと頭を下げると、平均年齢が低そうな――多分みなさん、あたしや大智と年齢変わらないんじゃないかな、くらいのスタッフのみなさんが盛大な拍手で迎えてくれた。あ、よく見たら四十代くらいの男性もいた。多分、大智が他の会社から引き抜いヘッドハンティングしてきた人だろう。

 この会社のスタッフは全員フルメンバーで四十人らしく、今出勤しているのはそのうち半分くらい。大智の話だと、この人たちがほぼレギュラーメンバーということらしい。


「里桜は元々オレの知り合いで、先週まで町の印刷屋で事務のパートをしてたんだけど。オレがスカウトしてきたんだ」


「大智さん、知り合いってもしかして元カノさんですかぁ?」


 肩までの長さの髪をオレンジ色に染めた、ノリのよさそうな女性があんじょうあたしと大智の関係を冷やかしてきた。彼女はまだ二十二、三歳くらいで、多分ハーフじゃないかと思う。


「ルナちゃん、ご明察。実はそうなんだよ。なぁ、里桜」


「うん。大学時代に付き合ってたんだけど、就活のバタバタでなんかすれ違っちゃって、そのまま自然消滅しちゃったの」


 〝ルナちゃん〟と大智から呼ばれた彼女に、あたしも正直に打ち明ける。この会社のお仲間になら、多分話しても大丈夫だ。

 

「里桜、彼女はえきルナちゃん。二十三裁で、アメリカ系のハーフ。ここのエンジニアの一人だよ」


「里桜さん、よろしく~♪ めちゃめちゃキレイでうらやま~。いいなぁ」


「よろしく、ルナちゃん……って呼んでいい?」


 あたしは空いていた彼女の隣に腰を下ろした。さっそく仲良くなれそうな人ができて、気持ちが楽になる。


「もちのロン♪」


 大智は他のメンバーのみなさんも一人一人紹介してくれて、あたしが早く社内に融け込めるように取り計らってくれた。


「――じゃあ、今朝のミーティングは以上でーす。解散!」


 ミーティングルームを出たみなさんは、おのおのノートパソコンやタブレット端末、スマホを手に会社内のあちこちへ散らばって仕事を始める。


「里桜、この会社には固定された個人のデスクってものがないんだ。それぞれオフィス内の好きな場所に端末を持ってって仕事するっていう仕組み。で、連絡事項とかができた場合は社内メールでやり取りしてる」


「へぇ……、みんなで顔を突き合わせなくても仕事ができるわけね。面白いなぁ」


 ネット環境さえあれば仕事に差し支えがないなんて、まさに今どきの会社という感じだ。それに、毎日長時間拘束されて、他の人と顔を突き合わせなくていい分ストレスも少ないだろうし。


「だろ? 里桜もわりと早く馴染なじめると思うけど、今日は初日だから……。とりあえず、オレに付いて色々サポートしててもらおうかな」


「了解」


「で、帰りたいタイミングで退勤してもらっていいから。ただし、帰りは送って行かねぇけどな」


「分かってるよぉ」


「はははっ。んじゃ、社長室はこっちな」


 あたしは大智にくっついて、社長室へ足を踏み入れた。

 そこはあまり広くはないけれど、一人で落ち着いて仕事に集中できそうな空間だった。座り心地のよさそうな、大きな背もたれのついたOAチェアーに、ディスプレイ画面が三面ついたデスクトップパソコンの設置されたデスク。気分転換のためなのか、チェスボードじゃなくオセロゲームが置かれているのが大智らしいかも。


「……で、あたしはここで何したらいいの? 秘書とか?」


「ウチの会社に秘書って役職は必要ないから。でも、電話番とかはやってもらうかも」


「それでいいよ。あたしにできることだったら何でも手伝う」


 ――というわけで、初日のあたしの仕事が始まった。まずはメンバーのみなさんから集まったという提案書をまとめて、アンケート用紙を作ることから始める。他にも、取引先に提出する企画書の最終チェックとか、かかってきた電話の応対とか。

 他の人の端末に不具合が出た時は、その復旧方法を教えてあげたりとか――あたしもプロというわけではないので、分かる範囲で、だけれど。 

 仕事用には、ちゃんと自前のノートパソコンを持ってきている。普段、ネット投稿用の小説を執筆しているパソコンだ。



   * * * *



「――里桜、腹減ったな。一緒に昼メシ行かねぇ? ちょっと連れていきたい店があるんだけど」


 お昼の十二時過ぎ、大智からランチに誘われた。彼は普段、どんなお店でお昼を食べているんだろう?

