救世主は元カレ ①
――こうして、あたしにとって
結婚式には、
そこはあくまで「藤木一族の嫁を世間に公表する場」であり、
そして、彼――新郎である正樹さん――の態度にも、あたしは絶望した。彼は式の間も披露宴の席でもずっとあたしには素っ気なく、それは
彼には、あたしを女として愛する気は全くないらしい。だから、初夜にあたしを抱いたのも,彼にとってはただのデモンストレーション。儀式でしかなかったのだ。
あたしはそんな男と、チャペルの祭壇の前で
ハネムーンにも行かず、あたしと正樹さんとの新婚生活が始まった。
救いだったのは彼の実家での同居ではなく、実家近くの高層マンションでの夫婦二人きりの暮らしだったこと。それでも、あたしには気の休まるヒマがなかった。原因は彼のお
「里桜さん、あなたは藤木家の嫁なんですから。自分の考えは捨てて、常に正樹を立てるようになさい。それが嫁の務めですよ」
義母はことあるごとに新居を
お
父の会社も買収されることなく、これまで通りに〈田澤フード〉として経営させてもらっているそうだし。
でも、義母と正樹さんはあたしの人格そのものが気に入らないらしい。というか、正樹さんはあたしに関心がないらしいし、何事も義母の言いなりだ。この二人はいわゆる典型的な〝モラハラ親子〟だった。
あたしが「パートで働きたい」と言った時にもひと
見つけた仕事は、小さな印刷会社の事務の仕事。幸い商社勤めをしていたから、パソコン作業は得意だった。接客業や飲食店で働くよりはあたしに向いていたと思う。
ただ、あたしの趣味には彼はうるさかった。
「下らない。――そんなど
あたしは結婚前から、趣味でネットの投稿サイトに小説を書いてアップしていた。プロにならなくていいから、あたしの書いたものを読んでほしい。楽しんでもらいたい。ただそれだけだった。
「別に、趣味で書いてるだけだからいいんです。あなたには迷惑かけませんから」
あたしはとにかく、外の世界の人にあたしという一人の人間を認識してほしいだけ。これだけは取り上げられたくない。
外で働くこともまた、あたしがあたしでいたいという意思の表れだったのだ。
――〈
「藤木さーん、お客さんにお茶お出しして」
「はい」
「それ終わったら、事務所のコピー機の用紙補充しておいてね」
「分かりました」
「あと、伝票の整理もね」
「……はい」
事務のパートで入ったはずのあたしの仕事は、雑用がほとんどだった。とはいえ伝票を整理したり、経費の計算をしたりという事務作業もあるので、商社勤めの経験は多少は役に立つ。
あたしはそういう仕事を週四でこなし、夕方早めに帰宅して、夕食の支度や家事の合間にせっせと小説の投稿をしていた。
でも、ほとんどルーティンワークのような毎日には刺激がなく、正樹さんは相変わらずあたしに無関心。そのくせ、「あれはダメ」、「それは認めない」とやることなすこといちいち口うるさい。
そんな毎日に、あたしは早くもウンザリしていた。
――そんなある日の退勤後。
あたしの勤務時間は朝十時から夕方四時までだ。「働きたい」と言った時に正樹さんが出した条件が、「勤め先から帰ってちゃんと家事をこなすこと」だったからである。
「お疲れさまでした。お先に失礼します」
小さなロッカールームで作業着を脱ぎ、私服姿で社長に挨拶をして、あたしは会社を出た。
〈駒田印刷〉での仕事はけっこう楽しい。社長を始めとする社員さん達からはよくして頂いているし、雑用だって苦にはならない。
でも……、なんだかモヤモヤする。「こんなはずじゃなかったのに」と、結婚が決まってからいつも思っている。
自分を愛してもくれない男との望まない結婚、義母との確執、充実しているとはいえない毎日の生活……。
何か一つでも刺激さえあれば、こんなモヤモヤから解放されるのに。……と思いながら、主婦の習性で夕食のメニューを考えつつ歩いていると――。
「――里桜……だよな? 久しぶり」
「……え?」
