アノマリー・ハンター 〜特異事象討滅官〜

山野エル

エピソード・クリムゾン

燎原の火

燎原の火 前編

異常史アノマリー・アーカイブ──12月10日午前9時47分

東京都立池上桜台高校・体育館 2時間目



 寒々しい体育館に制服姿の2年生が並んでいる。壇上には、生徒たちに険しい表情を向ける学年主任の男──。


「この体育館の外壁に黒いスプレーで『うんこ野郎』と書かれていました」


 生徒の列から笑い声が漏れる。


「笑い事じゃない!! いじめが起こってるんだぞ!!」


 静まり返った空気がピリつく。

 生徒や壁際に並ぶ2年生の担任教師たち、誰もが次の言葉を待っていた。


 しかし──、


「──……ガァ!」


 マイクを通して学年主任のうめき声が流れる。


 その刹那、彼の顔や手が真っ赤に爛れ、腫れ上がって、そのまま膝から崩れ落ちた。


 悲鳴が響き渡る。


 生徒の列が壊れる。何人かの生徒が同じように肌を爛れさせて床に倒れていた。


 壁際の教師も数名が苦悶の表情で倒れ、動かなくなる。


 パニックが体育館を支配した。




◆◇ ◆◇ ◆◇




現在──12月9日午前11時21分

東京都大田区洗足池駅付近



 月代つきしろなぎは、路肩に停めた車から降りるなり、嫌な予感に襲われた。


 少し離れた所にあるバス停の屋根の上に、赤いマントにくるまった灰色のボサボサ頭の男が胡座をかいているのが見えたから。


 そして、待ち合わせ相手の灰戸はいどカナメという男について、「すぐに分かる」と説明されていたから。


 灰戸カナメはタバコをふかしていた。


「あの、路上は禁煙です……」


 月代が恐る恐る声をかける。灰戸は携帯灰皿にタバコをブチ込んで、大声で笑った。


「俺様に名前を訊くな!」


「いや、訊いてないです……」


「それでいい!」


 灰戸はバス停の屋根の上で立ち上がると、大きくジャンプして無駄に回転しつつ着地した。


 周囲の通行人からの視線が冷たい。


 月代は顔を強張らせた。


 目の前にいる男が、今回の特異事象アノマリーを調査し対処する相棒の討滅官アメンダーなのだから。




◯⚪︎・⚪︎◯




 車の中に移動すると、助手席の灰戸は深々と頭を下げた。


「というわけで、今回の特異事象アノマリーについて、情報共有を頼む」


「え、急にかしこまられると逆に困ります……」


 灰戸はため息をつく。


観察官オブザーバーである君には普通に接するよ。アレ・・はよそいきの私だ」


「絶対、逆にした方がいいです……」


「新人と聞いたが?」


 月代は居住まいを正してお辞儀する。


「本日付で現場の観察官オブザーバーとして着任いたしました、月代凪と申します。よろしくお願いいたします」


「私のことは資料を読んで知っているだろうから、早速、今回の件について共有を」


 月代は高校で起こった特異事象アノマリーについて説明をした。


「4名の生徒と5名の教師が死亡します・・・。いずれも、全身の肌が爛れていました」


「パニックになるだろうな」


「はい。テロなどが疑われることになります」


 緊張して身体が固くなる月代に、灰戸が優しく喋りかける。


「研修と訓練で理解はしているだろうが、今一度、我々の任務について説明してみてくれ」


「私たち、特異事象対策室SIROの任務は、発生前の特異事象アノマリーを特定し、異常史アノマリー・アーカイブを修正することにあります」


「そうだ、特異事象アノマリーを放置すれば、負の歴史が現実のものとなってしまう。知っての通り、我々の捜査状況に応じて、異常史アノマリー・アーカイブは随時更新される」


「更新された異常史アノマリー・アーカイブから特異事象アノマリーが消失すれば、任務完了ですね」


 灰戸は厳しい目を向ける。


「君たち観察官オブザーバーは、最後まで監視を続けることになるがな。……異常史アノマリー・アーカイブ特異事象アノマリーが残り続ければ、災厄の予期しない拡散を防ぐため、我々討滅官アメンダーが発生前の段階で排除する。その際、君はサポートに回るんだ」


「了解です」


 灰戸はダッシュボードの時計に目をやった。


特異事象アノマリーの発生まで、あと22時間だ。現場の高校へ向かおう」


「はい。私たちは教育委員会として、生徒の学習状況の調査という名目で高校に派遣されることになっており、事前の手回しは完了しています」




◯⚪︎・⚪︎◯




「ですが、22時間で特異事象アノマリーが特定できるか、ちょっと不安です……」


 ハンドルを握る月代の手に力がこもる。


特異事象アノマリーは、何者かが異常化能力アノマライザーを発動することで引き起こされる。犯人がいるはずだ。そいつを見つければいい」


「今回は同時に多数の犠牲者が。かなり危険ですね……」


 灰戸は腕組みをして車の進行方向を見つめる。


異常化能力アノマライザーには発動条件がある。その条件が満たされれば、基本的にいつでも発動できる。発動条件は直近24時間以内に満たされている必要がある」


「つまり、これからの24時間──もう2時間経っていますけど、その間に私たちはその条件がどのように満たされるか観察しなければならない……」


「まあ、りきみすぎないことだ」


「とりあえず頑張ってみます……」


 とはいうものの、初現場の緊張に、月代は奥歯を噛み締めてしまう。


「今回は、複数が同時に異常化能力アノマライザーの対象になっている。発動の24時間以内に複数が条件を満たしたということだ」


「そして、一度に発動……。学年集会の場を狙ったんでしょうか?」


「犯人は被害者たちと同じ場にいなければならないのかもしれないな。対象を見る必要があるとかで」


異常化能力アノマライザーによっては、発動のトリガーも異なるんですよね?」


「ああ、基本的には条件を満たした相手に強く念じることで発動する。ここで厄介なのは、異常化能力アノマライザーを持っていることを犯人が自覚していない場合だ。それでも力は発現するからな」


