二 魔導の準備

 魔導書による悪魔召喚魔術を行うには、まず九日間に渡る準備期間がある。この間、節制と断食によって身を潔め、同時に儀式に必要な道具を準備するのである。


 悪魔の力に頼るといえども、その悪魔を従えるためには神の権威を用うる……ゆえに神の恩寵に預かれる人間となるため、プロフェシア教の説く〝正しき行い〟をして過ごすのだ。


 肉欲はもちろんのこと、不信仰、不純、邪悪、極端な行動を避け、身を慎んで生活を行う。


 即ち、暴飲暴食、無意味な饒舌、他者への誹謗中傷をせず、善行を行い、誠実に話し、礼儀正しく振る舞うのである。


 常日頃、無知な者に対しての批判は容赦ないため、特にわしは〝他者への誹謗〟を気をつけねばならぬかもしれん……。


 九日のうち最後の三日間は断食を行わねばならんが、〝断食〟といっても最終日以外はまったく食事を摂らないのではなく、一日一食にすればよい。その一食もパンと水だけにするとなお良しとされている。


 そして、朝夕には神に祈りを捧げ、敬虔なプロフェシア教徒として九日間を過ごす……こう見ると修道士の暮らしぶりとほぼ同じだ。


 なるほど。〝魔法修士〟という身分を設け、魔導書の扱いを修道士に任せたのにも頷ける。


 そんな慎ましやか暮らしをしながらも、反面、この間は穏やかに過ごせるどころかけっこう忙しい……儀式に用うる特別な衣装をはじめ、魔法杖ワンド短剣ダガーといった魔術武器、書き物をする羊皮紙に至るまで、自ら用意しなければならないものが山積みだからだ。


 また、儀式を行う本番の日はもちろん、そうした道具を作るような時までも、すべて天体の動きに沿って最適な日時を選んで行わなければならない。錬金術でもやはり同様だが、森羅万象、この世のすべての物事は天体の影響を受けているからだ。


 特に注意すべきが日・月・火・水・木・金・土の七曜で、各惑星の聖霊の加護を得られる時間帯に合わせて万事を進めるのである。


 まあ、術師もベテランの域に達すれば、この天体の影響や九日間の禊を無視して普通に悪魔召喚を行ったりもしているのであるが、召喚魔術に関していえば、わしはこれが初めて。ズブの素人である。とりあえずは基本に忠実にやってみるべきであろう。


 さて、そうこうして準備に飛び回っている間にも八日間が過ぎ、最後の一日に完全な断食と沐浴で禊をすると、いよいよ儀式当日を迎えた。


 儀式の挙行に選んだ日は満月が磨羯宮に入る夜だ。『ソロモン王の鍵』によると「霊から知識を得るための絨緞じゅうたんを作る」という特別な魔術を行うのに適した時期とされている。


 別に絨緞を作るつもりはないが、知識を得るのには良いタイミングということであろう。


 深夜、赤い〝サソリの心臓〟が煌めく空に満月が登る頃、古く朽ちかけた我が家を出たわしは庭に魔法円を描き始める。


 儀式の場を庭としたのも、やはり魔導書の指示によるものだ。


 儀式を行うには屋内よりも、人里離れた広々とした場所の方が良いとされているが、その一方、周囲を垣根や塀、樹木で囲われていなければならない…と、けっこう煩く注文をつけてくる。この家の庭ならば垣根で覆われてもいるし、その点も条件クリアだ。


 もっといえば二つの道が交わる四つ辻が最適とされているが、いくら郊外といえども、さすがに人目につく危険性が拭いきれないため、それはやめにしておいた。


 荒れ果てた庭の真ん中でしゃがみ込むと、やはり手製の三日月鎌シックルと黒い柄のナイフを紐で結わえたコンパスを用い、地面に大きな同心円とそれを囲む二重の正方形、その四隅に小さな四つの円を描き、線と線との間の空間に神聖な文字や魔術記号、神々の名前などをナイフで刻み込む……いわゆる〝魔法円〟と呼ばれる、悪魔を呼び出し、またその悪魔から自身を守るための図形だ。


 『聖典』の詩篇を唱えながら魔法円を描き終えると、少量の塩を加えた聖水をヒソップの葉で散布し、四隅の円に置かれた香炉にアロエ、ナツメグ、ベンジャミンゴム、ジャコウの粉末をくべてその図形を聖別する。


 さて、これで準備万端すべて整った。あとは悪魔を呼び出すのみである……。


 ちなみに本来は三人の仲間か弟子達とともに行うことを推奨しているのだが、無論、わしにそんなものはおらん。


 ただ、最低でも忠実な愛犬と一緒に行えとあるが、犬ならば防犯用に黒犬を一匹飼っておる。ヴィルヘルムだ。


 わしはそのヴィルヘルムとともに、正装に改めると浄めた魔法円の中心に東を向いて立った。

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