燎原の火 後編

「伊勢原椿の話、どう思った?」


 月代を引っ張って校舎1階の昇降口までやって来た灰戸がそう尋ねる。


「どうって……、ちょっと胡散臭く感じました。教室での様子を見たら、白石さんが彼女に使われているような感じがしましたし」


 灰戸が考え込むのを見て、月代は困惑してしまう。


「あの……そのことと異常化能力アノマライザーの条件は関係あるんでしょうか?」


「君はまだ分からないのか?」


「逆にもう分かったんですか……?」


「鍵は、伊勢原椿が体育館の壁に落書きをしなくなったことで異常化能力アノマライザーの発動条件から除外されたことにある。おそらく、犯人が文字を書くのを見る・・・・・・・・・と発動条件が満たされるはずだ」


「文字を書くのを見る……、あっ、だから、クラスの授業を受け持った教師が対象に……先生は板書しますもんね。それに、板書をしない体育教師が被害を免れていたことも説明がつきます。黒板やノートに文字を書くクラスメイトも……」


 月代は、ハッと息を飲む。灰戸がうなずいた。


「気付いたようだな。体育館の壁に落書きをしているのを見ていたのは、白石紬だ。彼女は伊勢原椿と行動を共にしていたんだ。普段、伊勢原椿にノートを取らされていて、白石紬は彼女が文字を書くのを見られない。だが、落書きをした時にその姿を見て、条件が満たされたんだ」


「その異常史アノマリー・アーカイブが、私たちが学校で聞き込みをしている噂が回ったことで更新された。伊勢原さんは落書きをしなくなり、白石さんの異常化能力アノマライザーの発動条件から伊勢原さんが除外された……」


「そういうことだ」


「ですが、なぜ白石さんは学年集会という場で異常化能力アノマライザーを?」


「これはあくまで想像だ。伊勢原椿は白石紬にいじめの罪を被せようとしていた。彼女もそのことを知っていたと仮定する。学年集会の場で学年主任がいじめの件を話題にした時、白石紬はやがて自分に疑いが向くことを想像したのだろう。その時に強い念が発せられ、異常化能力アノマライザーが発動した」


「確かに……筋が通っていますね」


「問題は、異常史アノマリー・アーカイブから特異事象アノマリーを取り除けるかどうか、だ」


 月代は頭をフル回転させる。


「その学年主任の先生にいじめの話題を持ち出さないように説得すれば……」


「それも一案だな。万が一の時のために、白石紬を排除するBプランも必要だ」


「白石さんを……排除……」


 言葉の不穏さに月代が狼狽えていると、灰戸は手を叩いた。


「君は白石紬の情報を集めてくれ。どんなものでもいい。むしろ、プライベートなことの方がいいだろう」


「よく分かりませんけど、とりあえず頑張ってみます!」




◆◇ ◆◇ ◆◇




 すでに放課後になり、2人は洗足池公園の前で合流した。


「どういうことですか……!」


 灰戸の顔を見るなり、月代が顔面蒼白で叫んだ。


異常史アノマリー・アーカイブが更新されて、特異事象アノマリーの発生が今夜8時に早まっています……!」


「さっき私のところにも緊急で連絡が来た。タイミングがズレることは珍しいことではないが、ずいぶん早まったな。それに伴って犠牲者も1人減った」


「冷静に言わないでください! だって、あと4、5時間で7人もの犠牲者が……それも、バラバラの場所で……!」


「落ち着け。条件を満たした被害者が体育館に揃っているか思い思いの場所にいるかの違いだ。これで異常化能力アノマライザーは距離に関係なく発動することが分かった」


「でも、なぜ早まったんですか?」


 灰戸が苦い顔をする。


「学年主任に話をした。それがよくなかったようだ。教育熱心な男だ。私から話を聞いて、伊勢原椿と白石紬に連絡を取ろうとした。おそらく、今夜8時に学年主任がどちらかと連絡をつけるんだろう。それが白石紬の強い念──異常化能力アノマライザー発動に繋がる」


