第2話 そのセカイ

その夢は、定期的に見る、けど起きると忘れしまう。


私の小さい頃の姿で、私より少し年上の男の子と良い匂いのするお花畑で笑いあっている。

その花畑は、なんだか現実世界にあるのかと疑いたくなるような、不思議な場所だった。

何が不思議かと問われると、私にも上手く答えられる自信はないのだが、なんとなく不思議な場所。

変な方向から風が吹いてきて、空がぼんやり揺らめいて見える。


笑い合う男の子と、何の話をしていたのかは、目が覚めると同時に忘れてしまう。

でも、これだけは覚えている。目が覚める直前にいつも言われる言葉。


「じゃあ、また明日ここで会おうね、灯織。」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


そよ、そよそよ、と頬をなでる風にくすぐられて、重く持ち上げた手の甲で擦る。

暖かくて、柔らかくて、まるで雲の上のような、宇宙空間のような、そんな感覚。

ああ、やっとか。やっとあの地獄から解放されたのか。

そんな事を無意識の中で考えながら、私はようやく目を覚ました。


「いっ…たぁ。」


先程の空間はどこへやら、と言いたいくらいの衝撃が背中に走る。

後ろを振り向くと、地元の樹に似た大きな樹がそびえ立っていた。どうやら、この大樹によりかかって寝ていたみたいだ。

さらさら…と辺りの草を風が凪ぐ音がした。開いた目の先には、美しい赤紫の空が見えた。

ようやく眩しさを感じたその目には、穏やかな景色が広がっていた。

草が波のように風に流され、私の見える奥の方まで、草で満たされている。

全ての景色が初めてだった。けれど、私は驚きもしなかった。


(天国? …あれ、私何してたんだっけ。)


自分の両手を見て、少しずつ思い出そうとした。

なんだか体がふわふわと軽い感覚がする。


(一体、ここはどこなんだろう。)


草の上に寝転び、自然の香りを吸って自分の中で状況を整理する。

草原の触感、匂い、そして白椿鬼という精霊サマの存在、姿、形。

奥まで広がる朝焼けの空。風に揺れる草木の音。

これら全ては、夢と信じたい私の思考を覆そうとうるさいくらいの情報を私に伝えてくる。


(ほんとうに夢?)

「おやおやぁ? お嬢ちゃん、こんな所で一人で何してるのかな?」


と、ニヤニヤした男共数人が話しかけてくる。よく見た光景だ。


(夢なわけないか、私どこかで頭打って寝てたのかな。)


私はそいつらの並べる下等な言葉を耳に入れることなく立ち上がる。


「おいおい無視かよォ! これは嫌われちゃったかな? でもお嬢ちゃん、これは君にとってもいい話、大金が稼げるんだ。」


こういうのは無視するのが一番、だが。私は彼らの腰に刀があるのを見逃さなかった。


(か、刀? 危ないし、ここは穏便に……)


私は仕方なく彼らの言葉に返事をした。


「大金?」


と、怯えた様子を隠して伝える。


「お嬢ちゃんを俺らのボスの元に連れていくことだな。」

(まさか、誘拐!? おばあちゃんに迷惑かける訳には行かないよ。)

「な、なるほどー!」


目の端で助け呼べる人を探すが、辺りには誰一人もおらず、私は死を覚悟した。


「そっかそっかあ!じゃあ大人しくしててくれよ?」

(どうすれば)


その時


氷ノ息吹アイスブレス


そんな声がしてそっとめを開けると、信じられないような光景がそこにあった。


「え、えっ?」


私に話しかけてきたあの下衆共が、氷像のように固まっていた。


「な、え、なに!? どういうこと?」


私は近づいてみて、こつこつと指の関節で叩いてみる。


「下衆め。貴様には息を吸う価値もない。」


背後から聞こえる声に振り返ると、そこには天女か女神か聖女とも言えるような美貌の持ち主が立っていた。


パキ…パキパキ…


私の目の前にある氷が割れ始める。


「わわわっ! 氷が溶けた!?」

「お嬢ちゃん。よくも騙してくれたなあ。」

「だ! 騙すなんてそんな!」

「その汚い口を妾に向けるでない。」


「氷ノアイスウィップ


聖女から発せられたその声とともに、氷の鞭が現れると、男三人を締め上げた。


「その鞭はお前らの体を蝕み、いずれ心臓をも凍らせる。せいぜい苦しむんだな。」


そうすると、聖女さんは私の元にゆっくりと近づいて、私の顎を人差し指でくいっと上げた。


「貴様が、灯織だな。」

「ふぇ、は、はいっ。日向灯織です。助けてくれてありがとうございますっ。せ、聖女様は一体」


その言葉を遮るように、聖女様は顎に添えられたその指を、私の唇に持ってきた。


「我が名は白椿鬼。聖女ではない。精霊じゃ。」

(白くて……紅い、椿。)


