幸せになりたくて…… ~籠の中の鳥は自由を求めて羽ばたく~

日暮ミミ♪

プロローグ

 ――あたし・ふじ里桜りおの毎日はどんよりとしたグレーだ。

 まだ結婚して二ヶ月だというのに、新婚らしい幸せとはほど遠いくらい息苦しい毎日。

 夫はあたしに興味がない。そのくせ、やたら束縛そくばくしたがる。

 外で働くことにすら、いちいち許可がいる。「妻は家に閉じ込められて、一切いっさい合切がっさいの家事をするものだ」と夫は信じているらしい。


 そして、あたしは夫に愛されていない。あたしも夫を愛していない。でも、この家を飛び出すこともできず、夫に逆らうこともできない。

 まさに〝雁字がんじがらめ〟。息がつまりそうになる。結婚は必ずしも、幸せをもたらすものではないのだ。



 あたしがなぜ、こんな〝愛のない結婚生活〟を送ることになったのか。それは、今から半年前にさかのぼる――。



   * * * *



 ――この悲劇は、ある日突然あたしの身に降りかかってきた。


「ええっ!? 借金が一億円!? どういうこと、お父さん!」


 あたしの父親は輸入食品を扱う小さな会社を経営していたのだけれど、ある時多額の不渡りを出して一億円にものぼる借金をかかえてしまったらしい。


「そんなに大きな金額、どうやって返すの!? 会社の経営もうまくいってないんでしょ? あたしのお給料じゃとても――」


「いや、そこは問題ない。もう借金問題は解決した」


「……えっ? 解決したって……どうやって?」


 あたしが戸惑っていると、母が横から口を挟んだ。


藤木ふじきグループの会長が、ウチの会社と懇意こんいにして下さっててね。ウチが困ってるなら援助してもいいって言って下さって、借金を全額肩代わりして下さったのよ」


「そんなうまい話、あるわけ……」


 藤木会長のことはあたしもよく知っていた。ふところの広い人で、慈善事業も幅広く手掛けている人物だと。

 でも、いくらそんなに太っ腹な人でも一億なんて大きな借金を何の条件もなしに肩代わりしてくれたとは思えなかった。

 

「その代わり、先方が条件を出してきたんだ」


「条件……?」 


 ……ああ、やっぱり。うまい話には必ずウラがある。なんだかイヤな予感がした。


「里桜、お前をご子息のまさ君と結婚させてほしいと。その条件をむなら、一億の借金を全額肩代わりしてもいいと」


「ちょっと待って! それって……政略結婚ってこと?」


 あたしは父の言葉に愕然がくぜんとなった。


 政略結婚どころじゃない。これじゃまるで身売りだ。家のために、よく知りもしない相手と結婚するなんて、あたしにとってはばつゲームもいいところだった。


「……ねえ、お父さん。もしあたしがその話を断ったらどうなるの?」


 この結婚話に拒否権がないということは、あたしも頭では理解できていた。でも、もし回避できる可能性がいちパーセントでも残されているなら、それに賭けたかった。……のだけれど。


「借金肩代わりの件は、白紙に戻るだろうな」


「えーーーーっ!? そんなぁ……」


 ……つまり、回避は不可能ということだった。家を救いたければ、あたしはその御曹司おんぞうしと結婚するしかない。あたしには決定権はない、と。


「お願いよ、里桜! お父さんと、〈ざわフード〉を救うためだと思って、このお話受けてくれない? お相手は立派な家柄の方だし、いいご縁だと思うわよ」


「でもあたし、会社辞めたくないし……。っていうか、あたしの仕事のこと、先方さんは何て?」


 あたしは大学を卒業してから、父の会社ではなく小さな商社に勤めていた。当時で勤続三年目、ちょうど仕事が面白く感じてきた頃だった。


「『結婚するなら、会社は辞めて家庭に入ってほしい』とおっしゃってた。ただ、正社員はムリでも、家事をしながらパートで働く分には構わないとな」


「……やっぱり、辞めなきゃいけないんだ。仕方ないなあ」


 お父さんとこの家と、お父さんの大事な会社を守るためだ。あたしがせいになることで全部丸くおさまるなら、受け入れるしかないと思った。


「…………分かった。あたし、会社辞めてその人と結婚するよ」


 この結婚は不可抗力だと自分に言い聞かせて、あたしはその条件を呑むことを決意した。


「そう……。里桜,本当にいいのね?」


「うん。もう決めたから」


「すまない。不甲斐ない父さんを許してくれ」


 父は床にひたいをこすりつけるくらいあたしに謝っていたけれど、あたしは父をうらむ気にはなれなかった。というか、もう恨むことすらわずらわしくなっていた――。



   * * * *



 ――正樹さんとの初対面の時のことは、イヤでも一生忘れることができないだろう。

 

 あの人は初めて会った時から、あたし自身のことには全く興味を示さなかった。


 あの人にとって大事なのは、きっとあたしが自分の言いなりになってくれるかどうかだけだったんだろう。


「――初めまして。田澤里桜と申します」


「ああ、父からうかがっています。藤木正樹です」


 正樹さんはあたしより五つ年上の当時三十さいだったけれど、第一印象ははっきり言って愛想あいそのない人だった。あたしにニコリとも笑いかけてくれないし、話し方も素っ気なかった。


「あの……、正樹さん。父から聞いたんですけど、結婚したらあたしに仕事を辞めて家庭に入ってほしい、って。その条件、じょうして下さるわけには……」


「譲歩? ハッ! するわけないだろう。女は結婚したら、家庭に入るのが当たり前だ」


 ダメもとでおずおずとたずねたあたしを、彼はバッサリと斬り捨てた。

 それにしたって、もっと他に言い方があっただろうに。情のかけらも感じられなかった。


「パートで働くことは認める。それで不満はないだろう?」


「…………はい」


 あたし、こんな人とこの先一生を共にしていかなきゃいけないの? この時のあたしは、絶望のどん底に放り込まれた気持ちだった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る