「私が学年主任に忠告しようと言ったせいで……!」


「自分を責めるな。私も同じことを考えた」


 月代は苦み走った表情で考えを先に進めていった。立ち止まっている場合ではないのだ。


「彼女は異常化能力アノマライザーを持っている自覚があるでしょうか……?」


「それはなんとも言えないが、感情に直結していることは確かだ」


「彼女にいじめの話がいくと危険です……! 今、彼女は塾に向かっています。今すぐに行って……」


「彼女の帰りは?」


「夜7時ごろです。でもそこまで待つのは……」


 灰戸はしばらく逡巡して、灰色の髪を撫でつけた。


「白石紬を排除する」




◆◇ ◆◇ ◆◇




 すっかり夜の帳が降りて、街は灯りを灯してキラキラと輝いている。


 高台にある公園の遊具の上に、灰戸と月代は身を寄せ合うようにしていた。


「あの3階建ての家が白石さんの自宅です」


 月代が遠くの住宅街の一角を指差す。屋上のある四角い家だ。


 時刻は午後7時。そろそろ白石が帰宅する頃だ。


 双眼鏡を覗く灰戸がゆっくりとスマホを取り出した。


「帰って来た」


 隣の月代は不安でいっぱいだ。


「本当に正しいんでしょうか……?」


 灰戸が微笑む。


「間違っていれば、今度はこれが異常史アノマリー・アーカイブに変わるだけだ」


 月代は唇を噛む。


 そう、討滅官アメンダー異常化能力アノマライザーを持つ。


 特異事象アノマリーを排除する使命を帯びてはいるものの、いつでも特異事象アノマリーになり得る存在だ。


「灰戸さんが討滅対象になることも……」


 灰戸は月代を見つめる。


「私たちはそういう存在だ。重く受け止める必要はない。それに、おそらく今回の判断は正しい」


 そう言って彼は、あらかじめ入手していた白石の番号に電話をかけた。


 しばらくして、白石の声が返ってくる。


『もしもし?』


 灰戸は唇を小さく噛んだ。


「屋上に変な物がありますよ」


『誰ですか?』


「ミハエルくんかな?」


 彼女が可愛がっている飼い猫の名前だ。あらかじめ月代が白石の情報として把握していた。たまに屋上に出てしまうことがあって困っていると友人に話していたようだ。


『ミハエル?』


 電話の向こうで白石が動く音がする。


 灰戸の双眼鏡の中で、白石の姿が屋上に現れる。


『ミハエル?』


 白石が猫を呼ぶ声がする。


 灰戸が口を開く。


「私の名前を訊いたな?」


『え?』


 深呼吸を一つして、灰戸は言った。


「私の名前は、灰戸カナメだ」


 その瞬間、屋上で火の手が上がった。


 火に包まれる人影が動き回って、やがて灰になって崩れ去った。


「こ、これが……灰戸さんの異常化能力アノマライザー──」


「私に名前を訊くなと言った意味が分かっただろう?」


 月代は灰戸の資料に記載された内容を思い返していた。


 灰戸カナメ。


 所有する異常化能力アノマライザー燎原の火プレイリー・ファイア


 名前を訊いた相手に本名を答えることで、24時間以内に名前を尋ねた者すべてを灰燼に帰す──。




◯⚪︎・⚪︎◯




異常史アノマリー・アーカイブから特異事象アノマリーが消失しました」


 月代が厳かに伝えると、灰戸は小さくうなずいた。


「そうか」


「白石さんの失踪が警察によって開始すると見込まれますが、今回使用した電話番号は内閣情報調査室のコントロールで追跡不可能な情報に置き換えられます。彼女の失踪は未解決事案として処理されます」


「つまり、神隠しというわけだ」


 事件は解決した。


 しかし、月代は浮かない顔だ。


「彼女を排除せずに終えられたのではないかと考えてしまいます……」


特異事象アノマリーが迫っていた。仕方がない」


「灰戸さんについてもです。いつもこんなに危ない橋を渡っているんですか?」


「さっきも言っただろう。重く受け止めるな」


 そう言って、灰戸は夜の街に飛び込むように歩き出す。任務は完了したのだ。


 その足が止まる。


「君の名前を今一度訊いておこう」


 月代は悔しさを滲ませて微笑んだ。


「月代凪、新人の観察官オブザーバーです」

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アノマリー・ハンター 〜特異事象討滅官〜 山野エル @shunt13

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