P2 お前、もうオケピ降りろ

浪人生になった僕は、翌年は志望校を増やすことにした。


一年目は東京藝大だけに絞っていたが、師匠が講師として在籍する音大には特待枠のようなコースがあり、それでもいいんじゃないかと提示されたからだ。


一方、僕は完全にやる気を失っていて、毎日練習するよりも、テレビでずっと水戸黄門を観ているだけの日々が続いていた。


「楽器やめたいです」とは、親にも師匠にも言えない。彼らが自分にかけてくれた多大なお金と労力を無下にする選択は、もう僕には残されていなかった。気付かないうちに、僕自身も呪われていたのだ。




しかしそんなある日、母が仕事のお客さんから借りてきたというアナ雪のDVDを観て、ディズニーにハマる。


いつも気にしていなかった金曜ロードショーで「塔の上のラプンツェル」を初めて観たとき、僕は音楽かくあるべしと悟った。


要するに、つまらないのはクラシック音楽だけであって、商業音楽なら僕の生きる道がある、と思ったのだ。



こうして特待生受験の日、僕が面接で切々と「音楽は芸術ではなく商業」と説明すると、面接官は一言こう言った。


「それ…音大に来るより、起業した方がいいんじゃない…?」


そ…その手があったか!

と手を打った僕は、帰ってすぐに起業の勉強を始める。


音楽事務所でも立ち上げて、アコースティックバンドとして活動しようか。ゆくゆくは、映画やゲームのレコーディングに携わる大企業になっちゃったりして!


と、勝手に妄想を広げていた矢先、なぜか特待生に受かりましたという連絡が入って、起業の志半ばで、結局僕はクラシックの世界に引き戻された。



そしてゴミのような大学一年目が始まる。



特待枠として用意された僕のコースでは、「お前らは世界に羽ばたくクラシック奏者になるんだ」と言われて、常人の倍ほどあるレッスン時間と演奏機会に晒される。


言った通り、僕にはもはや1ミリも関心がない。


年度末試験でみんなが必死に練習する最中、僕はその倍の時間をプレステで潰す。


それでも成績順に採用される乗りたくもないオペラに乗らされたとき、僕はオーケストラピット(オケピ)の中で人知れず泣いていた。


学生のほとんどが多額の学費を支払って養分となり、やる気のない僕がそれを啜ってみんなの演奏機会を奪う。

こんな不条理があっていいはずがない、と。




二年生になったとき、師匠から人生初のプロオケの仕事に呼ばれた。


母親は大層喜んでわざわざ東京までそれを聞きにやってきたが、僕はこれを最後にしようと決めていた。


本番の前日、とうとうアパートの中で泣きながら母に「大学やめたい」と伝えた。



しかし母はそれを父にも伝えたのだろう。

僕がその年帰省したとき、父親は食卓でこう言った。


「今辞めて、他に何ができる?最後までやれ」



この言葉が自分の中で腑に落ちるのはもっと先のことだが、とにかくスポンサーから大学中退の道を封じられた僕は、在学中に再び起業の準備を始めることにした。




大幅に省略したが、ここまでがプロローグだ。

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