第6話 芥川賞③
芥川賞とは、無名あるいは新人作家による発表済みの短編・中編作品に与えられる純文学の新人賞である。ジャーナリズムからも大きくとり上げられ、受賞会見の様子はインターネットで生配信が行われる。
下半期の芥川賞は乙骨抹茶乙の『ハルヒによろしく』と春野美冬の『林檎の輪郭』に決定した。『ハルヒによろしく』に関しては、作者が15歳の少女だということもあり、ノミネートの時点で大きく話題になっていた。そもそも『小説ひいらぎ』に掲載時点で、乙骨抹茶乙が純文学の新人賞を受賞したとネットでは騒がれていたのだが、その時点では文芸界隈で話題になることはほとんどなかった。
Vtuberが芥川賞を受賞したことで、Vtuberのファンも巻き込む形で盛り上がることになった。そもそもVtuberのファンは芥川賞という名前は知っていても、純文学とは何かというのを分かっていなかったので、まずは記者会見にはどうやって出席するのかと話題になっていた。モニターを設置するなりの、先人たちが考えた方法で、Vtuberが会見に出席する方法はいくらでもあった。
言論というと大袈裟だが、コメントの傾向としては三つに分かれている。大衆の意見、Vtuberファンの意見、読書家の意見の三つだ。大衆の意見としては乙骨抹茶乙の受賞は話題性が重視された結果だとするうがった見方がほとんどであり、作品が評価されて芥川賞を受賞したのは春野先生だろうというコメントが多い。
それに対してVtuberのファンは、嫉妬乙とコメントしていた。乙、という文字を使うところがネット民のいやらしさである。純文学には、野獣先輩やオーマイゴッドファーザー降臨以降のインターネットによくみられる、いわゆる若者言葉が届いていなかった。『ハルヒによろしく』にそう言った若者言葉の色気があったわけではないが、Vtuberファンの言葉遣いは、純文学にとって新しい風でもあった。
純文学に詳しい読書家たちは乙骨抹茶乙の受賞に関して、正当な評価だとするものが多い。事前の予想や文芸系ユーチューバーの動画では、『ハルヒによろしく』が大本命に推されていた。大衆のなかには勝手に純文学を代表し、話題が先行している乙骨抹茶乙を批判するコメントが見られた。多くの人が注目する芥川賞になるとノイズになるような大衆の意見が混じるのは仕方がない。大衆というのは、純文学とは相性が悪いだろう。
会見の時間になり、まずは春野美冬が登場した。38歳の女性だった。まだ舞い上がっている様子で、丸まった背中と角ばった首筋にはたしかに小説家の色気を感じた。会場はまばらな拍手で包まれ、春野先生を暖かく迎え入れた。そもそも春野先生は昨年もノミネートがあり、芥川賞に注目している人たちにとっては知っている名前だった。温かく優しい世界観の小説を書くので、多くのファンがすでにいた。
乙骨抹茶乙の登場は少し遅れているとアナウンスが入った。そのアナウンスの通り、予定の時間から15分遅れて会場に到着した。乙骨抹茶乙は顔の輪郭を隠すようにフードを被っていた。フードの中にはVtuber乙骨抹茶乙の笑顔が描かれた仮面が見える。
ゆっくりと歩き、指定された椅子に座って、その後ろには担当編集者の若い女性が保護者のようにピッタリとついて立っていた。会場に拍手はなかった。ざわざわと異様な空気だった。春野美冬も困惑したように乙骨抹茶乙を見ていた。どうやら生身を晒すことはあっても、素顔を晒すことはないらしい。このバランス感覚を持っているVtuberは珍しくない。
会見が始まる前に、担当編集者の女性がマイクを取った。
「乙骨抹茶乙先生の担当編集をしている若井です。乙骨抹茶乙先生は未成年ということもありプライバシーの保護の観点から、このような形で会見に臨ませていただきます。ご了承ください」
会場の様子はインターネットで生配信されている。素顔を隠す理由は他にもあるだろうと、多くの人が考えていた。会場から雑音に紛れて「どうして会場に来たんですか!」と声が上がった。素顔を隠すくらいなら、そもそも会場に来なければ良い。みんなの思いを代弁したような質問だった。
「乙骨抹茶乙先生は、芥川賞を受賞した小説家として受け答えをする機会を設けないのは失礼だろうと考えております。純文学の営みの邪魔をしたくはないと。先生は記者の方々から質問を頂く機会を楽しみにしていたので、どしどし質問をしてあげてください」
担当編集者の毅然とした態度に、会場のざわめきは少し治まる。
乙骨抹茶乙は「ありがと」と呟く。
会見は乙骨抹茶乙が作り出した異様な雰囲気のなかで始まった。
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