耳に
この声、もしかして……。
「
結婚してからいいことがほとんどなかったあたしは、彼の姿を認めて
彼は
でも別れた原因は嫌いになったからではなく、お互いに就活で忙しくなって、何となくすれ違っているうちに自然消滅しただけだった。
あたしはまだ、大智のことが好きなのだ。――ただ、一応は既婚者の身だから、その気持ちを表に出すことはできないけれど……。
「――っていうか、よくあたしだって分かったね」
今のあたしは、彼と付き合っていた頃みたいにキラキラしていない。服装だって地味だし、何となく所帯疲れしているのに。
「まあ、確かに見た目は変わったけど。第六感で分かったんだよ。『あっ、里桜だ!』って」
「へえ……」
「確かに、髪伸びて
「そりゃ、卒業して三年もたてば髪も伸びるよ」
あたしはそう言って、ヘアゴムでひっつめていた長い髪をほどいた。大学時代は肩まであるかないかくらいの長さだったと思う。
「そうだよな……。あ、そうだ。今時間ある?」
「うん、ちょっとなら……」
早く帰って家事をしないと、という一種の
「んじゃ、そこのカフェまで付き合って。話したいこともあるしさ」
「……うん」
あたしは大智に付き合って、近くのおしゃれなカフェでお茶することにした。
――そういえば、三年ぶりに会った大智はなんか
彼は今、一体どんな仕事をしてるんだろう――?
――カフェに入ると、あたしと大智は二人掛けのテーブルに向かい合わせで座った。
まだ四月で少し肌寒いので、オーダーしたのは二人ともホット。あたしはラテで、彼はブラックだ。
「――里桜、元気だった?」
「うん、まあね」
「結婚したんだって? 風のウワサで聞いた」
「……うん」
大智に結婚のことを言われ、あたしは何だか後ろめたい気持ちになり、左手の薬指を隠した。
この指輪はいわば〝幸せの象徴〟のはず。でも、あたしはちっとも幸せじゃない。
「そのわりには、あんまり幸せそうじゃねえな」
そんなあたしの心の内を見
「うん……。実は、この結婚は不可抗力だったの。色々と事情があって……」
あたしは彼に、洗いざらい話した。――父が抱えた一億円の借金のこと、その肩代わりを夫である正樹さんのお義父さまがして下さったこと、その条件としてあたしが藤木家に
「――そっか……。里桜ん家大変だったんだな」
「うん。借金のことがなかったら、あたしもあんな人なんかと結婚してなかったよ。あたしになんの関心もないくせに、束縛だけはひどいんだもん」
「……だよな。今どき、借金のカタに嫁に行くって何なんだって感じだよ。時代
「もう、ホントだよねー!」
あたしは大智と話しながら、ヤケ酒代わりに少し冷めたラテを
今、いつの時代よ!? 令和だよ!? こんなの、戦時中までの話じゃないの!?
……と、ぷりぷり起こっているあたしに、大智が意外なことを言った。
「ゴメンな、里桜。親父さんの借金のこ、,オレがもっと早く知ってたら何とかできたかもしれないのに。お前だって、好きでもない男と結婚する必要なかったのにな」
「…………えっ?」
「オレが代わりに借金返せたかも、っつってんだよ。お前を人質にとるようなセコいやり方しないでさ」
あたしは耳を疑った。……大智、今何て!?
「オレは今も、里桜と別れたとは思ってないから」
「それは、あたしだってそうだよ。でも、今のあたしは一応人妻だから……」
彼は今でもあたしのことを好きだと言ってくれているけれど、今のあたしにはその気持ちに応えられる資格がない。
でも、あんな冷血漢の家に助けてもらわなくても、借金を返せるものなら――。
「――ねえ、大智って今、仕事は何してるの?」
彼の口振りといい、着ているものといい、ただの会社員とは思えない。
「オレ? 去年の秋に起業したんだよ。今は社長」
彼はあたしに名刺を一枚くれた。そこには〈株式会社
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