秘密

テレキャスターマン

秘密

 伝説の勇者が、モンスターとの激しい戦闘の途中で傷を負った。その傷は深いものだった。勇者の仲間も次々と致命傷を負い、一人、また一人と倒れていった。歴戦の猛者たちが命を失っていく中、最も若く、まだ未熟ともいえる戦士がかろうじて無傷で残っていた。彼は独力では歩けなくなった勇者を背負い、戦闘を脱し、モンスターの追手をどうにか振り切った。そして今、やっとのことで戻ってきた城下町の宿屋に二人で身を隠している。

 勇者の腹部はモンスターの鋭利な爪で引き裂かれており、血が止まらなかった。若き戦士はその傷に薬草をあて、包帯を巻き、彼にできるだけの手当を施した。いつもは仲間の僧侶がやっていた治療法の見よう見まねである。その僧侶はもう、ここにはいない。彼はさきほどの戦闘でドラゴンの吐き出した炎に焼かれてしまったのだ。その一部始終を若き戦士は見ていたが、どうすることもできなかった。


「医者を連れてきますから、待っていてください」若き戦士はそう言い、急いで部屋から発とうとした。するとその腕を勇者がつかみ、制止した。

「いや、いいんだ。俺はもう助からんと思う」

 勇者の声は弱々しかったが、落ち着いていた。

「まさか、城までいけばきっと良い医者がいますよ!」若き戦士は必死だった。

「無駄だよ。傷が深すぎる。この状態になって助かった人を俺は知らないよ」

「じゃあどうすれば……」

「どうしようもないな。すまない。冒険はまだ途中だというのにな」

 伝説の勇者とその仲間たちには究極の目標があった。世界各地にはびこるモンスターを打ち払い、そして魔王を倒す。人間の世界を取り戻す。勇者は古文書や長老たちによって語り継がれてきた伝説の存在で、千年前にやはり魔王によって世界が窮地に立たされたときに、その討伐に成功したとされる戦士の血を引くものだという。

 魔王を倒すべく現れた勇者は人間の希望だった。その使命を支えるために全国から剛の者たちが集められた。それが今や二人だけになり、じきに勇者まで失われてしまうかもしれない。

「そんなことを言わないでください! あなたは伝説の勇者です。あなたを失ったら、民は希望を持てなくなってしまう」

 若き戦士は動揺していた。自分はあまりにも無力で、勇者の存在なしには世界を取り戻すことなど不可能だと思った。少しでも勇者を励まそうと、気持ちばかりが焦った。血まみれの勇者の手を彼は握りしめた。

 彼の目を、勇者はただじっと見つめていた。しばしの時間が過ぎた。そして、若き戦士がやはり医者を呼んでこようと腰を上げかけたとき、勇者は言った。

「お前が次の勇者になればいいよ」

 それはきわめて誠実な口調だったが、若き戦士はその言葉の意味を理解できなかった。なにも言い返すことができない。

「俺は冗談を言っているんじゃないからな」

 勇者はそう言い、体を起こそうとした。しかし腕に力が入らず、激痛により勇者はうめいた。若き戦士はあわてて彼の背中に手を回して支えた。

「言えるうちに言っておくからよく聞いてくれ。俺は勇者と呼ばれているが、伝説の勇者でもなんでもないんだよ。あれは嘘っぱちだ。もしかしたら千年前の伝説は真実なのかもしれんが、少なくとも俺はその子孫でもなんでもない。俺は前の勇者から勇者を引き継いだだけなんだよ」

「引き継いだ……」若き戦士は愕然した。「勇者様、おっしゃっている意味がよく分からないのですが……」

「要するに前の勇者の弟子だな。前の勇者も、その前の勇者の弟子だったってことさ」

「弟子……?」

「ああ。だから、お前が次の勇者になればいい。単純な話だろ?」

 若き戦士は混乱し、頭に血が上った。「私は勇者様のお供をさせていただくようになってから、まだ一年も経っていません。勇者様から剣術や魔法の訓練を受けたわけでもない。弟子とは言えないです。そんな資格はない」

「いや、資格とかじゃないんだよ。訓練も必要ないんだ」

「訓練が必要ない?」若き戦士はさらに混乱した。「訓練もなしに勇者になるのは無理です。勇者とは一体何なのですか?」

「そうだな。勇者とはなあ」伝説の勇者は断言した。「単純に、自分が諦めず、恐れずに戦えばいつか必ず魔王を倒せると知っている人のことなんだよ。それが勇者だ。それだけのことなんだ。それを俺は前の勇者から教わったんだ」

 弱々しかった勇者の声は、そのとき不思議と腹が座ったようになり、荒かった呼吸も落ち着き、傷を負う前の彼に戻ったようだった。若き戦士の思考は止まっていた。彼は時まで止まったように感じた。勇者の声だけがどこまでもクリアに彼の耳に響いていた。

「信じる信じないじゃない。勇者はそう『知っている』んだ。それが勇者の秘密なんだよ。おれは残念ながらしくじったが、お前にこの秘密を教える。お前に教えるべきということを、俺は今日知った。お前で間違いないと思う。お前もその日が来たら、おそらく分かるのだと思うぜ。誰が次の勇者になるべきなのか。もちろん、お前自身で魔王を倒せばそれで済む話だな。そうなればいいよな」

 勇者はそう言って微笑んだ。血まみれの顔で。

「お前はこれから仲間を集める。しかし結局は、そのほとんどを失っていくことになる。孤独、恐怖、無力感がお前を襲うだろう。なぜこんなことを自分がやらねばならないのか、その葛藤にも苦しむだろう。お前にこの役目を託してしまってすまないと思う。しかし、お前はもう『知って』いるんだ。自分が世界を救えることを。もしくは、世界を救うという意志をつなぐ一人になれることを」

 そこまで話すと勇者はぐったりとなり、若き戦士が呼びかけることも間に合わないうちに最期を迎えた。宿の部屋には突然の静寂が訪れた。若き戦士の思考と時は止まったままだった。


 かくして若き戦士は勇者となった。勇者は前任者の側に座ったまま、夜明けまで一睡もしなかった。地平線が白みはじめたころ、彼は前任者を両腕に抱え、宿を出ていった。


 勇者の最初の一日が始まる。

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