第2話 よろしく②
知り合いがVtuberになるというのは不思議な気分だった。配信に音が乗るなど、活動の邪魔になってはいけないと思い、オレはカフェの店内に避難していた。カフェには安芸に宣戦布告されていた恩田さんという女性も来て、カフェオレを飲みながら『乙骨抹茶乙』の配信をスマホで見ていた。皿洗いをしているオレをチラチラ見ながら、ストローに口を付け、ここぞというタイミングで口を開いた。
「初配信の同接が300人程度……。無名の個人勢でこれはすごいけど、わたしに宣戦布告するほどではないよね。ハルヒロくんはどう思う?」
「300って、うちの中学の全校生徒ですからね。普通の女の子が集めたと思うと、驚きの数字です」
「帆立ちゃんは普通の女の子ではないよ」
宣戦布告をされたはずの恩田さんは、安芸がVtuberの活動をするうえで必要な機材を全て揃え、パトロンのような存在になっていた。パソコンは高いスペックのものを買い与え、キャラクターデザインは有名な絵師に、live2Dの作成は大手のVtuberを手掛けているクリエイターに依頼した。その結果、普通の女子中学生に与えるには過剰なほどのハイスペックVtuberが誕生した。
「ハルヒロくんは鈍感になっているんだと思う」
「鈍感?」
「英語でいうなら、ナンセンスだね」
鈍感は英語でインセンシティブだった。だから恩田さんは、ちょっと間違っているのだろうけど、ナンセンスを鈍感と訳すのは、夏目漱石がアイラブユーを月が綺麗ですねと訳したみたいなエピソードみたいで、カッコいいのは分かる。夏目漱石のこのエピソードも、明確な出典がないので間違っているのかもしれない。
恩田さんはソードアートオンラインが好きらしい。オレが「キリトのガチ恋とかですか?」と聞いたときに、恩田さんは「違うよ。わたしもキリトになりたいの」と言っていた。もともと陰キャだったけど、ある程度の表現と成功体験を経て自信満々の陰キャになった。自信は付いても、陰キャは治らなかった。妙にコソコソと喋るのも、普通の陰キャ時代の名残だろう。そのコソコソ喋りは、かわいい声と相まって耳が気持ちよかった。
「普通の女の子はVtuberになりたいと思って、Vtuberとして活動するとき、自分の名前を乙骨抹茶乙にはしないよ。ほら、このコメントを見て。『名前のセンスいかつすぎるだろ』だって。この配信が切り抜かれて、Xに投稿されたらバズっちゃうだろうね」
「そんなに甘い世界じゃないですよね」
「天才には甘いよ。このカフェオレのようにね。それに、わたしがリポストした途端、一気に拡散されることになる。ネットの人は才能を発見したときに『見つかったな』とか、そういう言い方をするけど、帆立ちゃんはすでにわたしが見つけてしまっている」
「饒舌ですね」
「職業病なの」
恩田さんは伝説のアイドルVtuber『小湊みさき』の中の人だった。だった、と過去形なのはすでに卒業してしまっているからである。卒業配信で同時接続者数約95万人を記録して伝説になった。インターネットでは『小湊 みさき』という名前を知らない人の方が少ない。引退後、恩田さんは数か月の期間を空けて転生をした。今は個人勢Vtuber『白凪』として、インターネット上で余生を過ごしている。
恩田さんと安芸は、ライトノベルフェスティバルで出会った。イベントに興味がないオレにとっては、よく分からない催しだった。ライトノベル読者同士で交流できる謎解きのスペースがあって、二人は謎解きのペアになった。
安芸は先頭を歩く少女だった。恩田さんは前を歩く安芸の背中を見たのだろう。キリトになりたい恩田さんが安芸の背中を見て何を思うかというのはとても分かりやすい。恩田さんの言う通り、ずっと安芸の近くにいた僕は鈍感になってしまっていた。逆に安芸と初めて出会った恩田さんは敏感、つまりセンシティブだった。
「ああ、楽しみ。帆立ちゃんが日本のエンタメを変えちゃうから。わたしへの宣戦布告だってその布石だよ。本当にわたしと戦いたいわけじゃない。きっと帆立ちゃんはわたしとプロレスがしたいんだよ。いいよ。プロレスでも、ローション相撲でも何でも受けて立ってやる」
「大袈裟な」
「大袈裟じゃないよ。わたし程度でもひっくり返りそうになったんだから。帆立ちゃんの感性にみんなが触れたら、すぐにひっくり返る。そのための条件が揃っちゃったんだから」
「期待するのも分かりますけど、あんまりプレッシャーをかけないであげてください。安芸は本当に普通の女の子なんです。それに恩田さんが安芸をリポストしたら、ネットの人たちは二人の関係性に勘づきますよ。ネットの人たちも敏感ですから、安芸の完成度の高さは充分に怪しいです。裏で繋がってると思われたら、安芸が攻撃されかねない」
「饒舌だね」
恩田さんは顎を引いて笑った。それは陰キャの仕草だった。内側に沸々と欲望を溜めている。いつ爆発してもおかしくない。圧倒的な表現者としての才能が陰キャにはあった。伝説のアイドルVtuberとして発散されていたその創作意欲のマグマは、余生として穏やかな日々を過ごしているなかで、恩田さんの小さな胸のなかで煮詰まっていた。恐ろしい笑顔だ、と思った。
「ハルヒロくんは帆立ちゃんをみんなに取られたくないんでしょ?」
「……」
「ふふ、かわいいね」
26歳になる恩田さんに対して、オレはまだ15歳のガキ。恋心をいじられることにダメージはなかったけど、饒舌の指摘をやり返され、感情を言語化され、勝てないなと悟ってしまった。まず、オレはみんなに安芸を取られる前に、恩田さんに取られていた。
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