 あたしも手作りのお弁当を持参しているわけではないし、お供しようと思った、


「うん、行く。待ってね、この作業がもうすぐ終わるから……」


 キリのいいところでデータを保存し、パソコンの電源を落とすと一応サイフやスマホなどを小さなバッグにまとめて席を立った。


「……うん、オッケー。じゃあ行こう」



 彼が連れて来てくれたのは、オシャレなカフェとかレストランではなく、会社のビルからほど近い、別のビルの一階に入っている一軒のラーメン屋さんだった。カウンター席のみ五~六席の、小ぢんまりしたお店だ。


「大智って相変わらずラーメン好きなんだね。大学の頃もよく一緒に食べ歩いたなぁ」


「うん、まぁ。でも、ここに里桜を連れてきたかった理由はそれだけじゃねぇんだ。カウンターの上の方見てみ?」


「ん? これって……注文用のタブレット?」


 そこにあったのは、よく回転寿司チェーンの店内に設置されている注文用の端末。そういえば、ウチの会社の業務内容って確か……。


「そう。実はここの店にタブレットの設置を勧めたの、ウチの会社なんだ。つまりここは、〈Oプランニング〉の大事な取引先っつうワケ」


「なるほど」


「大沢さんにタブレット入れてもらってから、店としても色々助かってるんすよ。注文間違いのクレームもなくなったし、店員の業務の負担も減ったし。――あ、ウチの店、お冷やはセルフなんで」


 三十代半ばくらいの店主さんが口を挟む。ウチの会社の仕事が、飲食店でも役に立っているなんて嬉しい限りだ。


「あ、はい。――じゃあ注文しようっと」


 カウンターのう上に設置されているピッチャーから〝冷やタン〟と呼ばれるグラスにお冷やを二人分いで、一つは大智に渡し、あたしたちもタッチパネルで注文した。


「あたし、チャーシュー麺ね」


「オレは醬油ラーメンの半チャンセット」


 ――厨房で中華麺をで始めて五分後、カウンターの上に注文した品が届いた。


「いただきま~す! ……ん、美味しい! スープもあっさりしてるね」


「だろ? ここのスープは鶏ガラとしりの昆布で取ってるんだって。店長さんのこだわりなんですよね」


 美味しいラーメンを食べている時、彼はじょうぜつになる。これも大学時代から変わっていないけれど、あたしは彼のそういうところも微笑ましくて好きだ。


「……大智、そういうところも変わってないね」


「そうかぁ? あ、もしかしてウザい?」


「ううん。あたしの好きだった大智のまんまだって思ったら、なんか嬉しくて」


「大智さん、もしかしてこちらの女性って大智さんの……?」


「元カノっすよ。〝元〟がつくかどうかは微妙っすけど」


 大智は思わせぶりに、絶妙なはぐらかし方をした。まぁ、あたしが結婚指輪を外しているから、わざわざ「人妻だ」って触れ込む必要もないのだけれど。


「……それにしても、いい食べっぷりだね」


 あたしはチャーシュー麺一杯を平らげるだけで精一杯なのに、大智はものすごい勢いでラーメンとチャーハンを食べ進めている。


「ゴメン、里桜。お冷やのお代わりがほしい」


「うん。……はい、どうぞ」


 あたしは彼の冷やタンを受け取ると、ピッチャーからお代わりを注いであげた。


「サンキュ。……なんかゴメンな、里桜は秘書でもカノジョでもないのに」


「あたしはカノジョのつもりだけど。……先週、大智と再会してからね、どんよりグレーだったあたしの毎日がちょっと明るくなったの。あなたのおかげで今すっごく楽しいの」


 大智と一緒にいる間は、家でのイヤなこと――夫や姑からの理不尽な扱いのことを忘れていられる。まだ一日目だけれど、大智に誘われて始めたこの仕事は楽しいし、ここ数日は趣味のネット小説の投稿も筆ノリがいい。

 お料理の腕も上がったのか、ここ二~三日は食事の時、あの人もほんの少しだけ反応を示すようになってきた。これは別れるつもりのあたしにとって誤算だったけれど。


「……里桜、もしお前さえよければ……だけどさ」


「ん? なに?」


「……いや、ここではちょっと。店出てからでもいいか?」


「……? うん」



「――すいません、店長。お勘定」


「はい。合計で二千百五十円ね」


 支払いは二人分まとめて大智がカードで済ませてくれた。あたしは自分の食べた分だけでも返そうと思ったけれど、大智は受け取ってくれない。


「……ねえ大智、さっきお店の中で言いかけたことなんだけど」


 あたしは彼に、あの話の続きを促す。彼は一体、何を言おうとしたの?


「ああ、あれな。――あのさ、里桜。お前さえよかったらなんだけど……。オレと元サヤに戻る気ないか?」


 それはあたしがいちばん彼から聞きたかった言葉だった。でも、あたしは世間的に既婚者の身だ。彼と元サヤということが、世間でどう言われるのかはちゃんと分かっているつもりだ。もちろん、それでもいいと思ってのことだけれど。


「それって不倫ってことだよね? 大智はそれでいいの?」


「いいよ。たとえお前が既婚者でも、オレはお前が好きだ。お前と一緒にいたい」


「…………分かった。あたしも、大智と一緒にいたい。大智のことが好きだから」


 たとえ世間的に許されなくても、あたしは彼と一緒に人の道を外れようと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る