その女性をみて灯織がまず感じたのは、真っ白な肌に真っ黒な髪。アクセントのように光る紅い椿。

天女のような淡い水色のスレンダーラインのドレスを身につけている。

何度も言うようだが、ほんとうに女神か天女かと思うような美しさを纏う女性だった。

そして美しく透き通るような声をしていた。


「灯織、妾は貴様をこの世界に呼び寄せた張本人じゃ。」

「えっ…?」


状況が読み込めなかった。精霊さんの言う「この世界」が何を指すかが分からなかったからだ。


「今いる世界は、灯織の生きてきた世界とは違う。」


戸惑っていた私を察するように言葉を紡いだ精霊さんの音によって、私はようやく自分の置かれた状況を把握した。


「ここ、どこ、?」

「灯織の育った世界とは違う、それしか言えぬ。説明が難しくてな。」

「帰して、帰してよ、おばあちゃんが待ってるの、おばあちゃんが、おばあちゃんが!!」


私は不安で涙を堪えながら精霊さんに訴えかけるが、精霊さんは目を伏せて首を横に振った。


「これは、灯織の祖母である、美菜からの願いでもあるのじゃ。」

「おばあちゃんと知り合い、なの?」

「灯織、この世界は元々、神々の住まう世界だったのじゃ。しかし、数十年前にとある爆発によって、神々と、神々の住まう天界が滅んだ。それにより時空が歪み、灯織を呼び出すことでその時空をおさめたのじゃ。」

「かみ、じくう、?」


いきなりぶっ飛んだ話をされても、上手く理解ができない。目の前の精霊さんが何を言ってるのか全くもって理解できない。


「とりあえず、灯織が元の世界に帰るには、天界に行かねばならぬのだ。」

「じゃ、じゃあ、早く行こう! 早く帰らなきゃ、だって、おばあちゃんとか、弥生とか、桃寧とか、私の事しんぱいしてるはずだもん。」

「大丈夫じゃ。美菜には伝えてある。」

「ほんとに? ほんと?」

「ああ、大切な人を救って欲しいとな。伝言じゃ。」

「そんなこと、そんな素振りなかったのに。」

「でも天界へは早く行かねばな。それと」


白椿鬼は私の袖をめくった。


「きゃぁぁぁ!! なにこれ…黒い模様付いてる!」

「先程の輩に呪文をかけられていたことに気づかなかったのか。」

「えっ、ええっ。いつ…!?」

「妾が凍らせる直前じゃ。この呪印を消すのに少し時間がかかる。妾も人前に姿を現したのが久しぶりでの。力が上手く使えておらぬ。」

「は、早くしてぇー!」


灯織が腕をつき出すと、白椿鬼は灯織の腕に右手をかざした。


(なんだか、ほどよくあったかい。)

「灯織は今いくつじゃ。」

「16だよ。……白椿鬼は精霊の巫女? なの? 天女サマではないの?」

「妾は精霊。人間と似ているが人間では無い。」

「神様って、私会ったことないんだけど、この世界には存在するんだね。」

「存在した、が正しいがな。」

「神様がいなくなると、なんかやばいの? 私たちの生きてきた世界には、神様なんてもの人間の創造物でしかなかったよ。」

「灯織の世界には、規律を守る者はいなかったか?」

「んー、政府の人たちとか?」

「そうじゃ、政府の者はこの世界にもおる。そのものたちの中でも偉い人物が居なくなってしまうと、灯織の世界もきっと荒れるじゃろう?」

(確かに、警察とか裁判官とか総理大臣とか、そういう人たちが居なくなっちゃったら世界は荒れちゃうかもな。)


「神々がいなくなってから、数十年間ずっと妾は時空の歪みに耐えていたのだが。抑えきれなくなった為に、灯織をこの世界に呼んだのじゃ。」


白椿鬼は、さっき言っていたことを少しだけ柔らかくして話してくれている気がする。それでもまだ私には理解し難い話だった。


「数百年前にも、似たような事があった。神族同士の争いによって、魔物が排除され続け、魔物の魂を時空の隙間に逃がしていた人が多くてな。」

「うーん? 魔物はもういないの?」

「ああ、数百年前までは存在したがな。」


なんだか、見た目は二十代なのに、数百年前の事に詳しそうな白椿鬼に少し違和感を覚える。


「精霊さんって、ご年齢は」


とまで言ったところで


「灯織?」


言葉を遮って精霊さんが声を出す。

そして今まで何をしようと見向きもしなかったというのに、精霊さんはゆっくりと首を横に動かす。


「初対面の女性にその様な質問をするのはあまりに失礼でないだろうか?」


精霊さんは微笑んでいる。

しかしその微笑みとは裏腹に物凄い圧と狂気を感じる。

あたしは精霊さんのその微笑みを、生涯絶対に忘れないだろう。


───────ソレカラソレカラ───────


とりあえずこの人が歳の話をすると怒ることは分かった。

そして世界を護っていた神とかいうのが消えたのもわかった。

あと、おばあちゃんの大切な人を救って欲しいというのも分かった。

でも、まだ疑問はある。


「でも神様って、爆発でいなくなっちゃうほど弱いの?」

「少し遡るがな、政府にはユースティティアという組織があったのじゃ。神々を護り、世界の秩序を保つ連中じゃ。元は魔物の蔓延る時に作られた、魔物を排除する組織だったのじゃがの。」


