第6話 貧乏ゆすりの知恵
朝からずっと不穏な空気が漂っていた。ミカは仕事で大きなトラブルに巻き込まれ、何度もクライアントや上司に謝罪の電話をかける日となった。午後に入る頃には、頭がぼうっとし、胸のあたりがザワザワして落ち着かない感覚が広がっていた。
「どうしよう、このままじゃ何も手につかない……。」
デスクの下で両手を握りしめたミカは、自分の震える指に気づき、さらに焦りを覚えた。
その日は予定していた時間より早く退社し、ナギの元へ駆け込んだ。
「今日はひどく緊張しているみたいだね。」
ナギは静かにミカの顔を見つめた。
「仕事で大きなミスをしてしまって……謝っても謝っても足りないような気がして、体が震えるんです。」
ミカの声には、疲労と自責の念が滲んでいた。
ナギは小さく頷き、深い呼吸をひとつついた。
「それはつらかっただろうね。でも、そんなときほど体の声を聞くべきなんだ。」
「体の声……?」
「ミカ、試したことがあるかわからないけど、『貧乏ゆすり』をやってみないか?」
予想外の提案に、ミカは目を丸くした。
「え? 貧乏ゆすりですか?あれって、行儀が悪いと思われるし……。」
ナギは微笑みながら首を振った。
「多くの人がそう思うけれど、実は貧乏ゆすりにはちゃんと意味がある。特に上下方向の動きは、緊張した骨盤周辺を緩めるのに最適なんだよ。」
ナギは近くの椅子を指差し、ミカに座るよう促した。
「まずは椅子に座って、膝を90度に曲げる姿勢をとろう。」
ミカはナギの指示通り、椅子に座った。背中はまだ少し硬く、ぎこちない動きだった。
「次に、片方の足を軽く上下に揺らしてみて。リズムは自分の呼吸に合わせるといい。」
ミカは恐る恐る右足を動かし始めた。最初はぎこちなかったが、ナギの落ち着いた声が耳に届くにつれ、動きが少しずつ滑らかになっていった。
「いいね、そのまま続けてみて。足を揺らすことで骨盤が緩む感覚に気づけるはずだ。」
ミカは足の動きに意識を集中させた。揺れる足に合わせて骨盤の奥がほんの少し動いているような感覚が広がる。なんとなく体の硬さがほどけていくようだった。
「なんだか、少し落ち着いてきた気がします。」
ミカが口を開くと、ナギは頷きながら続けた。
「そうだろう。骨盤周りが緩むと、体全体の緊張がほぐれてくる。そして、この動きにはもうひとつ大事な効果がある。」
「もうひとつ?」
「上下に揺れることで、横隔膜の動きが良くなるんだ。横隔膜がスムーズに動けば、呼吸が深まり、心が安定するんだよ。」
ミカはナギの説明を聞きながら、自然と深呼吸をしていた。足の揺れに合わせて吸って吐く。そのリズムが心地よく感じられる。
「これが、そんなに意味のある動きだなんて思いませんでした。」
ミカは驚きとともに、肩の力が抜けていくのを感じた。
「簡単だけど効果は抜群さ。とくに、ストレスや不安で体が固まっているときには、こうした小さな動きが救いになるんだ。」
ナギは続けて、もう少し詳しく説明を加えた。
「貧乏ゆすりは、不安定な気持ちを安定に向かわせる動きだ。特に、ストレスが溜まったときは体のエネルギーが滞りやすいけれど、こうやって揺れることでそのエネルギーが流れやすくなる。」
「エネルギーが流れる……。」
「そう。現代人は静止している時間が長すぎる。動かないことで緊張が溜まり、それが不安やイライラの原因になることが多いんだ。でも、この動きはその滞りをほどいてくれる。」
ミカはその言葉に納得した様子だった。
「確かに、普段は座りっぱなしで動かない時間が多いです。こういう簡単な方法があるなら、もっと早く知りたかったな。」
ナギは微笑みながら答えた。
「今知ったから十分だよ。それに、この動きはいつでもどこでもできる。誰かに見られるのが気になるなら、足元を隠してやればいいだけさ。」
帰り道、ミカは自分の足が軽くなったように感じていた。胸のザワザワも消え、少し気持ちが落ち着いている。
「これなら、仕事中でもできそうだな。」
ミカは足元を軽く揺らしながら、小さな動きが自分を助けてくれることに改めて感謝した。そして、ナギから学んだ知識をもっと日常に取り入れていこうと決心するのだった。
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