第21話 帰りたい


 シーツを握りしめて涙をこらえる唯舞いぶの頭をミーアはゆっくりと撫でる。



「いきなり知らない世界に引っ張られてきたのにイブちゃんは泣き言一ついわないってエド達も言ってた。でもイブちゃんは凄く聡い子だから、そうしても何も変わらないってきっと思ったのよね。魔法やら戦争やら訳わかんない世界をどうにか自分の中に受け入れて、自分の心はとりあえず置き去りにしてなんとか納得させて……そうやってこの一カ月頑張ってきたんでしょう?」

 

 「……ッ」


 

 唯舞の喉がぐっと詰まる。

 だって考えても答えがない、いや、ほぼ帰れないと言われてしまっているのにこれ以上どうしたらいいのか唯舞には分からなかったのだ。

 もう二度と家族にも友人にも、日本にも地球にも帰れないというのなら。

 考えても、ただただ、苦しいだけだったから。

 


 「――あのね、イブちゃん。言ってもいいのよ」


 

 ミーアの瞳は優しくて、まるで自分が小さな子供になったようにさえ感じる。

 

 

 「どうして私がって。どうして帰れないのって。友達に、家族に会いたいって……イブちゃんは言っていいの。言うだけの資格があるのよ」


 「……でも……っ」

 

 

 一度溢れてしまった感情はとめどなく唯舞の頬にこぼれ落ちていった。

 

 ぎゅっと圧縮された肺が痛んで唯舞は眉を寄せる。

 そう言った所で何も解決しないし、周りに迷惑をかけるだけだとずっと思っていた。

 

 唯舞がこの世界に同意なく呼ばれたように、エドヴァルト達かれらにだって唯舞の存在は諸手をあげて歓迎できるものではなかったはずだから。


 そんな唯舞の言葉にミーアは屈託なく笑う。

 

 

 「いいのよ。私達はイブちゃんよりも状況が分かってるんだから。それにイブちゃんはいい子過ぎて、ちょっとおねーさんは心配なの。――もう少し私達を困らせて?私も、エド達も……それくらいは頼ってほしいわ」


 

 だから大丈夫よと言われて、唯舞はいよいよ震える声を堪えきれなくなった。

 

 ずっと胸の内に抱え込んできた思いが一気に溢れるように脈絡もなく口からもれ落ちる。



 「仕事、帰り……だったんです……」

 「……うん」

 

 「残業して、もう深夜で、帰りの終電ギリギリで……でもなんとか間に合ったんですけど寝ちゃって……」

 「うん」

 

 「次の週には締め切りがあって、それが凄く大事な案件で。私も仕事を預かってたのに、他のメンバーにも何も言えなくて」

 「うん」

 

 「次の日には友達と先輩と一緒に映画を見に行くつもりで……ッ」


 

 その何もかもがあの日、一瞬にして叶わなくなってしまった。

 当たり前だと思っていた日常が本当は全て当り前のことなんかじゃなくて、唯舞の中ではとても尊かったのだと失って初めて気付いてしまった。

 あの世界では大変なことも辛いこともあったというのに、こういった時に脳裏に浮かぶのは優しい記憶ばかりだ。

 

 

 

『唯舞、早くご飯食べちゃいなさい。今日は唯舞の好きな絹プリンを買ってきたの、お父さんとタケルが帰ってこないうちにふたりで食べちゃいましょ』

 

『姉ちゃん!聞いて聞いて!来期のアニメやべーの!俺の好きなやつがアニメ化するって!』


『唯舞、お前、そろそろクリスマスだろ?彼氏とか……なんだ母さん!セクハラって心外な!俺は娘の心配をぉぉぉぉぉぉっとグーは駄目だとお父さん思うぞぉ!なぁ唯舞!』

 

『唯舞ちゃーん、クリスマスの予定ってある?ないなら私と過ごそー!ミッドタウンのイルミみてどっかでご飯食べようよー!』


『あー!二人してずるいぞー!先輩達もまぜなさーい!美味しいお店知ってるからみんなで女子会と洒落こみましょー!』


 

 

 浮かんでくる家族や友人らの姿は誰も彼もみな笑顔だ。

 全て、全てが、泣きたくなるほどの笑顔だ。


 今まで何度も堪えたはずの激情は、あっけないほど抑えが効かなくなってしまう。



 「かえ……り……たい……帰りたいです……!家に、家族のところに帰りたいです……っ元の生活に……もどりたい……!」

 

 「…………うん。そうだね」


 

 もう涙も嗚咽も気に出来る状況ではなかった。

 両手で顔を覆って子供の様に泣きじゃくる唯舞をミーアはただそばで見守る。


 ごめんねの言葉の代わりに唯舞を撫でる手は、この世界で一番優しかった。

 

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