第9話

「彼氏っていうより雑用じゃね?とか思ってんだろ?」


私に背を向けながら少し笑ってそう言ったゲンちゃんに、私はその視界に入っていないと分かっていながらもしっかり首を振った。


「いいよ、別に。カナミがしてくれって言うことは俺は何でもしてやるよ。網戸の滑りが悪いのはずっと家にいるカナミにとっては地味にストレスだろうし、あの足で脚立なんか使って自分で電球を変えようとしたりなんかすんのは危ねぇし」


そう話しながらひたすらシュッ、シュッ、と空気を入れていたゲンちゃんは、いっぱいになると前輪と同じように再びしゃがみ込んでバルブを口金からキャップへと差し替えていた。



「アイツは一生、俺を使って生きてけばいいんだよ」



空気入れ片手にこちらを振り返ったゲンちゃんに、私は再びペンをホワイトボードに走らせた。



『愛だね』


「はははっ、そうそう。俺はカナミを愛してる」



なんだかほっこりしたところでお姉ちゃんに頼まれていたエビフライの数を聞けば、ゲンちゃんはまさかの「八個」と言った。


それを台所にいるお姉ちゃんに伝えれば「それもはやエビフライ丼じゃない?」と笑っていた。


それに私も同じように笑った。



そこに生まれる笑い声は一人分だった。



その夜、私達は三人でエビフライの乗った親子丼を食べた。


私のには希望通り二個乗っていたから、ゲンちゃんのにも希望通り八個乗っていたのだと思う。


だけどやっぱりそれは一見すると親子丼というよりエビフライ丼で、ぱっと見ただけではその数まで数えることはできなかった。


絶対乗せすぎ…


それを乗せたお姉ちゃん自身の親子丼はというと、エビフライは一つも乗っていなかった。



エビは十尾しかなかったのか、それとも残りは明日のゲンちゃんのお弁当に回したのか…



「ニイナ、本当に明日から自転車で行くの?」


どこか不安げな顔でそう聞いてきたお姉ちゃんに、私は素直に頷いた。


「何かあっても喋れないのに、困らない?」


それにはいつも制服の胸ポケットに入れているメモ帳とボールペンを示すように、私は自分の左胸をトントンと指差した。


「それはそうなんだけど…」


依然不安そうに口籠ったお姉ちゃんに、ゲンちゃんが代弁するようかのように口を開いた。


「カナミはあの中学の時のことを気にしてんだよ」


…あぁ…



あれは中学三年の時。


単なる思い付きから早朝学校に自転車で行った私は、雨上がりだったせいで濡れていたマンホールでまんまと滑りそのまま派手に転倒した。


しかもそれがちょうど車の多い交差点で、危うく車に轢かれそうになったのだ。



「けどあれは単なるニイナの不注意で、喋れないこととは何の関係もねぇことだからそこは問題じゃねぇよ」


「それは分かってるけどぉ~…」


「んでお前は金のことを気にしてんだろ」


ゲンちゃんは今度は私の方を向いてそう言った。

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