第2話
ーー時ヶ台高校の入学式。
日向は、整然と並んだパイプ椅子に座り、校長の話を聞いていた。壇上から見渡す限り、初々しい新入生たちの顔が並んでいる。どの顔も希望に満ち、どこか幼さが残っている。
ふと自分の姿を思い返す。髪はショートボブのウィッグで整え、クマを隠すためにメガネをかけ、マスクで顔の半分を隠し、スカートは短めに。けれど、どれだけ装っても25歳という年齢の壁は覆せないように思えた。彼らの中に混じる自分は、どう見ても浮いている。それが視線から伝わってくるようで、日向は息苦しさを感じた。
「今日から私は15歳の高校生……」
心の中で繰り返す言葉も、不安の波を抑え込むには足りなかった。
●
前夜、日向は担任教師・秋山玲奈からの電話を受けていた。
「明日から15歳として学校に通うんですか?」
電話越しの日向の声は、驚きと戸惑いで震えていた。
「ええ、本気よ」
玲奈の声は落ち着いていたが、冗談の色は微塵もない。
彼女は去年大学を卒業したばかりで、二十二歳と日向より三つも年下。教師と生徒という間柄とはいえ、歳上の自分にふざけるわけがない。
日向が困惑して黙っていると、玲奈は説得するようにいった。
「想像してみて。もし最初からあなたの本当の年齢を公表した場合、クラスのみんなが壁を作って、日向さんのことを孤立させないか心配なの……。それにクラスの子達の立場で考えても一人だけ大人がいたら、どうあなたに接していいか困っちゃうかもしれない。それなら最初から同じ年同士で接した方が一番賢明な判断だと思うわ」
「でも……私は二十五歳で学校の手続きをしてるんですよ。それは規約違反になっちゃうんじゃ……」
「心配しなくて大丈夫。書類上は25歳でも、私たち教師は全員、生徒の前では15歳としてあなたに接することに決めています」
玲奈の言葉は冷静だったが、どこか覚悟が感じられた。
玲奈はさらに説明を続けた。学校側が日向のためにどれだけ動いてくれたか──教師間での会議、書類の特別な取り扱い、健康診断票への配慮、クラス名簿の加工。
「私たちは、あなたが高校生活を全うできるように全力でサポートします。だから安心して、学生生活を楽しんでください」
その言葉に、日向はようやく小さく頷いた。しかし、胸の奥には重くのしかかるような不安が残り続けた。
電話を切った後、大学のソフトボールサークルから帰宅した妹の風華が声をかけた。
「明日から、ついにお姉ちゃんも女子高生だね」
その言葉に、日向は呆れたようにため息をついた。
「からかわないでよ」
「からかってないよ。本気で言ってるの。お姉ちゃんがこの一年、どれだけ頑張ったか知ってるもん」
風華の目は真剣だった。日向が入学のためにバイトをして授業料を貯め、勉強に励んでいた姿を、風華は間近で見てきたのだ。
「でも……そのせいで、風華のソフトボール生活をちゃんとサポートできなかった。試合にも行けなくて……」
日向の声には後悔が滲んでいた。
「いいんだよ。それよりも、今はお姉ちゃんが自分のために時間を使う時。私はそれが嬉しい」
そう言って、風華は浴室へと向かった。その後ろ姿を見送りながら、日向は静かにハンガーにかけられたセーラー服に目をやる。
それは新品ではなく、母の形見だった。生前、母が残した言葉が蘇る。
"あなたにはこの制服を着て、自分の人生を生きてほしい。"
日向は制服の襟にそっと触れ、目を閉じた。心に湧き上がる不安と期待。そのすべてを抱えながら、明日を迎える準備を整えた。母の願いを胸に、もう一度自分を奮い立たせる。
「大丈夫、私ならやれる」
誰に言うでもなく、自分にだけ聞こえるようにつぶやいた。
●