「恐ろしいですね……」


「そして、被害者の状態からするに、おそらく疱瘡神ほうそうしんに起源を持つ力だろう」


「疱瘡神……」


「疫病が具象化された存在だ。だから、私が招聘されたんだろう。単なる験担ぎだろうが、赤は疱瘡神除けになると言われているからな」


 灰戸は自分の赤いマントを摘んでみせた。




◆◇ ◆◇ ◆◇




 池上桜台高校に到着して、助手席から降りると、灰戸は車の上に飛び乗って辺りを見回した。


「え、ええと、灰戸さん……? 私たちは教育委員会ってことになってるんですよ……」


 戸惑う月代をよそに灰戸は離れた場所にある体育館を指差した。


 奇人の灰戸に戻っている。


「センスのない落書きでも見に行ってやろう!」




◯⚪︎・⚪︎◯




 結果的に、2人は体育館の壁に落書きを見つけることはできなかった。


「フン、落書きか現れるのはまだ先のことだな!」


 灰戸はバスケットボールの上に乗ってバランスを取っている。


 チラホラと姿を見せる生徒からの視線に月代は顔が熱くなる。


「とにかく、異常史アノマリー・アーカイブに名前のある被害者について、担当の先生にお話を聞きに行きましょう」


「俺様はしばらくこの辺りを警戒しておくことにしよう」




◆◇ ◆◇ ◆◇




 灰戸と別れた月代は応対役の教頭から情報を得て、サッカーゴールの上で仁王立ちする灰戸のもとへ戻ってきた。


 得られたのは、被害者となる・・・・・・5人の教師のうちの1人が2年C組の担任教師であること、そして、死亡する・・・・生徒全員が同じく2年C組のクラスメイトだということだった。


「さらに、2年C組の時間割を確認してみますと、他の4人の教師はいずれも今日の3時間目から6時間目、明日の1時間目の教科を受け持っていました」


 もはや灰戸の奇行に慣れたかのように月代は報告を済ませた。


特異事象アノマリーの24時間前というと、今日の2時間目も含まれるはずだが?」


「その時間は体育で、グラウンドで運動をしていたようです。2年C組を受け持った体育教師は被害者ではありません」


 灰戸は考え事をしていたが、自分の報告に移った。


「俺様の方でも探ってみたが、どうやら体育館の壁に書かれる落書きは2年C組の木村きむら拓海たくみという生徒をターゲットにしたものらしいぞ。クラスメイトの伊勢原いせはら椿つばきという少女がいじめの首謀者のようだ」


「伊勢原さん……、被害者の1人ですね……。それより、灰戸さん、校内で聞き込みしたんですか……?」


「当たり前だろう! それが俺様の仕事だぞ!」


「変な噂になっていないといいですが……」


 そんな心配をする月代のスマホが震える。送られてきたメッセージに目を通して、月代が目を丸くした。


異常史アノマリー・アーカイブが更新されました。学年集会での特異事象アノマリーで、伊勢原さんが被害者から除外されたようです」


 灰戸がサッカーゴールの上から飛び降りてくる。


「体育館の落書きは未だに現れない。それが鍵だな」


「伊勢原さん──いじめの首謀者が被害者に含まれていた、となると、いじめられていた生徒が怪しく感じてしまいますけど……。その木村くんというのは被害者になっていないですよね」


「だが、伊勢原椿は更新された異常史アノマリー・アーカイブでは被害を免れている」


異常化能力アノマライザーの発動条件から外れた、ということですよね……」


「伊勢原椿に話を聞きに行くか。そろそろ昼休みだしな」




◆◇ ◆◇ ◆◇




 廊下が騒然としている。


 なにしろ、派手な見た目の男が現れたのだから。


「俺様に名前を訊くな!」


 灰戸は誰にも名前を尋ねられていないのに、すれ違う生徒たちにそう叫びながら2年C組の教室までやってきた。


 隣の月代は肩身の狭い思いを噛み締めつつ、教室の戸口から近くの生徒に伊勢原の名前を告げた。


 生徒が指差す先に、長い黒髪をセンター分けにした派手な顔立ちの女子がいる。そばにいるショートカットの女子からノートを受け取ってバッグの中に突っ込んだ。ショートカットの女子はその間に何度も頭を下げていた。


 月代はそばの生徒に問いかける。


「ええと、どちらが……」


「髪の長い方が」


「もう1人は?」


白石しらいしつむぎちゃんです。2人いつも一緒にいますよ」


 灰戸が一歩踏み込む。


「おい、そこの! インタビューの時間だ!」




◯⚪︎・⚪︎◯




「なんですか……?」


 伊勢原は警戒心たっぷりの目で2人を──特に灰戸を見つめる。


 教室の前に呼び出された伊勢原を、廊下に面した教室の窓からクラスメイトが眺めている。


「木村拓海という生徒を知っているな?」


「そりゃあ、同じクラスなんで」


 伊勢原は教室を一瞥する。


 彼女の視線の先、部屋の隅の席で、たった1人で弁当を広げる男子生徒がいる。


「君が彼をいじめているという情報がある」


 灰戸の直球ぶりに月代はギョッとしてしまう。


「私じゃないです。紬です」


 伊勢原は悪びれる様子もなく、教室の中でこちらの様子を窺う白石を親指で示した。


 月代は思わず問いかける。


「え、彼女が、ですか?」


「あの子、本当はめっちゃ性格悪くて、私が木村くんをいじめてるように見せかけてるんです」

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