精霊さんはそのまま続ける。


「しかし、ある日とある男とどこからやって来たのか、何を目的としてるのかも分からない組織、フィーロックスにたった三日で全滅させられたのじゃ。」

「三日!? でも政府の組織って強いものじゃないの?」

「もちろん強いはずじゃ。だがしかしその組織が全滅させられるほどその組織が強かったと言うことじゃ。」

「そ、そっかあ、なんだか壮大……。」

「この世界のルールを仕切るものがいなくなったから、この世界は荒れ始めている。」


それだとたしかに無法地帯になりそうだなあと、IQの低い私でも理解できるような簡単な想像をふくらませたところで、精霊さんが急に私に背中を向けた。

少し間を置いたあと、彼女は私にある頼み事をした。


「灯織、美菜は大切な人を救って欲しいと言っていた。妾はその人物に心当たりがあるのだが、協力してくれるか。」

「心当たりあるの? もちろん協力するよ、私が元の世界に帰るためにも。」


草木に触れる感触や、目に見える雄大な景色。

そして静かに香る風の匂い。

灯織の五感が、『この世界が夢ではない』と叫んでいた。


(夢みたいな話だし、信じようがないけど、この世界で頼れる人は精霊さましかいなさそうだし、帰るのは全部終わってからにするしかなさそうだね。)


まるでファンタジーの世界に迷い込んだアリスのようだ。


(全部、アリスの様なファンタジーで終わってしまえばいいのに。)


ふと、白椿鬼の手首がきらりと光る。


「精霊さん、その綺麗な腕輪なんですか?」

「環と呼ばれるものだな。」

「輪?」


精霊さんは袖をまくり、ひらりと右腕を突き出して見えやすくした。その輪には、薄い水色と緑色がグラデーションになったリングがはめられていた。


「綺麗! それ何に使うの?」

「この環を身につけることで魔力が備わる。」

「え! かっこいい〜!」

「この世界の人間はその能力をふたつ、みな持ち合わせておってな。灯織にも似た力を持ってもらわねばならぬ。」

「えぇ! やった! でもそれって後天的に備わるもんなの?」

「ないな。」

「え!? 無理ってこと…?」

「まあ、なんとかなる。そういうのに詳しい奴がいるからの。今からそいつのところに行くつもりじゃ。」


精霊さんは私の顔をじっ…とながめた。


「な、なに?」

「やはり、灯織の瞳は見た事も無い色をしている。」

「え? 黒でしょ? よくあると思うけど…この世界じゃそんな珍しいの?」

「…まあ、そういうこともあるか。それでは灯織、行くぞ。」

(眼の色のことを言ってた訳じゃないのかな?)


そう言って白椿鬼は立ち上がる。

私の腕の模様は、いつの間にか綺麗さっぱり消えていた。


「天界への行き方を知っている知人がいる。そいつの元にな。」

(おばあちゃんのためにも、早く済ませよう。)


立ち上がる白椿鬼を見上げると、尚更女性の割に背が高いなと思う。

灯織の頭がやっと白椿鬼にくくらい。たぶんそこらへんの男性よりずっと背が高いだろう。


(ふぁー、ねむい…。今何時なんだろ。)

「今何時なのかなあ。」


ふと疑問にした言葉がいつの間にか口から零れていた。


「朝方だからのう、卯の刻辺りじゃな。」

「うのこく? なにそれ。」

「こっちの世界では卯の刻と言うのじゃ。灯織の世界なら…七時あたりじゃな。」

「七時!? 私おばあちゃんち出たの何時だっけ…。結構夜だったしもしかして相当寝てたのかな。」


私がぶつぶつと考えている間に、白椿鬼はスタスタと先に行ってしまう。


「あっ、待ってよ! そういえば精霊さ」

「その呼び方をやめろ。妾は白椿鬼じゃ。」

「ごめん、えーと白椿鬼さんのその知人ってどんなひとなの?」

「剣士じゃ。赤髪のな。」

「剣士? この世界はそんなのもいるんだ。」


まだ見ぬその剣士の姿を想像して楽しむ。


(どんな人なんだろ。かっこいいかな〜。)

「性格は……異様に明るい奴じゃな。」

「そうなんだ、じゃあいい人だね。」

「ほう、そう思うか? 確か前に会った時居たのは…。」


白椿鬼はぶつぶつと独り言を言ってさらに早足で歩きだす。

自分の歩幅で歩いてたら白椿鬼を見逃してしまう早さだ。私は駆け足で白椿鬼の隣に並ぶ。


会ってからまだ数時間しか経っていないからってのもあるだろうが、白椿鬼は笑顔も怒りも悲しみも、感情を見せない。

無表情ポーカーフェイスを崩さないでいる。

まるでおとぎ話から出てきた氷の女王の様だ。無表情むひょうじょうで、冷静で、人に冷たい。

灯織は、白椿鬼の能力が彼女にぴったりだと思った。風のように何事にも動じず、氷のように冷たい。


(氷の女王様、か。なんかかっこいいかも。)


灯織は一人微笑みながら白椿鬼の隣をかけあしで並んでいた。

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