入学式を終え、一年生たちはそれぞれ自分たちの教室へと移動していた。慣れない空間に緊張感が漂いながらも、新しい生活への期待が教室内にわずかなざわめきを残している。日向は端の席に座り、他の生徒たちの様子を気にするふりをしながら、視線を机に落としていた。
「ここに馴染めるのかな……」
心の中でつぶやく。二十五歳で十五歳のふりをしているという事実が、彼女の背中を重く押さえつけていた。
しばらくすると、教室の扉が開き、担任の秋山玲奈がハイヒールを響かせながら入ってきた。黒のレディーススーツに身を包んだ彼女の姿は、教師というよりもスーツのテレビCMに出ている女性アイドルのようだった。タイトスカートから覗く脚は、若々しく引き締まっている。それを見た日向は、自分の黒タイツを見下ろした。
「私はこんなふうに脚を出すなんてできない……」
タイツ越しに隠された脚に、年齢の差が痛いほどに浮き彫りになる気がした。
玲奈は教壇の前に立ち、教室内を見渡す。ざわついていた生徒たちも、彼女の明るい声に耳を傾けた。
「みんな、静かに。これからホームルームを始めるわよ!」
玲奈の声には元気があり、それだけで教室の雰囲気が少し和らいだ。
「私はこのクラスを受け持つことになった秋山玲奈です。先生っていうより、みんなの友達みたいな感じで接していきたいなと思ってるので、よろしくね!」
フレンドリーな自己紹介に、生徒たちは気を緩めたように笑みを浮かべる。日向もその様子を見て少しだけ肩の力を抜いた。
「それじゃあ、今度はクラスのみんなの自己紹介を聞いていこうかな。男子の出席番号順から始めてね」
一人ずつ順番に自己紹介が始まり、和やかな空気が広がる。しかし、その和やかさが日向にとってはプレッシャーだった。自分の順番が近づくにつれ、心臓の鼓動が速くなる。
ついに名前を呼ばれると、日向はぎこちなく立ち上がった。
マスクをつけた顔が教室の視線を一身に浴びる。喉がカラカラに乾いているのを感じたが、何とか声を絞り出した。
「新垣日向です……普通に制服を着て学校に通える。そんな当たり前の幸せに、一日一日感謝を込めて過ごしていきたいと思います……」
教室は一瞬静まり返った。日向自身も、自分が言った言葉に驚いていた。本音を隠すつもりだったのに、気づけば素直な気持ちが口をついて出ていた。
「えっと、あの......昔色々あって、そう思うようになったって言うか......」
日向はしどろもどろになりながらなんとか取り繕うとするが、言葉が続かない。
その場の空気が張り詰める中、クラスの明るい生徒たちが声を上げた。
「昔って、俺たちまだ高校生じゃん」
「新垣さんリラックス〜」
教室内にクスクスと笑い声が広がる。玲奈も苦笑しながらフォローを入れた。
「日向さんは真面目さんなのね。でも、それもとっても素敵なことよ」
日向は、赤面しながら席に座った。マスクの中の顔は羞恥心で真っ赤に染まっている。
「やっちゃった……」
心の中でそうつぶやき、机に伏せたい衝動を堪えた。無理に若作りした見た目だけでも十分に浮いているというのに、自己紹介の内容まで普通の十代にはあり得ないものになってしまった。十五歳はあんな堅苦しい挨拶もしなければ、昔がどうだなんて過去を引き合いにだすことなんてしない。
その日向の様子を、二人の生徒がそれぞれ違う表情で見つめていた。一人は中性的な雰囲気を纏い、頬杖をつきながら興味深そうに眺める男子生徒。もう一人は、鋭い目つきで日向を睨むポニーテールの女子生徒だった。
二人の視線が何を意味しているのか、日向にはわからなかった。ただ、気づかれたかもしれないという不安が、彼女の心にじわじわと忍び寄っていた。
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